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225、急転のはずが

 私の言葉をライナルトは疑わなかった。正直もっと動揺するかと思ったが、私の意に反してすんなり受け入れたのだ。

 

「……確かに悪い報せだ。こんな手間をかけるだけの意味はあるだろう」

「まだ水面下での話らしく表には出回っていません。国中に広がる前に、なんとしても帝都に帰還いただき皆をまとめてもらいたいと……」

「馬鹿な!」


 しかし主は冷静でも、部下はそうもいかない。動揺を示したのはニーカさんやシャハナ老、そして護衛の人達だ。特に反応が顕著だったのは四十半ば頃の中年男性。まともに顔色を変えて激昂した。


「あり得ん、皇女殿下はカール皇帝を忌み嫌っていらした。あれほど陛下と違う道を模索していらしたというのに、いまさら手を結ぶなど……!」


 ……?

 ライナルトの配下のはずだが、近衛としては見たことない顔だ。出で立ちも連合国側のものでこの中では異彩を放っているが、身体の特徴は帝国人そのもので、振る舞いにもどこか品がある。なによりしっかりとこちらの共用語を喋っているからこちらの人なのだろうけど、口ぶりはヴィルヘルミナ皇女やカール皇帝を知っているかのようだった。


「陛下に似ず健やかにお育ちになられたと思っていたが、魔窟に住まえば染めらてしまうのか。殿下、かくなる上は急ぎ帝都にお戻りいただきたい」

「落ち着いてください、マイゼンブーク卿」

「サガノフ、貴様この事態がどれほど深刻なのかわからんのか!」

「重々理解しております。しかし殿下が城塞都市の奪還とヨー連合国との講和を命じられたのもまた事実」


 苦々しさを隠せないニーカさん。これに続いたのは、外からの声だった。


「奪還と和平はライナルト殿下に与えられた、なによりも重要な使命。たとえこのまま戻ったとして誹りは免れないでしょうな。皇女殿下と手を結ばれたのなら、殿下から皇太子の座を取り上げようといった意図が隠れているのは明白といえよう」

「明白だからこそ!」

「ゆえにいま引くとなれば、陛下にまっとうな口実を与えることになる。……落ち着かれよ。卿の怒りは尤もだが、貴殿の声は響きやすいのだ。みだりに兵の心を騒がせるな」


 ゆるっとした天然パーマと蓄えた髭がお似合いの、まさしく美中年といった言葉が似合う男性だ。帯刀しているものの装いは軍人ではなく貴族のそれで、長い外套には銀の刺繍と家紋が入っている。声も非常に落ち着いており、育ちの良さが窺えた。

 男性はライナルトに一礼し、私にも薄く微笑むと会釈した。


「ハーゲンか」

「深夜の立ち聞きはお許しを。殿下のお声もなく天幕に踏み入るなどお叱りは免れないでしょうが、シャハナ老が招集されたと小耳に挟み、いてもたってもいられなくなってしまった」

「良い、呼びに行かせる手間が省けた」


 この人も知らない顔だ。もう一人のおじさまも同様のはずだったけど……マイゼンブークの名は聞いた覚えがあった。確か近年急に家が傾いた帝国貴族の家系だったかな。何故覚えていたかといえば、付き合いのある商家がマイゼンブーク所有の土地の一部を買い取って、そこを我が家が買わないか勧められたからだ。たしか当主が代替わりしてから苦労しているらしく、大変だなあと思った覚えがある。滅多に聞く家名ではないし、この人はその家の関係者なのかな。

 苛立ちを隠せないマイゼンブーク卿だが、新たな乱入者の忠告には思い当たる節があったのか黙り込んだ。その際目が合ったのだけれど、どうしてか気まずげに視線を逸らされる。

 妙に意識された気がしたけれど、考え事はながく続かなかった。美中年に話しかけられたからだ。


「その容貌、噂に聞くコンラート夫人ですな。なぜここに、と疑問は尽きないが、質問は時間を無駄に消費する。野暮になるゆえやめておこう。私はここニルニア領を治める者と申し上げれば通じるだろうか」

「ニルニア領伯でございましたか」

「話が早くて結構。殿下、私は夫人を詳しく知らぬためにお尋ねするが、彼女は味方と考えてよろしいか」

「問題ない。以後はそのように接してくれ。マイゼンブークもだ」

「承りましょう」

「……承知」


 ニルニアは城塞都市エスタベルデの監督を任されている一帯の豪族だ。そのご当主らしいが、どうやらこの言い様はライナルトの陣営に与しているのがたったいま判明した。確かに交渉の席につくならニルニア領を無視するわけにはいかないが、それにしたってご当主から「味方」なんて言葉が出るとは思わなかった。驚愕はつきないが、唖然とばかりはしていられない。


「さて、マイゼンブーク卿には偉そうに言ってしまったが、聞こえてきた話が事実であれば由々しき問題ではある。殿下、疑うようで申し訳ないが、いまの話は誠でございましょうか」

「嘘である理由を探す方が難しいだろうな。疑うのであれば私やコンラートではなくシャハナ老に尋ねるがいい」

「シャハナ老」

「……コンラート夫人は帝都の偉大なる魔法使いより遣わされた使者であるのは間違いございません。その言葉が悪戯であると疑う必要はないでしょう」

「ふむ。私は地方住まいゆえ、皆さま方が口にされる魔法使いなど詳しく存じ上げぬが、殿下やシャハナ老は信頼されているご様子。ならば事実なのでしょう」


 ニルニア領伯は物腰の穏やかな人だった。口調や態度が一貫しているためか、自然とこちらも平静を努めねばと思わせる雰囲気がある。

 いつの間にか人が増えてしまったライナルトの天幕。状況把握のため話を聞き逃したくはないが、格好や年齢といい、私ひとりが酷く場違いな気がして気後れしてしまう。年齢でいえばシャハナ老のお弟子さんも同じ感覚に陥っているらしく、師の後ろでひたすら気配を殺していた。


「……帝都に戻られますかな?」

「貴公、マイゼンブークに語った口はどこにいった」

「しかし帝都が皇女殿下と陛下に呑まれようとしております。城塞都市の奪還は殿下が正当な方法で皇位を戴く手段ですが、目的ではありますまい。どちらを優先すべきかは殿下が誰よりも知っているでしょう。であれば、いま戻るのはやむを得ませぬ」

「私が引き返したと知れば皇太子の座は取り上げられるだろうがな」

「おや、殿下ともあろう御方が丸腰で戻られるのですか」


 ニルニア領伯が笑い、ライナルトが喉を鳴らしたところで悟った。

 前言撤回。

 ニルニア領伯は物腰は穏やかだけど、見た目とは裏腹に好戦的だ。いまの物言いは「挙兵も止むなし」と語っている。


「貴公から堂々と反逆の狼煙を上げよと進言があるとはな。ニルニアはサゥに尻尾を巻くだけの臆病者と噂されていたはずだが?」

「心外です。殿下にお味方すると決めた以上、ニルニアは一兵残らず殿下のために尽くすでしょう。それは帝都に残っていると聞くトゥーナ公も同じこと。殿下が兵を挙げ帝都への帰路につけば、彼女のことですからすぐにでも帝都内を掌握すべく兵を動かすはずだ」


 ……私はライナルトに情勢が危ういから帝都へ帰ろうと伝言を持ってきたはずなのだが、話が一気に飛躍して戦争の話になってしまっている。

 恐ろしいが、しかしニルニア領伯の言葉も一理ある。

 いま帝都では皇女の右腕であるヘルムート候が皇帝の麾下と協力し、有力者を掌握すべく水面下で暗躍しているのだ。モーリッツさんやトゥーナ公といった人々が彼らを阻止すべく働いているが、やはり旗印である皇太子が帝都にいるのといないとでは影響が違う。シスは人心を離さぬために帰還を望んだけれど、目標を前に引き返しても、任をこなせなかった皇太子が「無能」のレッテルを貼られるのは目に見えている。

 それでは皇帝やヴィルヘルミナ皇女の思いのままだ。ニルニア領伯の言うとおり、難癖つけられて座を追われるのがオチとなる。もはやそのような事態が認められるわけはなく、しかしこのままあぐらを掻いていても、モーリッツさん達だけではいつまで保つかわからない。


「用意が整いさえすれば、陛下はいつでも殿下から皇太子の座を取り上げる宣誓を行うでしょう。その時期は我々にはわからない。そしてやはりと言おうか、サゥ氏族は我々に城塞都市を返還する気がない。そうだな、マイゼンブーク卿」

「……事実だ。ヨー連合の思惑はともかく、エスタベルデはサゥ族にとって重要な財政元のひとつになってしまっている。首長キエムは欲の深い男だ、難癖をつけて交渉を長引かせ、我々に諦めさせるのが目的だ」

「やれやれだな。なにもこんな時期を選ぶことはないだろうに。いや、こんな時期だからこそ返却などと甘い罠を仕掛けたのかもしれませぬが」

 

 この話しぶりでは、交渉はうまくいっていない。つまりライナルトに与えられた課題は絶望的で、近日内に解決とはならない。空手で帝都に戻るしかないならば先はみえており、いっそ挙兵しろとこの人は言っている。ニーカさんもそれがわかっているから顔色が冴えないのだ。

 ライナルトは中指の爪で肘掛けを何度か叩いた。トン、トン、と一定のリズムを刻む間に、ニルニア領伯とマイゼンブーク卿が相談をはじめていた。私は彼らの邪魔をしないよう空気になるのが精一杯だったが、天幕内を見渡す限り、誰もがこの先を決めあぐねている。

 ……あ、いや、ライナルトを除いてかな。

 私の目にはライナルトは何も変わっていない。父と妹が結託したと聞いた時も、驚きすらしなかったので、私の方が驚いたくらいだった。

 だからもしかしたら……と、思っている。

 見ていたのがばれてしまったのだろうか。視線に気付いたライナルトと目が合ったのだけれど、口角をつり上げて微笑まれた。

 変化は一瞬だったから幻かと思ったくらいだ。彼は二人を黙らせ言った。


「いま帝都に戻るつもりはない」


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