245、痛む心には目を瞑って
クロードさんの『悪名』は個人的興味が尽きないけれど、ともあれ頼もしいには変わりない。
「私たちはライナルト様の帰還に伴い、帝国、ひいては皇帝陛下に対し一撃を加えなければなりません。それが今回私たちが勝つための前提条件です」
なんとしてでもここで皇帝カールにライナルトを排斥する動きを見せてもらわなければ、サゥ氏族との密約が無駄になる。
「詳しくはなにをしたらいいのかね。全容を知らなくて動きようがない」
「その前に、ルカ。私たちは『箱』についてクロードさん達にどれほど説明ができるかしら」
「……ワタシ?」
「そう。シスについては認識阻害が働いているけれど、同じ魔力で作られたあなたからならどうなのかしら。やっぱり難しい?」
「……今更?」
「そろそろ黙って勝手に動き続けるのは難しい。働いてもらうからには、クロードさん達の協力は不可欠だもの」
「どこまで阻害が働くかはわからないけれど、そうね、やれるだけはやってみてもいいわよ。要はここのおじいさまたちに魔法の効きを悪くしてしまえばいいのでしょう?」
ルカは淡々と、しかし詳細に『箱』と帝都の関係を公開していく。結果的に認識阻害が働いてしまい、『箱』の仔細は伝わらなかったけれど、存在の認知には成功したし、なにより帝国にとって重要なものであることは理解してくれたのだ。これに伴い、私やルカの役目も伝わったのは大きい。
「要は箱を破壊せねば、完璧になったシス君の前ではいかな殿下とはいえど立ち向かえる見込みがなくなってしまうと、そういう認識で良いのかね」
「そう思ってくれて構わない。いまは……かなり危うい感じだけれど、ワタシへの妨害が入ってないし、マスターの存在がばれていないからギリギリ耐えているのでしょうね」
「……それは、ばれてしまったらコンラートの崩壊どころではないなぁ。ああいや、だからこそカレン君が殿下方に不思議なほど重用されているのだろうが」
「わたくしから尋ねるのも今更でしょうが、カレン様はそれでよろしいのでしょうか」
「ええ。エルの件を含め、様々な縁あっての結果ですが、これで構わないと思っています」
「左様でしたか。蛇足で御座いましたな」
「いいえ、聞いてくれてありがとう、ウェイトリーさん」
これでクロードさん、ウェイトリーさん、そして二人の手足となるゾフィーさん。先ほどから一言も発しないけれど、ジェフも共犯者となった。
「あの方の帰還までに必要なことは、世論を味方に付けること。帝国市民のライナルト様への同情心を煽ることです」
皇帝には役目を果たし凱旋した皇太子を無下にした無慈悲な父、無責任な王。そして皇女には欲に目が眩んだ皇女になってもらわなくてはならない。声に詰まりかけたけれど、ここで決意を鈍らせてはいけない。巻き込まれるのではなく、自ら争いに加担する以上、生半可な同情心を見せてはこれまでの決意が無駄になる。
「そのために皇太子殿下はサゥ氏族と密約を結びました。表向きは城塞都市の返却。役目を果たした裏側で、彼らに帝国領の通過を認めた。実態は帝都に進軍するための戦力の確保です」
これがライナルトがキエムと結んだ同盟だ。戦力が足りない彼は猫の手でも借りたい状態。そのためエスタベルデ城塞都市でコツコツと鉄を溜め込んでいたサゥ氏族を取り込んだ。このあたりはクロードさんもすぐに見抜いたようだが、いくらご老体でも看過できない部分があった。
「殿下は帝都を戦場にするおつもりか。それはいかん、ここはオルレンドルのすべてが集っているのだぞ。正当な理由で剣を掲げるならば、民を敵に回してはいかんぞ」
「おっしゃるとおりです。いくらライナルト様といえど、帝都で戦を行っては帝都民の感情を損ねかねない、オルレンドルの機能を損なうのは承知しておられるでしょう」
いくら内紛とはいえ、首都で大規模な戦を行うのはもっての外だ。
「帝都で大きな火は上がらないはず。なによりサゥ氏族も進軍はするものの、彼らは帝都に剣は向けません。いくら和解したといっても、内紛に加担しては過干渉で煽りを受けますから」
「ではサゥ氏族を取り込んだのは、見掛けだけでも戦力を増やしたいといったあたりか。……それならまあ、許容はできるか」
流石クロードさん、一発で見抜いた。
「そのために先駆けて、皇帝陛下には現皇太子の排斥を宣言してもらう必要があります。皇太子殿下はその決定に不服を申し立てるため発起する。帝都の民が納得する理由です」
「……ふ、む。殿下は皇太子になってからの活動記録は残っているね。陛下よりくだされた難題や数々の噂はともかく、皇太子として働いてきた証拠だ」
「そちらは公式記録を参照するまでもなく、見つかるはずです」
ライナルトは遊びに明け暮れると貴族に思わせる一方で、皇太子としての責務は果たしていた。
「加えて市民からの人気は高いと聞きます。皇帝陛下が宣言を覆したのならば、またか、とうんざりする人は多いのではないでしょうか」
「それはあるだろうが、皇帝陛下がまたもや気紛れを起こし、皇太子殿下から皇位を取り上げようとしている、だろう。今更すぎて衝撃はないな」
だから、とクロードさんは言った。
「同情心も結構だが、必要なのは民の生活に直結する事柄も含めるのが大事だ。ヴィルヘルミナ皇女が皇帝になれば、いま以上に貴族が優遇され、税が高くなるかもしれない。そういう噂が必要だと私は思う」
「人々の関心を高めさせるのですね」
それが真実だと思い込ませることができたのなら、想像以上にヴィルヘルミナ皇女の立場は悪くなる。けれどこの提案に代わるだけの代案を持たなかった。
「……一任します。そこまでおっしゃるからには、市民の間に噂を流すのも難しくはないですよね」
「私の手の者で対処できるだろう。が、貴族では決して縁を持てない連中を使うのは許してもらいたい。それと私なりに創意工夫を施させてもらうが、そこも見逃してもらいたいな」
創意工夫の内容が気になるけれど、クロードさんもまだ様々考えているようで、あれやこれやと考えを巡らしている。
「それともう一つ、こちらも重要なのですが、モーリッツさんやトゥーナ公に連絡をとってもらいたいのです」
「当然だな。家の出入りは見張られているだろうが、生活に欠かせない使用人や業者の出入りは決して避けられないのが貴族というもの。その辺りならいくらでも融通が利かせられるとも。それで、彼らには何を望むのかね」
「ライナルト様が反抗組織と繋がりがあり、あまつさえ帝都にとって大事な宝を壊そうとしている。そんな噂を陛下の耳に入れてもらいたいのです」
皇帝カールを動かすにはもっとも威力のある言葉だ。
とにかくこれはコンラートから噂を流すのは難しいし、今後のためにもモーリッツさん、トゥーナ公と連絡を取るのは必須条件だ。こちらとしては帝国内で連携を取れないと話にならない。
他にも私が『箱』を壊さねばならないタイミングや、保険をかけねばならない人物がいるのだけれど、そこは追々説明していこう。いまは目下、コンラートがやることをまとめているのだ。
「カレン様、クロードに頼るのは結構ですが、身の回りも心配なさいませ。此度こそコンラートは疑惑を免れましたが、トゥーナ公達しかりコンラートが目を付けられていることには変わりません」
「ええ、そうですね。ウェイトリーさんの言うとおり、私たちの足元も固めましょう」
ウェイトリーさんは私が見落としがちな堅実な意見をくれるから、クロードさんとは相性がいいように感じる。この人を見習って、私もライナルトにとって地面を固められるような人になりたいけれど、そこまで成長できるのはいつになるだろうか。
「クロードさん、マルティナを呼び戻せますか」
「……実は近くに呼び戻している。本人は嫌がるだろうが、戦えるなら居てもらった方がいいと思ったのでね」
「同じ理由で戻ってきてもらうつもりでした。皆の説得は私がしますから、帝都に入ってもらってください」
「そこまで手間取らせるつもりはないし、説得自体は終えている。コンラートの皆を守るためなら、と了承しているよ。ただ戦働きはいざという場合のみで、今回だけだと言われてしまったがね」
「……ありがとうございます」
他にもルカにシスの状況を尋ねてみたが、彼女曰く「呼びかけたけれど反応はない」状態が続いている。
「本人の抵抗に期待しましょう。どのみち、ワタシの方も準備にもう少し時間が欲しいわ」
「そういえば、ルカ嬢が姿を見せたのは久方ぶりでしたな」
「そうなの?」
「時折顔を覗かせては我々の安否を確認してくださいましたが、それ以外はあまり。黒鳥は相変わらず飛んでおりましたので、無事とは思っておりました」
「ワタシは準備があったから色々とね。……黒鳥、アイツはわからないわ。そこにいたと思ったらいつの間にか消えているし、自由にも程があるでしょ」
つくづくわけのわからない生き物である。
「ウェイトリーさん、フリだけでいいので、キルステンに探りを入れてもらえますか。本当の事は教えてもらえないでしょうが、聞くだけ聞いてみてください」
「畏まりました」
「それとルカ、庭の塀、あれにこっそり穴って開けられないかしら。お隣にいつでも行けるようにしておきたいの」
「できるけれど、ヒル達にやらせた方がきっと早いのではないかしら。隠し通路だったら綺麗に隠さなきゃいけないでしょう?」
「……それもそうか。ウェイトリーさん」
「ヒルとハンフリーに行わせましょうか。幸い両隣は知り合いですから、工事もうまく隠してくれます」
モーリッツさんたちとコンタクトを取り、宮廷と市井に噂を流してもらうのはクロードさん達に任せよう。私は現場指揮……と言いたいところだけど、まだまだ私はひよっこ。いまは名前を貸すだけで、残念ながら現場に向いているのはクロードさんだ。
「それと怪しまれても構いませんから、使いを送ってください。近々行かねばならないところがあります」
「この時勢に、どこへお出かけへなられるのですか」
「他は現状を鑑みてもなんとかなり……そうな気がするのですが、これは私が出向いた方がいいと言いますか。……モーリッツさん達でも難しいですし、ある意味大事なのでしょうね」
重い溜息が出てしまう。
これが目下、最大の難関だ。下準備は整っているとはいえど、挑まねばならないのが、なんとも気が重い。
だけど言わなきゃならない。ここで立ち止まるのはそれこそなしである。
意を決して顔を上げた。
「バーレ家のイェルハルド様とベルトランド様に会いに行きます」




