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276、ただ隣に並びたいだけ

 まってまってまってこんなのあり得ない。ここはコンラート家であり次期皇帝である人が朝っぱらからいていい場所じゃない。

 なぁにこれ、まさか私まだ眠ってる? 

 まだ目を覚ましてなくて本体は夢の中だったりするの。夢だとしたらろくでもない悪夢だ最悪だ!


「え……っと……?」


 は? まだ覚めてくれないんですけど?

 ウェイトリーさんはお茶まで淹れ始めるし、リオさんが給仕を始める始末。いつもだったら誰かが朝食に付き合ってくれるのに、この日に限って誰もいない。

 あ、そうだそうだ夢にしたって寝衣のままだから着替えてこなきゃだめだ。まあ寝巻といってもほとんど家の中でも着れ回れる感じの、マリーが選んでくれた可愛いデザイン部屋着なんだけど、まかり間違ってもライナルトに見せて良い格好じゃない。


「茶が冷める。早く座ったらどうだ」

「あっはいじゃあお邪魔します……?」


 逃げられない! 助けて!!!!

 流石にこの状況を憐れんだのか、ウェイトリーさんが肩掛けを羽織らせてくれたけれど、そのときにはもうわけもなく汗をかいている。

 いやほんとに意味がわからない。

 なんでライナルトが早朝からお茶を啜っているのだ。しかも持ち込みしたのか読みかけの本まで置いてある。ウェイトリーさんに救いを求めても澄まし顔で佇むだけ。

 目の前に置かれたのはできたてのオムレツと温野菜。少し冷めたかりかりベーコン。それに白米のおにぎりとお手製漬物の贅沢メニューだ。

 そういえばここ最近は私のお気に入りをたくさん作ってくれていて、今日も必ず好物の一品が含まれている。

 ライナルトの前にはお茶しかなかった。従って客人を差し置き私だけがご飯を食べる羽目になるのだが、フォークに手を付けていいのか迷ってしまう。


「ライナルト様は、その、一緒に食べません?」

「私は不要だ」

「はい、すみません」

「なぜ謝る必要がある」

「え、いえ、なんとなく……すみません……」


 いつもと違って会話が弾まない。気の利いた言葉も浮かばなくて、話をしなくて済むのならとご飯を口に運んでいった。

 なに、なんなの。どうしようこれ。

 おにぎりもオムレツも美味しい。ほどよく塩味の利いた白米に、バターが溶けたオムレツはとろっとろで最高の組み合わせ。リオさんは日に日に料理の腕を上げていくばかりで、その腕前を褒め称えたいところだけれど、この場の空気が居たたまれなくて声も上げられない。

 黙々と食べ進めているけれど、ライナルトの様子が気になり目線を上げたらまともに目が合った。逸らす。観察されてる。怖い。なんで食べてるところを見られなきゃならないの、新手の拷問か。

 戦々恐々でご飯を食べ終えるのだが、すかさず食後のフルーツまで運ばれてくる。

 柑橘類はグレープフルーツに似た爽やかな酸味と甘みがあった。上流階級ではこれに砂糖をまぶして食べるのが主流らしい。ねえライナルトがいる前であんまり食べたくないんですけどリオさん!

 美味しいからいただくけど……。


「昨日は――」

「あ。喋った」

「カレン様」

「ごめんなさい」


 すかさず入るウェイトリーさんの突っ込み。まだうまく頭が働かないのです。


「……失礼いたしました。主の粗相をどうぞお許しください」

「朝は弱いとヴェンデルから聞いている、以後謝罪は不要だ」

「ずいぶんヴェンデルと親しくなったのですね」

「こちらに来る前に色々話した。前々から利発な少年だとは感じていたが、健やかに成長している」

「あ、ですよね。えへへ、そう言ってもらえるのは嬉しいです」


 ヴェンデルが褒められて嬉しかったから、つい気持ち悪い笑い方をしてしまった。

 でも、あれ? 来る途中……?

 

「……なんでライナルト様がうちにいらっしゃるんですか?」

「いまさらその質問か。……何故もなにも、夜明けと同時に彼とそこの家令が私を訪ね、貴女に会ってほしいと請われた」

「だから来たんですか?」

「そうだが」


 お暇なの?


「なに、無断で出てきたわけではない。なにせ昨日は貴女には必ず私の元へ参じるよう命じていたが、現れたのはモーリッツだ。こちらに来られないとなれば余程の理由なのだろうと気になってな」


 そういえば約束を無視して帰ってしまった。

 いくら疲れていたとはいえ、約束を反故にしたのは違いない。


「忘れていたつもりではないのですが、交渉が成立したのは夜でして、さらにそこから宮廷に走るとなれば夜中ですので殿下のお休みの邪魔をしてしまうかと……」

「私はいつでも来るよう伝えたはずだがな」


 言い訳タイムも即時撃沈。

 ……そっかー、本当にいつでも顔出せって意味だったんだ。でも冷静に考えたらヴィルヘルミナ皇女との交渉は彼にとって大事なものだ。休息を理由に報告を怠るなんて怠惰許されるわけなかった。

 これは完全に私に落ち度がある。言い訳したのも減点対象待ったなしの状態で、これ以上評価を下げるわけにはいかない。大人しく謝罪したのだけど、なに、なぜかウェイトリーさんが「これはだめだ」と言わんばかりに瞑目した。


「その謝罪はともかく、まずはヴィルヘルミナのこと、よくやったと礼を言っておこう。ヘルムートの犠牲も被害を最小限に抑えると考えれば必然だった。貴方の名前は表に出ることもないし、当然ながら処分が下ることもない」

「……はい」

「処遇に関しては北の地に隔離するのが妥当であると、トゥーナ公と共に提言された」

「ライナルト様はどうするおつもりですか。以前お伺いした限りでは近くに置いても良いといった趣旨でしたね」

「どうするもなにも、モーリッツだけならともかくリリーにまで言われてしまっては無理を通すわけにはいかない。ヴィルヘルミナには状況が落ち着き次第言い渡す」


 ……よかった。

 モーリッツさんはちゃんと私の希望を通してくれた。しかも意見が通りやすいようにトゥーナ公まで巻き込んでいた。決定には時間が掛かると思っていたから、こんな早い形で朗報を耳にすることが出来てほっとした。


「……それで満足だろうか」

「なにがでしょう?」

「この決定には貴方の意見も絡んでいると聞いた」


 モーリッツさんかニーカさんかはわからないけど、喋っちゃったんだろうな。でも本当の事は言うつもりがないので、微笑んで誤魔化すだけに留める。

 ……ライナルトの言った通り、ヴィルヘルミナ皇女を生かした場合の結果はこの間の通りだけど、とにかく遠くへ二人を遠ざけたいと言ったのは私の意見だ。ライナルトの意見を通した場合、モーリッツさんは最悪の場合彼女にこの世から退場願うシナリオがあるだろうと仄めかしていた。彼じゃなくとも私たちの認知外で手を下される可能性だってある。だったらと思い北の隔離を提案した。


「少々意外だったな。あの地はほぼ年中雪に覆われている。作物はろくに育たず、生きていくのがやっとの地だ」

「それでもヴィルヘルミナ皇女なら生きていくだけの気概があると私は信じています」


 そういう土地だから選抜したのだ。皇族だからと兵を呼び集めやすい地に追いやっては将来的に造反を招きやすい。世間的には皇帝に逆らった罰として考えてくれて、それでいて大事な人達がいるならやっていけるだろう土地を調べ上げた。北であればたとえ皇女に子が産まれても、わざわざ追っ手を差し向けることはないだろうと判断した。モーリッツさんですら北であれば、と納得したのだ。

 ライナルトに告げた言葉は半分願いだ。彼女には諦めないでいてほしい。競争に勝った兄を認めないでい続けてもらいたい。

 なぜなら彼女の掲げる理想はライナルトに比べ、少なくとも民にとっては平穏であるはずだ。いつか帝国が危機に瀕したときは駆けつけられるであろう体制を整え、もし未来において皇帝が斃れ帝国が不運に陥ったら剣を掲げてもらいたいと願っている。そのための芽を残しておくのだ。

 私の考えに間違いがないのであれば、おそらくは生涯戦と波乱を求めるであろう彼のために敵として在り続けてもらいたい。


「……ヴィルヘルミナ皇女なら大丈夫です」

「解せないな。貴方はどうしてヴィルヘルミナを生かしたがる。兄君の恋人だからというにはあまりにも不可解だ。兄君はヴィルヘルミナと共に行くというのに」

 

 兄さんの恋人だから。私個人が彼女を嫌いになれないから。

 でももっと個人的な理由があるとしたら、それは罪悪感の緩和。

 結果として、ライナルトが皇位に就くことで帝国が戦禍に見舞われる未来を選択した、私の謝罪と抵抗、そして身勝手に押しつけた希望だ。

 

「兄の処分は免れませんか」

「仮にも貴方の実家だろう。家を潰すまではいかないが、聞いた限りでは変わらずヴィルヘルミナに恭順を示している。当主として据えておくのは難しい」

「ではそのように。……キルステンは平気です。こういうのって、誰かがいないと駄目って思いがちですが、意外となんとでもなるものなんですよ」


 このあたりはエミールや父さんを交えてじっくり話していこう。兄さんも落ち着いたら話し合いが持てるはずだ。

 私は納得しているのに、ライナルトはいつまでたっても不服そうだ。

 

「気分を害されてしまいましたか?」

「先も言ったがヴィルヘルミナに関しては問題ない。兵の損失は免れ、損耗を防ぐことが出来た」


 ……じゃあ何が問題なのだろう。

 いまいちライナルトの考えが読めなくて困っていたのだが、ここでキィ、と扉が開いた。

 半分顔を覗かせているのはヴェンデルだった。なんでかクロも抱かれてる。

 何故か入ってこようとせず、半眼でじっとライナルトを見つめている。よく見る組み合わせだけど遊ぶ約束があったんじゃなかったの。


「ちょっとヴェンデル、その態度は失礼でしょう」


 叱ってみるも、何故か溜息を吐いたのはライナルトだった。彼がわかった、と言えばヴェンデルは身を引っ込める。あの子、普段以上に迫力があって陰湿な顔だった。


「カレン、貴方はなにか欲しいものがあるだろうか」

「突然どうしたんですか。ヴェンデルに何かされたのなら言ってください」

「特になにもされていない。ただ今回は私に落ち度があった、それだけだ」

「ですから意味がわかりません。どうしてそこで欲しいものの話になるんですか」

「ならば褒美と考えてもらいたい。『箱』の破壊は次期皇帝としても、なにより私個人としても感謝している。無論、皇太子以前よりいままで私の力となり、バーレへの繋がりを作ってくれたコンラートへの報酬も検討中だが、貴方にも何か礼をしたいとは思っている」

「え、ええー……それならうちと祖国にいる姉たちの地位を確立してくだされば……。だってファルクラムのコンラート領は将来的に取り返してくださるのですよね」

「それは約束したとおりだ」


『箱』は個人的な理由がほとんどだったものなぁ。キルステンはまだどうなるか定かじゃないし……と、困っていると、ウェイトリーさんがぼそっと言った。


「ここは我が家でございます。何を言われようと咎められることはありません」


 そして退室してしまった。え、給仕どうするんですか。

 意図せぬところで二人きりになってしまう。


「……そのお話、後日に回してもよろしいでしょうか」

「不許可だ。貴方のことだ、黙ってなかったことにするつもりなのは目に見えている」


 ……帰るつもりもない。

 欲しいもの、欲しいもの……生憎金品には困っていない。名声もいまとなっては望むほどではない。仕事で楽をしたいとは思えど、いま以上といってもコンラートのみんながキャパオーバーを起こすし、いまは平穏のままでいたい。

 だから要望となれば、もうどうしようもなくくだらないものしか残っていないが、声にするのは憚られた。


「あるけど言えません。なかったことにしてください」


 嘘をついてもばれるから素直に言うしかない。


「なぜ言えないと?」

「……すみません」


 謝ってばかりだけどそれしか言えない。ライナルトも忙しいし帰ってくれと言っても、てこでも動こうとしない。それどころか手足を組んで居直る勢いだ。それはもう「不服だ」といった態度が全身からにじみ出ている。


「カレン、家令も言ったがここは貴方の家だ。好きに振る舞うだけの権利と報酬を願うだけの資格が貴方にはある」


 資格と言われて声に詰まった。ちょうどその「資格」について思いを馳せていたからだ。


「少しは回復したと思っていたが、やはりいつもとはほど遠い。私を案じてくれるというなら言ってもらいたい。それが貴方のためであり、私のためでもある」

「ですが……その、私は幾人も殺したのです。リューベックさんのみならず、無関係だったヘルムート侯や、皇女の側近を自分のために殺めました」

「責がないとは言わん、だがそれで私が貴方を拒絶するかと問われれば否だ」


 彼と私は人の命の捉え方に差がある。だからそんなこと、と言われると思っていたら、まるで違ったからよかったのかもしれない。

 ……言っていい?


「呆れませんか」

「約束しよう」

「隣で……」


 隣で並んで座りたい。

 ……ほんと、どうしようもない要望なのは自覚している。

 だけどよく考えてもらいたい。私とライナルトは身分ゆえに向かい合って座ることがほとんどだ。何も気にせず隣を歩けた事なんて出会った当初か、人の目を誤魔化したときか、ともあれ数が少ない。それでも私情でこんなお願いをしたのは、いつかの誕生祭でライナルトと並び立つトゥーナ公を羨んだことに起因する。

 エルの遺体を回収できたから、はっきりとあの時の出来事を振り返ることもできたのだ。

 この願いにライナルトは席を立った。ほとんど泣きかけの私に手を差し伸べ、手を取れば立ち上がらせてくれる。

 食堂には壁際に長椅子が備わっているけれど、そこに二人並んで座ってくれたのだ。


「これでいいだろうか」

「……充分です」


 家の中だから公の場で堂々と並んでいるわけじゃない。

 でもこのちいさな箱庭の中だけでも、いまの私には高望み過ぎるほどだ。手だって繋いでくれたままだ。だからこれでいい。

 少しの勇気を振り絞って肩に頭を寄せた。人を殺した罪悪感の中に喜びと戸惑いがあって、少しだけ目頭があつくなる。もうたくさん泣いたから涙はいらないのだけどな。


「貴方は忘れているだろうが、いつか兎の煮込みを振る舞ってくれると言った言葉は忘れていない」

「ありましたね、そんなこと」

「作る気になったら呼んでもらいたい、必ず訪ねよう」

「そんなこと約束していいのでしょうか、皇帝陛下となるお方はとても忙しいのに」

「皇帝にも休憩は必要だ。気付かせたのは貴方なのだから、そのくらい自由にしても許されるだろう」






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― 新着の感想 ―
[良い点] 半眼でじっとライナルトを見つめているヴェンデルと、 カレンとライナルトさんを二人にするため退室したウェイトリーさん、 次期皇帝に対して気後れすることなく、カレンのために行動する二人の温かみ…
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