294 閑話:遺跡に封じられたもの/後(世界設定系)
精霊って超自然的な存在のイメージなのだけど、王様なんているのだろうか。
この疑問、あっさり「いない」と言われた。
「そもそも群れる特性じゃないから世界に散らばってたんだ。だから国家なんて概念は存在せず気ままに過ごしてたんだけど、それじゃ困る事態が起きた」
それが人の王に請われこの世界からの撤退を決めた大撤収。この時に精霊の総括役が求められたため、一番強くて、それでいてすべてに通じる一つの個体に全ての意を託した。
この個体が精霊世界における最初で最後の「王様」だ。
「王様には片割れがいた。王様とはまるで正反対の嫌われ者の黒い月、大撤収の後は、人々を見守るためにこの世界に残って、やがてゆるやかに大気に溶けて月になった。それ以来黒い月は人々を見守る宵闇の母になった……と聞いたかな」
……と、シスはお爺さんから教えられていたみたい。
「溶け……てないわよねえ」
「死に体だけどまだ大地には還っちゃいない。……というよりここじゃどこにもいけない」
「どういうこと?」
「僕の時と同じさ。いまでこそ扉を開いたから現世と繋がってるけど、閉じられてる間はあれら共々世界から切り離されてた。これは還るより還れないと表現する方が正しい」
シスは少女を横抱きに抱えたが、それでも女の子は目を覚まさなかった。黒鳥は動きを止めて肩に乗り、不気味に静まりかえっている。
一応無事だったらしい魔法院の面々、彼らは興奮の声を上げようとしたところで、シャハナ老の一睨みがきいた。唯一無遠慮に少女を覗き込むのがサミュエルだが、本当に怖い物知らずである。
「……足がないのはなんでですかねえ」
「僕の時と同じで一部なくなりかけてたんだろ。じゃ、この子は連れて行く」
「連れて……? お、お待ちなさいシクストゥス、その娘はどこに連れて行くつもりですか」
「どこって、そりゃ僕の居候先」
「それは容認できません。現存する精霊ともなれば何が起こるかもわからない。貴方の言うように強い方ならなおさらです。なにより殿下になんと申し上げるつもりですか」
魔法院に連れて行くのが自然だと思っていたから、行き先がコンラートとは私も驚いた。
当然ながら渋るシャハナ老だが、シスも譲らない。
「なにも起こせないだろ。彼女はまだ存在できてるし個としての意識は微かに感じるけど、それもあの小娘が魔力を与えたからっぽい。多分見つけるまで本当に死にかけだったんじゃないか。いわゆる意識不明の重体ってやつだ」
「使い魔にそこまでの判断ができるとは思えません」
「あれの創造主はエルネスタだぜ。通常では考えられない思考から判断までやってのけるから今回の秘密兵器だったんだろ」
いくらか問答があったものの、結局シスはシャハナ老の要請をすべて蹴り、来た道を早々に戻ると馬車に乗り込んでしまった。コンラートなのは一応理由があって、ルカが「契約」したのであれば宿主である私に関わってくるからだそう。
「それにどうにも家に帰らなきゃいけない予感がする」
「……なにそれ?」
「さぁ。なんとなく思っただけだから」
シャハナ老達はいまごろあの墓室を念入りに調べているはずだ。
シスに膝枕された少女は未だ目を覚まさない。
「ルカの言っていた契約ってなにかしら」
「さあね。それは本人から聞くしかないが、小娘はまだ応答しないのかい?」
「かなり弱ってるから当分目を覚ましそうにない。それこそ残ってくれてるのが不思議なくらいよ。黒鳥もあの子に魔力を回すためにすぐ消えたもの」
「節約を覚えるとはきみよりも賢いな」
「真面目な話をしてるのよ」
「僕だって真面目だし、それなりに焦ってるんだけどね」
「なにに?」
「そりゃお伽噺級の大物の登場にさ。いくら死にかけでもヤバいのは変わらない。僕の記憶を覗いたのならわかるだろ。僕よりもっと悪い環境の中、ずっと長い間閉じ込められてたのに姿を残してる」
膝から下がなくなってしまっているけれど、シスにしてみたら「それだけで済んでいるのがおかしい」のだそう。
少女は家に連れ帰っても眠り続けたのだが、運ぶ途中、通りかかったのは我が家の料理人だ。
そのときのリオの表情はなんとも形容しがたい。
「リオさん?」
目を見開き、言葉を忘れ、動きを停止させた。持っていたジャガイモの袋を落として浅い息を繰り返す。何度話しかけても意識は少女に向いていて、肩を叩いてようやく我に返ってくれた。
「どうされたんですか、この子になにか気になるところが……」
「あ、ああ、すみません……。ふる、古い知り合いに似てたので……」
そう言いながらも目線は少女に向かったままだ。残念ながらこの子がリオさんの知り合いであるはずがない。
「ちょっとわけありの……偶然連れてきただけなんです。素性……は一応知れているので、残念ですけどリオさんの知り合いでは……」
「い、いえいえいえ! あくまでそっくりってだけで……知り合いでは……では…あぁ……」
「……気分が悪いなら部屋で休んだ方がよろしくありませんか。無理に作らなくてもいいんですよ」
初めて見る勢いで首を振られた。今度はなぜか必死の形相で落ちたジャガイモを拾い集めたのだ。
「私は大丈夫です。それよりそのお嬢さんの方が大変そうだ、なにか元気のつきそうな……美味しいものを作ります!」
「リオ、悪いけどこの子は食事はとくに必要としな……」
「行って参ります!」
シスの言葉も耳に届いていない。脱兎の如く駆け出すと地下に姿を消してしまったのである。何故だかその日の夜のご飯は凝っていて、しかもその後もリオさんは厨房に詰めていると聞いた。張り切りすぎて倒れないといいけど……と、眠った夜中である。
唐突に名前を呼ばれて目を覚ました。
当然だが室内には誰もいないが、いまでも誰かによばれている。さっと上着を羽織って階下に下りると、空のお皿を乗せた盆を持つリオさんの姿が見えた。
明かりに照らされた横顔は嬉しくも、どこかもの悲しい。肩を落としながらもしっかりした足取りは階下に消えていく。
声をかけたらいけない気がして、入れ替わり気味で食堂に向かったが、目的の人物の姿はない。カーテンが揺れ、つられて庭に出ると、その中央にひとりの姿がある。
肩を露わにした、長い黒髪の美しい少女などひとりしかいない。
少女は両足膝から下がないにもかかわらず、穏やかな顔つきで月を見上げている。
「こんばんは。いい夜ね」
鈴の音を転がすような声だった。
「おはよう」
「お……はよう、ございます。私を呼んだのはあなた?」
「用事があったのはあなただけだから」
声こそ抑揚が少ないが、ことのほかはきはきとした口調だ。
「えっと、あなた、精霊さん?」
「そうね、他になにに見える?」
「……私はシス以外の精霊を知らないんです」
「ああ、あの子」
知っている口ぶりだったが、彼女の興味はシスにはなかったみたい。
おいでおいで、と手招きされると向かい合って座った。膝のないこの子を連れてきたのはリオさんだろうか。それにしたって他の誰も起きていないのが不思議だった。
「……あの、もし質問して良いのなら、どうしてあなたはあの地下にいたんでしょうか」
シスが捕まってから受けた措置とか、遺跡の目的とか……。知りたいことは山ほどあれど、ひとまず質問を一つに落ち着けた。少女はしばらく考え込んでいたが、やがて「ん」と両手を伸ばす。
「はい?」
「説明するのはむずかしい。だからこっちへ……すこし、借りるね」
少女の手が私の頬を包んだ。顔を覗き込まれると目が合うが、そこから柔らかなぬくもりが入り込んでくる。侵食されていると気付いたけれど、嫌な感じはひとつもしないし、迎え入れたくなるあたたかさだ。
脳裏に映りこんだのは「なぜ」と問うた少女の声と、少女と瓜二つの顔をした白髪の女の子だ。
「どうしてわたしを連れて行ってくれないの。みんなはあちらに引き上げるのに、またわたしだけのけ者にするの?」
おそらく私は黒髪の精霊になっている。彼女の目線、彼女の口で喋りはするけれど、私の思い通りに動きはしない。これはただ過去の記憶をなぞっている。
「みな、精霊の世界にいくのだとあなたが触れを出した。望むものはみんな一緒に行こうといったのはあなたなのに、どうしてそんな嘘をつくの」
「好きでお前を残すわけではないよ。私の片割れ」
白い少女は悲嘆に暮れていた。悲しいけれど言わねばならない、同情するけど怒っている。愛情の中にそんな感情を含めていった。
「お前は罪を犯しすぎた」
「つみ? それはわたしが森を出たこと?」
「違う。確かにあの男と森を出たことは許しがたくはあるけれど、それだけならば私はお前の手を引いていたよ」
「ではなにを罪と言うの」
「……お前はそれがわからぬから、私はそれを罪としなければならない」
困惑する黒い少女。白い少女ははじめて泣き出しそうになった。
「この世界に不要な魔法を編み出し、違う世界の人の魂を呼び込んだ」
それを白い少女は『山の都』の儀式と呼んだ。
「違う。リイチローは転移人だし、私は呼び込んでなんかいない」
「彼ではない。だが亡くなった彼の魂を引き寄せようとしたのは知っているよ。結果、お前が編み出した魔法を使って、いまなお人間が数多くの転生者を呼びだし続けている。それが罪だ」
「……あの人達は」
「向こうから来た人々は別の世界の人間であり、違う世の理にある。死した後、我らが心と称するものが何処にも行けず、こちらに馴染むまで……それこそ人では耐えられぬほどの時を彷徨うしかないと知っているね。知っているからこそ、果てなく救いのない迷子となった、あの人間を救い出そうと魔法を編み出した」
「ええ、でもリイチローはどこにもいなくて……。だからわたしは、私の半分と一緒に……」
「彼を救いたかったのだろう。けれど私の半身よ、お前は、お前が編み出した魔法によって呼びだした人々もまた"還れない"のだとは思わなかったか」
黒い少女は小首を傾げ、その仕草に白い少女が半身の手を取り、両手で握りしめた。自らの額に手を押し当てる。
「私たちは人の政に干渉してはならない。それを知っていたのに……森を出たお前は楽しそうで……はじめて笑ってくれたから、たかだか数十年だと見逃してしまった」
「どうして泣いているの、私の半分」
「お前は向こうに連れて行けない。こちらに呼びだされた、これからも呼びだされる彼らの心が救わなければならないと皆が判断した」
「……どうして?」
「精霊は大地と共にあるべきもの、人の命を弄んではならないんだよ。もし悪戯に命を奪ってしまったのなら、その責任を負わねばならない。世界の理を破ってしまったのならなおさらだ」
「でもその世界がリイチローを呼んだのよ。わたしは彼を……」
「なんであろうと故意に人を呼び込んだ、それそのものが世界への裏切りだ」
黒い少女に罰が下される。
「私たちはお前を地の底に封じ込める。そしてこれまでに、これから先呼び込まれる異世界人の心がこの建物に引き寄せられるよう大陸に魔法をかけていく。お前は彼らの良き話し相手になり、この世界で再誕できるよう祝福を授けてあげなさい。人の世に滅びぬ国はない。いつかあの都が滅び、悲しむ心が消え去ったとき、一度だけ私のもとへ繋ぐ扉を開くから……」
「だからわたしひとりで残れというの。リイチローのいないこの世界で、そのうえあなたと引きはなされるの?」
「……心を視て、意思疎通を図ることができるのは宵闇と謳われるお前だけ。本来なら許されざる行いだが、他ならぬ我が半身だからこそできる贖罪だ」
残念そうに手が離れ、嫌だ、と言わんばかりに少女は手を伸ばしたけれど……。
「なんで? なんでわたしの半分は、またわたしをひとりにするの?」
眩いばかりの光の壁によって二人は阻まれた。それどころか少女がどこにもいけなように、身体に黄金の鎖が絡みついて身動きを奪う。
「すまない。お前が世界の理を破ったのなら、気付くのに遅れたのは私の罪だ」
「わたしの半分。どうしてあなただけがいつも輝いているの。わたしはずっとひとりだった、誰にも話しかけてもらえなかった。わたしにはリイチローとあなたしかいなかったのに」
「……だが学ぶ機会がないわけではなかった。我が半身、無知は罪ではない。人の世にとけ込みながらなにも見ようとせず、知ろうとしなかったことがお前の許されざる所業だった」
――そうして、少女は黒い部屋に閉じ込められた。
少女との接続が切れたのか自意識と視界を取り戻すけれど、なんとも不思議な感覚だ。シスの夢をのぞき見したときと違い、これはもっとリアルな体感に近い。
「これ……あなたが閉じ込められた経緯……です、か?」
「うん」
覗き見た記憶は一部分だ。『山の都』といった単語や、白い少女との会話から目の前の女の子がこの世界で召喚魔法を編み出したあたりは流れてきた映像で理解したが、唐突すぎて混乱している。
それに疑問だって残る。祝福を授けてあげるのが償いだと言っていたけれど、シスが扉を開いたときに現れたのはすっかり変質してしまった向こうの世界の心……魂たちだ。
白い少女の言い様だと祝福を授ければ罪は償われるはずなのに、どうして彼らはあんな状態に変わり果てたのだ。
答えを知ろうにもあれ以降の記憶はみせてもらえない。
これはあくまでも憶測になってしまうけど……もしかして、彼女は彼らを祝福しなかったのではないかと……。
「どうして私を起こしたんですか」
目の前にいるのはとても美しい女の子なのに、人並み外れた容姿が恐怖心を煽る。
「わたしは、さいごに願ってたの」
少女は私の心臓あたりを指で差した。
「あんな暗いところじゃなくて、もっと明るい、リイチローが漂うこの空のもとで消えたいって。でもあの人たちに縛られて思うように動けなかった。でもそこにあなたの子がきた」
「……そこであなたと接触を図ったと」
「ほんとうに細い糸みたいな魔力でも気付いてくれた。……あの子は彼らを見てあなたの行く末を知ってしまったのだとおもう。わたしの正体に気付いて、自分たちの話をして、問いかけてきた」
それが私に記憶を見せてくれた理由。
“向こう”からやってきた人は、死した後は『向こう』に還れなくなる。私なりの言葉に解釈するならば、事実がどうあれ生まれ変わることも不可能になると受け取った。
「……ルカはなんて質問したのか教えてもらっても良いでしょうか」
「あなたが肉体を喪った後に、壊れてしまわないように、この世界でひとりぼっちにならないようにすることは可能かって」
だから、と少女は頷く。
「できる、っていったの。でもその代わり、わたしを外に出して欲しいと願った」
こうして契約が交わされた。ルカは残っていた自身すら削って精霊の維持に努めた。
「約束は契約。約束を守ってくれたからには、わたしはあなたを祝福する。あなたと、あなたのお家の人たちが心穏やかに過ごせるように。あなたの心がこの世界に馴染んでくれるように」
……少女が祈るように両手を組んだとき、わけもわからず空を見上げた。心臓がどくんと脈打てば視界が揺れる。空に浮かぶ二つの月、その傍らが目に飛び込んだけれど、輝きに目を奪われている余裕はない。
それよりももっと重大なことがある。
「あ、れ――」
「あの男の子の魔力が混ざったから、肉体がなくなっても長く彷徨いはしなかったでしょうけど、それでも百年は必要だったとおもう」
「私に、なにを」
「祝福が時間をかけて心をこちらに馴染ませる。こわくはないわ、だいじょうぶよ」
心の奥底ではっきり、パリン、となにかが割れた感触があった。大切な記憶、大事にしていたことが遠くに行ってしまった気分だ。なのに恐怖はなくて、少女の言葉が当然のものだと受け入れている。
……私はなにを失った?
「……じゃあ、これでわたしの役目はお終い」
「えっ」
身体が透けている。掴もうにも指は腕をかすりすり抜ける。なにがおかしいのか、少女はクスリと笑った。
「外に出してもらえてよかった。これでわたしは大気に還ることができる」
「へ、え、え? いえ、還る……んですか」
「そう。おかしい?」
「いえおかしくは……」
そもそも精霊に詳しくないのでわからない。
たしか彼女には半身たる白い少女がいて、再会を切望していた様子があったのだけど……。
「……還るって、どこにいくんですか?」
「さぁ、どこか、深い森の奥」
皆が本物の精霊だなんだと盛り上がったのに、その成果がたった一日で消えてしまう。
そして少女も自身が消えてしまうだろうに穏やかに微笑んでいた。
「でもあなたリイチローさん? に会いたかったんですよね。その人がいつ亡くなったのかはわかりませんが、そのくらい時間が経ってるなら生まれ変わってる可能性はないんですか」
「わたしのリイチローはもういない」
寂しげに微笑んだ。少女はリイチローなる人を求めて『山の都』の魔法を編み出したはずなのに、諦めてしまったのだろうか。
「でも、約束は守ってくれたからいいの」
……正直なにを言ってるかまったくもって意味不明だが、微笑む少女があまりに嬉しそうで二の句が継げられない。そうしている間にも彼女の姿は薄くなり、存在が希薄になっていくが、どうにかしてここに残ってもらいたい。
「待って! その前に……どうして私に記憶を見せてくれたんですか!」
「誰かに覚えていてほしかっただけ」
「じゃあ、じゃあ……転生した人の心があなたのところに行っていたなら、私の友人は――!」
「それはあの子に聞いた方がいい。わたしはわからない」
消えていく、どこかへ行ってしまう。
でもまだ駄目だ!
「どうか待って! 私一人では意味がないの、もう一人――!」
……どうやって?
そんなこと無理だとわかっていても叫ばずにはいられなかったが、皆まで言い終わる前に消えてしまった。あとはいくら探そうが、ウンともスンとも返ってこない。
……うそ、これで終わりなの?
まだ夜中だ。あたりはシンと静まりかえっているが、部屋に戻る気にはなれない。立ちすくんでいると、後ろから声をかけられた。
「ちくしょう、やられた」
「シス!」
「ああ、言わなくていいよ。消えたんだろ、最後に礼を言ってたから知ってる」
「まさかさっきまで寝てたの?」
「起きたのはついさっき。弱りかけの婆かと思ったらちゃっかり僕に介入して、いまのいままで眠らせてきやがった」
「シスが魔法で負けた?」
「……いや、悔しいけど小指程度の極小の魔力程度しか消費してないだろうな。お伽噺になるだけあって魔法の使い方が上手いんだ」
さらに家人が誰一人起きてこないのはこのせいだ、とシスは言うけど、でも待って。私と入れ替わりでリオさんが……。
「で、なにを話したんだよ」
不機嫌極まりないといったご様子。大人しく『祝福』の話をすれば、鼻を鳴らして家の方を見た。
「精霊の祝福が作用したな。心穏やかにって言葉自体はありきたりで普通に生きてる分にはそんなに意味あるもんじゃないが……」
「は? まさかなにか悪いことでも起きる!?」
「……どうだろうな。でもしばらくは家の中に気を配っておくといい」
なぜ家人なのか、シスは言う。
「あれほどの存在になるとかなり特異な存在だ。純精霊ってヤツは人と価値観が異なるし、祝福の言葉が曖昧になるほど、どんな作用が起きるかわからない」
「そんな呪いみたいな」
「実際呪いだ。幸いなのはきみがメインで、家の方はついでなんだろうけど」
シスは「あなたのお家の人たちが」と言われたのが引っかかったらしいが、事実、彼の言葉は後になって的中する。
ひとつは私の変化。
無事ルカの救出を果たしたので「目」の返却をしたのだが、身体能力は元通りになっても、いつまで立っても魔法が使えなくなる形跡がなかった。さらに魔力量は少ないが、一応魔法使いとしての素養が形として残ったといえる。髪の色も元の濃茶に戻る気配がないから、これからも白髪と付き合っていく必要がある。
二つ目はチェルシーの変化。
なぜか彼女が落ち着きを取り戻しはじめた。ほんとうに時々だけど、精神に異常をきたす前の顔をするようになった、とジェフが涙ながらに教えてくれたのである。
そして、これは祝福の影響ではないけれど……。
「ワタシ、しばらくこの男について旅に出るわ」
魔力を補填し、いくらか回復したルカが新たな目標を掲げた。同行される側のシスは嫌がっているが、決定してしまったらしい。遺跡で“削れた”ルカはいまや出会った頃の半分以下の力しか有しておらず、存在は弱々しくなっていた。魔力で身体をつくるのも惜しみ、手の平サイズの人形に宿ったのだ。
「外を見て知識に触れることで、遺跡で削れてしまった分の補填をしたいの。それにワタシなら造物主との繋がりがある、エルネスタを探し出すことができるかもしれない」
いい歳した青年が女の子の人形を持ち歩く……。
なんとも奇妙な図だがルカはやる気だし、シスも嫌々ながら反対はしない。
「遺跡で探したけど、あそこにあったのは古く変質した魂ばかりで彼女の気配はなかった。どこか漂っていたら大変だし、見つけ出してこの男に祝福とやらを授けさせるわ」
意気込む彼女に、首を縦に振るしかなくなった。
記憶で見た「心を視て、意思疎通を図ることができるのは宵闇と謳われるお前だけ」の言葉が引っかかるけれど、希望を胸に抱くくらい良いではないか。
こうしてルカはシスと一緒に旅に出てしまい、幻の精霊を一日足らずで失った魔法院の人々からは、しばらく後も隙を突いては恨み節を零される羽目になる。
いまでも夜月を見るとあの少女を思い返すけれど、あの子は結局何処に行ってしまったのだろう。シスやルカ曰く「一月も保たない」らしいけれど、私が知っているのは寂しそうに微笑む少女の姿だけ。
そういえばコンラート地方に少女を指し示すかのような伝承が残っていなかったか。
思い出したのは偶然だったが、確かめる術はもうどこにもない。
誰の迎えも拒否して、孤独に消えていった純精霊。
彼女は最後に安らぎを得られたのか、それを知る術はもうなかった。
今回の話にあった「黒髪の精霊」の時系列、精霊側の事情、彼らの考え方、遺跡の目的等、カレン視たものだけでは不十分なので次回更新時に「近況報告」でまとめました。
なお作中のコンラート地方の伝承→書籍1巻書き下ろし特典に載せました。
※世界設定は読者のみが把握できる形にしています。




