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185、外伝 地獄の釜よりなお赫く/Ⅰ

 特別講習という名目の実地訓練に場違いな少年がいた。


「見たことない顔が混じってるんだけど、あれ、どこのお坊ちゃん?」

 

 ニーカは十五歳。軍学校では優秀な成績を保ち、大人顔負けの実力を持つことで有名だが、友人とつるむ時にはひとかけらのあどけなさが宿る。その日は軍学校の指定した練習場に見慣れない顔があった。


「うちはお貴族様が顔出せるようなお上品なところだったっけ」

「なんかの間違いだろ。つうかお前、ニーカだって一応貴族様だぜ」

「あっ、ごめんニーカ。そんなつもりはなくて……」

「え? ああそうだっけ、言われるまで忘れてた」


 友人達は初顔に聞こえるよう喋っていたが、同級生が感じていたように、少女自身も罪悪感はなかった。なにせ軍学校でも彼女のクラスは平民か、もしくはそれに類する貧乏家の集まりである。何もしなくても優遇される貴族の子弟は軽蔑の対象だったし、逆もまた同様だ。従って金髪碧眼の貴族とその従者など彼らにとって邪魔者以外のなにものでもなかったのだが、残念ながら彼らの配属は間違いではなかった。


「この演習の間だけお前達と寝食を共にするローデンヴァルトとアーベラインだ。同じ仲間として世話してやってくれ」


 教官の「世話」の言葉に黒髪の少年は目敏く反応したけれど、愚痴をこぼす真似はしなかった。

 少女達は突如仲間入りした美少年に浮かれているが、男子の受けは悪い。この手の配属はきっとワケありなのだ。ただでさえキツくて毎年降参を訴える者が出ると噂の実地訓練、見知らぬ坊ちゃんの世話をしなくてはならない現実に少年少女は口をへの字に曲げる。


「きっとどこかの厄介払いで、他の連中が匙を投げたから俺たちに回されたんだ」

「そもそもローデンヴァルトって聞かねえ名前だよな、帝国の貴族じゃねえだろ」

「隣の連中が言ってた。朝、教官があいつの頭叩いてるの見たらしいぜ」

「ってことは厄介払いで決まりだな。どこかであいつは降参させちまおうぜ、面倒見てやる余裕なんてねえよ」


 反対が出ない中、唯一ニーカだけが異論を上げた。


「連帯責任を問われるはずなのに、蹴落とす必要がどこにある。意地の悪い真似なんかやめておけ」

「でもよニーカ……」

「あんた達の品位が下がるよ」


 ワケありが入ってくるのも、それが貴族であろうとも構わない。実地について行けず脱落するのだって知ったことではない。ただ、もし仮に本人にやる気があるのなら陥れるのは卑怯だ。

 ニーカの苦言は大半の者の良心を咎めたから、彼らのアイデアは実行されず終わったけれど、道中は新参者に悪口を叩く者がいたのも確かだった。

 引率である教官がつまらなさそうな顔をしていたから、虐めもきっと織り込み済みだった。当時何も知らない少女は自分の体重ほどもある背嚢を背負い行軍していたから、事実を知ったのは後年だ。

 少年と少年の従者は黙々と足を動かしていた。流石にニーカ達程の体力はなかったけれど、よくついて来られた方だろう。黒髪は体力がなく、金髪の方が教官に隠れこっそり荷物を持ってやっていたのも目撃したけれど、少女はあえて黙認している。

 罵声の飛び交う訓練、固い地面のテント泊、まずい携帯食に風呂に入れないことだって文句一つ垂れなかった。欠点があるとすればどちらも愛想がないくらいだけど、訓練が厳しくなるにつれて皆余裕がなくなっていたから、笑顔がなくたって誰も気にしない。

 数日にわたる行軍、十日にわたる山ごもりを終える前日には笑顔が戻ったが、最終日で急に方針が転換した。


「近隣の地域民族が我が帝国に反旗を翻したとの報せを受けた。すでに味方が向かっているが、雑用を担う兵が足りていない。よって、我らは味方の支援に向かう。諸君は初めて戦地を目にすることになるが、訓練兵を表に立たせることはないから心配しなくていい。あくまで雑務だ」


 当然不満が漏れた。誰一人として脱落しなかった喜びの末がこれで、誰かはこれが教官達の仕組んだシナリオだと言いだしだ。


「参ったなぁ、帰る日を爺さまに伝えてたのに、これじゃケーキが食べられない」

「ニーカのおじいちゃんがお菓子作るの?」

「そ、退役してから趣味をとっかえひっかえ楽しんでるけど、最近はもっぱらお菓子作り」


 もしリタイアせずに帰ったら、特製の苺のケーキを作ってくれる約束だったのだ。ニーカの好みに合わせて酸っぱさが際立った特製ソースだ。一つ丸々占拠していいと言っていたから帰還が待ち遠しかった。


「味方の支援ってなにやるんだろうな。私たちはただの訓練生だぞ」

「さぁ……でも教官も言ってたけど訓練生にやれることって雑用くらいでしょ。正規兵っていいご飯食べれるんだろうし、おこぼれに与れるかなぁ」

「なんか嫌な予感がするんだけど、雑用くらいだよな……」

「やめてよ! うちの切り札がそんなこと言いだしたら不安でしょうがないわ」

「誰が切り札だ」

「ニーカに決まってるじゃない。うちで一番腕の立つ期待の新人」

「ただの訓練生だよ、大人にはかないっこない」

「謙遜も酷いと反感買うわよ。それよりこれから行くところ、ほんとに小さな部族みたい。行く頃には制圧も終えてるだろうし、死体は見なくて済むかも」

「着いた途端穴掘りが任務だったりして」

「やめてよ!?」

「冗談だ。森の中なんだし、蚊が少ないことを祈ろう」

 

 少年少女は荷物をまとめ新たな任地に移動となった。

 風呂が遠のいたのは全員うんざりしていたが、この時はまだ軽口を叩くくらいはできた。新参者の少年達も「忍耐のあるやつだ」と見直されていたから、不必要に手を出す者も減っている。それでも突然の仲間の登場は仲間内を沸かせ、どこの落胤だろうと噂が立っていたが、ニーカは興味を持てなかった。所詮は住む世界が違うし、自分と関わるはずがないと信じていたためである。

 全員から余裕が消え失せたのは任地到着直後からだ。


「どういうことだ」


 教官が青ざめていた。

 合流地点に到着してもいっこうに迎えが来なかった。地図を所持していたから味方の野営地に向かったが、これも後々振り返るに教官の判断は間違っていた。


「教官、我が軍の者が誰一人いないのは妙です。全体のためにもいますぐ引き返すことを提案します」

「黙れローデンヴァルト。方針を決めるのは私でありお前ではない」


 訓練生にしては勇気ある発言だが、ひよっこの意見は無視される運命にある。

 これが従来の戦地であれば教官も引き返したろうが、相手は現地の少数民族。たかが野蛮人と侮る心が認知能力を鈍らせたのかもしれない。

 森へ分け入り、野営地にたどり着いた彼らが見たのは蠅と蛆のたかる味方の亡骸だ。


「馬鹿な、そんな、嘘だ」


 誰もが状況を受け入れきれない。凄惨な死体が発する腐臭に吐き出す者、突然の恐怖に泣き出す者とそれぞれだ。教官達が皆を落ち着かせようとした矢先、落下してきたのは火の付いた大量の松明だ。

 煙の量が尋常ではない。気体中に漂う微粒子はあっというまに拡散し、真っ先に煙を吸った少女が胃の内容物を逆流させた。「煙を吸うな」と教官が叫ぶも、一同の視界を奪い場を混乱に陥れる。

 ニーカが幸運だったのは、松明から一番距離があった点だ。咄嗟のことに柄を握った少女は、突然の乱入者によって妨害される。

 口元を誰かに塞がれたのだ。反抗しようとすると、すぐさま耳元で囁かれる。


「吸うな、倒れるぞ」


 新参者だと気付いたのは、少年に手を引かれ走り出してからだ。傍らでは黒髪の少年が口と鼻を袖で覆っており、目を充血させながら走っていた。


「ま――」


 待て、と言おうとした。煙を蓑に茂みに飛び込んだのは彼らだけで、他の皆を置いていこうとしている。

 仲間を放っておけない。

 けれど、肩越しに振り返ったニーカの目に飛び込んだのは、幾本もの矢羽根に身体を射貫かれた友人の姿だ。地面が轟いた瞬間に抵抗の二文字は頭から消失していた。

 煙から免れた黒髪の少年は息も絶え絶えに声を上げる。


「ライナルト様……どこまで……!」

「どこでもいい、とにかく離れないと死ぬぞ!」


 死、の一声にニーカもやっと状況を悟った。地響きだと勘違いしたのは人々の雄叫びであり、彼らは現地部族の奇襲を受けたのである。


「まだ人が……」

「諦めろ、間に合わない。荷物を捨てろ!」


 全員背負っていた背嚢を投げ捨て、道なき道を走るのだ。直感で命の危機を察し、木の根に足を取られず突っ走れたのは、先日までの訓練のおかげだ。細い木の枝が誰かの頬を裂いたが、立ち止まる愚かな真似はしない。体力の続く限り森を走り抜け、体力が尽きる頃には、辺りはしんと静まりかえっていた。


「み、み、ず……」


 喉がカラカラだった。心臓ははち切れそうなほど脈打って、もはや声すらまともに発せない。生きる渇望ゆえか水を求め歩き出したニーカを止めたのは、またしても金髪の少年だ。


「まて……かわ、きけ……ん、だから……」


 黒髪の少年はもはや立つ気力もない。仰向けに転がるも呼吸が精一杯で、回復には時間がかかりそうだ。

 彼女は一刻も早く水を飲みたかったが、少年の言葉に従ったのは訓練を思い出したからだ。森の中において唯一水分を確保できる水場は見張られている可能性がある。場所によっては開けているから逃げ場がなくなるし、そのため慎重を期す必要があった。

 ――そうだ、彼らは襲われた。

 ニーカは襟元のボタンを緩め、呼吸が落ち着くのを待った。背嚢は捨てたが腰元の得物は離していない。


「三人で警戒しながら移動する。水を確保して、それから安全な場所に移ってこれからのことを話し合おう」


 泣き言や考え事は後回しだ。いまはオルレンドルで待つ祖父の言葉を胸に、震えそうな足に渇を入れて立ち上がる。


「訓練経験は私の方が長いよな。だから私が先頭を行くけど、あんたら異論はある?」

「ない。……モーリッツは真ん中にしてやってくれ、殿は私が」

「構わないけど、あんた剣は?」

「使えるけど、多分君には及ばない」


 少年達が泣きわめかないのも、格下であるはずのニーカの指示に従ってくれるのも、ニーカの仲間意識を強めた要因だった。


「ロ……舌噛みそうな名前だったね。なんて呼べばいい?」

「ライナルトでいい。こっちはモーリッツ。君はサガノフでいい?」

「ニーカでいいよ。……よろしく」


 命の危機を前に、即席チームが完成した。

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