277、後始末 I
渡されたのはホットドッグみたいな食べ物だった。
「ほら、食べなよ」
「ありがと」
長い固めのパンに焼きたての腸詰め肉と発酵キャベツを挟んだ食べ物だ。味はややスパイシー寄りだけど、どこか懐かしい味がして首を捻った。
「これ何処のお店のやつ?」
「宿屋街。エルネスタの両親に弟子入りしてたって男がやってる店。繁盛してたぜ」
ものの三口で食べ終わったシスは、もぐもぐと口を動かしながら眼下で往来する人達を見つめていた。
「なにも言わずに見送るつもりかい?」
「そのつもりだったけど、ちょっと考え中」
私たちはオルレンドルの帝都グノーディアに出入りするための門、その中でもとりわけ人気の無い東南門にいた。近くには宿屋が点在しており、そこの屋根に座りながら宙に向かって足をぶらぶらさせている。
本来こんなところに座っていたら注目の的だけれど、シスのお陰で目眩ましが働いている。誰も私たちに気付くことはないので、私は堂々と目的の人物を観察しているのだった。
「まどろっこしい、行くならとっとと決めれば良いのになにを迷ってるんだか」
さっきからグチグチ言ってくるけど、結局付き合ってくれているから、なんだかんだで解放後のシスは嫌いじゃない。最近は本格的にリオさんに餌付けされたみたいで、ライナルト自ら放免を言い渡された現在もうちに居を構えている。おかげで最近は彼を認知しだした人が流した噂による「なんだかよくわからないがすごい魔法使い」のいる家としても注目の的だ。嬉しくない。
そんな彼はいま三本目の惣菜パンを食べ終わろうとしている。片手に抱えるほど買い込んだ量、すべて食べきるのは時間の問題だ。
私はというとまだ三口目を呑み込んだ直後だ。その間も木陰に隠れて佇む女性二人を見つめている。
フードを目深に被っているからわかりにくいが、その人こそは四妃ナーディアとお付きの侍女サンドラだ。四妃ナーディアは皇帝を『害した』ため、いまだ残り続けるカール皇帝信奉者からは「裏切りの妃」と蔑まれているが、責任を取って遠方に隔離したことになっている。もちろん嘘の発表で、そのうち自殺の報告が入る手筈になっていた。
帝都にいられなくなった彼女はいまからこの国を出ていく。
本来なら護衛がついてしかるべきだけれど、彼女自身が望んですべてを断った。聞くところによると、彼女が持ち出したのは一抱え程度の金銀と宝石程度で、あとはすっぱり捨てる選択をしたらしい。彼女の脱国を手伝うことになったニーカさんは、苦笑しながら教えてくれた。
「なにか持ち出すものはないかと聞いた時は、必要ない、の一点張りで。それはもう、さっぱりしたお顔でした。きっとこの国には未練もなにもなかったのでしょう」
皇帝カールに積年の恨みを晴らしたナーディア妃だが、あの日は予想に違わずサンドラの制止を振り切って走ってきたらしい。
「あの娘、母親を殺されたこと気付いてたんだなー」
「知ってたくせに他人事みたいに言わないの」
「仕方ないだろー。きみの母親はとっくにカールに殺されてるぜなんて言えるわけないし、カールもナーディアには僕を近づけたがらなかった」
復讐のきっかけだが、やはり彼女の母親が殺されていたことが原因だ。いまでも母と手紙を交わしていると言っていたが、それらはすべて皇帝カールの用意した偽物だった。彼女は気付かないふりをし続け……だからこそ復讐の原動力のひとつになった。
「カールはナーディアとサンドラ以外の生き残りを徹底して排除した。いまあそこに戻っても、あるのは廃墟だけなんだけど……彼らは何処にいくつもりなんだろうな」
「それについては心配する必要はないんじゃないかしら。だって、ほら」
門から出てきたのは一台の馬車だ。帝都で一般的に出回っている普通の辻馬車だけれど、降りてきたのは三人の男性。全員私服だが、うち二人は軍人だと私たちは知っている。
残りの一人は無精髭を生やした中年男性だった。その人を見つけたナーディアは男に抱きつき、二人は熱い抱擁を交わし合う。
「囚われのお姫様を助けるためにゲリラになって機会を待ち続けた……って健気だねぇ。ほとんど小説の域じゃあないか。これって映画にならない?」
「うまくいけばなる。でもここでいうなら劇くらいでしょ。それでも台本になるのはもっと後の時代よ」
「そりゃたしかに。そんな話が出回ったらライナルトから命を狙われちまう」
男性だが、なんと四妃ナーディアの幼馴染みだ。皇帝カールの襲撃から偶然生き残り、彼女を救うために帝都に渡ると身分を偽って軍人になった。しばらく勤め上げた後は市井に交じりながら帝国に反旗を翻すべく組織を立ち上げた。
つまり今回の反乱組織の首謀者だ。
彼はナーディア妃の援助を受け、ライナルトと繋がりを持ったあとはうまく組織を誘導して今回の騒ぎを起こした。そうしていま、長年の夢を叶え彼女と旅立とうとしている。
……と、ここまで述べると本当に映画級の壮大な物語なのだけど、人々を魅せる物語にするにはかなりの脚色を加えねばならず、現実はもういくらか非情だ。公の発表では反乱組織はすでに処刑されており、イコールあの男性もすでに命を落としていなければならないはずである。
ではなぜ生きているのか。
答えは簡単で、トップが仲間を裏切ったから。
正確には首謀者数名を除いた、だけど、あの男性が組織を売ったのは間違いない。
皇帝カールを苛立たせていた組織が、ライナルトの援助があったとはいえ、今回に限ってあっけなく捕まったはずだった。彼らは二度と帝国に戻らないことを条件に、安全に帝国を発てる。でもそれはナーディア達にとって願ってもない話なのだ。
「おおい、本当に行っちゃうけど」
「……どうしようかしらね」
「言いたいことがあるならいっとけよ。この際だから言うけど、多分きみとエルネスタが『向こう』で死ぬ因果を作ったのは山の都の儀式が原因だぞ」
「……やっぱりそうなの?」
「やっぱり、っていうなら悩むなよ!」
「だってなんとなくそう思ったくらいで、どっちかハッキリしないのだもの。死んでからこっちに引き込まれた可能性だってあるじゃない」
「まあその可能性も三……四割くらいはあるけど、エルネスタはともかくきみの場合は死ぬまで行くとは思えないね」
なんか私が彼の記憶を覗いた以上に、向こうは私のことを把握してない?
「あなたの言う状況ってやつ、実をいえば昔すぎてはっきりとは思い出せなくなってきてるのよね。大事なことは多分覚えてるけど、それ以外は記憶に靄がかかってたり、虫食いみたいな細かい穴ができてる」
「だとしたらこっちに馴染んできたからだろうな。完全に忘れることはないだろうけど、そりゃもう諦めるしかない」
「諦める諦めない以前に、そこまで拘ってはいないの。だって私はここで生きてるわけだし、とっくにこちらの方が思い入れが深いのよ。恨み言なんて言うつもりはさらさらない」
「それも虫食いの影響だったら?」
「嫌な質問ね。でもそれって記憶喪失のまま平和に暮らしてる人にあなたは記憶がないけどどう思いますかって聞くようなものよ。そこにあるはずの記憶がないことを自覚しているから困るだけであって、はじめから存在しないなら困りようがないの」
薄情だが戻りたい、なんて気持ちはとっくになくなっている。
だからやはり儀式で『召喚』されたことに憎しみだとかは抱かないけど……でも、そうか。シスの言葉を真だとおくのなら、『山の都』の儀式って言うのは……。
ナーディアに近付く時には身構えられたが、すぐに警戒は解かれた。
「お見送りに来ただけなんです。少しだけで良いので挨拶の時間をもらえませんか?」
「ライナルトには僕から言っておくからさー。あ、モーリッツかニーカの方が良い?」
「まあ、そこの彼……はともかく、貴女が見送りにきてくれるなんて」
ナーディアが私を覚えていたからだ。彼女は私が今回の件に深く関わっていたと思ってもいない。それどころか仇を刺したときは夢中だったのか、その場にいたはずの私達の記憶すらなかった。いたく感激し、涙ながらに手を取られたのだ。
「カレン! こんなお別れになってしまってごめんなさい。込み入った事情は話せないけれど、わたくしは帝都を出て行くことにしました。もう二度と戻ってくることはないでしょうが、どうかお元気でいてください」
「道中のご無事を祈っていますが、いまは完全に安全な場所などないはずです。どこまで行くおつもりですか」
「わからないわ。でも一度故郷に向かって、そこから決めていくつもり。どこかひとところに落ち着ける場所を探します」
「早く落ち着ける場所がみつかることを祈っています。それまでナーディア様も、どうかお元気でいてください」
「ありがとう。貴女もライナルト陛下に良く協力していたと聞きました。色々あったでしょうけれど、もうあの男に人生を翻弄される心配はありません。安心して暮らしていってくださいね」
……その慈しみは本物だから少し複雑だ。最後は偽りの笑顔になったことを心で詫びて、サンドラの手を取った。
シスが上手い具合にナーディア達の気を引きつけてくれたから、私たちの会話は聞かれていない。
「あの、コンラート夫人。おひいさまはともかく、私に何用で……」
「『儀式』についてです」
真っ直ぐに目を見ていった。侍女とはいえ元は神官格の家柄だった人だ、この言葉にはまともに驚いて体を強ばらせる。
「時間をかけると怪しまれるから単刀直入に言います。帝都から離れた後は『儀式』についての知識はすべて捨ててください。もし書物に書き記していたのなら、それらもすべて燃やして、なにも痕跡は残さないで」
「な、なにを言って……それに『儀式』は私たちにとって大事な……」
「そうやって過去に二度繰り返した結果がここにいます」
逃がさない。両手をしっかり握りしめた。
「一人は死んで、一人はいまも生きてはいます。いまここにいることに後悔はなくても、あなたたちの願いが誰かの人生を奪ったことは変わらない。誰かの選択肢を永遠に奪う意味では皇帝カールと同じ所業です」
……私が言えた義理じゃないな。
厳しい物言いになったけれど、短時間で伝えるにはこれが効果的だった。
幸いだったのは、サンドラが聡明な人であり、これらを語るだけで理解してくれたこと。さっと顔色を変えた彼女は、穴が開くほど私を凝視した。
「まさか……」
「信じる信じないはお任せします。ですが話したところで夢物語だと言われるのはもうわかっているでしょう? 私も何を言われようが知らないと言い張ります。あなたの国が残した伝承など認める気はありません」
ナーディアに伝えないのは、彼女自身が伝承を信じていないから。なにより『儀式』を遂行するにあたって必要だったのは『神官』の方が重要だと把握していたからだ。これらはいままで得た魔法とシスの知識を拝借して結論づけた。いくらナーディアが願おうと、侍女もとい『神官』サンドラの協力がなければ『儀式』は成立しない。また下手にナーディアに話して信じ込まれてしまっては目も当てられないため、私が選んだ相手はサンドラだった。
「……元よりいまでは知識や方法も失われているんです。だからお願いしますね」
不完全な形であっても種は残しておくべきではない。
あとは彼女の良心に期待するだけだと手を離した。
道中で馬を調達して行くという彼らを見送ると体の力が抜けていた。
「侍女があの調子なら大丈夫じゃないか。多分、もうなにも残さないだろうさ」
「そう信じたいところだわ」
元々知識と魔方陣には欠落があった。時間が経てばどのみち消失したであろう『儀式』だから、私が行ったのは本当にダメ押しくらい。
最後に見たサンドラは深々とお辞儀をして、しつこいくらいに顔を上げなかった。
笑顔で手を振るナーディアも、その隣で穏やかに微笑む男性の本当の心の内も私にはわからない。
「戴冠式前だってのによく動くよな。これから義父とも会わなきゃならないんだろ、ウェイトリーが首を長くして待ってるから早く帰ろう」
「義父じゃなくて父ですー。キルステンの父が私にとってはお父さんなの!」
……彼女達の物語もここで終わって、また始まる。
幾多の犠牲を払った先に幸福はあるのだろうか。
答えを知るのはずっと先だろうし、知る機会すらないのかもしれなかった。




