151、手遅れになる前に
「お礼もそこそこにこんな話になって申し訳ないと思っています。けれどライナルト様、テディさんについて……いえ、彼が持っていた飛び道具についてご存知ですよね。教えてもらえませんか」
この言葉にエレナさんはジェフをすぐさま遠ざけ、周囲の警戒に当たった。
「貴方はあの男が持っていた道具の危険性を即座に理解した。もしやと思うが、あれを知っていましたか」
「……はい」
ここは発砲前に露骨な反応を示してしまったので、嘘をついてもしょうがない。
「あれはエルの作り上げた道具ですか」
「その通りだ。だがクワイックにしては迂闊なことをする。あれの存在は一部にしか報せていないというのに」
「私の勘違いでなければテディさんがああなってしまった以上、エルに管理責任といった容疑がかかるのではないかと心配しています。いくら彼女とはいえ反逆罪を完全に免れられないのではとも……。できれば安全な場所に連れて行きたいのですが、ライナルト様に庇護してもらうのは難しいでしょうか」
この問いにニーカさんが渋い顔になった。ライナルト含め、両方ともエルの行く末については理解していたような、そんな雰囲気を感じ取れる。
ライナルトはしばらく考える素振りを見せていた。彼にしては決断が遅いようにも感じられたが、後押ししたのはニーカさんだ。
「殿下。この際任せては如何でしょう。どのみちクワイックの元には誰か送らねばならなかった。それをお考えになっていた最中でしょう」
「……それは構わないと思っている。ただどこまで人を出せるかと思ってな」
「人は出せません。カレン殿には単独でクワイックを連れてきてもらわねばならないかと」
ニーカさんはきっぱりと人員は貸せない、と断言したのである。この言葉は少しばかりショックだったが、ライナルト側にも理由があった。
「クワイックに容疑が掛かるのは時間の問題だろう。友人である貴方の前で冷たい事を言うが、それだけなら彼女を確保する理由はない」
ここで声を潜め呟いた。
「アレの破壊に必要な『何か』について取引する手筈になっていた。故に彼女に容疑が掛かるのは我らとしても避けたい」
「……利害は一致しますね」
「そう、幸か不幸にも」
アレとは『箱』だろう。もうそんな段階まで進んでいたのかと驚いたが、そこは後回しだ。彼らはエルの身柄が皇帝に渡るのを恐れていた。
続きはニーカさんが引き継いだ。
「こうなってしまうと彼女は拘束か監視か……いずれにせよ陛下とクワイックは折り合いが悪いのです。一隊に彼女の身柄が渡っては手出しが難しくなりますし、まして我々との関係を暴露された日には――」
「一隊相手ではライナルト様達といえど難しいと?」
「陛下の親衛隊のようなものです。言いたくありませんが、あそこは嗜虐的な者も多いので、どんな目に遭うかわからない」
拷問もありえると伝えたかったのだろう。
「何か、とはなんでしょう。道具でしょうか」
「そこは教えてもらっていないのです。なにせ彼女は秘密主義でしたから、それを含め取引する予定だった。故に何もわからぬままというのは望ましくない」
「……お力添えは望めないと聞いたばかりでしたが、保護の手段はあるのですね?」
「クワイックは陛下に目を付けられている可能性が高い。我らからクワイックの保護に赴けば問題が生じるのですが、これは表向きの理由です。彼女自ら庇護を求めるのであれば要請に応える形になるかと」
「私がエルを説得して連れて来れば良いと。念のためですが、私、いえコンラートはライナルト様を後見としていますよね。その私が彼女を連れてくるのであれば、結局は同じことなのではないですか」
ライナルトが手出しし難いのは、エルがライナルトの部下でなくなったのが関係している。魔法院は皇帝の所有物であり、そこに所属する魔法使いも同様だ。長老として独立しているエルは彼女自身が一個の勢力みたいなもの。ライナルトとの間に縁自体は存在しても、簡単に手出しできない問題が存在しているようだ。
「無茶は承知の上です。ですからあくまでクワイックの意志による保護だとしたい。馬鹿げているかもしれないでしょうが、無理を通すにもそれなりの準備が必要です」
「では極端な話ですがエルが疑わしいとそちらで確保していただくのは難しいでしょうか」
「長老格となれば陛下や他の長老に一度書状を通す必要がある。時間がかかるでしょう」
要は体裁がいる、と告げているのだ。もし難癖つけられても取り繕えるだけの形がいる。
「……私が独断でエルのもとへ赴き、ライナルト様の庇護を求めるよう説得した。そういう話でよろしいでしょうか」
「ええ。カレン殿はいまクワイックと同居している立場にあるし、なにより親友でもある。友人の身を心配し会いに行ったとしてもらえれば理由にはなるでしょう。お願いできますか」
「行きます」
迷う必要はなかった。とにかくエルの身柄さえ確保してしまえば、あとはどうとでもなる。ニーカさんはこれで決断したが、意外にもライナルトが渋っていた。
「ニーカはああいったが、出来れば人を動かしたいな」
「先ほど無茶をしてもらったのはわかりますから、無理は申しません。エルにその気があるなら合流は難しくないはずです」
「いいや、それでも難しいだろう。こちらとしてもクワイックの身柄は確保したい、少々遅れるが体裁を整えるので、それまでバルドゥルの手に渡らないように立ち回ってもらえますか。貴方の友人にもそう伝えれば理解してくれるでしょう」
「わかりました。何事もないのが一番ですけれどね」
望ましいのはエルが彼らに従わないこと。最善手は誰もエルの元へ向かっていないことだが、こればかりは行ってみなくてはわからない。
エルはテディさんの件をどう受け止めるのだろう。宮廷の騒ぎなど伝わってなさそうだけど……そういえば銃の持ち出しを知っているのだろうか。
最低限の情報共有は果たしたのでそろそろ動かなくてはならない。
「馬車で走っている時間はありませんね、馬は……」
「ニーカ」
「向こうに馬置き場がありましたね。エレナに拝借させてきましょう」
馬が連れてこられる間にニーカさんは気になる忠告をした。
「憶測でものは言いたくないのですが、あの青年に触れた折、酒に混じって甘い匂いがしました。あれは強い幻覚と妄想を引き起こす類の麻薬に思える。自ら服用するとは思えません」
「では――」
ああ、なるほど。彼女がテディさんを押さえつけた後、奇妙な表情を見せていたはずだ。つまりテディさんは薬を盛られた可能性が高く、これがあったから早い段階でエルの身を案じたのだろう。
エレナさんが連れて来た馬は栗毛の丈夫そうな馬だ。ジェフの分とあわせ二頭用意してくれた。
「まだ大丈夫だとは思いますが、とにかく身柄を拘束されないように。こちらもあまり遅くならないよう向かおう」
「何もないのが一番なのですけれどね」
ライナルトにしてみればエルよりも彼女と取引するはずだった「手段」の方が気がかりなのだ。助けを出すのはそういった観点も含まれていたのだろうが、いま文句を言うほど野暮ではない。
ライナルト達は別件で忙しくなるようだとエレナさんから聞き出したジェフが教えてくれた。エルと皇帝の折り合いが悪い理由を聞き出していたのだ。
「私は知らなかったのですが、どうやらエル殿は信仰心が強かったようですね。皇帝とはそのせいで意見の食い違いを起こしていたようで、衝突があったらしいのです」
常であれば追放されてもおかしくないが、彼女の力が必要だから皇帝さえも手出しできなかった。そう思われていたようだ。
「ジェフ、少し無理を通すけど許してね」
「なんてことはありません。実を言えばジェミヤン殿下はしょっちゅう問題を起こしていたので、些か物足りないと感じていたくらいですから」
なんとも心強いお言葉である。
馬を走らせたのでろくに話もできなかったが、ジェフが私の乗り込みを止めなかったのは助かった。久方ぶりの騎乗も、馬が慣らされていたおかげでうまく走らせるようにできたと思う。
帝都内を馬で駆ける暴挙は衛兵に咎められたものも含め全て無視した。立ち塞がった者はエルの名前を出して全部黙らせたのだ。職権濫用だが、これはもう後から謝って許してもらうしかない。
行き先は魔法院。昨晩を考えればエルの実家か迷ったけれど、行き先は間違ってはいなかった。
緑の小道や魔法院の門前に守衛の姿はなく、受付すらもいない。嫌な予感にとにかく走るが、カップ片手に廊下を歩くサミュエルさんが「おお?」と驚愕しながら道を譲る。
「エルは研究室ですか!?」
「そですよ。夜も明けないうちから出てこられたんでたまったもんじゃねーですよ」
カップの中身は淹れ立てなのか、お茶の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
相変わらずの御仁だが構っている暇はない。研究室の扉を開けると、ちょうどカップを傾けようとしているエルと目が合った。
どうやら朝食を摂ろうとしていたらしく、カップにはサミュエルさんと同じお茶が注がれており、パンにハムやチーズを挟んだ軽食の包みがあった。食事はおばさん達の手作りなのか、他にも野菜サンドや果物類が置かれて温かみが伝わってくる。こころなしか表情も柔らかかった。
宮廷の料理よりずっと食欲をそそるけれど、その愛情を褒めている暇はない。
きょとんと目を丸める彼女の手を取った。
「なに、朝っぱらからどうしたの」
「エル、よかった。あのね、落ち着いて聞いて。テディさんが……」
彼の名前を出すと、エルは気まずそうに目をそらした。
「あー、その、ちょっと言い過ぎたのもあったし、少し休ませる程度に済ませるつもりだから大丈夫よ。カレンが言ったとおり、少しくらいは他の連中に対して譲歩もしたし」
「違うの、そうじゃなくて彼が……」
この様子だと、彼女はまだテディさんのことを知らない。
「テディに用事ならわたしじゃなくてサミュエルがいいわよ」
「……サミュエルさん? どうして」
意外なひとの名前に思わず聞き返していた。
「や、振った後にあいつを連れてったのサミュエルだし、行方を知ってるかなって。ところで一人できたのなら、これ一緒に食べましょ。量が多くて困ってたのよね」
慌てて後ろを振り返ると、扉を潜るまでは傍にいたはずの護衛の姿が消失していた。




