255、開戦の狼煙
いまは憲兵隊本部からどこかに移送されたことだけが判明していて、モーリッツさんへの連絡はもちろん、ゾフィーさん経由で軍の元同僚に連絡を入れもらった。うちもクロードさんに探してもらっているから、いつか必ず見つかる。だから希望は失っていないものの、友人の不安をよく理解するゾフィーさんはエレナさんの不安を紛らわせるため、こうしてお手伝いさせるのだ。
ヘリングさんの嘘は正解だった。
表向き彼女は妊婦となっているからよかったとはいえ、ヘリングさんがエレナさんを庇わなかったら、いまごろどうなっていたのか、本当にぞっとしない。
だからバレる心配がない限り、エレナさんにはうちにいてもらっている。不安ばかりが募る状況で家に一人居るのは気が滅入るし、食事にだって身が入らない。うちで適度にお手伝いをしてもらっている方が、無理にでも笑うとゾフィーさんが言っていた。
それに最近は家の体勢を強化しているから、エレナさんもいるのは大助かりだ。特にジェフは
シスの予言を気にしていて、彼女が平和に過ごせるよう気を使っている。
あの時は仮定として予言を聞いてもらったが、やはり無視できないのだ。
けど私の勧めもあって平時は家に残る機会が増えたが、かといって護衛の仕事ができていないのは気に病んでいる。「最近悩んでいる」とはヒルさん経由で聞いていた。
そしてたったいま登場したばかりのヒルさん。この人はハンフリーと一緒にベン老人の介護をする傍ら、土いじりに励んでいる。ベン老人が伏す前に教わった技術を生かして庭の管理を引き継ぐのだと言っていた。
隻腕だし本格的に庭師になっても良いと思うのだが、いまはまだ兼業だ。
庭師業の際は丸腰であるものの、目に届く範囲に剣を置いている。
休校中のヴェンデルはマルティナに勉強、マリーに作法を教えてもらいつつ、空き時間はバダンテール邸を行き来している。クロードさんのところの人達は面白い話をしてくれるようで、いつも興味津々なのだ。
その、ぶっちゃけクロードさんの話は教育に悪い、と思う。
本当は徒歩数十秒圏内のはす向かいにお友達もいて、本来はそちらで遊ばせるのが最適だ。クロードさんのお話は避けてもらいたいのだが、いまは向こうのお宅もお子さんを外に出したくない時期。ヴェンデルの楽しみがないため、友達とあまり会わせてあげられない負い目があったので黙っている。
この辺、エマ先生に叱られながらも、目を盗んで伯の元に足繁く通っていた頃をよく思い出す。
早く学校が再開してくれたらいいけど、これは皇太子問題が片付かないと難しい。
なぜなら休校は皇太子廃嫡の報から数日後に決定された。
現在の帝都は見た目こそ平和だが、ひとたび街に繰り出せばひりついた空気に晒される。普段よりも眼光を鋭くした衛兵が街中を歩き、ちょっと問題を起こせばすぐに彼らが走ってくる。酒場で羽目を外したら丸一日投獄されたなんて話が出てくるくらいで、いつもは苦笑しながら解放してくれる衛兵が、大真面目に叱ってくるというのだから笑い話にすらならない。
それというのもヴィルヘルミナ皇女が再度皇太子に据えられた話が広がると共に、数日後には反帝国を掲げる反乱軍が街中で堂々と旗を掲げたためだ。いまのところ壁面に打倒皇室を予告したラクガキ程度だと聞いているが、これに皇帝カールが目くじらを立てている。
皇室を倒すことが目的の反乱軍がライナルトの味方をするのは考えがたい。
彼らの発起は偶然であり、血や貴族を重視するヴィルヘルミナ皇女が皇帝に据えられるのが耐え難かったためと噂されているけれど……。
タイミングが良すぎるからどう考えても仕込みだ。
「……彼らは必ず蜂起するだろう、とは言ってたけど」
「カレンちゃん、なにかいいました?」
「おやつはどこのお菓子を食べようかなーって言いました」
「カレンちゃんのお家、たくさん買い置きしてますものね。今日はみんなでゆっくりお茶できるといいですね」
彼らをどう動かすについては、ライナルトもモーリッツさんも頑なに語ろうとしなかったので、こういうことか、と頬杖をついてしまう。私は反乱軍を知らないから他人事として見ていられるけれど、果たして彼らは己が利用されていることに気付いているのだろうか。そしてこの動きをあの四妃は承知の上なのだろうか。
……どのみち会ったとして、黙認するだけの私から話せることはないけどね。
ライナルトはいつ頃になったら帝都に帰還するのか、皆が気を揉んでいる。エスタベルデ城塞都市側で準備があったとはいえ、そろそろ帰還してもよい頃合いのはずだ。
エレナさんが言っていたとおり、この争いは短期決戦になるはずだから長くはかからないと思うのだけれど……。
なんて考えていた翌日の夜明け前、ウェイトリーさんに慌ただしく起こされた。寝ぼけ眼を擦りながら話を聞くと、ライナルトから派遣された使者が帝都入りしたらしいと伝え聞いた。陽が昇る頃、耳の早い者には皇太子廃嫡に対する元皇太子の返答が広まった。
答えは当然ながら『否』だ。
加えて彼はエスタベルデ城塞都市の無血奪還とヨー連合国との和解の功を主張した。また皇太子としてこれまで勤め上げてきた貢献を並べ、これらはすべて国のための行いであり、民を混乱せしめる国政は到底容認できるものではないと父を糾弾し、廃嫡撤回がない場合は実力行使をもって正しい後継者を示す姿勢を表明したのだ。
この後、即刻使者は処刑。その場に居合わせた者から恐怖が伝染し、またたく間に私たちの耳へと届いた。
戦争が起きるのだ。
私たちにとっては予定調和だが、しかしなにも知らぬ者は血の気が引いただろう。
翌々日になると更なる動揺が帝都を襲った。
誰に知らされるわけでもなく、帝都近辺にライナルトの接近を許したのだ。おまけに彼らが掲げた旗の中に各地方領主や、あまつさえヨー連合国サゥ氏族のものが混じっている。本来なら真っ先に帝都接近の危機を報さねばならない者達まで元皇太子に属した。
国軍の総数に比べれば数は足りず、万が一奇跡が起ころうとも、城攻めとあって不利な元皇太子はすぐさま負けるだろうと考えていた人々は、もしやこの戦は長引くのではないかと考え始める。
一方で皇帝側は、彼らはいくら国軍が有利であろうとも、政の要である首都グノーディアで戦を行うわけにはいかなかった。皇帝の命にて元皇太子を討つべくただちに軍が編成となったが、彼らが帝都正門を潜り終えると最初の一手が放たれた。
帝都内のあちこちで火の手が上がったのである。
これが開戦の標であった。




