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252、たとえいまさらでも

 迂闊に返事ができない問題だった。そもそも、もうライナルトは国外で戦の準備を始めていることを私は知っている。いまさらライナルトの意思が変わらないことは知っていたし、説得すると安請け合いしたところで、これから待ち受ける衝突は避けられない。

 私が黙ってしまったからだろう。ヴィルヘルミナ皇女が次に取った行動は、まるで予測できないものだった。


「コンラートを見殺しにした私から頼めた義理ではないのは承知している。それでも……頼めないだろうか」


 頭を下げられた。

 あのヴィルヘルミナ皇女が、皇族ともあろう人が、私みたいな小娘に向かって懇願したのだ。それは信じられない光景で、私は疎か兄さんすらもぽかんと口を開いていた。

 頭を上げてもらうも、そこまで彼女が追い詰められていた事実に驚きを隠せない。

 あの時は命を奪い合う覚悟すらあるものだと思い込んでいた。その決意があるからこそ、彼の命を救いたいと声を上げたことに驚いたのだ。


「皇女殿下はライナルト様を嫌っていない。それは嘘ではないとはお見受けしますが、それならどうしていまになって……あの時話をしてもよかったではありませんか。なぜいまなのです」

「話は聞けども君という人を知らなかった。それに、まだ時間はあると思っていたからね」


 素直に教えてくれるのもライナルトを救いたい故……なのだろうか。

 今の発言を踏まえると、やはり鍵となるのは皇帝だ。

 皇位争いに皇帝カールが一枚噛んだことでヴィルヘルミナ皇女の予定が狂ったと考えるのが妥当だ。

 単にヴィルヘルミナ皇女対ライナルトであれば勝者として生かす道があった、あるいはあった算段も、皇帝が間に入ってしまえばそうはいかない。


「仮にヴィルヘルミナ皇女のご依頼を聞いたとして、です。ライナルト様が私が話をしたくらいで信念を変えるとは到底思えません」

「それでも、なんだ。なにもせずに見殺しにはしたくない」

「ライナルト様が負け……こんな仮定はしたくありませんが、そういった可能性があった場合です。ヴィルヘルミナ皇女から皇帝陛下にお願いすればよろしいのではありませんか」

「陛下はライナルトを疎んでいる。元々生かすつもりなんてない」

「陛下はライナルト様を皇太子として認めたのですよね。その事実はどうなりますか」

「……遊びだよ。陛下がライナルトを皇太子に据えたのは歪んだ顔が見たいから、それだけだ。大事なものであればあるほど取り上げたときの絶望が増す。そういうのが好きなんだ」


 こんなところで皇太子推薦の理由を知る羽目になるとは。

 そんなはずない、皇帝陛下はライナルトのお父上なのに! と否定できないのがあの皇帝陛下たる所以だ。ぽっと出の息子に皇太子の座を与えた理由がそれっぽいどころか、すべて真実そうだから笑えない。

 ……ああ、そうだ。お願いを盾にこんな話をするのは卑怯だけど、ひとつ、確実にしておきたいことがある。

 

「……以前避けられてしまった質問をもう一度口にしてもよろしいでしょうか」

「コンラートか」

「はい。以前皇女殿下は明言を避けられましたが、実際の所はどうだったのでしょう。侵攻に伴い破壊に合意したとおっしゃいましたが、本当の話を聞かせてはもらえませんか」

「何故、と問うても良いだろうか」

「必要だからです。少なくとも、公人としての私にとってや、家の者にとっては大事です」


 当然だけれど、コンラートとヴィルヘルミナ皇女の間には遺恨がある。それがなにかと問われたら、無論ファルクラムなる国が滅ぶきっかけとなったコンラート領の崩壊だ。

 明らかに困り果てている相手にずるい手であったが、こうでもしなくては皇女は内心を語ってくれない。なにせ彼ら兄妹は、そのあたりの個人的感情を語ろうとしないからだ。


「以前もお話ししましたが、あれから私自身は様々考えました。そして自分なりに決着をつけたつもりだと、そう思っているところです」

「無理に憎まず、自分で自分の道を決める、だったか。……御夫君の遺言だったな」

「そうです。結論としては、私はあなたを嫌いにはなりきれない。嫌いになるには……短い間とはいえ近しくなりすぎました。あなたという方と実際に話をして、人となりを知ってしまいましたから」

「はっきり言うな」

「……その方が皇女殿下は気が楽でしょう?」

「まあな。新手の嫌がらせを受けている気分だが……」


 おどける振りをするけれど、苦々しげな感情は隠しきれない。


「いま申し上げたことに嘘はございません。ただこれは、個人としての私であり、私の家の者はそうではない。あなた様の望み通りに動くことを由とすれば、当主代理として不信感を与える場合もあるでしょう。私が立場を冒してまで望みを叶えるのなら、せめて心情的にお味方できる御言葉がほしいのです」


 嘘も方便とはこのこと。

 ライナルトの意志は変わらない。それがわかっていて、あえて話を聞くための言葉を並び立てる。

 ……もちろん全部嘘じゃない。我が家はコンラート崩壊を由とした者と相対する意味もあってライナルトに与した。対皇女にコンラート家の心証が良くないのも事実なのだ。

 多分、このとき兄さんは私の意図に気付いていた。それでも口を挟まなかったのは、兄さんなりに思うところがあったのかもしれない。

 

「わずかなりとも救えてから、とおっしゃった。真実はどうだったのでしょう」

「……言い訳がましくなるが」

「構いません」

「コンラート領を潰すと知らされたのは、オルレンドルとラトリア間で条約が交わされてからだ」


 皇女は深いため息を吐く。


「私が口を挟もうが、決まってしまった国と国との約束事が覆るものか。それに私はオルレンドルの皇族だ。なにより皇太子が自国の民を守らずしてどうする。他国の民を殺したくないから陛下の命に背けと……部下に命令違反を勧めるなど愚の骨頂ではないか」


 これでいいか、と視線が投げられ頷いた。

 おおむね予想通りの回答だったから、特別驚きはしない。


「……それを直接聞けたのならよかった」


 少なくとも私は、の話だけど。


「嘘偽りないお心だったと信じます。その上でライナルト様を説得する件ですが、問いかけるくらいは可能でしょうが、説得はできません」


 はい、騙しました。真実を確認するために私は彼女を誘導しました。

 慣れない行為に知っている相手だから罪悪感はひとしおだ。悲しそうに目を伏せる皇女の姿に、ざくざくと心臓に針が刺さっていく。


「私はライナルト様に味方をすると約束した身です。皇女殿下の兄君を死なせたくないという想いは、兄弟がいる身としてわかるつもりです。強いお心は受け取りましたが、あなた方に下るよう発することはできません」

「何故だ」

「夢を追うあの方の姿に焦がれたからです」


 これはなにも私だけに限った話ではなくて、モーリッツさんやニーカさんにも共通する話だと思っている。

 ……うん。多分そういうことなのだ。

 ヴィルヘルミナ皇女はモーリッツさんでは無理と言ったけれど、私だってとっくに同じ理由で彼女の頼みは引き受けられない。

 これに皇女は両手を組み、額へ押し当てた。視線が交差しただけだったが、私の意思はあの時から変わらないとわかってもらえた。


「ライナルトは終わるぞ。陛下には切り札がある」

「終わりません。私は殿下の可能性に賭けております」


 『箱』の話題がでなかったのは、衝突する気がないからだろう。


「コンラートの方針は決まっております。皇女殿下にこそお尋ねいたしますが、いまでもお心は変わりませんか」

「それこそ愚問だ。……私も譲れんものがある」

「左様ですね。ライナルト様もヴィルヘルミナ様を手に掛けたくないとおっしゃっていたので……どうかお許しください」

「どうせろくでもない理由だろう?」

「まさか、とんでもありません」


 実際は彼女の予想通り酷い理由で生存を望んでいたのだけど、黙っておこう。

 私の決定は覆らない。それが伝わったからか、ヴィルヘルミナ皇女の私人としての側面は身を潜めはじめていた。


「せっかくなのでもうひとつ伺いたいのですが」

「ついでだ、聞こうじゃないか」

「塔の地下になにがあるかご存知ですか」


 質問の内容はあえてぼかしたので、意図を掴み損ねたみたいだった。塔といえば私たちの間で予測されるのは『目の塔』しかないが、あえてこの聞き方になった意味は考えてくれたみたいだ。


「……すまないが、何を聞きたいのか私にはわかりかねる」

「いえ、でしたらかまわないのです。どうぞこの質問はお忘れください」


 こちらはシャハナ老が怯えていた理由を知りたかったための問いだ。答えらしい答えは得られなかったけれど、あの長老と皇女の反応の差を鑑みれば、おそらく彼女はシャハナ老が目撃したものを知らない。となればシスの封印の主導は皇帝と魔法院の一部面々とだけ考えれば良さそうだ。

 用が終わった皇女は帰ろうとしたが、ここでヴェンデルが帰宅した。兄さん達が来ていると聞いて、挨拶がてら顔を出したのだろう。皇女とばったり顔を合わせたのだが、意外にも「あれ」と小首を傾げた。


「学校にエミールを迎えに来たお姉さん?」


 エミールを迎えに来たといったくだりは初耳だけど、顔見知りのようであった。ただヴィルヘルミナ皇女の正体は知らないようで、普段お客様に接する姿そのまま挨拶を交わしたのである。


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