206、進むためのさようなら
「貴方は自分がどれほど無茶を言っているのか理解しているのだろうか」
ライナルトは当然の如く難色を示した。
彼の悩みは当然で、法案に関われるだけの権限となれば相当な上位貴族、或いは帝都に影響を及ぼせるだけの人物でなければ難しい。もちろんそれだけでは足らず、皇帝の発言さえ揺るがせる立場になるのだから、いくらなんでも無茶が過ぎる要望だ。
が、そんなことはわかっている。
わかっている上ではじめっからこの言葉を通したのだから、この反応に肩を落とさなかった。むしろ「いいよ」と言われた方がビックリするし、ライナルトの良識を疑う。
「無茶とはおっしゃいますが、あれの破壊には私以上にライナルト様が気を揉まれているはず。箱の重要性はシスを含めたお二人が認識している、そうですよね」
「それでも一介の貴族に渡すには過ぎる権限だ。仮にこの場しのぎで約束したとしても、他の文官が納得すまい。貴方の貢献は我らにとって重要な役割を果たすだろうが、それでも過ぎたるものと言わざるを得ないだろう」
「約束はしてくださりませんか」
「残念だができるものとそうでないものがある。他のものでは不可能だろうか」
「……欲しいのはそんなものではありませんから」
「何故? 貴方が法の整備を望まれる」
「ひとつの新しい武器は、これまでの戦いの在り方をまるきり変えてしまう。そんな予感があるからです。ライナルト様もそれがわかっているから重用されるのでしょう?」
変わってしまうもの。例えばそれは人の命の在り方。
ライナルトが銃をどう扱うかはわからないが、国内で軽々と出回るのはともかく、簡単に扱えるようになっては、いま以上に人の命は軽くなる。
……私は以前、エルに知識の伝授について慎重派だなんて呼び名に訂正を求めていたけれど、実際保守派と称されたのもあながち間違っていない。私はあの世界の技術が無闇矢鱈とこの世界を変えてしまうのを良いとは思っていない。チョコレートくらいの嗜好品なら笑えるけれど、銃なんてもっての外の筆頭だ。大した労もなく引き金を引くだけで人を殺傷できる兵器がこれから大量に世に出回る。革新的な発明と喜ぶ人もいるだろうけど、どうあっても手放しで喜べない。
新しい兵器を人は使う。使わずにはいられないと『向こう』の歴史が証明している。
「無作為に誰もが使えるようであれば、いずれ何処かで必ず人々の生活に変化が生じます」
少しずつだけど、ぼんやり考えていた。銃の模倣品をみたときからずっと、あれがこの国のみならず大陸に及ぼす影響に苦々しさを隠せなかった。
技術の流出は止められない。だとしたら、どう転ぶかはまだわからないけれど、銃が当たり前となる社会前提で仕組みを作るしかない。
「たくさんの人が簡単に死んでいくでしょう。戦争への転用は避けられない、私はどうしてもそれが我慢ならない」
「……戦争についてはその通りだろう。だが貴方を駆り立てる理由はなんだ。クワイックへの義理立てか」
「否定はいたしませんが、それだけでもありません。……引き金を引くだけで容易く命を奪える。その事実を誰よりも思い知ったからです」
そのきっかけになったのが私の友人である事実が許せない。
彼女は、エルは確かに間違いを犯したけれど、私たちの知識は、例えば硝子灯みたいなもっと善いことに使われてもよかったはずなのにと、私はいまでも悔しがっている。
彼女を手に掛けた事実。一緒に間違いを正したかった無念も呪いのように胸に染みついているけれどとライナルトに微笑んだ。
「――帝国の外に出れば、私たちが考える以上の改造が施されるでしょう。未来において、銃が悪用されていくことは避けられない。ですがそれ以上に規律を重んじ、各人が確りと保管と使用を心がけるのなら人々の生活は保たれる。ライナルト様にはその見本となる政治を行っていただきたいのです」
……これは半分建前だってライナルトも気付いているだろうから、すぐに微笑は引っ込めた。もっと真面目に威厳を出すつもりが、零れたのは力の抜けた苦笑いだ。
「私情だとお笑いください。私の友は悪い魔法使いだった。欲に呑まれた人でもありましたが、けれどそれ以上に、人々にとって善い発明をした偉人だったと残したいのです」
「そのために権威を望まれる、と。参考までにお聞きするが、例えばどのような内容を?」
ライナルトが興味を持ってくれて、その姿によかった、と内心胸をなで下ろした。
「帝都グノーディアとファルクラム領内。これらの土地における銃の使用規制です」
法案自体は現実に沿って変えねばならないからざっくりとした内容だけど、他にもいくらか意見を述べた。大体は生まれ変わる前の知識を総動員したものだけど、ライナルトは一を伝えれば十を理解したように回答を先回りした。
所持者の登録管理は難しいと言われたけれど、外部からの持ち込みや使用規則については、わずかばかりでも興味を持ってくれた。ただこれは彼自身もいくらか考えていたようで、考えの補強になった程度なのだけれど。
「銃の流用についてはこちらもそれなりに考えているのだが、それでは納得してもらえないのだろうか」
「ライナルト様は信頼しておりますが、これは私の心の問題です。他の方任せにしたくありません」
笑ったのは彼に対してではない。よりによって皇太子に意見するようになった自分の面の皮の厚さがちょっとおかしくて、自然と口角がつり上がったのだ。
……帝都の仕組みを動かすには、私自ら帝都の深くまで足を踏み込むしかない。
本当はエルと一緒にするべきだったこと。
あるいは、彼女の責任だからと言うだけ言って押しつけるはずだったもの。
ライナルトの言葉は嘘ではない。けれど、彼が案じているのは治世に必要な全体であって個ではない。統治者として間違っていないけれど、彼はただただ先を望んでいる。急ぎすぎるだけではいつかどこかでほころびが出てくることが心配で、だからその足元を誰か見ていなくてはならない。
兄さんは言った。ライナルトが怖い、と。……それも間違ってはいないのだ。
これは保険。私と彼の方向性を一致させるための言葉遊びだ。
「理解に苦しむ。カレンは争いが好きではないと考えていた。だから貴方から出るとしたら銃の撤廃かと思っていたが、よりによって規制の案とは」
「破棄したい気持ちはいっぱいです。でも、嫌だから、なんて駄々を捏ねる時間はもうなさそうです」
――だからさようならだ。
十六の頃。ただの娘でいられた頃、ファルクラムで自由を求めていた私。
コンラートの時から予感はあったけれど、ここで別れを告げよう。
国を離れ責任と貴族の義務から逃げたかった。誰の生も、なにも背負わないで、心地良いままでいたかったあの頃とはここで本当に決別だ。
あの時自由を願い、求めるのは悪いことではなかった。けれどそれ以上に目を背けられないものがたくさん芽生えてしまった。
「それに、いずれ貴方が治める国において、秩序が乱れる様など見たくないのです」
……心に秘めた、淡くてじんわり温かくなるけれど、どこかずっと痛いばかりの恋心も目を背けられない熱も理由のひとつ。
「……それはクワイックの遺言だろうか」
「いいえ」
ここまで頼まれていない、そうしてくれと請われたわけでもない。だってもしエルにお願いされていたら、私はもっと迷わず移植を了解していた。
結果こそ悲しかったけれど、エルは頑張った。頑張ってあの結末だった。彼女の功績を少しでも善かったものとしたい、引き継げるのは私しかいないとは言わない。誰かが国をより良くする方法を思いつくかもしれない。ライナルトの傍にはモーリッツさんやニーカさん達がいて、彼らに任せてしまえばいいと囁く自分もいるけれど、ごめんなさい。あなた方はどうあってもライナルトを主と仰ぐ人達だから、彼が黒を白と言ってしまえば、従うだろう。
私がやりたいと、どうしてかはわからないけど強く願っている。
結局は自己満足だけど、エルのやったことを少しでも引き受けて、それがエルと私を繋ぐものになるなら、それでいい。見ようによっては押しつけられたのかもしれない役目だけれど、こうあるべきだと決めたのは私自身。
どうあっても譲りそうにない私に、ライナルトは唇を結んだ。
「……考えてみれば、貴方が無茶な要望を通してくることなどなかった。カレンだから、と思考が偏っていたが、本当に必要なのはそちらの方か」
「はい。……頑張って見栄をきってみましたが、やってみると恥ずかしいですね」
「はじめから銃の規制だけが目的と言ってくだされば検討したものを」
「それだって私の立場ではかなり行き過ぎた意見です。いまだって銃周りだけだと気付いてくださったからこそ、そのくらい、と思われたでしょう?」
「それとファルクラムと帝都のみと留めたからですね。その二つだけでよろしいか」
「……目が届くならと言いたいところですが、自分の手の狭さは知っているつもりです」
見抜かれるのはわかっていたけれど、いざ気づかれると照れくさい。
これはちょっとした教えの賜物。要望を通したいなら二百を声にして、百を得る。本当に欲しい物は百に込めろとウェイトリーさんとクロードさんは私に教えた。
ライナルト相手に使うのは気が引けたけれど、意外にも彼は笑ってくれた。
「些か過保護すぎる案ではあるが、銃周りに関する声を取り入れるだけなら、貴方の意見を通すのは難しくないだろう。ただ、諸侯の意見もあるだろうからすべての要望を叶えるのは難しい。――このあたりが手打ちではないだろうか」
「法を作るときは相談してくださいます?」
「……それが条件ですね。いいでしょう、クワイックのもたらした恩恵が行く末を左右する際は、貴方の意見を参考にすると約束する」
よかった。引き返す道は失われたけれど、その分だけ目の前の道が開けた。
手首から覗く宝飾具の宝石が光を反射して光る。
そういえばはじめになくなった腕飾り。あれは婚約の証と言っていたけれど、どういう意図で贈られていたのだろう。




