195、求婚+新規イラスト
予想外だったせいか、なんて言ったらいいのかわからなくて声が籠もった。リューベックさんとはヴィルヘルミナ皇女の執政館へ向かう途中でばったり出くわしてしまったのだ。
宮廷はリューベックさんの活動範囲だが、いまからヴィルヘルミナ皇女と約束があるし、なにより傍にはジェフがいる。そう時間を取ることもないだろうと踏んでいたら――。
「お……久しぶりですね」
「ええ、本当に久しぶりだ。お互い忙しかったせいか、なかなかお会いする機会がなかった。これ以上期間が空くようならお誘いせねばと思っていましたから、いまこうして顔を合わせることができてよかった」
私はあなたにはあまりお会いしたくなかった、と言えたらどれほど楽か。第一隊の副長である以前に、この人は軍人の名家なのだ。
「この先といえばヴィルヘルミナ皇女の執政館くらいしかめぼしいところがありませんが、もしや皇女殿下に謁見を?」
「ご明察です。このあと約束を取り付けておりました」
リューベックさんは笑顔を崩さない。私に好意を抱いてくれている点もだけれど、いまいちなにを考えているかわからなくて苦手意識が先に立つ。考えが読みにくいといった点ではライナルトも似たところがあるけど、私にしてみれば彼の方が可愛げがあるし親しみやすい。
「でしたらもうしばらく待たねばならないでしょうね。先ほど陛下が皇女殿下をお呼び出しになった。予定のない呼び立てですから、カレン殿が待たされる可能性が高いでしょう」
「そうでしたか。でしたらいつ頃空くか確認せねばなりませんね」
「皇女殿下にその余裕がお有りになるなら良いのですが」
気になる物言いだった。リューベックさんは執政館がある方向を意味深に見る。
「いくらか待たねばならないのは事実です。カレン殿はこちらは初めてですね、せっかくお会いしたのですから、私が案内しましょう」
「入り組んでる道ではございません。そこまでお手を煩わせるのは悪いです」
「煩わしいなどと、貴女の力になれる喜びに勝るものはありません」
これは断っても絶対に引かないパターンだ。向こうでなら兄さんに会えるだろうし、こうなったら強引に引き剥がしてもらうのがいいかもしれない。執政館までならと歩き出すが、そこでとうとう聞かずにはいられなかった。
「リューベックさんがこちら方面にいらっしゃったということは、ヴィルヘルミナ皇女にご用事があったのですか」
「まさしく陛下の使いで訪ねたばかりです」
「そうでしたか。お使いとおっしゃるには、いつもよりお洋服が豪華でしたから……」
「実は非番でして。宮廷に上がったのはリューベック当主としての用向きだったのですが、ちょうどいいからと使いを頼まれてしまったのです。今日は良い天気ですから、歩いて帰ろうとしていたらちょうどカレン殿に。……たまには歩きもいいものですね」
「それは……大変ですね」
「伝言を預かっただけですから難しくはありません。それに陛下に頼っていただける証拠ですから苦ではありませんよ」
外套から剣帯まで豪奢な作りの装いだった。騎士の風体に加え貴族である印象も受けるも、どこか怖いと感じるのは私だけなのだろうか。彼の所属する部隊はエルの件でコンラートを荒らした経緯があるし、後ろを歩くジェフもそれとなく警戒している。
「リューベックさん。ガルニエ店のことですけど、硬貨をお返ししたいのです。どうか返却を受け付けてはいただけませんか」
「それは貴女に差し上げたものだ。返されたとあっては私が笑いものになるでしょうから、どうか貴女が持っていてもらいたい。不要でしたら知り合いに譲っても結構ですよ」
意図が掴みかねてる中でそんな恐ろしいことができますか。ともあれリューベックさんは返却を拒む。到着まで粘っても、どうあっても首を縦に振ってくれなかった。
息苦しい時間を終えてようやく執政館に到着してみたら、やはりと言うべきか、ヴィルヘルミナ皇女と兄さんは出払っていた。部屋で待ってもらいたい旨を伝えられたが、問題はその時だ。
皇女の秘書官はリューベックさんに頬を引きつらせていた。恭しく礼の形をとっていたけれど、明らかに邪魔者が来たと目が訴えていたのである。
「そう構えないでもらいたい。私は偶然カレン殿とお会いして同行させてもらっただけで、戻ってきたことに意味はありませんよ」
「さ、左様でございましたか。もしや陛下の言伝に続きがあったのかと思い……」
「私はバルドゥル殿のように時間差で意地悪をする趣味はありませんよ。安心してください」
「意地悪など、そんな!」
リューベックさんは爽やかに笑うけれど、相手はまったく安心できないようで乾いた笑いをもらすしかない。そこで提案されたのは、まったく予定にない申し出だった。
「殿下方のお帰りについてはそこの護衛殿に任せれば良いでしょう。私は少々カレン殿をお借りしたいのだが、不都合はあるだろうか」
「い、いいえ。どこにいらっしゃるか教えていただければ使いを寄越しますので護衛の方も行っていただいて問題ありませんが……いえっ、たしかにこちらでお待ちいただいた方がよろしいですね!」
秘書官はリューベックさんの笑顔に意図を察した。ジェフを代わりに置きたいといっているが、要はただの分断だ。どうやら彼らもこの人に逆らうのは本意ではないらしく、私達は彼の鉄の笑顔に押し切られたといってもいい。請われるがまま頷いたのだ。
私の味方であるジェフは黙っていなかった。彼が残る意味はないと難色を示したし、私もその方向で押し切ろうとしたのだけれど、これは相手の方が上だ。
「カレン殿には大事な話があるので遠慮してもらいたいな。それに私では彼女の守りに不安があるだろうか」
「そうは申しておりません。ですがこれは自分の役目でもありますので、主人の傍を離れるわけにはいかぬのです」
「これはこれは、その口で役目とおっしゃるか」
私を押しのけたリューベックさんは、ジェフの肩に手を置くと、なにかを彼の耳元で囁いた。その内容までは聞き取れないが、彼が離れたときにジェフの体は強ばっていた。リューベックさんは親しい友人みたいに肩を叩き告げたのだ。
「その兜は皇帝陛下が愉快だとお笑いになったからこそ咎められずにいられるのです。そのことはお忘れにならない方がよろしいと存じますよ」
驚くべき事に、その言葉でジェフは引き下がった。その態度であえて尋ねなくとも、リューベックさんに従わなければ不味いのだとは伝わった。従って私もリューベックさんの「お話」に付き合わねばならない。
「さぁ、過保護な護衛殿はここでお待ちいただき、私共はしばしの団欒に行きましょう。大丈夫、私も予定があるのでさしてお時間は取らせません。付き合っていただいても、息を整え皇女殿下を待つだけの時間はあります」
そういって誘い出されたものの、この人相手に心は浮き足立ちはしなかった。むしろ胸の奥にずんと溜まった不安が一気に押し寄せ、いますぐ逃げ出したい感覚だ。
リューベックさんは散歩ルートを選んだ。目に楽しい景色を眺めながら気遣って話題を振ってくれるけれど、そうそう楽しいおしゃべりとはいかない。相手もわかっているのか、物わかりの悪い幼子を宥める口調で言った。
「もしやあの護衛殿に私がなにを言ったか気にされていますか」
「気にしない方が不思議でしょう。あの者は真面目ですから、易々と引き下がりはいたしません」
「忠誠もあるし腕が立つ者ですからね。年の割には血気盛んですが、よい犬をお持ちだとバルドゥル隊長も褒めていました」
「……ありがとうございます」
犬呼ばわりで礼をいうのは癪だけど、これでも最大限褒めているのだろう。私は笑えなかったけれどリューベックさんはなにが楽しいのか、こんな反応ですら愉快で堪らないといった様子だ。
「帝都は多種多様な人種が揃う国ですからあのような風体でもうまく溶け込めますが、兜さえ取ってしまえば毛並みが違う犬だと一目でわかります」
この一言で、ジェフがなにを言われたのか理解した。
「最近はコンラートに続こうと夢を見て、ファルクラムから流れてきた者もそれなりにいるのはご存知ですか? カレン殿もあの者は守りたいでしょう。まして自宅には障害を抱えた犬まで飼っているのですから」
「……私は人を犬よばわりするような御方とはまともに話せる気がしません」
「貴女がそうおっしゃるなら今後は改めましょう」
知っているのかと思ったけれど、調べれば簡単にわかりそうなことだ。このままなにか言われるのか、リューベックさんのジェフリーに対する興味は薄い。
「心配には及びません。カレン殿とあの者がどういった関係であろうと、私共には些事でしかない。陛下やバルドゥル隊長は手に入った玩具や、特に棄てられた駒に興味を持つほど暇ではないのです」
「信じるにはいささか無理がございます。現にこうして脅されておりますから」
「脅しているとは心外ですが、そう感じられたのなら致し方なくですよ。邪魔しないでもらえればなにもしませんから、どうかつれなくしないでください。私は貴女に笑ってもらいたいだけなのです」
本気で言っているのだろうか。このあともリューベックさんは他愛もない話を続けるだけで、なぜか本題を出そうとしない。てっきりエルの件でなにか話があるのだと構えていたのだけど、彼女の名前すらまったく触れようともしないのだ。
「リューベックさん。率直に申し上げまして、どうしてあなたほどの方が私に興味を抱かれているのかが不思議なのです」
「……不思議ですか?」
「あなた方にしてみれば、余所からやってきたあげく勲章を攫っていったコンラート……私には思うところがあるでしょう。本日はそのおつもりで声をかけられたのではないですか」
遠回しに探られる行為こそ苦手なものはない。腹を割って話せと伝えたかったのだが、リューベックさんは反論するわけでもなく、奇妙なまでに沈黙を貫いた。
「残念だ。これ以上ないほどにわかりやすく伝えていたつもりなのだが、想像以上に貴女は鈍い人らしい」
並んで歩いていたはずなのに、いつの間にか身体が壁に寄っている。広い廊下なのに人気が消え失せ、侍女も文官の姿もない。逃げようとして道を塞がれた。
「これから伝える気持ちは嘘偽りない真だと誓いましょう。貴女もそのつもりで耳にいれてもらいたい」
壁に手をついたリューベックさんによって行く手を阻まれた。笑顔は仮面のように張り付いて微塵も揺らぎないけれど、あるのは獲物を逃がさない肉食獣の類の威圧だった。
「私は心底貴女を可愛らしいと思い、そして可能ならばこの腕の中に収めたいと感じるほどには恋い焦がれています」
「……それは、どうも」
「世辞などとは言わないでください。あのとき、帝都グノーディアの門で貴女をお見かけしたときからこの気持ちは変わっていない。慈悲深くも陛下が貴女を懐に入れようとした折、是非コンラートのカレン殿をと望んだのは私自身の意志です」
どういうことだろう。私とリューベックさんの初対面は皇帝カールから使わされた時だったはずだ。
いや、それよりも。
「望んだ……?」
細まった目の奥に、私の知らない類の情熱があった。
「陛下に改めてお願いし、本日ようやく許しを得ました。コンラート家のカレン、貴女を幸せにできるのは私をおいて他にはいない。貴女のこれからの人生を、私の隣に立つことで捧げてもらいたい」
新表紙:作者Twitter(@airs0083sdm)
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イラストはしろ46(@siro46misc)
190話の膝乗りルカや猫吸いカレン等々ファンアート描いてくださってます。
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