18、交渉と泣き言
朗々と喋るモーリッツさんの声は起伏が少なく、淡々としているから聞き取りづらい。
「今回の件においては我々の管理不足にて多大なご迷惑をおかけした。主犯は既に処刑済みではありますが、そちらの溜飲が下がらぬのもまた事実。如何なる謝罪も行う用意があるが、その上で貴女にお願いしたい。今回の件、詰所にいた者達の素性を含め外部には漏らさないでいただきたい」
まだ動きが鈍い頭だ。一気にまくし立てられたのもあって返答にはしばらくの沈黙が必要だった。ライナルトにも言ったけれど、私はこの手の会話が苦手なのだ。モーリッツさんのように言葉に裏を持たせる、或いは裏を読み解くのを前提で話をされるのは頭痛の誘発にしかならない。
「それは、外部に帝国の存在を漏らすなということでよろしい?」
「然様にございます」
「姉には、私があなた方を訴えないと言っていたと聞きましたが、それはどういうことでしょう。いま私がこうしたお願いをされているというのは、順序が逆のように思えますけれど」
「兄上とサブロヴァ夫人は酷くお怒りでしたので、致し方なく」
嘘の供述をしたということか。道理で記憶がないわけである。
「キルステンはともかく、コンラートはどうするおつもりですか。被害者は私だけではなく、コンラート伯のご子息までいらっしゃいます。まさか私に交渉しろとは言いませんよね」
「そこまでご苦労かけるつもりはございません。こちらで話をさせていただきます。……が、私としては貴女が耳にされた内容の方が問題だ」
「ああ、閣下と……」
「それについては特に口外しないでいただきたい。例え相手が貴女の国の王であろうともです」
「……そちらについてはライナルト様に話した通りです。あなた方が私や私の身内に害を及ぼさない限りは口外しないと約束しても良いでしょう。」
ライナルトはあれで了解してくれたが、モーリッツさんとしては信用しきれないのだろう。部下としては当然だろうが、難儀な話だ。
「けど、納得されてないご様子ですね。いっそ公文書でも用意しますか」
「許されるならば是非とお願いしたいところですが、それは我が君の意を害するゆえできません。いま私がこの場にいるのは、個人的な意志ですので」
「……なるほど、では、いまライナルト様は?」
「公務中にて屋敷にはおりません」
無断で来たか。だからといってモーリッツさんの意志を無下にはしない。なぜならエレナさんがいて、彼女は会話を止める様子がないからだ。
「正直に申し上げるのなら、ライナルト様の命がなくば貴女を生かしておくのも私は反対です」
「そういう脅しは結構です。逆効果ですからやらないでください」
いくらなんでも失礼だと反射的に言い返してしまった。……大人に喧嘩を売る気はないのだけどなあ。
モーリッツさんから視線を逸らさずに、どうしたものかと内心ため息を吐く。多分だけど、泣いて「絶対に口外しません」くらいしないとこの場から逃れられなさそうだからだ。こちらから公文書にサインしてもいいよと言っても断られたのなら、そのくらいしないと安心してもらえない。いまさら事の重大さに慌てふためき、青ざめてみせるのも体力を使うだろう。
悩ましげにため息を吐く動作は、姉さんを真似してのものだ。さほど話したことはないけれど、モーリッツさんのような人相手なら効果はある。
「……いっそ交換条件でも申しましょうか」
目元が細められる。……いまこの人の頭の中では様々な計算が働いているのだろう。断ってこない、というのはそういうことだ。
こんなこと言い出した理由だけれど、モーリッツさんのようにはなっから相手を信頼せずに来た相手は、まず無条件の約束を信じない。情に訴えても逆効果だ。打算と利益を掛けて交渉した方が、こちらに利益があるうちは「裏切らないだろう」と考えてくれるのではないかと思ったのだけど、間違ってはいないようだ。
ただ、問題は一つ。
…………その交渉に見合うような欲しい物がない。
今更ちょっと待ってとストップをかけるのも格好がつかない。内心もの凄く焦りながら、それっぽく考え込むような振りをしてみたが、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、今回の件は襲われただけというだけで、まだ概要を伺ってませんでしたね。せっかくだし、いまお聞きしてもよろしい?」
「そういった内容でしたら、すでに皆様にご説明しておりますが……」
「そちらはあとで確認します。でも、私が知りたいのはあなた方の事情なので」
モーリッツさんの双眸が細まった。値踏みされているような気がするが、気後れする理由はない。
「私共の事を知りたがっているようですが、そのように仰るからには理由がおありか」
「特にありません。ただの好奇心に、なにもかももっともらしい理由をつけねばなりませんか?」
あっ怖い怖い。半分くらい本気だったのだけどふざけるのはやめよう。
「あの詰所の方々、この国の事情には疎かったようですし、私たちの事も知らなかったようでした。あなた方が統括されるにしては随分お粗末だったのが気に掛かっておりまして。……もちろん怖かったのもあります、ですから、被害者としては知る権利はあるのかしらと」
一番知りたい内容だし、あれこれ邪推するくらいなら直接聞いた方が手っ取り早いではないか。
このとき、私とモーリッツさんが共有したのは沈黙だ。それ以外はなにもかも合わないが、どうやら話してくれる気になったらしい。
「貴女は我々の会話を聞いてしまわれたが、驚きはされませんでしたな。我々とてすべて隠し立てはしていない。閣下の素性について、いくらかは調べをつけられていたと考えるがよろしいか」
「はい。でもどこまで知っていたか、なんてまでは話しませんよ」
「不要です。この国で調べられる内容などたかが知れている。……問題は貴女が彼の裏切り者の言葉を聞いてしまったという一点だ」
よほど情報統制に自信があるのか、モーリッツさんは強気である。けれど彼の想像通り、ライナルトのお父さんが偉い人、というくらいしか掴んでいないのだけど……。この肌に刺さるようなピリッと張り詰めた空気、健康だったらいますぐ回れ右をして帰りたい気分だけど、ここで私も取り返しのつかない事態を悟った。
彼の裏切り者がラングを指しているのはすぐに理解した。ただ、彼の放った言葉というのがわからなかったのだ。……うん、これは私が耳にしていない発言があるね。モーリッツさん達が重要視しているのはそちらの方だ。
しくじった。あの日の馬車での帰り道、ライナルトに向かって大体は、なんて適当に言うんじゃなかった。
「ご存知の通り、我々は帝国の兵であり、閣下の私兵でもある。ファルクラムと我が国は同盟を結んでいるわけではありませんが、皇帝陛下の強い要望もありこの国の者として身を置いている」
……ライナルトのお父さんがお偉いさんなのはわかってたけど、派兵は皇帝陛下も絡んでるの?
「誤解なきように。すべては閣下の御身を守るためだけの派兵。御国を攻める意図はありません。これは当然そちらの国王も了承済みです」
そしてモーリッツさんは語る。皇帝陛下の温情により派兵された兵士だが、すべてが完璧ではないこと。中には他国民を良く思わない者、命令に従わない者も多数いる。そういった厄介者を一所に集めていたのだ。
「彼らは最近こちらに来た新参者です。折を見て国に帰還させるつもりでしたが、今回の者達は特に性根が曲がっていたようですな」
同国の仲間のはずなのだが、しれっと言ってのけるものである。モーリッツさんはライナルトではなく、自身の監督が行き届かなかったのを詫びた。その上で、他に被害者がいるようなら彼らに対しいくらかの補償を行うとも断言したのである。
「現在は残った者達を取り調べている最中です。じきに仔細も明らかになるでしょう」
「……それが、御国の事情?」
「はい、嘘偽りは申しておりません」
他に喋ることはないと沈黙するのみ。
話は終わったと言わんばかりの態度、あとはヘンリック夫人達から話を聞いて、内容をすり合わせるくらいか。もう一点、兄さん達にはなんと説明したかと問えば、帝国出身である点のみを伏せたとも教えられた。
兄さんの方はアヒムがいるから勝手に調べをつけてくれるだろうか。
顔色を変えず佇む軍人に訊いた。
「本当にあなた方はライナルト様の守護を、そのためだけに派兵された兵なのですよね」
「勿論です」
「彼らの所業は手慣れていた。仰った通り被害者も多くいたでしょう。……知っていて、放置していたなどと言うことはありませんね?」
「誓ってないと約束しましょう。責任は必ず取らせます」
この人は本当に動揺すら見せない。嘘かどうかの見分けはつかなかった。
本当は、彼ら程の人物なら、彼らの動向を掴めなかったなんて話はないと思うが……ここらが潮時か。国の取り決めに文句を言うには、小娘一人じゃ荷が重すぎる。
「……わかりました。その言葉を、というより……あの場に駆けつけてくださった方々を信じます」
具体的にはニーカさんやエレナさんを。
モーリッツさんはエレナさんを一瞥したが、特になにも言うことはない。
まったく気が滅入りそうだ。気持ちを一新して話題を変える。
「それで、交渉物ですね。ええ、私、ちょうど欲しい物があったのを思い出しました」
「……どのような物でしょうか」
……その佇まいでわかる。この人、きっと相当ふっかけられる覚悟してるのだろう。
でも私が欲しいのは品じゃないのだ。人によっては何の価値もない代物である。
「帝国公庫取引権をください。ライナルト様にも告げたように、それをもって命を害された場合以外は決して口外しないという約束をあなたと行いましょう」
このとき、例え一瞬とはいえど、私ははじめてモーリッツという軍人から言葉を奪うのに成功したと思う。
気持ちはわかる。私はお金や色とりどりの宝石、あらゆる反物といった金品の類を望まなかった。帝国市民と一部商人しか利用できない『銀行利用権』をくれといったのだ。
「それを求められるからには、我が国にて商業を営まれるおつもりか」
「そんな予定はありません。ですからコンラートやキルステンの名ではなく、私個人に権利をくださいとお願いしています。理由は……交換条件なんですから、言う必要はありませんよね?」
喉から手が出るほど欲しかったものが手に入るかもしれない喜びが、自然と頬を緩めさせた。
私が大分前から国を出るつもりだったというのは以前述べたとおりだ。その折から新しい引っ越し先候補として帝国についてはいくらか調べていたのだが、羨ましいなあと思っていたのがこの帝国公庫取引権。名前は違うが、ぶっちゃけてしまうと異世界版銀行システムである。
この世界、当然ながら銀行という便利な金融兼サービス業は存在しない。このファルクラムにおいても同様で、自分の資産は自分で管理。お金や資産は専用の金庫等を用意し厳重に保管している。盗まれたらおしまい! という諸行無常も少なくない。
ところがこの形を覆したのが帝国。
積み立てなんて便利なプランはないが、申請さえ通れば自身の資産を国が管理し、預け入れや引き出しが可能である。情報管理方法が不明だが、自国の魔法使いと高度な連携が取れているらしく、独自の方法によって厳正な管理ができているらしい。
内容の難しさから帝国内だけの普及なのだが、実はこの権利を持っていれば他国でもお金を引き出せる場所があって、それがこの国に点在してるいる帝国領事館である。いわゆる大使館ね。ファルクラムは帝国と仲良く?なって長いから領事館があるのだ。
これ、帝国と契約を結んだ商人は証書を持って申請すれば、領事館でお金の預け入れと引き出しが可能だ。
ただし、勿論ながら誰も彼も使えるわけじゃない。権利を持てるのが帝国市民であること、または一定の条件を満たした商人であることが条件だ。
で、私はその権利が欲しい。
一人で暮らすにあたって、女の一人住まいはなにかと大変だ。それはキルステンを追い出されてから痛いくらいに実感した。
いざというときに備え、部屋のどこに財産を隠そうなんて四苦八苦するのは御免なのだ。どうせ資産を預かってくれる便利なシステムがあるのなら、そちらに任せた方がよほど楽である。未来の話だが帝国も移住先として視野に入れているのなら、持っているに越したことはない。
「ふむ……。商業ではなく個人として我が国特有の権利を望まれると」
「はい、できませんか?」
「…………用意自体は可能でしょう。では、そちらにいくらほど望まれますか」
「……いくら?」
「金貨です。ファルクラム貨幣換算で二千までなら融通致しましょう」
きんかにせん。
土地家具付き一軒家が余裕で買えてしばらく遊んで暮らせるレベル。
この人達がどれほど自分たちのことを知られたくないのかを窺い知れる額だが、いくらなんでも高すぎる。金貨三十枚だったら即刻頷いたのに。
これでも相当ふっかけたのだ。断言するけど、この利用権だけでも人によっては机に金銀積んででも欲しがる代物なのだから。
「……え、ええと、さ……いえ百枚もあれば……」
「この期に及んで交渉はお止めいただきたい」
違うし! 交渉じゃないし!! ……頑張って高めに言ったし!!
あなたたちとは金銭感覚が違うのだ、簡単になんでもかんでも買い揃えられる人種と一緒にしないでほしいと叫びたい心を抑えて言った。
「私が決めることはできません」
「……それは」
「額はあなた方がお決めになってください。その情報の重要さ、他国民の私如きでは推し量るなど不可能です」
これにモーリッツさんは無言になるも、しばらくすると一礼して踵を返す。
「ココシュカ副長、君も来たまえ」
「はっ」
エレナさんもモーリッツさんに続くようで、こっそり振り返ると笑顔で片手を振ってくれた。こちらも笑顔で彼女を見送ると、扉が閉まったのを確認し、全身の力を抜いたのである。
――――づがれだ。
もっともらしく言って相手になすりつける作戦、成功だろうか。
もうやだ。面倒なことはあとだあと、私は寝るんだ、寝てやるぞ!実際いまもまだ疲れてるし、少し熱だってあるんだから!
…………熱の時って、一人でいるのが何故か悲しくなるのだけど。
ふて寝のつもりで瞼を下ろせばすぐ夢の中だ。途中、誰かの話し声が聞こえていたけど、それも無視して眠り続けるつもりで……。
呂律が回ってないが、兄さん待って、と呼び止めたつもりだった。
アルノー兄さんの声が聞こえた気がした。半分寝ぼけながら手を伸ばしたら、服を掴むことができた。……が、それまでだ。視界すらままならず、睡魔にも勝てずにずるずると横になって倒れ込む身体を兄さんが支えてくれる。
ずっととは言わない。だから、あと少しだけ、せめてこの弱気の虫がいなくなるまで傍にいてくれないだろうか。
忙しいのは知っている。毎日毎日ストレスで眠れない夜を送っているのも容易に想像がつく。二年前のように泣かせたくはない。迷惑はかけたくないのだけど、エルもいなくなってしまったいま、他に話せそうな人がいないのだ。なにしろ私に「相談しろ」と言ってくれたのは兄さんなのだ、そんなことを言われたら甘えたくなってしまう。
カレン、と名前を呼ばれた。聞き間違えてはいなかった、ちゃんと兄さんの声だった。
――怖かったのだ。
二人を連れ戻さないといけなかった。彼らに何かあっては、私に良くしてくれた人に顔向けができないと踏ん張った。結局ほとんど役に立たなかったけれど……それでも、私なりに必死だったから虚勢を張ったが、本当は泣きたかった。
だってそうだろう? 護衛の身体に刺さる刃、純然たる悪意で凶器を振るう人たち。私を襲おうとする男が拳を振りかぶる姿はいまでも目に焼き付いている。頭が揺らぐ衝撃に、痛みを嗤う嘲笑の声達はとても恐ろしかった。
あんなもの、いくら私だって慣れているわけない。
掴んだ服をぎゅっと握りしめる。意識は再びまどろみの中に落ちていったけれど、兄さんならきっと意図を理解してくれたはずだ。
「…………」
目覚めたのは朝だった。
何故か目元が腫れぼったいが、気分は大分良くなっていた。横向きで眠っていると、鼻腔をくすぐる良い匂いのそれが安心できるようで抱きしめるのだが、固く冷たい感触がおでこにあたって目を覚ます。
額にぶつかったのは階級章、或いは勲章と呼ばれるものだろうか。
覚えのない服を抱きしめていた。寝台に持ち込まれた覚えはないし、持ち上げてみれば黒い上着があったが全体的に皺だらけ、ぐちゃぐちゃになって腕の中にある。
「……う、ん?」
……あれ、これ、誰の上着?
なんかすごく見覚えのある服のような、気が、するのだが。
例えば、ここ数日でよく遭遇してた金髪の人。
「夢かな」
私は寝る、二度寝をする。
どうしてだとか余計な思考は切り捨てる。考えると顔から火が出て死にそうだ、というか既に全身が熱い。きっと風邪のせいだろうが、そんなことはどうでもいい。
とにかく寝よう。寝て、その間に誰かに回収を任せてそしらぬ顔を――。
「奥様~……起きてらっしゃいますかー……?」
ニコ、あなたは逆の意味で空気を読む天才なのかもしれない。
キルステンの使用人から見た4兄妹
長男:苦労性。家のことにもよく気がついてくれる将来有望な跡継ぎ。女運がない。
長女:優しい人だが典型的なお嬢様育ちなので自分本位な所がある。他人の感情の揺れについては鈍い
次女:使用人にも親しくしてくれるがなにを考えてるのかよくわからない子。婚姻の件で一層理解不能になった
次男:素直だけどやや長女に似ている部分があるので将来が心配




