24、逃がしたくない
シスは井戸に腰掛け、左手をこちらに向かって差し出した。月夜の晩、月光を浴びながらの仕草はどこか演技がかっているけれど、自信に満ちあふれた瞳やつり上がった口元も似合っているので違和感は感じない。
「おいで」
まるきり不審者の台詞である。
ただまあ、少々気に掛かることがあったので近寄るのに異論はない。なにがあってもすぐ下がれるように警戒しつつ、話しやすい距離まで近づいた。
「お嬢さん、こんな夜中に部屋を抜け出してどうしたのかな」
「お客様がどこかにいこうとしてたので、気になりまして」
「散歩だよ。不審者に見えてしまったのは謝るけれど……」
「見えてしまった、ではなく不審者に見えておりました」
「正直なのはいいことだけれど、そうもはっきり言われると傷つくなあ。いや、きみの言葉は合ってるけどね?」
合ってるんだ。認めたぞこの男。
以前と違って敬語も取れているし、傷つくといいながらも薄ら笑いを崩さないのは余裕の表れなのだろう。実際、こちらはただの小娘だし、相手は『魔法使い』なのだからその通りなのだが。
「ご自分でお認めになるのですか」
「そりゃあいくら客人の身といえど、こんな時間に抜け出して独り言を喋っているようじゃ疑われても仕方がないさ。私は隠し事が苦手な男だからね」
「はあ……では、一体ここで何をされていたのですか。夜風にあたりたかったという風には見えませんでしたが」
「ははは。そんなのはわかりきってるじゃないか、お話だよ」
「誰とです」
ここでシスはおや、とでも言いたげに器用に片眉を持ち上げた。表情が豊かというより、顔面が道化がかった人である。
「ふむ? きみはそこで誰と、と聞くのか」
「お話をしていた、と言ったのはあなたご自身です」
「それはそうだ。……だがね、少し言い換えよう。この状況ですぐに誰と、と聞ける人は少ないよ」
知らない知らない。意味深に言われても期待する反応なんか返してあげないし。
というか、私はシスに対し不信感を抱いているのだ。彼の探るような物言いは無視して、相手を睨むように問い詰めた。
「話し相手はライナルト様ですか」
「おや正解」
おや、じゃない。ライナルトの関係者なのだからそのくらいはすぐ察しが付く。大体シス自身が「きみの小さいお友達」と口にしていたのだ。こんな不思議な言い回しをされたのは、ライナルトの別荘で養生していた時以来である。
「……もしかして私は疑われているのかな。相手はライナルトだし、よからぬ企みをしているとでも思われたかな?」
「相手についてはいましがた知ったので、あまり関係はありませんね。それよりも部屋で話せば良いものを、わざわざ外に出向かれて……その上、たったいま不審者と認められては、何をされていたのか問いたくもなります」
「小さいお嬢さん、怪しいと思ったのなら一人で来ては駄目だよ」
「ご忠告は感謝いたしますが、夜歩きの元凶となった方に言われましても説得力がございません」
「ごもっともだけれど、好奇心が旺盛なお嬢さんだ。えーと、こういうのはなんというのだっけ。好奇心は……ええと、そう、こういうのは好奇心は猫を殺すと言うのだよ。意味はわかるかな」
シスは純粋な問いかけのつもりだったらしいが……。どう返したらいいのかわからず動きを止めてしまった。それはそうだ、彼が口にしたのはこの世界にはないことわざだったからである。
意味を掴みかねるとでも思われたのだろうか、シスは覚えたての知識を披露する子供のようにはしゃいでいた。
「そうか、こういうときに使うのだな。私の新しい友人が言っていたのだけれど、好奇心が強すぎると身を滅ぼすことになりかねないという意味だそうだよ。いまのきみにぴったりじゃないか」
「あ……」
新しい友人?
それはどういう意味だろうか。記憶を遡り、探し求めている人物とことわざについて話をしたことがあったかを探り続けている。結局すぐに思い出すことはできなかったけれど、いますぐにシスの襟首掴んで問いただしたい気持ちでいっぱいだった。
「不思議な、言葉ですね。猫が出てくる理由はわかりませんが、物事を的確に言い当てていると申しますか……」
「動物は人より本能が優れているからね。警戒心が強い身近な動物で表現したらしいよ。猫でさえ好奇心が過ぎると身を滅ぼすとね」
「……面白いご友人をお持ちですね」
「ありがとう。本当に愉快な友人だよ。……なんでか私は嫌われてるのだけどね」
悲しい、と泣き真似をするシスだが、私はといえば先ほどの調子で喋るわけにはいかなくなってしまっていた。本当はその友人、エルネスタという名ではないかと問いただしたい。けれど自制してしまったのは、アヒムがどれだけ手を尽くしても、彼女はおろか彼女の両親の行方すらわからなかった、帝国の話を聞いてしまったからである。明らかに普通ではない失踪に警戒心が募るばかり。これは聞けば素直に吐く人物だろうかと相手を品定めする始末である。
「シスは」
「うん?」
「シスは、偶然兄たちと遭遇したと聞きましたが、たしかコンラート領とは正反対の方から来られたのでしたっけ」
「そうだね、兄君の護衛殿から聞いたかい」
ここでシスがあからさまにため息を吐いていた。やはりわざと話題を逸らしていたらしい。
「固定のお仕事に就かれているのに、一人で旅をされているなんて不思議だなと思ったのですけれど、国内を一周してきた、ような感じでしょうか」
「感じ、ではなく巡ってきたのだよ。時間を掛けてじっくりとね」
「ゆっくりされてたんですね。私はそういった旅はしたことないのですけど、時間的にはどのくらいかかるんです」
「ゆっくりしてたからね。大体一月とちょっとだ」
「……帝国領側から、コンラート領に向けてゆっくりと?」
やや踏み込んだ質問をした次の瞬間、少しだけだがシスの雰囲気が変化した。ふざけた様子が消えたというか、こちらの思考を探るような視線を向けられる。その姿は童話に語られるような意地の悪い猫のようで咄嗟のことに勢いに飲まれかけたものの、質問をする口は止められない。
「……わざわざコンラート領とは反対の、帝国領側にいた理由はなんでしょうか」
「その質問はやめておきなさい。きみは私のライナルトの友人みたいだし、エレナのお気に入りだ。その若さで余計な事を聞いてしまうと後々苦悩するよ」
「素直にはいと頷けるわけないでしょう。……コンラート領の話をライナルト様にしていたのではないですか」
「してたよ、それが何か?」
開き直られた。いや、もとから悪びれた様子はないから何を問われてもこういう態度を取っていたのかもしれない。
「ファルクラムの市民として国内情勢を知っておこうという活動の一環だからね、それだけの話だ。まさかと思うけれど、きみはライナルトが悪事を働くのではないかと疑ってるのかな」
「そういうわけ――いえ、ライナルト様はともかく、コンラート領の者として他家……ああもう、帝国ご出身の方が国内を巡っているとあれば警戒するのは仕方ないのでは」
「お気持ちはわかるとも、だからこそ私一人で活動していたのだけれどね」
「でしたら少しはお察しください。私はあなた方の素性を知ってしまっている、勘ぐらずにいるのは難しいのです」
「怪我までしたからね」
「わかって言ってらっしゃるのなら尚更では」
ことわざの件がなかったら、下手に考え込んだ挙げ句こんな回りくどい話をしなくてよかったのに! 考え込んじゃったのは自分のせいだけど!
ともあれ、彼からはいま帝国領側からどのくらいの時間をかけてきたのかを聞くことができた。帝国領側から一月半かけてこちらに来たのならば、アヒムの話に少しぐらいは整合性があう。
エルの両親が帝国へ向かう通関所にいた目撃情報があったのはおよそ一月前の話である。
「シス」
「はいはい」
「はいは一回にしてください。……なんだかですね、このようなことを申し上げるのはとても……なのですが! そのにやけた顔で返事をされると腹が立つのです!」
「ニーカやエレナと同じ事を言う。私はいつだって至極真面目なのだけどねぇ」
ああ、あのときエレナさんがこの人相手に冷たい視線を向けていた理由がわかった気がする。話し方とかはそうでもないのだが、顔が、なんかすべてを見越したような笑みがいらっとする。
「……エルネスタという女性を知りませんか。私と同じ年代の子です」
「誰それ、知らないな」
せめて言い淀むなりすればいいのに、さらりと言いやがるものだから何も掴めない。ことわざを言っていなかったら、私が間違っていたとすぐに引き下がっていただろう。
「……本当に?」
「そもそもどういった根拠で質問をされているのかを聞きたいな。なぜその女の子を私が知っていると?」
……ことわざについて言ってしまうか?
突っ込まれても誤魔化せばいいだけだし、彼がエルを知っているのなら目の前の手がかりを逃してしまうのはあまりに惜しい。
強く吹いた風に、いまさらになって寒さを覚えながら意を決して口を開こうとしたときだ。背後から誰かの話し声が聞こえてきた。
「歩くのがはやい、もう少しゆっくり歩いてくれよ」
「寒いんだよ、おれはとっとと寝たいんだ」
コンラート邸の衛兵である。二人組が片手に松明をもって歩いてくるのだが、その視線が井戸の方に向く。
「あ」
目が合ってしまった。敵ではないと声をかけようとしたところで後ろから抱え込まれるように口を塞がれる。冷え切った手の持ち主はシスだった。
すぐそこにある顔を見上げると、喋るなと合図をするのだが。その理由を小声で囁かれた。
「彼らに私たちは見えないようにしたから、声は出さないでおくれ」
言葉に偽りがないと判明したのは、確かに目が合ったはずの衛兵の視線がこちらを素通りしたからだ。松明の炎が揺らめきながら遠ざかるとシスも離れる。
「一人ならともかく、二人でいるところなんて見つかると面倒だからねえ」
「あ、そうですね。ありがとう」
「どういたしまして。……今日のところは戻りなさい。外周は彼らだけのようだし、内部の人はまだ目を覚まさないはずだから、見つかることはないはずだ」
「……まだ?」
「安心しておくれ。悪さはしていないし、少し心地よい夢を提供しただけさ」
もしや、シスも私も何故か誰にも見つからず移動できたのって。
「そ、そういうのやめていただけますか!?」
「きみにはかけなかったからいいじゃないか。ライナルトの友だから遠慮したんだよ」
そういう遠慮はなにかが違う。
帰れと言われてもエルについてまだ何も聞けていなかった。当然聞き込みを続けるつもりだったのだが、次の瞬間、男の姿が消えていた。同時にどこからか「じゃあね」という声が遠ざかっていく。
逃げられた、と気付いたのはしばらく経ってからだ。
魔法って某青タヌキの便利道具みたいに便利だね。使われる側だと腹が立つのがよくわかった。
しばらくはもどかしさと、逃げられたという気持ちでいっぱいだったが、あたりをうろついてみても魔法使いの姿は見当たらない。
結局彼は見つからず、明日の朝一で部屋を襲撃するつもりで部屋に戻ったのだが、彼の言葉通り、帰りも誰とも出くわさなかった。
絶対に起きてやるという気持ちだったから、もちろん寝坊なんてしなかった。意気込みが強かったためか、陽が昇ると同時に自然に目を覚ましたのである。着替えを済ませて二階の客室のドアを叩いたのだが、返事はない。
普段だったら絶対にしないのだが、起こしてやるという気持ちでドアノブを捻ると……。
「へ」
鍵がかかっていなかった。
簡単に述べてしまうと部屋はもぬけの殻。机に置かれた書き置きには伯に向けた丁寧なお礼の手紙が綴られている。
軽く目を通したのだが、急用ができたので都に急ぎ戻るという内容だ。その場で手紙を握りつぶしそうな衝動に駆られつつ、驚嘆に値すべき理性で堪えたのだから、私は私をもっと褒めてもいいはずだ。
朝食会場では伯に手紙を渡しつつ、兄さんにはこう告げた。
「都へお戻りの際は私も一緒に同行しますので、そのつもりでお願いしますね」
エルのこと、絶対にあの魔法使いはなにか知っている。
シスを、場合によってはライナルトを問い詰めてやる気で宣言したのだが、この里帰りが今度は別方面で襲撃を食らうことになるとは、このときは予想すらしていなかった。
……だってねえ、彼女はエルじゃないけれど、従姉妹として仲良くしていたつもりだったのだ。ほぼ二年前の記憶だったけれど、心優しい女の子として記憶していただけに出会うなり頬を叩かれるなんて思いもしないだろう。
従姉妹のマリーは怒りのあまり唇をわななかせ、まるで汚物を見るかのような視線で、涙をいっぱいにためながら叫んだのである。
「あなた……あなた、この、この……売女!!」
都には厄介事しかないのだろうか。
折を見て改訂します。




