247、変化する勢力図
「私には、イェルハルド様はバーレ家になんら不満がないように映っておりました」
「なに、私も長く――本当に長く当主をやってきたのでね。これで殿下のみならず、貴女にまで初対面で見抜かれていたとなれば自信をなくしてしまうさ」
からからと笑うけれど、どことなくその笑みに力はない。
現在ではなくどこか遠くを見ている目は、遠い過去に思いを馳せている様子だった。
「話したい気持ちがないわけではない。だが、生憎年を取り過ぎたせいかな。この感情を語るには、私は弱くなりすぎた」
そう言うと、ご老体は席を立った。
静かにこの場を後にする背中に、ベルトランドが問いかける。
「私に任せて良いので?」
「実働指揮は譲っている。それに私はお前に賭け、勝利を譲ってもらった身だ。お前が乗ると言えば協力するし、乗らぬと言えばそれまでだ」
「そうやって人に任せるのはどうかと思いますがね。私はイェルハルドだから力添えしたのであって、名家なんぞ興味がないと言ってやったでしょうに。バーレだってこれからどうなることやら」
おどけるベルトランドに、イェルハルド老は肩越しに僅かに振り返る。そのつり上がった口角は義息子の言葉よりも彼自身の人柄を見抜いていた。
「これより脆くも崩れるであろう我が家の行く末を放置できるお前ではあるまい」
「なに勝手を言ってるんだか」
「私が見込んだのはそういう男だったからだよ」
残されたベルトランドの顔は少しだけ見物で、我知らず吹き出してしまった。
なんというか、鳩が豆鉄砲を食ったような、私が知るベルトランドであればまず見せないであろう形相だったのだ。
イェルハルド老とベルトランド。
目的のためとはいえ、確かに義親子関係を結んだだけの関係ではあったのだ。
そしてベルトランドが誰の後ろ盾も得ようとしなかったわけも判明した。
当主に興味がないと口にしていたベルトランドが旗を挙げた理由は権威ではなかった。その目的は現体制の解体だったから、上の人間の介入を拒んだのだ。いくら内部がごたつこうが、いずれにせよバーレ家は大家であり、その力だけは有り余っている。後援の見返りを求められては自由にできない可能性があるし、彼らをライバル視する相手に隙を見せる可能性もあった。……こんなところだろうか。
この点あくまでも私の推測だから、すべてが合っているかはわからない。なにせバーレ家は秘密主義だし、イェルハルド老の目的も見抜けなかったから自信なんてさっぱりない。
「これだから爺はいけない。見たかねお嬢さん、あれは普段私には文句ばかり言うくせに、こういうときは都合の良いことをぺらぺらと喋って責任を押しつけようとする。歳と同じく面の皮が厚すぎるとはこのことだ。まったく、あんな爺にはなりたくない」
「ベルトランド様も相当だとお見受けしますけれどね……」
「私はあそこまで図太くはなれませんよ」
「立派に面の皮が厚いおじさん予備軍かと」
不服そうな姿がいっそう愉快だった。
それにしても、イェルハルド老の話が聞けなかったのはともかく、これはこれとして困った展開である。
「お嬢さん、大分困った様子だな」
「私としてはイェルハルド様を説得すればと考えていましたから、ベルトランド様に決定が委ねられるとは思ってもみませんでした」
「そのあたりはイェルハルドなりのけじめなんでしょう。私を暫定当主と定めている」
大きく出たものだ。彼にはそれほど自信がある証拠なのだろうけど、さて、私はこのまま帰って良いのか。もう少しベルトランドに説得を試みるか。
残った姉と戦いを続けるベルトランドにどれほどの余力があるのか知りたいところでもあった。
「バーレ家の問題が片付いていない中でこんな話を持ってきたのは申し訳なく思いますが……」
「ああいや、そっちは一昨日終わった」
「え?」
「家庭内不和の件だろう。まだ世間には公表してないが、解決した」
「か、解決? え、まさか勝利されたと? そんな話はひとつも……」
「そりゃ秘密のうちに終わらせましたからな。でなけりゃこんなところに傭兵なんて置きはしない」
傭兵まで駆り出した戦を「家庭内不和」で終わらせるのはどうかと思うも、すでに終わっていたとは予想外だった。
て、ことは、ベルトランドもといバーレには戦支度を整えた兵がまだ残っているのだよね。
「もうちょっと良い子だと思ってたんだが、存外悪い子だ」
あ、何を考えていたか読まれた。
「そのくらい考えたって仕方ないではありませんか。私、いま、最近湧いて出てきた父をどう勧誘するべきか考え中なのです」
「なるほど、それで伝言だけでは諦めきれず、いまだ居座り続けていると言うことか」
「ベルトランド様は皇位争いに興味がない様子ですから、どうやって競争に噛んでいただくか必死です」
「いやいや、栄えあるバーレ家の暫定当主としては……と言いたいところだが、そうだな。実際興味がない」
肩をすくめる様に、やっぱりなあと肩が沈みかける。
皇女が皇帝になってはどうなるかわからないぞ、と言ってみる手も考えたけれど、この人相手に稚拙な脅迫紛いは鼻で笑われるだろう。
かといってコンラートでは百戦錬磨のバーレ家を落とす材料もないし、今後の協力を申し出たとしてもスズメの涙程度で、ライナルト程の力はない。ベルトランドを詳しく知らない以上、『箱』について話すのは危険だし、八方塞がりだと思っていたら、こんな話を切り出された。
「お嬢さん。イェルハルドや私の見立てでは、お嬢さんはライナルト殿下にかなり気に入られている印象があるんだが、その点は間違いないだろうか」
「……自分から口にするのも勇気がいるのですが、贔屓にしてもらっている自覚はあります」
「では殿下が今後のバーレに介入する意思がないのも本当かな」
「私の見立てでは、ですけれど、間違ってはいない自信があります」
……お、や?
最初に何気なく言った言葉だったのだけど、もしかして考えていた以上に介入をしてほしくないのだろうか。こんなにわかりやすく示してくれるなら乗らない手はない。もしかしたらモーリッツさんあたりには怒られるかもしれないけれど、と心の中で両手を合わせた。
「必要でしたら我が家が間に立ちましょうか。今回お味方してもらえるのであれば、バーレ家、ひいてはベルトランド様のなさること、バーレの体制の変化に介入することはないと」
「できるなら公文書でもらいたいがね」
「状況が状況ですからすぐには難しいでしょうが、殿下が無事帝都にお戻りになられた暁には優先して取り計らってもらいましょう」
「ふむ……」
が、なにか最後の一押しが足りない。
「あとは、そうですね。私から用意できるとしたら、お酒の席ととびきりの美女をご紹介するくらいでしょうか」
……あ、食いついた。
けれど私の知る「とびきりの美女」は一番の難関で説得しおおせる自信がないのだけど……いや、ここは勝負すべき場面である。言っちゃえ。
「どなたからも美しいと評判の方です。ベルトランド様でも口説き落とせないでしょうが、それでよろしければ、私の名にかけて一席設けさせていただきます」
「即決はできないが、検討させてもらおう」
ちょっと良い方向に転んだ?
呆れていたら、こんな風にライナルトについての心証を語られた。
「なに、元より我らの目的を知った上で黙っていた殿下には多少なりとも好感が持てるのでね」
どうしよう、女性で釣られるなんて大丈夫かなこの人……と言いたいところだけれど、おそらく大丈夫である。すべては次の一言で覆った。
「なにより戦を厭わず、実力で力を得ようとしている。私にとっては立ち向かおうという姿勢が、遺物と魔法に頼り切りの人間よりは余程親近感が湧く」
「遺物……。ベルトランド様、もしかして『箱』のことご存知だったのですか」
「お嬢さん、私はバーレの人間だ。なによりイェルハルドの協力者としてそのくらいは耳に入れているさ。最近は殿下の直臣が押さえられているのに皇女と陛下は親密な様子だし、となればな」
「……では、その口ぶりでは箱を巡って対立していることもご存知なのですか」
「なるほど、ではやはり理由にそのあたりも含まれるか」
「あっ……!?」
「最近『箱』周りが騒がしかった。魔法院の動きもどうにもきな臭い上に、あの奇抜な魔法使いがすっかり姿を見せなくなったのでね、なにかあったとは思っていたがそういうことか」
ベルトランドは喉を鳴らし、人を食ったような笑みを浮かべる。
これは、ベルトランドとシスは知り合いだ!
シスもそういうことなら教えておいてほしかったが、そうだ、彼はベルトランドのことを「面白い」と評価していた。
「……別にそれがすべてではありません。殿下ご自身が皇位を望んでいるのも事実です」
「わかっているとも、すべてではないだろうさ。すべてではな。それで、殿下はどこまで噛んでいるのかな。不完全らしいとはいえ遺物を従えた陛下に立ち向かおうというのだ、どれだけうまくやれる勝算がある」
「あとはベルトランド様のお心次第です!」
説得するなら話すべきだろうけど、バーレが皇女につけば目も当てられない事態になる。とっくに手遅れな気もするけれど、ここはライナルトに好感を持っているベルトランドを信じるほかないのであった。
「……ですが、私の知る殿下をお伝えするのであれば、あの方は負け戦に挑むほど考えなしではありませんよ。皇帝陛下の目を掻い潜り、私の祖国を落とし、皇太子の座についただけの人ではあります。ベルトランド様も元はあの国の出身です、国王陛下が愚鈍ではなかったことはご存知でしょう」
ベルトランド相手には必要ないかもしれないけれど、これは真剣な忠告だ。
立ち上がり、礼の形を取った。
「どうかベルトランド様がバーレ家を生かす判断をなさいますよう、心よりお祈り申し上げます」
「コンラート夫人の申し出は理解した。しかと心に留めておこう」
祖国、と口にしたからだろうか。
ベルトランドにふざけた様子はなく、このときばかりは暫定当主の名に相応しい貫禄で頷いた。
そのベルトランドから色よい返事をもらえたのはおよそ七日後――。
皇帝は相変わらず沈黙を保っているけれど、世間では皇太子の働きによってヨー連合国との和解が成立したとにわかに活気立ちだした頃である。
日が経ってなおバーレ家の決着は明るみになっておらず、ひとまず膠着状態に陥っていると噂される最中、覚えのないケーキの配達とその中に仕込まれていた了解の返事に目を通しながら溜息を吐いた。
「……どうしよう」
「どうしようもなにも、美女と豪語してしまったのですから説得するしかないかと。幸い時間はまだございますし、皆の話しぶりでは話のわからない方ではありません」
「はい……。でも見返りが怖い」
「それは、まぁ……」
ゾフィーさんはもう「相手」が誰を指しているのかわかっている様子だ。
もちろん、戦も女性も強いベルトランド相手にそこらの女性を紹介するわけにはいかない。毒に無垢な花を近づけたところで枯れてしまうだけであって、私も無為な犠牲者を生む気はない。
「トゥーナ公の説得も頑張ります」
あの人ならまず間違いなくベルトランドに負けることはない。毒には毒をぶつけるのが正解なのだけれど、その道のりが非常に困難に思えてしまったのであった。




