164、愛しのお米
ジト目で疑惑の眼差しを隠そうともしないエレナさん。傍らでは黒鳥を狙っているシャロが狩りの臨戦態勢に入っている。
「こんなの隠し通そうとするわけないですって」
「……それもそうですね。だけどなんにせよ、これは明らかに関連あります。どうみても普通の鳥じゃないです」
影絵からそのまま抜け出てきたような小鳥だ。羽をたためば胴体と見分けがつかず、丸みを帯びたフォルムが愛嬌を誘い、まるっとした目が控えめに述べて大変可愛らしい。
体型通り動きも鈍重で、自然界に置かれたら最後、餌食になるのは間違いない。食した方が腹を壊すかもしれないのは置いておくけれど。
「明らかに懐いてますね」
「なんででしょう。……そんな顔しても本当に覚えなんてないですってば!」
どうにも私に近寄ろうとしてくる。上に登りたそうで、試しにエレナさんが私の肩に乗せると、謎鳥もどきのくせに満足したように目元を細めるけれど、バランスを崩してぼたっと落下する。動物の形を取っているくせに落下中、守りの姿勢を取ろうともしなかったので、なんというか、その……。
「鈍いですね、カレンちゃんみたい」
「私はここまでじゃないですし、さらっと酷いこと言うのやめません?」
「なんにせよ、これはカレンちゃんが持ってるのが一番ですね。シャロちゃんが狙ってますから、ちゃんとお守りしてくださいね。そのうちクロちゃんにも狙われますよ」
さらっと決められてしまった。しばらくするとヴェンデルが飲み物を運んできてくれたので、苦いお茶を飲みながら雑談だ。途中目を覚ましたと聞いたジェフと、彼に連れられたチェルシーが入ってきて、更に賑やかである。特にチェルシーは無邪気そのもので、怯えの色は一切ないのにはほっとさせられたのだった。
体に力はないが、笑ううちにお腹も空いてきだした。ヴェンデルは部屋食にするか聞いてきたが、皆の様子も気になるし食堂へ移動すると、満面の笑みの料理人さんが鍋を置いて待機していた。
「おはようございますカレン様。さあさあ、お腹も空いているでしょう。どうぞ席について、みなさまもよろしければバーレ家ご当主より賜った食材をご堪能ください!」
そして、そしてだ。
ここで一時だけ、なにもかも忘れて目の前の皿に没頭した。傍らでエミールにつつかれている黒鳥も、クロを押さえつけるヴェンデルも、他にも私の無事を喜んでくれるウェイトリーさんといった皆の安堵の表情も二の次になった。
スープ皿に盛られているから違和感が残るけれど、料理人さんが鍋から掬いよそってくれたのは煮込まれた米である。しっかりと精米されているのか、それはそれは美しく輝き、スプーンで掬えばとろりと柔らかい。
そう、お粥。パンを牛乳で柔らかく煮込んだパン粥ではなく、正真正銘お米を使った白米の粥である。糠層が残った玄米状態でも万々歳だと思っていたから、お米の白さには心底驚かされた。
嗚呼、なんてことだ。味の濃い料理を食べると何度「白米が食べたい」の衝動に突き動かされ、焦がれ続けただろう。
いけない、涙が流れそう。
「いやあ、また米を扱えるだなんて思ってもみませんでした! あ、ちょっと塩を利かせてますが、ほんの少しにしています。小皿で添えてあるのは壺漬けにした野菜です、そちらを使って味を変えてくださいね」
「…………うっ」
「あ、あの、お口に合わない時はいつものを用意していますので……」
ありがとうマルティナ。あなたはきっと、念のためパン粥も用意していたのだろうけど、これは悲しみではなく喜びの涙なのです。ありがとうお米、ありがとうイェルハルド老。ありがとう異国の精米技術。ありがとう、うちの料理人さん。
新食材に興味が湧いたらしいヴェンデルやエミール、それにちゃっかりとエレナさんも相伴に預かるようで、各々一口粥を口にしたが、反応はいまいち。
「……向こうではこれが主食なんだっけ」
「米って言いますね。今日は食べやすくするために水たっぷりで煮てますが、本来はもっと食感や甘みのある穀物ですよ」
「だとしても一粒一粒細かくて……食べにくくないのかな? ところでリオはどうしてそんなに料理法に詳しいの。これを知ってたみたいだし、それにいままでも色々と――」
「いやだなあ坊ちゃま。旅していれば経験もふえるものですし、こんな風に腕を活かせるのも皆さまが好きにやらせてくださるおかげです。そうそう、最近は宮廷風の盛り付けもわかってきましたよ!」
学者然とした目つきで食べ進めていくのはヴェンデルくらいだろうか。エミールは粥の味付けが物足りない様子で、エレナさんは「はぁ」と呟きつつ不思議な表情で口をもぞもぞ動かしている。
肝心の私だが、一口目を口にした途端に広がる味に不覚ながらも瞑目した。
「やっと……」
まさに求めていた味だった。パンとは違う、お米特有の優しい旨みと甘み。ほんのりきいた塩味がお米のおいしさを引き立てて、呑み込めばじんわりと体の芯から温めてくれる。感動という言葉が体に感覚をもたらすとすれば、いまこの瞬間がそれだった。
「水も何度か濾過や加工を行って口当たりをよくしたものを使ってます。米に合うようにするのは大変ですが、その分だけ優しい味になっていると思いますよ」
「ええ、ええ。……おいしいわ、本当に、おいしい」
お米の余韻は長く続いた。皆はどうして私が感激しているのかわからなかったようだが、そんなこと気にならないくらいに、我が家の料理人リオさんの料理は私の心を解かしてくれる。
「リオさん、なんとかしてこのお米を常備食として仕入れてはもらえませんか。伝手は私が用意いたします」
「構いませんが、米だけでしょうか? 珍味や調味料も仕入れた方がよろしいと思いますよ」
「お米に合うあらゆる珍味類を入れてください。高くなるようならウェイトリーさんに相談して、私の私費をあててくださいな。特に豆で作った、塩辛い茶黒い液体の調味料があれば優先して仕入れてください」
「……カレンの変なこだわりがはじまった」
「あと同じく豆で作った茶色い発酵食品もです」
「おっしゃる食品に心当たりはありますが、相当値が張るような……」
「お金に糸目はつけません」
我ながらこんな台詞を言う日が来るとは思わなかった。
寝起きの胃にはあまり入らなかったけれど、美味しい食事で気力は充分みなぎった。皆も顔を出してくれた後、残ったのはウェイトリーさん、ジェフ。それにエレナさん夫妻にヴェンデルだった。
ヴェンデルが出ていかなかったのは、おそらく偶然ではなかった。相変わらず聡い子で、そういう部分は本当に亡き伯そっくりだ。
「その黒い鳥はなに、とは聞いても教えてくれないよね」
「これは……正直私もわからないというか、うん……」
「髪も? エミールは口にしなかったけど、ずっと気にしてる」
「ごめん、これも本当になにもわかってないの。外のお友達にも口外しないでもらえると助かる。そうでないと、家が荒らされたときみたいな大変なことになっちゃうかもしれないから」
「……やっぱりそっち関連だよね。うん、そこはなんとなくわかってたけど、みんな僕たちにたくさんの隠し事をしてる」
「だよね。うん、秘密が多いのはわかってる」
「その上でカレンは言いたいことがあるんだよね」
責めるような物言いだが、そのつもりがないことは一目でわかる。
ヴェンデルはいまでも子供っぽいところはたくさんあるけれど、こういう時はずば抜けた目を持っている。少年が成長せざるを得なかった背景と、ウェイトリーさんの教育の賜物もあるけれど、やはり将来は良い当主になるのではないだろうか。
さて、ヴェンデル自ら機会を与えてくれたし、ここはきちんとするべき場面だ。背筋を伸ばして頭を下げた。
「私はおそらく、いえ確実に皇帝に目を付けられました。今後、私の独断でコンラートを危険に晒すことになります。許してとは言わないけれど、どうかいまは目をつむっていてください」
今更とはいえど、本来ならなるべく家名を傷つけずヴェンデルにコンラートを渡すつもりだったが、ライナルトの『悪巧み』に加わるとはっきりと表明した。そのことについて謝った。
「……それってエルに関係する?」
「あなたたちにも危険が及ぶ可能性があるから詳細は話せないの。ただ、私なりの個人的な事情がある。……目を付けられたのはほとんど私だけだから、一人で家を出ると言えたらよかったけど……。私には皆が必要だから、やっぱりそこまでは言えない」
コンラートはヴェンデルのものだ。その前提を間違えるつもりはないから、この少年には告げておく必要があった。
ヴェンデルは腕を組んで天井を仰いだ。困ったように唇を尖らせつつ、愛猫の耳を優しくつまんでいる。
「僕にはまだ早い、って話なんだろうね。ウェイトリーはうちの状況を話してくれても肝心な部分をぼかすし、あの日からジェフの雰囲気は怖いままだ」
「ヴェンデル様、誓って貴方様を蔑ろにしているわけでは……」
「わかってるよウェイトリー、みんな僕たちを守りたいだけだ」
「失礼いたしました。つい差し出口を」
「いいんだ。それより、改めて言われなくてもよかったんだけどね」
ヴェンデルはこの決定に異はないようだった。聞き分けが良すぎるのではないか、そのくらいあっさりしていたのだが、どうやらヴェンデルなりの理由もあった。
「そりゃ知りたくないといったら嘘になるけど……。カレンがうちを乗っ取るとか、家を潰そうとしてるなら黙ってる気はないよ。けど違うことを知ってるし、託すって決めたのは僕だ。それに兄ちゃんは子供の間は遊べるうちに全力で遊んで、そして勉強しろっていってた。だから学生の間はなるべくそっちに集中して、口出しを控えるって決めたんだ」
「失礼ですがヴェンデル様、それはいつの話で?」
「当然兄ちゃんが死ぬ前だよ」
そう言って、ヴェンデルは昔の記憶を辿るように懐かしんだ。
「兄ちゃんとニコの婚約が決まったあとだったよ。あの時は当主になるのは兄ちゃんだって疑ってなかったし、早く大きくなって兄ちゃんを助けるからって言ったら、そう返された。いまの環境に馴染むので精一杯だったから忘れてたけど、こっちに来てから夢をみて思い出した」
ヴェンデルが亡きスウェンの話をするのも珍しい。ウェイトリーさんが驚いたのは、その表情に悲観や嘆きがなかったためだ。
「でもこれだけははっきり聞いた方が良いのかな。ねえ、コンラートはオルレンドルの後継者争いに加わるんだよね」
「ええ、ウェイトリーさんからいくらか聞いていただろうけど、皇太子側に付くと公に意思表明します。いままでそう思われてなかったわけではないけど、きっと、私が公言しないといけない状況にも迫られるでしょうから」
「それでさらに皇帝陛下、かぁ」
呟くヴェンデルの頭の中では、国賊討伐の話題や、先日私が倒れた日の出来事が浮かんでいるのだろう。皇位争いに関係する話は学校ではもちろんウェイトリーさんに一通り聞いているはずだ。近々皇帝の危険性についても聞かせるつもりだけれど、エルに纏わる話は出来る限りぼかしてもらう方針だ。
「ま、いいか。殿下がうちに気軽に来る時点で、僕だって予想してたからさ。……ウェイトリー、力を貸してあげて。ジェフ……は、言われなくてもそのつもりだよね」
未来の当主の言葉に恭しく頭を垂れるウェイトリーさんと、もちろんと言わんばかりに頷くジェフ。
事が事だけに、多少は子細を求められるとは思っていた。現状、ほとんど置いてけぼりで大人だけが慌ただしく動き回る最中、何の迷いもなくウェイトリーさんに「力を貸してあげてね」と言える心の広さは素直に凄かった。
……子供は大人が思っているより子供じゃないのだろうな。或いは大人の理想を子供に当てはめているから、その成長ぶりに目を見張るのだろうか。
この分だと、エミールともしっかり話し合う日も遠くない。
少年は目元を細めて、のびのびと笑って言った。
「もし帝都でうちが滅びるならそれだけだよ。大丈夫、そうなったらどんな手を使ってでもコンラートを取り戻すだけだ」
「ウェイトリーさん」
「旦那様似でございますな」
「ちが……。ところで先ほどから咳き込まれてるみたいですが、お休みになっては如何です。私が倒れてご無理をされたんでしょう」
「ありがとうございます。ですが気にしないでくださいませ。疲労を見越し、走り回るのは若い者に任せております」
日に日に逞しくなっていく少年の成長ぶりを拝めたのは収穫だった。
「もっと話を聞きたいけど、いまはこれでいいや。その鳥さんも含めて、どんな話をしてくれるのか楽しみにしてる」
「うん、ありがとう」
「元気になってくれるならそれでいいよ。あ、あと殿下とのかん……」
「殿下?」
「……そっちはいまじゃなくてもいいや」
黒鳥に向かって熱い視線を向けるクロを抱えると、颯爽と部屋を後にする。
後は大人達の話し合いだと理解しての行動は流石だが……。
「シャロも連れて行ってほしかったなぁ」
「二匹は無理でしょう。わたくしがみていますから大丈夫ですよ」
そうなんですけど、この黒鳥、無防備すぎて全方位どこから襲いかかられても負けそう。
弱り切っていたはずなのに、いつの間にか眠りこけているし……いったいどんな生物なのだろうか。
気になる黒鳥の正体ではあるけれど、眠っていた期間含め、積もり積もった報告はまだまだ残っているのであった。




