265、鈍いのか、麻痺したのか、それとも
しつこいくらいに揺さぶられていた。
「……きろ。起きろってば。……っとに朝が弱いんだな、寝汚いにもほどがある」
シスが失礼なのはいつものことだ。私はいまとても眠たい。お仕事を頑張ったのだから惰眠を貪るくらい許されるだろうに。
……仕事。仕事といえばなにをしたのだっけ?
「あ、ライナルト」
馬鹿な。ライナルトがいるはずがない。どうせ嘘だろうと固く瞼を閉じる。
「見ろよこの不細工な寝顔。ここまでひどいのはきみだって見たことないんじゃないか」
いやいやいや。起こすための方便に決まってる。だってライナルトは帝都の外にいて、宮廷を攻めるべく策を弄し…………そうだ宮廷、そしてライナルトの部屋。
それはもう勢いをつけて上体を起こした。さぁ、と血の気が引いていく音は、彼に「不細工な」寝顔を晒したくないためだ。
荒く息を吐いていると、目が合ったのは椅子に腰掛けた眉目秀麗な青年だった。
「ようやく起きた」
「シ、シス……ライナルト様は――」
「嘘に決まってるだろそんなの」
風船から空気が抜けるみたいに一気に力が抜けた。ぐったりと布団に倒れようとする腕をシスが掴む。
「おいおい、また寝るとか勘弁してくれよ。僕は子守をしにきたわけじゃないんだから」
「起こすための方便がひどい……!」
「効果的だったろ?」
「うるさい馬鹿! 本気で焦ったじゃない!」
「あっそう? 馬鹿からはリオからもらってきたおにぎりもらえないよね」
「起こしてくださってありがとうございますシス様」
渡されたのはほんのりあたたかい握り飯。それぞれ中にはご丁寧にお味噌と梅干しに似た塩漬けが入っている。リオさんは包みを二つ用意してくれたようで、もうひとつはシスの分だった。
私にとっては嬉しくて懐かしい味だけど、シスは具を囓る度に不思議そうな顔をしている。ちゃんと水筒も用意してくれて、中身はぬるい緑茶だ。
「なに、食べないならもらうわよ」
「変な味だとは思うけど嫌じゃない。リオのおにぎりは初めてじゃないし、彼が作る料理ならなんだって好きだしね」
「あらま、随分リオさんを買ってますこと」
そういえばシスはやたらリオさんに餌付けされているのだった。かなり気が緩んでいるけれど、それもそのはず。このおにぎりが出てきたのなら、コンラートはご飯を作れるまで余裕が出た証拠なのだから。
「うちの方はどうだったの」
「ひどい有様だった。家具はぐちゃぐちゃだし、大女は引きずり回されてるし、あの子も危なかったみたいで庇ったリオが怪我してたな。まぁそれも隣の連中が大体引き受けてたみたいで、怪我した後って感じだったけど」
「リオさんが? 他の人は無事?」
「かすり傷程度」
どうやらゾフィーさんが表立って立ったせいか敵意を買い、押し入った連中に殴られてしまったらしい。それはかすり傷とは言わないが、いまは黙っておこう。シスのいう「あの子」はチェルシーで、泣いて暴れ出した彼女は斬りかかられたらしいが、危ないところをリオさんが助けたとのことだ。
「うちに押し入った連中がどこ所属だったかはわかるかしら」
「憲兵隊と第一隊の混合隊かな。いまコンラート近辺には余計なヤツが寄りつけないようにしたけど……まぁ、いまはもうそれどころじゃないだろうよ」
「どういうこと?」
「いや、それより早く食事を終えよう。あんまり遅いと間に合わなくなる」
お腹が空いていたのもあってすぐに食べ終えた。ぐっすり寝たおかげで体力も回復していたし、あとは身ぎれいに出来たらよかったのだろうが、シスが私を起こしに来たのはわけがある。
「起こしてくれるっていってたけど、これからどこに行くの?」
「中央だよ。ライナルトが宮廷入りを果たしたから、そろそろだろうと思って」
「もう!? だってお会いしたのは今日の朝よ?」
「違うよ。きみは丸一日以上眠ってた。いまはライナルトと謁見した翌日の夕方だ」
これには仰天した。
「どうして起こしてくれなかったの」
「寝るってよりは気絶だったからだよ。中途半端に起こしても喪失した魔力の回復は見込めないし、きみにできることなんてないだろ。途中でちゃんと顔も拭いて水も飲ませてやったから安心しな」
「え、私、そんなことされても起きなかったの……」
「だから気絶だったって言ってるだろ」
ぐらりと目眩を覚えたが、これ以上倒れるわけにはいかない。
「行こうか。ここからは歩きになる」
「魔法は使わないの?」
「あっちこっち跳ぶのを繰り返したから、残った分は使い果たした。そういえば生身ってこんな風に不便だったって思い出したところだよ」
不便と言いつつどことなく嬉しそうだから、本気で嫌がっているわけではない。
常時生身の私にはわからない気持ちである。
いまのシスの体は彼が新たに生成したものだ。元の無形である「なにか」になることも可能だろうが、様子を見る限り、その形状を見ることはもうないだろう。
ライナルトの部屋周辺には人気がなかったが、階下をおり、中央に向かうにつれ人の数が増えてきた。すれ違う侍女や使用人が本来いるはずのない私たちの姿にぎょっと驚くが、不思議なことに声をかけてくる人がいない。どの人々もうわつき、焦りといった挙動不審が見受けられる。
「ここは宮廷の端っこだが、中央部で戦闘が起きているのは伝わっているだろうからね。全員それどころじゃないのさ」
「それよ、それ。状況はどうなっているの。ライナルト様が宮廷入りしたって、表から堂々ってわけじゃないわよね」
「そりゃそうさ。それに地下水路を使えば一日待つ必要もなく宮廷入りできる。この僕が親切にも『目の塔』から宮廷に入れるままにしてやってるからね」
「どうして一日以上もかかったのか教えてもらえる」
「カールが痺れを切らすのを待ったみたいだ。おかげで時間に余裕が生まれて、僕も情報収集ができた」
皇帝カールは帝都内に残していたほとんどの軍までライナルト率いる本隊に向けて動かしたそうだ。数の劣るライナルト側は、本来正規軍を相手取れば全滅は必須なのだが、いまは再び状況が変わった。
「ああ、そっか。今度こそ必要なのはただの時間稼ぎだものね。本隊が戦いに勝つ必要はないのだし、守りのために残していた兵まで空けたなら、いまの帝都は完全に手薄か」
「そう。まともに相手をする必要がないのさ。ライナルトのいない本隊がやることはヴィルヘルミナの目の前で蜘蛛の子散らすみたいに逃げて、引きつけることだ」
「即席軍だったわよね、逃げると言ったって統率が必要だけど、そこまで訓練できていたの?」
「いいや? だが地方領主連中なんかは本国勤務の連中よりは小競り合いでゲリラ戦慣れしてる。バーレのアドバイザーもついたし、そのくらいは任せても大丈夫さ」
「……説明は嬉しいのだけど、もしかしてカタカナ気に入った?」
「面白いよな、これ。ただきみの元となった国の発音は難しい」
「ちなみにその情報、誰に教えてもらったの?」
「エレナ」
そうだ。エレナさんといえばヘリングさんはどうなったのだろう。彼の行方を尋ねると、彼はあっさり答えた。
「見つけた。いまはエレナときみのところの連中が看護してる」
そっけない対応なのが引っかかったが、見つかったなら一安心だ。少なくとも訃報ではなかったことにほっとした。
さて、私が寝ていた間の時系列を正確に記そう。
シス解放の当日。『箱』の反応がないことに焦った皇帝は、昼半ば頃に軍を新たに編成するよう命じた。帝都外に待ち構えるライナルト軍を葬ろうとしたのだ。
この出兵の総司令官には皇太子たるヴィルヘルミナ皇女に任命された。帝都の守りが薄くなる出兵に、皇女は反対意見を上げたが、これらはすべて一蹴されたとシスは面白そうに話す。
そして翌日に編成は完了。帝都グノーディアにはオルレンドル帝国騎士団第一隊と最低限の兵力を残し、夕方前頃に皇女率いる正規軍が帝都より完全に離れた。
ライナルトが待っていたのはこの瞬間だ。すでに準備を整えていたライナルトは精鋭を集め自ら地下水路への侵入。
同時期において、帝都内に潜み続けていたトゥーナ公軍がとうとう旗揚げ。守りが薄くなっていた東門駐留隊を制圧し、開門後はバーレ家ベルトランドの軍を迎え入れた。
ベルトランドはバーレ家当主候補(仮)以前に帝都の軍を預かる将兵だ。このため彼率いるオルレンドル帝国騎士団第十隊は皇帝の命に従い正規軍として出兵せねばならないが、十隊は帝都の緊急時に「非常に運が悪く」帝都より離れた地の任務にあたっていた。
遅れて争いを知ったベルトランドは隠すことなく第十隊及びバーレの兵を集めて編成し、帝都に向けて進軍した。当然途中で別の軍とすれ違いもしたが、臆することなく堂々と「皇帝陛下にお味方すべく派兵した」と言い放ったようだ。信じる方も信じる方だが、実行する側の度胸が桁違いである。
「反乱軍鎮圧のために残ってた兵も一掃だったみたいだし、混乱は相当だったろうな。それにベルトランドがライナルトに味方すると予想していた連中は少なかったから、悲鳴があっちこっちから聞こえてくる」
「……ヴィルヘルミナ皇女達を戻す動きは?」
「当然早馬が向かっただろうが、いまからじゃ引き帰しても遅いさ」
「皇女殿下の進言を聞き入れていればもっと苦戦したかもしれないわね」
「カールも平和が続いて耄碌したな。褒めるつもりはないけど、あいつ、あれでも昔は鼻が利いたんだ。自分が生き残ることに関してだけは長けてたのに、すっかり衰えた」
「そのおかげで上手くことが運んでいるのでしょう。それか、どなたかが上手く皇帝陛下に派兵するように進言してくれたか……ところでシスはベルトランド様と親しかったりする?」
呼び方に友人の名を呼ぶような、そんな親しさを感じさせたのだ。しかしシスは「まぁね」と肩をすくめるだけで答えようとはしない。
話を誤魔化すようにトゥーナ公が私兵をどこに隠していたのかが不明だと言った。まるで降って湧いたように各所から出現したのだ。特に数が多かったのは上流区画だったみたいだけど……。
帝都内はいま、どこからか現れたトゥーナ公の軍と、そしてベルトランド達に制圧されつつある。シスが先ほど口にした「それどころではない」は、きっと市街地に目を向けている暇ではないの意味だ。
そして先ほどライナルト達も地下から宮廷入りを果たした。いまはカール皇帝の籠もる奥の宮に向かっている最中なのである。
宮廷はいつもと変わらない景色だったが、そこに流れる空気は濁っていたようにも感じられる。はじめこそ争いの形跡はなかったが、進むにつれ侍女といった人々は姿を消し、代わりに血痕や怪我人が増え始めた。
「いまは親子喧嘩のクライマックス直前ってところだな」
「可愛らしい表現で誤魔化しても血生臭いのは変わらないから。……途中入場ってところ?」
「そりゃあね。最初から見たって人が死ぬところばっかりだ。そんなの見ても楽しくないだろ」
お腹から血を流しながら横になった男性に泣きながら声をかける人がいた。男性はもう息がないらしく、呼びかけにも答えない。シスはそんな彼らから目を背け前を向いて歩いている。私はというと、随分と凪いでしまった心と動揺しない自分に気付いたところだ。
……ああ、なにも感じないな。
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