249、危機一歩手前
オルレンドル軍は所属によって軍服に細かな違いがあって、例えば勲章や腕章で区別をつけるが、彼らは私の知る第一隊といった『騎士』などと分類される軍人とは違う。
軍服は簡素で動きやすさ重視の、衿から皺一つ、着崩れすらない。
相手は明らかに邪魔が入ったといいたげ、たじろいだのは底冷えした眼差しのせいだ。
「夫人、早く家に戻りなさい!」
ヘリングさんが忠告しているが、いまさら引き下がれないと男達を睨み付けると、彼らの後方で待機していた男性が前に出た。聞く耳を持たないといった様子の一行の中では唯一話が通じそうだ。
年は三十代中頃、鍛え上げた身体が特徴的な茶髪をなで上げた人である。
「コンラート夫人、どうか我らの邪魔をしないでもらえないだろうか」
「私の名前を知っているのですね」
「こちらにお住まいになっていることは聞き及んでいる。だが本日はそちらに用があってきたのではない」
「彼らは私の良き隣人であり、友人でもあります。その彼らが害を加えられようとしているのを見逃しはできません」
「我らがどのような者か、この腕章を見ればおわかりになるだろう。貴女が良き帝都市民であるというならば、どうかいますぐに家に戻ってもらいたい」
「わかっているからこそ立っているのです。友人の危機を前に黙っているのがあなた方の言う良き帝都市民なのでしょうか。私には到底そうは思えません」
本音を言えばどこ所属かさっぱりだ。
正確には、少なくとも一般的に知られている第一~第十とは違うどこかの所属だから、それ以外とは予測している。まず普通に街中を歩いて見かける腕章ではないから、背中を冷や汗が伝っている。
「移民でありながら、模範的市民であろう意思には敬意を表する。しかし貴女は我らがここに居る意味をご存知ではないのだろう」
「知りません。彼らは何をしたのか、教えてくださいませ」
「国家に対する謀反の意思を示されている」
「その内容をご説明ください。彼らは友人であると共に、当家が保護をする方々でもある。彼らがなにをしたと言うのですか。また謀反の意思とは、そのような勘違いをしたのはどこのどなたでしょう。私はその方に異議を訴えます」
「カレンちゃん……」
保護うんぬん真っ赤な嘘だけど、彼らに連れて行かれることの方がよろしくない予感がひしひしとしている。厳しい眼差しが幾重も飛んできたけれど、ここで怯むならそもそも前に立ってない。
絶対に引かないし、引けずにいると、男性が微かに溜息をついたのを見逃さなかった。そこに含まれる「困った」と言いたげな意思。思うにこの反応は明らかな罪状があって立っているようには思えない。
立派な風体の男性の後ろにいた、腕章の違う男が一歩前に出ようとした。その殺気だった様子から力尽くで来るかと構えかけたけれど、制したのは私に対応していた男性だった。
「止めい。丸腰の市民相手に手を出すことは決してまかりならん」
手出しは絶対に許さない、そんな迫力に男はたじろいだ。
けれど私も彼らもお互い譲れなかった。圧力は感じるけれど、こちらに乱暴を働くつもりはないのか、膠着状態が続いていたのだが、唐突に現れた救世主は意外な人物だ。
「街中でなんの騒ぎを起こしている」
女性物の衣類だが、凜とした佇まいと、どんな衣装だろうとはっと目を引く華やかさはヴィルヘルミナ皇女で間違いなかった。
彼女に腕を貸すのは兄さん、それにアヒムまでいるのだけれど、彼らは揃って怪訝そうにこちらを見つめている。不思議なのは、彼らは馬車ではなく徒歩でやってきていたこと。思わず声が出ていた。
「皇女殿下、どうしてこちらに……」
「どうしてと言われても、用事があったからだが。……いや、それよりも」
この場において分けられるのは主に三つのグループだ。一つは私たち、もう一つは来訪したばかりのヴィルヘルミナ皇女方。そしてエレナさん宅に押し入ろうとした軍人達だ。
皇女はまず男たちに視線を向けた。すでに彼らは全員が膝をつき、ヴィルヘルミナ皇女に頭を垂れている。
「憲兵……ばかりではない。近衛が混じっているな。さて、ゼーバッハ殿御自ら出向かれるとはよほどの事態だろうが、貴公が出向くほどとなればよほどの理由だろう。如何なる用向きでコンラート夫人の周囲を騒がせている」
「これは……」
「構わん。聞かせろ」
「……一隊より通報がございました。こちらの夫妻、ライナルト殿下の手の者であれば、国家反逆の疑いがあるとの由、至急調査を行うべきとの報せにございます」
所謂タレコミだ。
同時に彼らの正体が判明した。主に憲兵隊かつ近衛が混じっている。ヴィルヘルミナ皇女の近衛ではないから、この場合、誰の近衛かは推して知るべしだろう。ヴィルヘルミナ皇女にしてみれば答えは明白だったらしく、気に入らないと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「一隊の通報だけでゼーバッハ殿が動く理由はなかろう。父か、それともあのいけ好かないバルドゥルか」
「は……」
皇女を前に反論はしないようだったが、確たる返事もしなかった。
沈黙そのものが答えだけど、この口ぶりはヴィルヘルミナ皇女のみならず、ゼーバッハと呼ばれた男性もバルドゥルの事を好いているようには感じられない。
皇女の視線が動いたところで私も一礼した。
「帝都の治安を守る近衛の職務、帝都に住まう者として敬意を払わずにはいられません。一市民として近衛隊の邪魔する意思などございませんが、失礼ながら、こちらのご夫妻は現在軍務を離れ、長い暇についている最中にございます」
「ふぅん。……夫婦、か」
「普段からお付き合いしておりますが、とてもではありませんが反逆など企む方々ではございません。無辜の市民が連れ去られようというのなら、どうして黙っていることができましょうか」
「……と、コンラート夫人は言っているが」
「夫人は女性でありながら、かの魔法使いを退治した勇士にございます。意向を無視したいわけではございませんが、我らも国家反逆の疑いとなれば、おめおめと引き下がれはできませぬ」
「……ま、そうよな。私も夫人の言葉は信じたくあるが、ゼーバッハ殿の邪魔はしたくない」
ヴィルヘルミナ皇女は仲介を買ってくれたが、この口ぶりではこちらの言い分を通すのは難しい。皇帝の命を重視したと言うより、このゼーバッハなる人物を慮っての態度に感じられた。
「……失礼、よろしいでしょうか」
「ヘリングさん、いけません」
「ありがとうございます。ですが休暇中とはいえ、軍人が市民に庇ってもらってばかりも格好がつかないでしょう」
ヘリングさんは皇女殿下と憲兵隊に一礼した。
「話は伺いました。私ども夫婦も軍属なれば、貴方がたの言い分もわからないではありません。なぜ謀反の嫌疑がかけられているのか見当もつきませんが、疑いを晴らす必要があるのでしたら出頭することに否やは申しません」
大人しく従うと言ったヘリングさん。しかし、ここで「しかし」が入った。
「妻の連行は待ってもらいたい」
「……理由を聞こう」
聞く耳もたないと思われたゼーバッハが応じた。
「貴方がたの事情聴取となれば暖かい部屋での休息など望めないでしょう。私は冷たい石畳でも構わないが、身重の妻には負担が大きすぎる。夫として、妻と子の命を晒すのは了承できない」
……ん?
それって妊娠している……待って、そんな話は聞いたことない。まずエレナさんが子を授かったのなら、彼女は喜び勇みながらヘリングさんを伴って二つ隣のおばあちゃん宅やうちに報告に来るはずだ。
「ですのでせめて妻は自宅謹慎に留めてもらいたい。家の出入りが気になるのであれば、出入りを身内だけに制限してもらっても構わない」
「しかし奥方のご両親は文官だろう。接触を図られるのはこちらとしても……」
「ならば二つ隣に住まわれる妻の祖父母はいかがだろう。近年は足を痛められ遠出もできないし、とてもではないが謀反など難しい。どうしても、という時はコンラート家の手を借りるかもしれないが、そういった時や、物品は貴方がたの目を通すことにしよう。それでも納得してもらえないだろうか」
妊婦の連行は予想外だったのだろう。ゼーバッハが難しい表情で考え込んでいたところ、すかさず了承したのはヴィルヘルミナ皇女だった。
「良い、言い分を認めよう」
「皇女殿下」
「貴公が悩むのであれば確実な話ではないのだろう? 憲兵兵舎では息が詰まるだろうし、妊婦を連行し、もし流産させたとなれば貴公の名が墜ちる。私が許すから、バルドゥルめには適当に言ってやれ」
そして皇女は私にも言った。
「このあたりで手打ちにしてはどうかな」
「……寛大な措置に感謝いたします」
こうしてヘリングさんの身柄は憲兵隊に拘束されることとなった。連れて行かれる間際、夫妻は涙ながらに抱擁を交わしたのだが、その姿はまるきり無実の罪を被せられた犠牲者そのものだ。実際は謀反の疑い等まるまる大正解なので、そのことを知っていれば彼らの図太さが窺い知れる。
隣家の前には見張りを兼ねた二人の兵が置かれることになった。今後出入りと物品はチェックされるだろうが、ひとまず家の中を捜索といった事態は避けられたのである。
問答無用の家捜しにならなくてよかったとは、きっと私のみならずエレナさんたちも感じているはずだ。
さて、憲兵隊についてはこれで一段落だが、彼らを見送った後、うちに案内されたヴィルヘルミナ皇女は長い息を吐いた。




