270、あともうひと頑張り
ジェフの同行は断った。
「帝都内を移動するだけだし、行き先は決まってるから家で休んでて」
「しかしこの情勢です。御者だけでは不安では……」
「わかってる。危険な場所に向かうのならもちろんお願いするわ。けれどもう帝都内の移動を頼ってばかりとも思うし……もちろん護衛をつけるのは大事だけど、ほら、私も一人で出たいときがあるから」
「だからこそ、とはお思いになりませんか。普通は護衛を付けるものです」
「その普通はもういいの。……それに個人で行きたいところもあるから、お願い。あなたはチェルシーについててあげて」
気持ちはありがたいし、彼の役目なのもわかっているけれど、言ったことも掛け値なしの本音だった。それにまだ左目は交換したままだから身を守れるし、体面がどうのと気にするのが煩わしくなっている。
……こうして思うと、ライナルトがニーカさんの目を盗んで度々外出していた気持ちもわかる。
とにかく外出は御者だけだと譲らず、ひとりで馬車に揺られていると、安堵の息を吐いたくらいだ。
ライナルトに会わせてもらえるかどうかは不明だった。
約束なしに向かったのも、通してもらえたらラッキーくらいの気持ちで、だからこそ三十分もしないうちに時間を取ってもらえたのは驚きだ。案内されたのは執務室で、以前に比べ到着まで時間をかけた。仕事部屋にしてはこれまでよりしつらえが立派で、窓も天井までの高さがあり、重厚なシャンデリアが印象的だ。いままで宮廷の侍女はレベルが違うと思っていたが、それらを遙かに上回り質が桁違い。経験したことはないけど超高級ホテルに迷い込んでしまった心地すらある。
ライナルトは窓に近い机の傍で書類と向き合っていた。傍ではサイン待ちの文書を抱えた文官が順繰りに並んで待機しており、どこの王様だと内心突っ込んだくらいだ。なお次期皇帝陛下(ほぼ確定)である。
嫌な顔ひとつせずひとつひとつ目を通す中で、これは待っていても無駄だなと声をかけた。
「お忙しそうですね、邪魔をしたでしょうか」
「最近ではいつものことだ。休養を勧めたつもりだが、わざわざ足を運ぶとは急ぎの用事でもあっただろうか」
一人分のお茶が運ばれた。ライナルトの侍従、ヨルン君がお辞儀をして去ると、執務机に向き合うライナルトに向けて話しかけた。
「用件はヴィルヘルミナ皇女についてでございます」
「それについては現在対処中だ。モーリッツに任せているが、カレンが知りたいのは公私どちらになる」
「私事です。……アーベライン様が対応なさっているのは存じておりますので、面会が叶わなくばそちらにお伺いする予定でした。サガノフ様もあちらですか?」
「戦事は任せろと息巻いて出て行ったのでな」
ライナルトが席を立つと、周囲で待機していた文官が下がった。
向かいの長椅子に座るライナルトはようやくこちらを見た。困った、と言わんばかりの様子を隠さず足を組む。
「人払い、感謝いたします」
「公人として来たのであれば帰すつもりだったが、私用とあればそうもいかない。……元気だったろうか……と聞きたいが、どうやら休めてはいないようだ。どうせなら謹慎を命じればよかったかな」
「どうしてでしょう、家人はライナルト様みたいにまだ休め休めと勧めてくるのですよね」
「無理もない話だ。失礼だがいまの貴方では到底休めたとは思えない」
ライナルトまでこんなことを言ってくる。ちょっとむっとしてしまったのは否めないが、また怒って二の舞になるのはごめんだ。
「失礼、怒らせる気はなかった」
「怒っているわけでは……。いえ、それよりも大体聞き及んでおります。キエム様は行ってしまわれたのですね」
「一時的な同盟だったのでな。とはいえサゥ氏族との関係が崩れたわけではない。貴方によろしく、と言伝を預かっている」
「ライナルト様を伝令にするなんてキエム様も相変わらずです」
サゥ氏族のキエムだが、内乱が終息を見せると早々に帝都を後にした。ライナルトのために氏族総出で力を貸したのだ。今度は自らの戦をする番である。
「思いだしました。ちょっと愚痴になってしまうのですが……」
どうぞ、とジェスチャー。早く本題に入るべきなのだけど、こうして話が脇道に逸れるのは雑談を楽しみたい気持ちがあったからだ。
「ライナルト様、キエム様に約束を取り付けるために相当無茶な条件を提示なさいましたよね。きっと大丈夫だろうとは信じていましたが、あれ、ずっと心配していたのですよ」
これは覗き見した際に知った、ライナルトがニルニア領伯達にも話していない裏側。それはキエムが帝国領土を抜ける際、もしライナルトが皇帝側に負けたらなんて想定の悪夢だ。話を持ちかけられた当初、当たり前だがキエムはこの可能性を考慮した。なんの利もなく手を貸せるわけもないサゥ氏族の首長にライナルトは言った。
「もしこの戦で敗北を悟ったのならば、自分の首を皇帝に渡せなど……ほんと、どうしてそんなこと簡単に言ってしまうのか理解に苦しみました」
自分の命を土産に逃げるがいいと、寝首を掻く許可を与えてしまった。負ける気がないからこそ言えた台詞だが、受け取り方は千差万別。敗北時の逃げ道を提示されたキエムは乗ってくれたが、つまるところライナルトの行軍はいつ後ろから討たれてもおかしくなかった。
「それは悪かったが、私はあの約束に関しては身近な者以外には誰にも話してないのだがな」
「だとしたら最後まで私には教えてくださらなかった。身近な者に加えてもらえなかったのが残念です」
そう言ったら驚かれてしまった。
口が軽くなってしまったかもしれない。
「冗談です。お時間をとってくれたのが嬉しかったので、つい軽口を叩いてしまいました。知っていたのは、そうですね。……私の魔法の師に彼が加わっていたのが原因です」
「悪い遊びを覚えたか。相変わらずあれはろくなことをしない。いまは大人しくしているかな」
「文句は多いですが、言うことは聞いてくれます。彼を知る多くの人は戸惑っています」
覗き見はいつか謝ろうと思っていたから暴露させてもらったのだけれど、まったく怒ってない。
「誰かを心配させる点においては貴方も大概だが、いまその話はいいだろう。それよりも私も聞いておきたいことがある。あれから日が経つが、遺跡の方はどうなっている」
「報告を送りましたとおり、機能自体は停止しています。ですが完全に壊れたかと言えばそうでもない。シスの見立てでは中に潜ってみないとわからないと言っていました」
「では遺跡が魔力を集積していた件は?」
「そちらもなくなっています。ですので帝都民に危険は及ばないでしょうが、遺跡が保っていた機能も失われました。いずれ他にも何らかの形で影響は出るでしょう」
「……帝都の墓所は閉じねばならんか」
「ご対応お願いします」
遺跡は時間をかけながら機能を削りつつある。シスの見立てでは現在およそ九割が壊れたと推測されてるが、中枢にあると思われる「何か」が沈黙を保っている。
ルカはまるで音沙汰がなく、そのためいまも『目の塔』地下に黒鳥を待機させて、逐一探っている状態だ。変化があればシャハナ老からも教えてもらえる手筈になっている。
地下の探査がある程度完了次第、魔法院の人が探査に乗り出すから、シスと一緒に地下中枢に向けて乗り込むつもりだ。私がいまだ彼の目を所有させてもらっているのはこれが理由でもある。
遺跡の機能が停止するのはライナルトにとって喜ばしい報告だが、一方で多少の弊害が発生していた。
それが湿気問題。遺跡は人々から魔力を吸い上げる一方で、どうやらこの土地一帯における環境維持も担っていた。オルレンドルは多々温泉施設が設けられているように温泉が湧きやすい地域なのだが、どうも土地自体の湿気の調整等も行っていたのではないか、と早くも魔法院から報告がもたらされたのである。
これ、普通に住む分にはまったく問題ないのだけれど、地熱が溜まりやすい場所や、地下にある集合墓地に影響が出ているらしく、新規の埋葬ができない状態にある。他にどんな役割を担っていたのか不明だが、これから徐々に変化が出てくるだろうとの見解だった。
「埋葬数には限界が生まれつつあった。閉鎖自体は問題ないが、あそこに葬ることが帝都民の証だと考える者も少なくないから、いくらかは揉めるだろうな」
「心中お察しします」
土地が余っていたならよかったが、いまのオルレンドルは栄えている最中だ。人口が増えつつあるし、いずれ湖の外周にも新しい街が広がっていくと言われている。様々な問題を踏まえれば、墓所の閉鎖は必然だったのかもしれない。
生まれ変わる前、かつて湿気大国に住んでいた身としては、おそらくこの大陸自体湿度は高くない。カラカラしすぎなので、まだ湿気があってもいいと思うのだけれど、墓地といった繊細な問題は如何ともし難い。
……そろそろ本題に入っても大丈夫だろうか。
「カレン。私と貴方の間柄だ、いまさら遠慮する必要もないだろう」
覚悟を決めろと腹を括った。ルカを迎えに行く前に、もし叶いそうにないならばやり遂げようと決めたのだ。
「いささか過ぎた発言をします。殿下、いまだ皇女殿下が降伏をなさったという話を聞いておりません。使者の説得も虚しく話し合いは進んでいないと耳にしました。もし期日までにヴィルヘルミナ皇女が降伏をなさらなかった場合はどうするおつもりですか」
これに返答はなかった。ただ一度彼の意は教えてもらっているし、敵対者をどうするのかだって知っている。
「あの人は死ぬのですね?」
沈黙は肯定。
だからそれは困る。本当に困るのだと半分身を乗り出して言った。
「お話に来たのはこのことです。もしいまだ降伏の兆候がないのであれば、一度私に説得の機会を与えてもらえませんか」
皇位争いが終局へ向かおうとしている中、やるべきこと、と定めたひとつにヴィルヘルミナ皇女の存在がある。




