279、後始末Ⅱ
我が家をはじめて訪ねた父さんの面差しは柔らかかった。
「いらっしゃい、道には迷わずに来られた?」
「コンラート邸と告げたら説明せずとも走ってもらえた。それよりもこちらは向こうに比べて随分賑やかだ」
「普段はこうじゃないのよ。いまは色々あってお祭り騒ぎってだけ」
「だとしても少し前まで内紛だったろう、よくここまで回復したものだ」
感心したように呟くけれど、こころなしか口数もちょっと増えたかな?
玄関に飾られた硝子灯が珍しかったか、物珍しげに眺めていたが、それも緊張で固まっている少年を前に態度を改めた。
「やあ、ヴェンデルもこんにちは。しばらくぶりだが、元気にしていたかな」
「お久しぶりです。その……」
「貴方は私の娘の義息子であり、すなわち孫にあたる。お爺さんと呼んでくれて構わないよ」
これにはやや困ったヴェンデル。私もイェルハルド老に似たようなことを言われたから気持ちはよーくわかる。
「難しければ前キルステン伯でも、名前でも、好きに呼んでくれたまえ」
「が、がんばります」
ヴェンデルがここまでガチガチに緊張するのも珍しい。
父さんはもう一人、奥に佇む女性に目を向けたが、こちらは女性が先に頭を下げていた。今日ばかりは肌を露出させる装いを控えたマリーだ。
「お久しぶりです、おじさま。このような形での再会となり申し訳ありません」
「話は聞いているよ、マリー。私の手が及ばず、間に合わなくてすまなかった」
「いいえ、おじさまも手を尽くしてくださっていたことはアル……彼から聞いていました。あの人達が嘘の日取りを告げて騙していたのでしょう」
「……子どもの前だ、その話は後にしよう。いまはひとまず君の無事を喜ばせてくれ」
「そうでしたね、失礼しました」
うちにマリーがいる以上、彼女の存在は避けられない問題だ。久方ぶりの再会になったがマリーが父さんに嫌悪を寄せることはなく、むしろ半分涙ぐんでいたのが印象的だ。日頃強がってはいるけど、実両親と兄に売られた記憶は拭えないのだ。
「父さん、到着したばかりだから夕食はまだですよね。準備してありますからご飯にしましょう。お部屋も整えてあるから案内しますね」
「お言葉に甘えさせてもらうよ。ところでエミールの姿が見えないが……」
「まだ考えたいことがあるとかで断られてしまいました。でも父さんにはよろしくと言伝を預かっています」
「……そうか」
「あ、明日には会えるから!」
ちょっと寂しそう。これはいけない。
「あのね、今日はお向かいに住んでるバダンテールさんもお招きしたの。お手紙にも書いたファルクラムの元外交官よ。お話し上手だからせっかくだしと思ったの」
「愉快な御仁だと書かれていたね。お会いするのが楽しみだ」
「それにちょっとだけ……ちょっっっとだけ癖の強い男の人が入ってくるかもしれないけど、そっちは気にしないで! 変わり者だけど優秀な魔法使いなのよ、害はないの!」
「わ、わかった。まあお前の紹介なら心配はしていないのだが……たしか動物を飼い始めたのではなかったかな」
気を遣ったのを察してくれたのか、父さんもすぐに話題を切り替える。話す内容を選んでいる気配があるのは、まだ帝都の状況を掴みかねているのだろう。
それもそのはず、父さんがファルクラムを発ったのは内紛が勃発するより前であり、ライナルトの戴冠前に帝都に到着できたのは奇跡的な偶然だ。そもそも政変が起きてからファルクラムに報せが届く間に相当なタイムラグが発生する。
別件でオルレンドルへの出向を決めたため、出発後に帝都の皇位争い勃発を耳にしたのだ。道中は危険だからとしばらく街道が封鎖され、引くか戻るか悩んでいるところでライナルトが勝利を掴んだ。封鎖が解除されるとすぐに早馬を走らせ、そこで私も初めて父さんがこちらに向かっていたと知らされたのだった。
早馬が報せを持ってきたときは、なんて幸運だろうと胸をなで下ろした。
キルステンの今後を踏まえると父さんを呼び寄せる必要があったから、こんなに早く邂逅できたのは僥倖だったのだ。
その父さんがなぜ帝都への出向を決めたのか、姉さんの近況含めて詳細は後にさせてもらいたい。そしてヴェンデルはもちろんクロードさん達がいる手前本題は明日だ。宿の予定をうちに招いたのは私なのだから、せめて今夜は長旅の疲れを癒やしてもらいたかった。
父さんも難しい話は避け、ファルクラムや姉さん達の近況も差し障りのない範囲で教えてくれた。それに話し役になるより聞き役に徹したいみたいで、特にヴェンデルと、ヴェンデルを通したエミールの生活に興味を示した。
ヴェンデルと父さんは顔合わせはしたことがあるのだけど、ほとんど話をしてないためか会話はぎこちない。ただこれは予期できたので、そこはクロードさんと適度に軽口を叩いてくれるマリーの出番だ。そこに給仕のウェイトリーさんが間を持ってくれて、ギクシャクした会話は自然なものへ変わっていった。
この間にクロやシャロが静かにやってくるのだけど、この二匹に動物を飼ったことのない父さんは興味津々。
こちらの料理もお気に召してくれたし、私も自慢の料理人を紹介できて鼻高々。
ほどよくお酒が入ってくると大人達の話し合いになってくるので、ここでヴェンデルはクロと退室だ。マリーも気を利かせて席を外すと、父さんが口を開いた。
「戴冠式は思ったより先になったな。私の記憶するライナルト殿下ならば国を落ち着かせることを優先しただろうに、なにか不都合でもあったのだろうか」
こんな言葉が出てきたのは驚いた。ライナルトが皇帝となるのはおよそ一月先になるのだが、これは当然ヴィルヘルミナ皇女との諍いがあったせいだ。私と兄さんの将来を分けた原因にもあたるので、もっと慎重に切り出すつもりだった。
ところが父さんは苦笑混じりに言う。
「お前達兄妹を気に留めていないわけではないが、少なくともいまは私も先を見据えるためにオルレンドルに赴いた。情勢を知るのに遠慮は不要だ。無知は罪ではないが、ときに判断を誤る要素を生んでしまう。現当主が退き、話し合いに赴こうとしている時なら尚更だ。私にそんな間違いを犯させないでほしい」
「はい……」
「……すまない、説教臭くするつもりはなかった。気遣ってくれてありがとう。おかげで到着早々頭の痛い話題にならずに済んだ。子ども達をひとりたりとも失わず、孫が元気にやっていると知れてよかった」
うう……ひと言ひと言が重いのは流石に前当主なだけあった。
この言葉にはクロードさんも共感を示したみたいで、雰囲気が暗くならない範囲で簡単な経緯を教えてくれる。
「殿下はそうしたかったみたいなのですが、前皇帝の忠臣方や元皇后陛下と些か揉めております。それに宮廷内でも喪すら明けず戴冠式は如何なものかと声が上がっているようで」
「なるほど、我が国にも慣習に縛られた者は多いが、このあたりはどの国も変わらないらしい」
「伝統に縛られるのが悪いとは言いませんが、この場合は複雑でしょうな。なにせライナルト殿下は皇帝陛下に反逆している。殿下がより良く務めておられるから混乱は起きていないのが幸いだ」
現時点でヴィルヘルミナ皇女が降伏してからすでに一月経とうとしている。戴冠式がさらに後なのだから、時間が掛かっているといえばそうだろう。
「市民はすでに殿下をライナルト陛下と呼び、認識していましたね」
「それが秩序の保たれている理由ですな。実際、殿下はよくやっておられる。もとより才能の片鱗は見え隠れしていたのは存じていたが……。補佐の手際もあるのだろうが、国を治められるのがこうも長けていると知る者は少なかったでしょう」
「……それを聞くと些か複雑な気持ちになりますな。我が祖国は殿下の手により国ではなくなってしまった」
「失敬。私の配慮が足りなかったようだ。国を出て行った私と、誇りを持って仕えていた貴殿ではひと言の重みが違う。どうか滅ぼされて当然と言いたいのでないと、それはご理解いただきたい」
「こちらこそ失礼した。ただの感傷と捨て置きください」
モーリッツさん達にしてみれば早くライナルトを皇帝にしたい。いまさら帝国の法律や形式に拘る必要はないのが本音だ。まさに国の平定を急ぐなら戴冠式を急ぐべきだった。
ところが邪魔が入ったのは説明の通り。皇后クラリッサ等が騒ぎを起こし、協力してくれないので作業が難航している。それで合間をとっていまから一月先くらいに設定した。
クロードさんはこんな風に説明し、父さんも溜息を吐いていたが、実はこれ表向きの理由。
ライナルトならやろうと思えば、騒ぎ立てる者など無視してとっくに皇帝になっている。やっていないのは延期になっても支障は無い、なんて身も蓋もない結論を彼らが出したからだ。
実際はこういった人々が騒いだのをいいことに、戴冠式を延期させる判断を下したのだ。理由はいくつかあり、そのうちの一つが帝都の地下深くで燻っている遺跡の再調査にある。
こちらは私とシスも同行するので、いずれ詳細が判明するとして、もうひとつ私が見過ごせないのがバルドゥル。オルレンドル帝国騎士団“元”第一隊隊長バルドゥルだ。
元の名が付くとおり第一隊は解散となった。大きな原因としては彼らのほとんどがカール皇帝の死去後も抵抗を続けたから。上の命令だったと零す者もいたが、前皇帝に忠誠が厚かったのは事実だ。権威のある副長も命を賭して『名誉の戦死』を遂げたことになっていたし、反対できる者はいなかった。唯一抵抗できたとしたらバルドゥル本人だけど、その本人が変わらず行方不明なのだ。彼の息子といくらかの腹心も同様に姿を消したが、しかし国外退去した噂はなく、家に帰った形跡もない。だがちらほらと国内での目撃情報は飛び込んできている。
いくらなんでもおかしいと再編された憲兵隊が調査に当たったところ、意外な大物が彼を匿っているのではないかと推測が立った。この相手がいくらライナルトといえど下手に手を出せない相手だったので慎重になっている。
こちらの問題は一朝一夕で片付く問題ではなさそうだけど、どうなるかはこれから次第。
なお憲兵隊の長は名実ともにヘリングさんを助けてくれたゼーバッハ氏となった。今回の件はライナルトへの忠誠を示した氏は褒賞を賜り、爵位までも得た。隊長だしてっきり良いところの人かと思っていたら、平民出身のたたき上げだったらしく、このせいで人事がままならず、圧力に負けることも多かったみたい。余所の介入を許したのもこのせいだ。
異例の報酬はヘリングさんの後押しも強かった。いまでもお隣には定期的にお見舞いに来ているけど、そのたびに夫妻の両親等に頭を下げられて困惑している姿をみることができる。
憲兵隊がこうなのだから、当然ながら帝国騎士団第一隊も再編だ。いっそ解散のままとの声もあったが、中にはバルドゥルに非協力的な者もいたわけで、現在はマイゼンブーク卿が隊長となって人選を続けている。大変な作業だけど、なぜかマイゼンブーク卿は毎日ご機嫌で仕事に当たっているらしい。これまでのような特別な権限は薄れるだろうけど、それは軍が従来の形に戻るだけだった。




