132、悪びれない人たち
「爺さま、元はといえばベルナルドが……」
「ロビン」
当主であるイェルハルド氏は両手を合わせお腹の上に乗せている。孫というよりは部下を叱る物言いに、ロビンと呼ばれた青年は観念したように両目を閉じた。
「……この度は自分の不手際によりご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
祖父に言いたいことはあるが、謝るのが不本意というわけではなさそうである。事実青年には反省の態度も見られたし、イェルハルド氏も一応の納得をみせた。
しかしどうしてこの青年が原因なのだろうか。理由は当主から直接語られた。
「このロビンだが、娘夫婦を早く亡くしたため儂が引き取っていましてな。血縁故に少々甘やかしすぎたかもしれんと思いベルトランドの部隊に入れたまではよかったが、あれを父のように慕っている」
「左様ですか……」
「ベルナルドの帰還に伴い、二人の話を盗み聞きしたようだ。事実確認をベルトランドに行ったらしいが、他の者に聞かれてしまった」
「……なるほど、では私の元にロビン様が来られたのもベルトランド様を気にかけたから……」
「ほう?」
イェルハルド氏の語尾が上がり、ロビンの唇が真一文字に結ばれた。この反応、こちらを見に来たことは話していなかったらしい。
「孫はそこまでは儂に話してはおらなんだ。なるほど、不届き者と誤解されかねん行為、まこと貴女にはご迷惑をかけた」
「どうか頭を上げてください。イェルハルド様が謝られることではございません。それにこうして謝罪もいただけました。過ぎたことを責めるつもりはございません」
「お心遣い感謝する。……ロビン」
「……はい」
「夫人にはよくよくお詫びするように。それと宿舎に戻るのは待ちなさい、あとで話をしようではないか」
青年は遠くを見つめ悲観的に「はい」と呟くと、心なしか背中を丸めて退室していった。
「あれにはよくよく、しっかりと言い聞かせておく。詫びにもならんが、今後もし困るようなことがあれば相談してもらいたい。儂に力になれることであれば力を貸そうではないか」
「……ありがとうございます。奇縁とはいえ、バーレ家ご当主とこうしてお会いすることができたのは幸いでございますね」
「なに、多少力自慢が得意なだけの家だ。ゆえに後見人殿が望まれるような期待には添えないが、そこはご了承いただけないだろうか」
「もちろんです。我が家の後見人であらせられる御方も、なにより私も無茶を言うつもりはございません」
「それを聞いて安心した。そちらの良識に感謝しよう」
最後はライナルトとの交渉事についてやんわりと釘を刺したのだろう。無論、皇位レースに関してはモーリッツさんやライナルトの交渉次第なので口を挟むつもりはない。いまのは単にコンラートとお近づきになってもいいよといった旨の発言だ。
しかし先ほどからイェルハルド氏は数度空咳を繰り返すのだが、風邪だろうか。
「イェルハルド様、具合が悪いのですか」
「失礼。なに、一昨日は皇都に行っていてな。どうにもあそこは空気が合わぬのか、毎度調子を悪くする。……喉に違和感があるだけだ、蜂蜜を混ぜればすぐに治る」
「具合が悪いときに押しかけて迷惑ではありませんでしたか」
「年を取れば調子が良いときの方が珍しい。それにうちの医者は厳しくてな、こういうときはたっぷりの蜂蜜を許してくれるから儲けものだ」
茶目っ気たっぷりに笑って巣蜜にスプーンを通す。
「それより貴女もベルトランドが気になっているだろう。あれも無関係ではないと、今日はこちらに寄るよう伝えていたのだがまだ到着していないようだ」
「それでベルトランド様の姿を見かけないのですね」
「約束の時間に遅れる男ではないはずだ。なにか事情があるのだと思うが……」
私があっけらかんとしていたからだろうか。イェルハルド氏は顎髭を数度撫で問うてきた。
「コンラート夫人、このような聞き方をするのは失礼と承知だが、ベルトランドに対して思うところはあるだろうか」
「……いいえ。正直なところ、なにも」
苦笑気味の返答になったが、これはイェルハルド氏にも充分予測できていたはずだ。ご老体はやはり、といった顔で頷いている。
「ベルナルド氏とはファルクラムでいくらか繋がりがあったため多少は面識がありますけれど、感覚としてはあくまでも知り合いといった程度です。私を育ててくれたのはキルステン家の父ですし、その事実は覆りません。ベルトランド様のお話を聞いた時は驚きましたけれど、最後はああそうか、くらいでしたから……」
「突然父親かもしれぬと言われても困ると」
「そうなります」
「ふむ。お父君がまっとうな愛情を注がれたのであれば、そうなるか」
ご老体の問いに素直に頷いたのは、私自身ベルトランドにまったく思い入れがないこと、そしてこの老人相手に嘘を言ってもばれるだろうと思ったためだ。
「しかしこれでは尚更申し訳が立たなくなった。余所のご家庭に亀裂を入れてしまったとなれば、謝っても謝り切れん」
「ですがベルナルド氏がベルトランド様にお話をしたとなれば、どの道こうなっていたような気はいたします」
「かもしれんが、孫が騒ぎ立ててしまったのがいかん。それに忠告の必要があったとはいえ、こうして儂が動いたことで、貴女はベルトランドの隠し子として上流間に伝わってしまった」
「私もまさか、いまさら自身の出自で話が盛り上がるとは思ってもみませんでした」
「重ね重ね、お詫びする。もしご不快でなければベルトランドの話をしても構わないだろうか」
「お聞きできるのであれば是非、私はベルトランド様がどういった御方なのか知らないのです」
「では……儂に養子が三人いるのはご承知だろうが、その中でもベルトランドは移り気な男でな。ただまあ、そのことは別に問題ではない」
ないんだ。さらに続きを聞くのだが、やはり特殊な家だというのがひしひしと伝わってくる。
「本来なら余所で子を作ろうが引き取ろうがバーレの関与するところではない。我が家は例え子や孫であろうと才が認められなければ家名を名乗るのは許しておらんのでな」
「あら、では先ほどのロビン様は……」
「孫ではあるがバーレは名乗っておらん。儂の旧姓を使わせている」
もう少し詳細を聞いたのだけれど、このあたりバーレ家はかなり徹底しているらしい。他家の者を積極的に取り込んできた家系だから親戚は膨大にのぼるが、その親戚が例え当主の血筋であろうとバーレ家の名を使うのは許されない。バーレの名を使えるのは本家の当主と、その跡継ぎ候補だけ。それが頂点の証明になるわけだ。このあたり血縁よりも実力をとったためか、かなり淡泊な制度を採用したのだろう。
バーレの名を名乗っている人物は有力者とわかりやすいが、裏を返せば非常にわかりにくい家系だ。
「当家が他家より込み入った事情があるのはわかっている。おかげで敵も多いのは想像つくだろうが、そこも問題ではない」
「ないのですか……」
「露払いくらいやってのけるのも役目なのでな」
二度目ともなると流石に心の声が漏れていたが、イェルハルド氏は朗らかに笑うだけだ。まあ当主になれたらこのお家の主人を名乗れるわけだし、そのくらいやってもらおうって感覚なのかもしれない。怖いお家である。
「これが平時であれば問題なかった。だが、いまは養子三人が儂の跡目を競っている。そしてベルトランドを除いた二人が特に当主になることを夢見ており、なおかつあれを一番敵視しておる」
おっと、嫌な予感がしてきたぞ。イェルハルド氏も先ほど「忠告」なんて言葉を使ってたから、ただで終わるはずがないと思ってたけど!
「イェルハルド様は二人とおっしゃいました。そのおっしゃりようでは、ベルトランド様は跡目に興味がないように聞こえます」
「その通り。儂とあれは些か古い付き合いでな。さる事情があって、ほとんど儂への義理立てで養子になった。そのためかあやつは後継争いに積極的ではない」
むしろ他二人で勝手にやれ、と静観状態なのだそう。ただイェルハルド氏の言葉を借りるに、バーレ家の名誉をとても重く考える他二人が、跡目に興味を示さないベルトランドを疑っているらしい。疑心暗鬼が強まってしまったというべきか。
内部事情を話してしまっていいのかって疑問だが、ご老体の本題はここからだ。
「これが例えばベルトランドの子が親戚筋の者であれば、だ。あやつらの間で人質でも発生しようが好きにさせるのだが」
想像以上のどろどろ具合。さらっと恐ろしいことを簡単に言ってのけるご老体だが、ここまで来るとなにを言いたいのかも察せる。私は頬を引きつらせ始めていたかもしれない。
「孫のせいでお嬢さんの名が上がってしまった。あやつらも馬鹿ではない、普通なら静観一択だろうが、いかんせんベルトランドに痛手を負わせられそうな娘さんがライナルト殿下の覚えがめでたい人物ときた」
「……見えてきました。イェルハルド様は私に手を出されないようにと気を回してくださったのですね」
「それでも手がだされない保証はないがね。あれらにとってバーレの名は非常に魅力的だ」
イェルハルド氏は当主争いに躍起になる二人が馬鹿な真似をしないよう忠告するつもりなのだ。大家の当主にしてはロビンにも直接謝らせたりと、新入りの貴族に対するにはありがたい配慮である。元を辿ればバーレ家の厄介な家風がすべての原因なのだが、このご老体の考えを鑑みるにそこはつついても無駄そう。はじめは好々爺に見えたイェルハルド氏も、いざ話してみると修羅の人であった。
いまのところ名家と呼ばれる人にまともな人物がいないのだけど、癖のない人物はいないだろうか。
初めて会ったにもかかわらずイェルハルド氏は好意的に接してくれる。話が盛り上がりをみせていると、お代わりのタイミングで執事さんがベルトランドの到着を告げた。
真偽はともかく、世間的には彼こそが私の「実の父親」と定義されるベルトランドとはどんな人物だろう。情だとか実感はまったくないので、興味本位でそのご尊顔を拝してやろうと構えていたが、現れた中年男性には些か驚かされた。
「遅くなって申し訳ない。少々立て込んでおりましてな」
現れたのは黒と見紛う暗い茶髪に、つり上がった瞳が印象的な中年男性だ。間近で見ると体格が大きめで、その年齢にありがちな体のたるみは見受けられない。服越しでも筋肉がついているのがはっきりとわかる軍人さんだ。
そしてこの顔、見覚えがある。いつだったか帝都に来たばかりの頃、馬車待ちの際にナンパに囲まれた私を助けてくれた軍人さんがいる。あの人が「隊長」と呼んでいた中年男性である。
野性味を帯びた瞳が私を捉えると、にこりと笑いかけられた。
「こうしてお会いするのは初めてか。ベルトランド・ロレンツィだ、お初にお目にかかる」
「は、じめまして……。コンラート家のカレンと申します」
「噂はかねがね聞いている。この度は実に災難だった」
形式的な挨拶を交わすのだけれど……。その、実に……と思っていたら、イェルハルド氏が代弁してくれた。洗練された動きで座るベルトランドに、呆れたように告げたのである。
「まったく随分と他人事だな。元はといえばお前が原因なのだぞ」
「責任を押しつけるのはやめてもらいたい。確かにお嬢さんは私の子なのかもしれないが、よからぬ企みをするのは別の連中だ。私はベルナルドから話を聞いたあとも静観してましたし、部下にも口止めさせてたんですがね」
「ロビンの手綱が取れておらん」
「だから出てきたんですよ。部下の不始末を詫びにね」
堂々と言ってのける様は、なるほど実に扱いにくそうな人だった。ぐらぐらと煮詰めれば出汁どころか灰汁で鍋を汚してしまいそうな人であった。




