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125、噂だらけ

「リューベック家に合わせないのでしたら、そうですね。こちらの刺繍を織り込んだ髪飾りを合わせてはいかが? 髪は緩く纏めて紐が首にかかるように流すのです」


 気を取り直したガルニエ店の女主人、ガルニエ夫人は恰幅の良い気品溢れる女性だ。装いはやはりというか派手目で、上流階級の人達を相手にしているから必要なのだろう。ほとんど飛び入りの私たちは歓迎されにくいと考えていたが、初顔合わせの夫人は殊の外余裕であった。それというのも実際の所、ガルニエ店はどんなに忙しくても針子に余裕を持たせているらしい。副支配人は慌てた様子を見せていたが、夫人に指示を仰ぐためだったようだ。


「針子に余裕を持たせるのは隙のない仕事をするためですから、急ぎの仕事は滅多にお引き受けいたしません。ですがコンラート夫人のお噂はかねがねお伺いしておりますから、今回のみ特別でございます」


 そしてリューベック家効果も大きかったのだろうが、彼の家に合わせる必要がないと言えば夫人の切り替えは早かった。私の首元に刺繍編みを合わせながら提案した。


「コンラート夫人は肌が白いですから刺繍細工も映えるでしょう」

「あらホント。ですが刺繍だけでは寂しくありません?」

「金糸や銀糸を織り込み、宝石をあしらえば良いのです。今回は宝飾品も一緒にお選びになるのですから、作ってしまえばよろしいかと」

「いいわね。カレン、どう?」

「素敵、だと思う」


 どう、と聞かれてもこちとら素人である。派手になりすぎなければそれでいいし、なにより夫人の目はプロフェッショナルのそれだ。一代で店をもり立てただけのことはある仕事人だった。


「はっきりしない答えね。でもやたら飾り立てて派手になるようには思えないし、なにより似合ってそうよ。ああでも花を入れたいわね、布地でできた薄衣の花なんて素敵かも」

「でしたらこちらの生地は如何? 多少値は張りますが、見栄えはいたします。ご予算次第では水晶を削り出したお花もございます」


 マリーと夫人はとても楽しそう。この後もああだこうだと雑談が続くが、きちんと感想を求めてくれるので、予想していた衣装合わせとは大分違うものになったのは僥倖だっただろう。どちらかといえば、ずっと離れた場所で待っていたジェフが大丈夫だったのかが気がかりだ。

 布を決め、採寸し、大体の話を詰めおわると街に繰り出して軽い買い物。お互い新しい帽子を手に入れて、ほくほく顔でお茶会だ。


「いい帽子がみつかってよかった、ありがとマリー」

「あとは用事があったらガルニエの方から来てくれるみたいだから、なんとかなるわね。ところで似たような帽子を二つ買ってたけど、そんなに気に入ったの」

「ひとつは友達のだから」


 エルに似合いそうな帽子があったのだ。装飾は多少違っているけど、私のものとほんの少し意匠が似ているから使ってくれたら嬉しい。エルは熱中すると私以上に服装に無頓着なところがあるから、お洒落な帽子でもあれば気を遣うかなと考えたのだった。ちなみにちゃんと私のお小遣いの範囲である。興味を持ったのかマリーが尋ねてきたのだが、エルの名前には驚くことなく、やはり、と頷いたのだった。


「コンラート邸にいるって話は本当だったわけね。とんでもない有名人を住まわせてるわよね」

「知ってたの?」

「そりゃあ帝都に突然現れた期待の星だもの。彼女の作った発明品は、皆がこぞって手に入れたがるの。それだけでも嫌ってくらいに名前を聞くのに、ファルクラム出身とくれば興味も引くわ」


 ただ、とマリーは表情を曇らせる。

 紅茶はストレートが好きなようで、一口啜るとそうっと質問してきた。


「相当気難しい人だと聞くけど、大丈夫なの」

「難しいところはあるけど、普通にいい子よ」

「……皿を投げられたこともない?」

「ちょっと、それどういうこと」

「そういう噂を聞くってこと。以前なんて公衆の面前で彼女を罵倒した軍人をその場で転倒させたとか、気に入らない助手には食器を投げるとか……変な噂だけは事欠かないのよ」

「誤解されるような言動はあるかもしれないけど、エルは理由もないのに手を出したりする人じゃないわ。うちじゃ使用人さん達に気遣ってくれるし、弟たちにも色々教えてくれて面倒見もいいんだから」

「それならいいけど……。なんにせよ色々な意味で注目を浴びてる人だから、妙な輩が近づいてきたら注意しなさいよ」


 マリーは現在付き合っている恋人の一人に軍人がいるようで、その手の噂を仕入れやすいみたいだ。女子トークだけで終われたらよかったけど、気乗りしない話はまだ続く。

 彼女も察したのか、軽く息を吐いて呟いた。


「うちも人のことは言えないけど、そちらも不器用な兄妹よね」


 衣装合わせ以外に彼女を誘った理由だ。こちらも本題である。

 

「……どうだった?」

「どうだったもなにも、アルノーやアヒムは元気よ。顔色も悪くなかったし、いまの仕事もうまくいってるみたい。ファルクラムにいた頃より元気なんじゃない?」

「そう、よかった」

「アルノーの上司にあたるバイヤール伯が皇女派のなかでも温厚だと有名な方よ。アルノーとなら気が合ったんでしょう」


 兄さんが皇女の秘書補佐についてから滅多に連絡を取るような真似ができなくなった。その橋渡し役をマリーにお願いしていたのだ。相談を持ちかけたとき、はじめは本気で嫌がられた。彼女はファルクラムと袂を分かったつもりだからキルステンに存在を知られたくないのである。

 けれど話をするうちに「しょうがない」の一言で引き受けてくれたのだ。


「彼って人の上に立つのが得意な人間じゃないもの。使われる方がうまく動ける役人気質だし、こっちでは当主として立つばかりじゃなくていいからほっとしてるんじゃない」

「またそういうこと言う」

「じゃあ否定してみなさいよ」


 ……この従姉妹は本当に物事をずけずけ言うようになったね。

 彼女の兄さん評はともかく、キルステン宅に出向いたマリーは帝都に残ることができた。兄さんは彼女の意志を尊重し、逆に生活に困るようなら援助すると申し出たのだ。


「あなたが無茶しないよう伝えてくれって。――そうそう、アヒムも変わってたわよ。なにか功績を立てたみたいで、近々騎士称号をいただく予定なんですって」

「アヒムが? ああでも、仕事が真面目だから納得かも。出世したのね」

「お祝いくらいおくってあげなさいよ。真面目な顔して伝えて欲しいって本人から言われたんだから。……そのうち会いに行きます、ですって」

「ありがとう。もちろん、お祝いは贈りたいから連絡するわ。悪いけれど引き続きお願いね」


 マリーがちゃっかりとしているのは想像つくだろうが、この件に関しては一切の報酬を請求してこない。それもあって帽子も二つ返事で了解したのだけど、これを仲立ちのお礼というと辞退してくるから難しい。


「変わらないものはない、のかしらね」


 しみじみと呟くのは、以前だったら兄さんとこんな形で思想を違えるなんて思ってもいなかったからだろう。マリーは黙って焼き菓子を囓っていたが、やがてぽつりとしゃべり出した。 


「変わったと言えばあなたもそうよね」

「え?」

「昔よりちゃんと笑うようになって、堅苦しい雰囲気がなくなった」


 そうなの、と問いかけようとしたけれど、少しばかり思い当たる節はあった。以前エルと話した、精神年齢はさておき、こちらで年を経るにつれて体に精神が馴染んでいったという話題だ。


「子供の頃は特に可愛いのに可愛くないって思ってた。おじさまとおばさまは可愛いと言ってたけど、笑ってるのに笑ってない。大人びてて変に警戒心が強くて、まるで大人の望んだ良い子ちゃんだった。正直付き合いにくかったわよ。いまの方がよっぽど話しやすいわ」

「そ、そうなんだ……」

「間抜けで鈍いけど」

「一言余計だわ」


 アヒムにも似たようなことを言われたし、見てる人は見てたのだろう。嬉しいような嬉しくないような……。こうしてお茶に付き合ってくれるようになったし、嬉しいでいいの、かな?

 少なくともいまの生活は、気の置けない人がおおくてファルクラムにいた頃より過ごしやすいのは事実だ。これを兄さんが聞いたら泣いちゃいそう。


「ま、そんなあなたが変わったのだもの。やっぱり恋って人を変えるのね。殿下の愛情があなたの心を溶かしたのならなによりだけれど」

「――ん?」

「受け入れた殿下も相当だけど……。でも、やはり本気になるのは控えておきなさいよ。わかっているでしょうけど敗戦国の貴族なんて身分違いもいいところだし、後が辛いだけだから……」


 そして聞き捨てならないことを言いなさった。恋とおっしゃいました、マリーさん。


「マリー。もしかしてその恋って、私のこと?」

「他に誰がいるのよ。ここにきて別の人の話をするほど会話下手なつもりはなくってよ」

「いえそれはともかく、どうして殿下が出てくるのかが気になって」

「はぁ? だってお付き合いなさってるのでしょう」

「誰が」

「あなたと殿下」

「殿下って」

「ライナルト殿下」


 なんでそうなるのか。マリーは私のしかめっ面で察したようで、訝しげに問い質した。


「だって今日もお食事をしてきたって言ったじゃない。その前もお昼をご一緒したことがあると。頑張って接近しようとしてるんでしょ」

「そのくらいは殿下の公務の範疇じゃない。他の方と食事をしないなんてことはないし、誤解です」

「ファルクラム時から仲がよかったじゃない。あなたが殿下を追いかけて帝都に来たんじゃないわけ」

「違いますー。帝都に出た方が今後色々とやりやすかったから出てきただけです」

「……それって方便ではなかったの?」

「真実しか言ってませんけど!?」


 マリー、どうやら色々と勘違いしていた模様。下手にライナルトとご飯をしただの喋っていたのがいけなかったようだ。幸い周囲に吹聴するような人ではないから助かったけれど、マリーは少々難しげだ。


「いまじゃ殿下はトゥーナ公や将軍のご息女といった方々とも噂があるから信じている人は少ないけど、口さがない人は多いわよ」

「……忠告ありがとう。でも撤回しようと躍起になる方が目立つし」

「それはわかるけど。……バーレ家の絡みもあるし、あなたの周りは複雑すぎてよ」


 降りかかる以上は対処するけど、バーレ家問題は私の責任ではないと思う。

 それにしてもライナルトは将軍のご息女とも噂があるんだ。トゥーナ公はあの雰囲気だから納得として、私が仕入れた噂は彼と皇帝の妾との禁断の恋物語までだ。皇太子だし浮いた話のひとつやふたつと考えていたけど、十はかるく出てきたので漁るのを止めていた。

 マリーとはその後いくらかの話を終えて帰宅したのだが、私は帰りの馬車でジェフに謝っていた。

 

「思った以上に会話が弾んじゃって、長引いちゃった。ごめんね」

「ずっと練習詰めだったでしょう、楽しんでいたのなら良いのです」


 聖人か。いくら仕事といえど、ただひたすら待ち続け、興味のないショッピングに付き合うなど疲れるだろうに。


「それよりも、チェルシーにまでありがとうございました」

「普段使いだから派手ではないのだけど、庭が好きみたいだから気になってただけよ」


 実はもう一つ帽子を買ってある。こちらはエルに向けて買った物とは違い本当に普段使い用、かつ邪魔にならない実用的なものだ。だからマリーの注目を浴びなかったのだろうけど、ちょこんと刺繍編みと造花が挿してあって可愛い作りだ。これは庭で遊ぶチェルシー用である。彼女は外を怖がって散歩が難しいから、太陽の光を浴びられる範囲が庭しかない。だからせめてと思って用意したのだ。最近は庭師のベン老人も彼女のために花壇の一画を弄り始めている。

 ……そういう意味では、ジルやシャロを飼い始めてよかったのかも。動物の登場でチェルシーはもちろん、我が家は笑顔が増えた。ヴェンデルなんて外から帰るたびにお迎えに来るクロに毎回相好を崩している。


「シャロとクロの相性も悪くないし、本当に良かった」

「クロが他の犬猫や人間になれていましたからね。シャロのあしらい方も上手でした」

「元々は人懐っこい子だから。でも最初は威嚇し通しだったじゃない、ヴェンデルを中心に愛憎劇が繰り広げられるなんて思ってもみなかったわ。もてるわよね、あの子……」

「猫ですよ」

「羨ましいじゃない。私だって猫に取り合いされたい」

「ヴェンデル様の共有も時間の問題ですよ。クロが大人の態度ですから、シャロも段々と警戒を解き始めています」


 ジル? ジルはシャロとクロどちらにも尻尾を振って仲良しさんだ。エミールに従順で、チェルシーの遊び相手もこなし、かつ私のお出迎えも欠かさない最高の天才だ。本当にうちの犬猫はみんな可愛い。

 今日も玄関を潜ったらきっとジルのお出迎えがあるに違いなかった。わくわくしながら玄関を潜ろうとしたところでご婦人に呼び止められた。


「あのう、突然ごめんなさい。貴女カレンちゃんよね」


 私をカレンちゃんと呼ぶ人は帝都では一人だけだが、その人はエレナさんではなかった。こざっぱりとした格好のご婦人の顔と記憶を一致させると、懐かしさでたまらず声をあげたのである。


「おばさん! 久しぶりです……!」

 

 記憶よりもやや年を重ねていたけど、間違いない。エルのお母さんだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アヒムが!!!騎士に!!!!!!!泣 かっこ良すぎる。会いに行くって何…… そんなのもはや王子さまじゃん……カレンちゃんを拐って……別世界線で。 アヒムの騎士姿なんて眼福過ぎる……跪いて手…
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