286、私も、あなたも
変な顔を見せたくなくて頭を下げる。
「お久しぶりでございます、陛下。こうしてまたお会いすることが出来て――」
「堅苦しい挨拶は不要だ。こうして直接会うのはどのくらいぶりだったか」
すぐに遮られてしまった。まだ顔は直ってないのに、口元に指を添えながら曖昧に微笑んだが、これで誤魔化されてくれるだろうか。
「しばらく手を止める。お前達も下がれ」
「は……休息、でしょうか」
「それ以外になにがある。……ジーベルもご苦労だった」
「陛下はいささか働き過ぎでございますれば、ごゆっくりお休みください」
ライナルトが人払いを行う際、文官がいたく驚いていたのが印象的だ。運ばれたお茶は皇太子時代とは比べものにならないくらい美味しい。
「陛下が即位してからお会いしたのは数度でしたが、そのときも執務室はここでしたね。もっと奥に安全な場所があるでしょうに、移られるつもりはないのですか」
「奥は安全だろうが、往復が面倒だと知っているだろう」
「私は数度しか足を運んでいませんが……ええ、行ったり帰ったりするだけで良い運動になるだろうなあとは思いました。相変わらず手間を惜しまれるのですね」
「利になるようなことはまだなにも行っていない。後宮など潰してしまいたいのが本音だが、やろうとしたら侍女頭や侍医長に止められてしまった」
「潰すのもお金がかかりますよ?」
「そういって止めてきたのはモーリッツくらいだな」
ライナルトは即位に伴い宮廷の建物の大半を閉じた。それは彼にとって無意味な教会や……皇室に連なる人々のための住居が連なっていたから、前皇帝の側室達を追い出したいまは必要性がなくなったのだ。
ライナルトの表情がいつになく柔らかく、気恥ずかしさを隠すために口を開いた。
「今日はとてもご機嫌がよろしいみたいですが、なにか良いことでもございました」
「どちらかといえば毎日悩ましいことばかりだな。そう言うカレンもいつになく笑みが絶えない」
「私は、まぁ……」
私はあなたに会えてうれしいからなんだけど、ライナルトは自覚が薄いらしい。理由はわからないけど、彼がご機嫌だと私も嬉しくなるし、まあいっか。
「最近は顔を見せてくれないから気になっていた。ニーカから聞く限り忙しいようだが、そちらは順調だろうか。こうして足を運んだからには緊急を要する内容でなければ良いが」
「うーん……。用事はあるにはあったのですが、実を言うと、今日に関していえば思いつきです」
「思いつき?」
「急に暇になったものですから、行けば会ってくれるのかしらと思って来てしまいました」
「そのような疑問が謎だな。私が貴方相手に門を閉じる理由の方が思い当たらない」
心外とばかりに目を見開く。
「もしや私が即位したから遠慮でもしていたか。その程度でしばらく顔を見せなかったとなれば、リリーやバーレの面の皮の厚さを学ぶべきだな。彼らほど皇帝を敬わぬ者はいない」
「そちらはヴェンデルに悪い影響が出るでしょうからご遠慮申し上げます。……即位されてからいささか遠慮していたのは事実ですが、私の面会予約はそちらに通っていなかったのでしょうか」
直接話すのは気が引けるのだけど、どのみち誰かから伝わるだろうから話してしまう。……というより、やんわりと探ろうとしただけで目つきが変わった。
ヴェンデルの誕生日パーティの話をしたら初耳だと言われたのだ。
「……私はなにも聞いていないな」
「ニーカさんにもお送りしたんですが、彼女からもなにも?」
招待客を整理している途中だから返事は待てるが、普段だったら真っ先に返信をくれそうなニーカさんすらも返事がなかった。
これにライナルトは渋い様子を隠さなかったが、それも数秒だ。「対処しておく」と短く告げたときの顔は為政者のそれであって、こういうときの彼は私でも考えが読めないのだと学びつつある。
「私が後見人を務めた少年だ。ヴェンデルの誕生日は顔を出すと約束するが、あの家に人を呼ぶとなれば手狭ではないだろうか」
「あはは、やっぱり陛下でも思われますよね。実はうちの家令や顧問にも同じ事をいわれてしまいまして、父に相談してキルステンの家をお借りすることにしました」
アルノー兄さんが住んでいた邸宅は、いまは父さんとエミールが住んでいる。家が広すぎるとエミールがしょっちゅうぼやいているが、お友達を呼んで演奏会をしているから要領がいい。
それだけ立派な家だから、お客様、ひいては皇帝陛下をお招きするには申し分なかった。
「家か……。コンラートは以前と違い身分もそれなりのものを手に入れたが、いまの住まいを移るつもりはないのだろうか」
「購入の検討はしているのですけど、いまの家をかなり気に入ってしまったのですよね」
いまのコンラートは結構な隆盛期にある。今回みたいに馬車を引いて著名人をお招きする催しを検討すると、あの家では手狭だと意見が上がっていたが、ではどのくらいの広さが必要かと問えば、いまの二倍の広さは必要だと言われてしまった。引っ越したくないというのがヴェンデルの意見であり、私もこれに同意している。
「近くにお友達がいますから惜しくなってしまうんです。どうせなら近くの家をいくつか買い取って新しい家を建てるか、そうでないなら帝都外の土地を買い取って家を建ててしまおう、なんて話も上がったくらいなんですよ」
「帝都の外か。それはまた大胆なことをする」
「だってこれから帝都を広げていく計画がおありでしょう。いまから建物付きの一等地を買うよりずっと安上がりです」
帝都の構造を知り、専門家を雇い、そしてなによりオルレンドルの要人に人脈があれば、新区画内のどのあたりに土地を構えれば良いのかは探れそうだからできる計画だった。
少し警備を増やさねばならないけれど、帝都街路沿いであれば野盗に狙われる心配も少ないし夜も静か。なにより広大な湖の島の上に建つ帝都を一望できて見晴らしも良くなる。
「帝都内に拘る必要はないとは実に貴方らしい。新区画に貴族が家を構えてくれるなら治安もよくなるだろう」
「治安ですか。ルカやシスに警邏がうまく回るよう魔法をかけてもらう手もありますね」
「魔法院顧問が住まう家ならば魔法仕掛けでもおかしくないだろうな。もしその話で進める気になったのなら、土地の選抜は相談してもらいたい」
「嬉しいお言葉ですけど、どういった裏がおありですか」
「水路の外に連なる脱出口のひとつの管理を任せたい。すでに脅威は取り払われたが、あれが帝都に繋がっているのは変わりないのでな」
「重大なお役目ですね。そうやってぽんと投げつけるのは良くないですよ」
「だが引き受けてもらえるだろう」
「要検討です」
「手厳しい」
「あくまでも案に上がっているだけです。計画にもなってない話なんですから」
手厳しくない。だって地下の魔法の効果はとっくに薄れてしまったのだ。やろうと思えば地下を経由し、そこから帝都内のどこにでも行くのが可能だ。警護の手間と費用を考えれば魔法を使った方がいい。安請け合いする前に、ルカとシスが帰ってきてから相談だって必要だ。
「魔法といえば、シスとの繋がりはどうなっている。髪の色も戻るかと思ったが白髪のままだな」
「これですね。シスにもどうなるかわからないと言われていたのですが、やはり戻りませんでしたし、ずっとこのままではないでしょうか。ご報告申し上げた通り、遺跡にいた本物の精霊の祝福をもらってしまったので……」
「シスは呪いだと言っていたが」
誤解を招く発言を残していくんだから。
「弱っていたとはいえ、元が強い方だったせいで影響が大きいだけです。祝福自体はけっして悪いものではありませんよ。……そんな顔しないでくださいってば、この通り私は元気です」
「この間も熱を出して倒れたと聞いている」
「どこから仕入れたんですかそれ……。元々の体質です、むしろ素で魔法が使えるようになっただけ、魔法院顧問の座にいられるだけの理由に足ります」
強いて言うなら私が影響を受けやすかったのだ。シス同様精霊との相性が良すぎたから効きが強かったというか……。
「ご覧の通りの髪ですから、後ろ姿だと時々ご老人に間違われるのが悩みですね」
シス曰く「あーるぴーじー風に言うなら僕との目の交換で属性が変わったところに、さらに呪いが降りかかって完全に属性転向した」そうだ。当時は髪の色は戻るか戻らないか不明と言われたが、どうやら後者だった模様だけど生活に支障はない。
交換していた目は返却したので健康な身体とはさよならだが、魔法を使える体質は残ったし、ルカとは改めて使い魔契約を果たした。いざ使おうと思えば黒鳥だって使役できるし、悪いばかりじゃないのだ。
ライナルトと会うのは久しぶりだったのもあるし、楽しく聞いてくれるおかげで色々なことを話した。最終的に仕事の話になってしまうのは私たちらしい。
「魔法院の運営もよくやってくれている。シャハナの尽力も認めるが、彼女も貴方の案が上手く纏まっていたおかげだと言っていた。混乱もなく早く法が整備され、いまのところ順調に進んでいる」
「ありがとうございます」
お礼は言ってみるが嬉しい知らせじゃない。
銃周りは公にならないだけで問題は色々発生している。ライナルトが言ったのは予想の範囲を上回らなかっただけの話だ。
私が行った銃に関する法案も、製造に入った銃の流通が止められないからやらざるを得なかっただけで、それ自体は私自身が考えたものじゃない。前世の知識を総動員し、いまのオルレンドルの状況とうまく照らし合わせて魔法院側と根気よく相談したおかげだった。
なかなか難しかったけれど、初期ロットを除き銃の製造番号は魔法刻印とやらで刻めることになった。使用者の登録も同様で、例えば許可なく外で銃を使用すれば犯人を突き詰められる仕組みになっている。
「刻印は魔法院側に渋られると思っていましたから、了解をもらえたのは意外でしたね」
「『箱』がなくなったいま、彼らも役目を作るのに必死なのだろう。私も余計な仕事が増やされずに済み嬉しく思う」
「……ライナルト様が魔法嫌いなのは相変わらずですか?」
ライナルト呼びにしたのは正解で、薄い微笑みが答えを物語っていた。
……彼のことだし、あわよくば将来的に魔法院を潰そうとか思ってそうだ……というより、多分考えている。シャハナ老も同じ危惧を抱いているだろう。
「貴方には顧問を任命したが、どうにもそれだけでは礼として釣り合っていないように思える。何か欲しいものがあれば融通するから遠慮無くいってほしい」
「必要なときがあれば頼りにさせてもらいますね」
いまのところ忙しいばかりでうちもいっぱいいっぱいだから、あれが欲しいこれが欲しいとはならなさそう。
「でもそれを言うならライナルト様こそ毎日頑張ってらっしゃいます」
「私はこれが役目になる」
「それはそうなんですけど、ちょっとはやぼ……夢以外にやりたいことってないんですか。前は本を読んだりされてたんでしょう。読書はどうなんですか」
「帝都はカールの影響が作家にまで及んでいた。ここに私の好みに合う本はないな」
「……そこも今後の課題になりますね。弟が劇場に新しい風が吹いていると言っていたのを思い出しました」
本格的に仕事の虫なのが予想される返答。思った以上に休んでいないのは自明の理で、これはニーカさんが心配するのも無理なかった。
「やりたいこと……になるかは不明だが、こうも文官に向き合ってばかりだと退屈するときはあるな。そういうときにとは思うが、一人では不可能だな」
「あら、私にできることがあればお手伝いします」
深く考えずにいった言葉だけど、ライナルトはやや悩んだ様子を見せてから言った。
「ならば髪に触らせてもらえるか」
んんんんんんん!




