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232、いざ会談へ


「もう行くんですか?」


 ジルケさんは残念そうだけど、忍びながら散策するのも限界がある。

 向かった先は都市の中央、ひときわ立派な建物で、そこはかつてのニルニア領主邸でもあった。周囲は高い鉄柵と塀に囲まれ、いかつい門兵が入り口を守っている。

 はじめこそ見慣れぬ三人組に警戒されたが、自己紹介を済ませると簡単に通してもらえた。身分を証明できるものは、と問われた際に被ったスカーフから髪を覗かせたら一発だったのだ。

 ひとたび中へ入れば噴水広場が待っている。ここで働いていると思しき人々が思い思いに語らっているから、憩いの場になっているのだろう。

 かつてニルニア領伯が住んでいた邸宅を見回したが、庭すらも手が加えられているのは一目瞭然だ。なにせこちらではあまり見かけない植物が植えられている。それに見張りの数の多さも段違いで、鎧こそ纏っていないけれど目つきの鋭い男性らが決まった道を往復している。

 それを見て取ったハサナインさんが、半ば呆れるように言った。


「会談があるからなのかもしれないけれど、それにしたってこの警邏の数は凄い。内も外も、鼠一匹すら通す気がないようだ」

「内はともかく、外?」

「道中乾杯してたり、座って農作業してた人達。彼らおそらくサゥの兵士ですよ」


 二人によれば民衆に紛れていたそうだが、ただ作業に勤しむ市民にしては手元が不器用だし、なにより目が厳ついのだそう。不自然な演出に、すぐにサゥの手の者だとわかったと言った。


「……一見長閑な感じなのにね」

「オルレンドルの皇太子殿下を迎えるのです。このくらいの警戒はあってしかるべきでしょう」


 そう皇太子だ。一応念頭には置いているけれど身近すぎて色々忘れてしまいそうになる皇太子である。

 さて、しばらく置いて案内人はやってきた。キエムの側近をつとめていると名乗った男性は私たちを貴賓室へ案内してくれたが、そこにはすでにお茶やお茶請けが用意されている。


「主人は現在ライナルト殿を出迎えるべく準備しておいでです。帝国の呪い師殿におかれましては、時間までこちらでお寛ぎいただくよう仰せつかっております」

「わかりました。ここで待たせてもらいます」

「時間を持て余すようでしたらお知らせを。盤なり芸人なり準備いたしましょう」


 盤上ゲームって、帝国とヨー連合国ではなにか違いはあるのだろうか。帝国やファルクラムではサイコロを使った競走ゲームや、それこそチェスそっくりの遊戯があるけれど、どこまで共通しているのだろう。

 興味が首をもたげたが、いまは一休みしたい気持ちが強い。鳥の囀りを耳にしながらジルケさん相手にお茶をいただき、慣れぬ菓子を囓りながらライナルト達の到着を待つと、しばらくしてライナルトと合流できた。


「エスタベルデは如何でしたか」

「活気に溢れて良い街でございました」

「それはよかった。あとで感想を聞かせてもらいたい」


 社交辞令的な会話を終わらせて、列の後方にそっと入り込む。

 ライナルトに同行したのはニーカさんと護衛の方々、それにニルニア領伯とそのご子息。それに隠れるようにマイゼンブーク卿が何気なく加わっていた。マイゼンブーク卿の帝国での位は不明だけど、命令することに慣れている態度は、それなりの格の家だと推測できる。従ってこの中で後方で、かつ控え目にいるのは大切だ。

 さて、ライナルトの訪問をサゥ氏族の族長キエムは笑顔で出迎えた。

 聞いた話ではいままでずっと交渉の場に出ることを拒んでいたようだが、そんな様子はおくびにも出さず、満面の笑みで握手を交わしている。


「オルレンドルのライナルト殿。こうしてお目に掛かるのは初めてだが、貴殿の噂は聞いているよ。そのせいかな、勝手な話だが他人という気がしていなくてね、不思議と初顔合わせという気がしない」

「こちらもサゥ氏族については色々聞かせてもらっている。時間がかかってしまったが、お会いできて光栄だ」

「いやぁ私もなかなか忙しくてな。せっかくこんな地方まで足を運んでもらったというのに、帰られてしまうのではないかとヒヤヒヤしていたよ」


 どの口がって話だが、この程度で顔色を変えていては、心臓がいくつあっても足りはしない。キエムはライナルト他一同に目を向けたが、そこで仰々しく目を見張った相手はニルニア領伯だ。


「これは驚いた。近くにいるとは聞いていたが、貴殿が大人しく剣を下げ都市に入るとは思わなかった。やはり年を取れば丸くなるのかな、ハーゲン」


 名前を知っているのは当然か。元々ここはニルニア領伯の土地であり、強奪者であるサゥの首長が知らないわけない。

 いささか挑発的なキエムだが、ニルニア領伯は柔和な笑みを崩さなかった。


「ご冗談を。許されるのであればいますぐにでも貴様の首ごと跳ね飛ばしてやるが、そうしていないのは殿下のご命令あってこそ。付けあがるなよコソ泥風情が」


 温和なのはガワだけだった。

 幸いキエムは腹を立てた様子もない。

 ニルニア領伯の態度は大丈夫なの!? と慌ててしまいそうだが、ニルニア領伯には彼なりに怒る理由がある。


「貴様の父の所業とはいえ、我が母と兄を殺された恨みは決して忘れぬ。たとえ代替わりしようとも、サゥである限りただで死ねると思うでない」

「恨むだけなら好きにするがいい。だが貴殿程度の恨みで滅ぶサゥ氏族ではないぞ? 我らを滅したければ、吠えるのではなく万の刃を持ってくるがいい」


 キエムも負けず、ニルニア領伯の殺意も平然と受け止めた。これにニルニア領伯のご子息が青筋を立て踏み込もうとしたが、肝心の父親に止められてしまう。その姿にキエムは「若いな」とだけ呟くと、堂々たる態度で背を向けた。


「ささやかだが宴の席を設けてある。まずは久方ぶりの会談を祝して乾杯しようではないか」


 さっそく本題に入るわけではなさそうだ。

 案内されたのは何十人も座れる絨毯が敷かれた大広間。厚い生地に包まれたクッションがところせましと置かれており、料理や果物が乗った大皿が並べられている。使用人もこれでもかというほど揃っているが、いずれもが背筋ピンと伸び見目の整った男女であった。

 私の知識が偏っているせいなのもあるのだけど、空想上のアラビアンな世界を現実にしたらこうなるんじゃないかって光景だ。

 ライナルトは当然ながらキエムと並び上座に座る。

 私は下座側で大人しくしているが、一人だけ場違いな気がするのは正しい。だってそもそも服装もサゥ式だし、コンラートではなく一個人、もとい魔法使いとして呼ばれたのは、なんだか不思議な心地だ。

 一同はキエムの案内に従ってそれぞれの席についたが、手に取った銀の杯に綺麗なお姉さんがお酒を注いでくれて、ちょっとどきどきを隠せない。

 しかし周囲を窺ってみたものの、キエム以外は一人として笑っていない。これは間違えて浮かれて見せたりしたらあとが怖い。

 全員にお酒が行き渡ると、キエムは杯を掲げた。


「オルレンドル帝国とヨー連合国、両国の未来を祝して」


 乾杯、と全員が杯に口付ける。

 これはどんな原料で作ったお酒だろう。葡萄酒ではない、そこはかとなく果物の爽やかさと甘みがある。味は美味しいといって差し支えないけれど、芳醇な液体が喉を通る感触ですぐにわかった。

 度数が高い。

 すぐにでも酔いが回る危機感を抱くも、飲み干さないのは失礼に当たるから一気飲みだ。お水を飲みしたいが、がっつくわけにもいかず、嫌な汗が背中をすぅっと流れていく。

 に、二杯目を避ければいい。キエムがライナルトになにかを語りかける中、さりげない手つきで水をとり、唇を湿らす程度に水を流し込んだけれど全然足りない。

 酔ってくる感覚は自分でもすぐに理解できたが、幸いだったのは、正気を失うほどの酔いではなかったこと。この場で「酔いました~えへへ~」なんて言いだした日には、明日といわず即座に針のむしろになる恐怖が私の理性を保たせている。

 お酒のせいで思考はぽかぽかとぬくもっているが、冷静に、冷静にと自分に言いきかせて体裁を取り繕う。頭の働きが鈍いのはこの際もう仕方がない。しばらく立ち上がる必要はなさそうだし、黙ってお人形に撤するぞと意思を固める。

 密かな決意を胸に秘めている間に、双方の代表は徐々にではあるが会話をはじめていた。といってもまだ世間話程度のもので、キエムが聞かせてくれるのはヨーの情勢だ。


「昔と比べヨーも大分様変わりした。当時勢いの強かったブゥカの連中が良い例だな。いまは五大勢力でちょうどいいくらいの均衡を保っている」


 あくまでも五大勢力が筆頭なだけで、この傘下に様々な部族がいる。ではサゥがどの位置づけかというと、意外だがこの勢力のどれもでもない。サゥは五大勢力のひとつであるドゥクサスの支配下にある氏族なのだ。名前の区別がしにくいが、ヨーの人は大体部族を名乗るそうだし、族名に「ゥ」が入ってたら大体ヨーの人であると思えばいい、と私は解釈している。


「こういっては失礼だが、当時サゥはあまり名の知れた氏族ではなかったと聞いている。城塞都市の力があったとはいえ、二代でここまで盛り上げるとは感嘆に値しよう」

「なんのなんの。これもこの都市が栄えるに足るだけの機能を備えていたからよ。敵であったころは厄介であったと父は我らに語って聞かせたが、味方であれば心強いものだ」


 ニルニア領伯親子の血管が切れそうな会話を挟み歓談は続くも、話題は段々と剣呑な方向に進み出した。

 これはあとで聞いたのだけど、サゥだけでなくヨー連合国全体においては、会談は何事も宴から始まるらしい。まずはお互い一献交わし合い、親睦を深めてからが話し合うのだ。逆に宴を設けないと、自分たちのみすぼらしさを強調してしまう。話をするにも値しない一族だと思われないために盛大に相手をもてなすのが流儀なのだ。

 伝統に則ってオルレンドルの一行を迎えたサゥ氏族のキエムだが、口角をつり上げた首長は、あぐらの上に肘を突いていた。


「はてさてどうしたものかな」

「なにか悩みがあると見える。私でよければ聞くが、どうかなキエム殿」

「おう、聞いてもらえるかライナルト殿。実はな、ドゥクサスの命ゆえ、此度は貴殿らと酒を酌み交わしているが、サゥとしてはこのエスタベルデを手放す気はさらさらないのだよ」


 くはは、と大口を開けて笑ったけれど、緊張の糸が張り詰めたのは言うまでもなかった。

 

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