123、一曲お相手を
まさかの相談だった。それはそうだ、彼女は一介の家庭教師であり文官としての経験はない。賃金の相談であれば検討したが、この頼みを聞き入れるのは中々に難しい。
「……事情がありそうですな。ひとまず話だけは伺いましょう」
だが経験がないからと一蹴するのも無下だろう。席を勧めると、ややぴんと張り詰めた雰囲気が空気を介して伝わってくる。思い詰めた表情をしているのは……わからないではない。家庭教師が持ちかけてくるには無謀な相談だ。雇い主によっては激怒するか追い出すなりするだろう。
「驚かせて申し訳ありません。経済や会計を学んでいても、実践したことのないわたくしがこのような申し出をするのは非礼にあたるのは承知しております」
「確かに驚きはしたけど……。どうしてまた秘書だなんて希望を?」
「誤解しないでいただきたのですが、わたくし子供達は好きですし、誰かに勉学を教えるのも好きです。コンラートに雇っていただいてからは毎日が充実しております」
「ありがとう。あなたが二人によく教えてくれているのは知っているつもりです。ですから萎縮するよりも、理由を教えてくださいな」
「はい。……わたくしの得意分野を活かせるからとこの職を選んだのもありますが……元々なりたかったのは学を活かした職に就くことでございました」
決してヴェンデルとエミールが嫌いではないと強調するマルティナ。本好きが講じて本来なりたかったのは帝都図書館の司書であったが、条件が合わず諦めるほかなかった。
「あなたが努力家だというのは短い付き合いですが伝わっています。あなたほどの人が叶えられなかった司書の条件っていうのはなんなのかしら」
「この髪を見ていただければおわかりかと思いますが、わたくしはラトリア人です。子供の頃にこちらに移り住みましたが、オルレンドルの民として市民権を得て、さらに要職に就くには最低でも三十年は住み続ける必要があります」
「……帝国に対しなんらかの貢献を成せば短縮を認められる、だったっけ」
「はい。ですが単なる移民ですから、そういった職は難しく……。両親もわたくしの学費を捻出するだけで精一杯でした」
「そういえばマルティナのご両親はこちらにいないみたいだけど……」
「……わたくしや弟妹、それに叔母夫婦をこちらに送り届けた後は帝都を出ました。帝都だとどうしても稼ぎ方が限られるからと」
彼女が言い辛そうなのは、ラトリア人であるのをいいことに傭兵紛いの仕事をしているらしいからだと判明した。
「父母はラトリアでも腕っ節を買われるような……そういう人でした。わたくしが学を好むのを見て、きっと剣では生計を立てられないのだと知っていたのだと思います」
ラトリアは内紛が絶えない国だ。帝都へ移住を決めたのもそのためだったという。両親は稼ぎを絶えず長女に送り続けたが、最近異変があった。
――両親が死んだと叔母夫婦が知らせたのである。
「詳細はわかりませんが、仕事で命を落としてしまったと。……人様を傷つける仕事をしていたのでしょうから、遅かれ早かれそんな報せが届く覚悟しておりましたが、お恥ずかしい話ですがお金が……」
そのため仕送りも切り詰め、マルティナの稼ぎも含めて貯金していたが、やはり弟妹の学費が足りなくなるのは否めない。
マルティナには四人も弟妹がいるから、次の生活費を考えれば当然だろう。ウェイトリーさんに聞いていたが、彼女は単身用のアパートに家族で暮らしている。
「一介の家庭教師が文官の仕事をこなすのが難しいのは承知しております。ですがカレン様とウェイトリーさんでしたら、ご相談するだけならばと……」
これに関しては簡単に「はい、いいよ」と答えられる問題ではなかった。なにせ家の現状、求めていたのは即戦力となる経験者で新人を育てる余裕はない。ないというか、私がその新人なのでウェイトリーさんの負担が大きいからだ。今度雇うにしてもフゴ商会問題であぶれた人を狙う予定だった。
「なるほど。諦めていた夢が追え、なおかつ自身の稼ぎを上げたいと」
「……はい」
ウェイトリーさんは直球だが、でもそういうことだ。目の前にチャンスが現れたら掴みたいと願う気持ちはわかるけれど、即答は難しい。それはウェイトリーさんも同様で、考えさせて欲しいと返事をした。
「ご存知の通り、我が家は皇子殿下の覚えもめでたいですが、ファルクラム出身故に非常に危うくもあります。ですので家庭教師と秘書では前提条件がいくらか違ってくる。この話はしばらく保留にさせてもらいたい」
「はい、すぐにお返事をいただけるとは思っておりません。家庭教師としての責務を忘れたつもりはありませんので、どうか……」
「クビにする、ということはありません。そうですな、カレン様」
「ええ、二人ともあなたを好いているし、普段の働きぶりは評価しているつもりです」
マルティナは心なしか肩を落とし家に帰ったが、その後ろ姿は心は痛んだ。彼女の立場でこのことを切り出すのは勇気がいっただろう。
「……移民が正式な市民権を得るのが三十年って、時間にしてみたら長いですよねぇ」
「他国を侵略し呑み込んできた国です。敵を作りやすい性質ですから、その程度は仕方ないのでしょう。それでもさほど差別を受けず働けるだけの基盤が整っているのは有情でしょうな」
「そっか。普通なら奴隷とかにされてもおかしくないですものね」
「砂漠向こうのヨー連合国は、侵略された民族は奴隷にされる場合も少なくない。人の権利などなくなるようなものですから、そういった点を踏まえれば帝国がマシに見えてくる部分もあります」
それを考えると、ぽんと金貨五千枚と名誉市民権をくれたモーリッツさんのすごさが浮き彫りになってくる。あの人がどれだけライナルトの秘密を守りたかったのか、その大事さがうかがい知れるというものだ。
マルティナの件はウェイトリーさんが身元をもう少し調べたいとのことで解散。私もようやく布団にダイブのお時間である。
その日はぐっすり眠って、翌日からは筋肉痛に悶え苦しみながらのレッスンが始まったが、運動不足の身体にはよかったかもしれない。結婚に伴い中央勤務になったというエレナさんが仕事終わりに顔を出してくれたし、エルも定時にあがると様子を見に来てくれるのだ。
「ほう、では練習は順調ですか」
「い、一応……でしょうか。まだまだお見せできるものではないので、周囲をはらはらさせ通しですけど」
「なに、基礎を覚えてしまえばあとは簡単ですよ。いっそ相手の足を踏んでも堂々としていればいい」
そしてライナルトにはこういう報告しかできない。
私としてはかなり前進しているのだけど、終わるたびにマルティナやウェイトリーさんといった先生達が練習方法について模索しているし、そこにエレナさんが「きっと大丈夫」と声をかけるのが定例になってきたのだ。
「ライナルト様はどうでしたか。やはり覚えるのは難しかったでしょうか」
「難しい……とはあまり感じませんでしたね。数回練習をして、あとは周りに合わせていたような覚えがあります。こういうのは見よう見まねでなんとかなるものでは」
彼も運動神経抜群フレンズのようだ。そりゃそうだよって話だが、敵である。
「……簡単に言える人はいいですね。私には難しいです」
「おや、拗ねられた」
「拗ねてません」
ついグチグチ呟いて、仔牛のホホ肉煮込みを口に含む。肉が柔らかいからといって、仔牛をわざわざ料理用に使うなんてまさに贅沢の極みだ。
状況としては、以前ニーカさんから伝えられた食事の約束だ。今日はお昼頃に宮廷に足を運んでランチ、このあとは仕立屋で本格的にデザインを詰め、帰ったら練習というスケジュールとなっている。
お昼ご飯は相変わらず美味しい。このあと用事があると言ったらお酒はやめて果実水にしてくれたのはありがたかった。相変わらず気を遣ってくれて護衛官の姿もないし、ライナルトとの会話も気が抜けるものとなっている。
どうやらカール皇帝から招待状が届いた件は彼の耳にも入り心配のお声もかかったが、「大丈夫」以外にどう答えられただろう。ライナルトは皇帝に意図を尋ねてくれたが、明確な答えは得られなかったようだ。
「あまりしつこくしても貴方の立場が危うかろう。少なくとも妾の補充ではなさそうだったが……」
「ライナルト様にお心を砕いていただけただけでも充分です。あとはなるようにしかなりませんよ」
「お強いのは結構だが、油断はしないように。リューベックの長男も得体の知れなさでは上を行く」
最後の方は小声であった。あまりこの話題を続けるのもよくないだろうと、気になっていたことを尋ねる。
「エルに夫婦や婚約者でもない限り付添人はいらないといわれました。ライナルト様もお一人で出られるのですか?」
「ああ、私ですか。私はリリーに隣を任せることになっている」
お肉を喉に詰まらせかけた。気をつけないと。
「……ということは、幾分夜会は大荒れしそうですね」
「そうでもないでしょう。私と彼女が会っていたことは他の者も知っている。改めて覚悟を決めるくらいの感覚だ。それよりは他の中立を保っている勢力の方が気がかりになる」
「バーレ家については確約できません。お力になりたいとは存じますが、私個人としては湧いて出たような父に興味はありません」
……まあ、もちろん個人どうだの関係ないだの言ってられない状況になるのもわかっている。だからここでは念押ししておくだけだ。
「無論、貴方個人の意見は尊重する。仮に貴方の父がロレンツィであったとしても、バーレも身内が一人増えた程度で揺らぐ家ではないはずだ。我らを介して接触してきたことに意味を感じている」
「……では私の方がついでの用事だったと?」
「そこまではまだわからない。三日後の会談を待つしかないでしょう」
そうそう、バーレ家との面談は三日後に決まった。いよいよというか、やっとというか……ただ私は毎日のレッスンにとても疲れていたし、実父に対する感傷は薄い。薄いというか、ほとんどない。どちらかと言えば、ファルクラムにいる父さんにダメージがいかないかの方が心配なのだ。
ここのところ会っていないけど、兄さんも気にしてるだろうしなぁ……。
それにしても相変わらずライナルトが用意してくれるご飯は美味しい。毎日こんな豪勢な食事をしているのが羨ましいと思っていたが、この間ニーカさんに聞いたところ、ライナルト一人ではあまり食事に時間をかける質ではないようだ。普段はとにかく手早く食べられたらいいが主軸らしく、味は二の次らしい。彼の食事を用意する人はやり甲斐がないだろうなぁ……。
デザートも美味しかった。木苺とカスタードと、そしてなんとチョコレートの盛り合わせ。舌鼓を打ち、絶賛したところでまた会話に花を咲かせる。
「先ほど付添の話が出ましたが、カレンはどなたかを指名に?」
「クロード・バダンテール氏にお願いしようかと考えています。貴族ではありませんが、名誉市民でもありますし、方々に顔が利きます。なにより同郷のよしみで納得される方も多いのではないかと」
「ほう、あのご老体」
「ご存知ですか」
「勿論だ。帝国にとってはファルクラムとの戦争を終わらせられた忌々しい相手ではあるが、いまは時折外交官に付いていくときもある。なにより陛下から直に仕官の誘いを受けたことがあったはずだ」
「まあ、それは初耳です」
「年齢を理由に断られたようだが、陛下も咎めるどころか許されていた。そう悪い印象は抱かれていないだろう」
クロードさんは現在お仕事で帝都を出ているので、返事待ちである。色々考えたのだが、適当に口が回って図太くて……。そしてなにより、男性除けになる。普通であれば風除けになりにくい人ではあるが、私の場合は有効だ。
自分で言うのはなんだけど、私の前夫はコンラート伯だ。だからあえて選んだというか……クロードさんも噂なんて鼻で笑い飛ばせそうな人だし、ここは巻き込んでも問題ないかなと。
「他に当てがなかったので、そう言っていただけるならよかった。あとはクロードさんが受けてくださるかが問題です」
「お困りであればモーリッツを勧めようと思っていた。必要であれば言ってほしい」
「……モーリッツさん? ああ、わかりました。バッヘムとして招かれているのですね?」
「そう、一人で出席しては女性に囲まれていると噂だ」
「クロードさんにお断りされたら、お願いさせてもらうかもしれません」
「そのときは足を踏んでも怒らないよう伝えておきましょう」
「ライナルト様」
くつくつと喉を鳴らすとおもむろに立ち上がる。どこかに行くかと思えば、スッと片手を差し出された。
なんだろう? とりあえず手を乗せてみると、腕ごと身体を引き上げられる。
「カレンがどこまで踊れるか興味がわきました。なに、伴奏はないが練習程度には充分でしょう。お相手を願います」
邪魔にならない程度の場所に移動すると腕が伸ばされ、背中に手が回される。練習するようになってからわかったけど、ダンスって相手と結構身体が密着するのだ。こうなると踊るほかないけれど、これから醜態をさらすのかと思うと赤くならずにはいられない。
「……足踏みますよ!」
「言ったでしょう。堂々としていなさい、痛がるのは相手だけだ」
そうは言うけど、やっぱり気にするじゃないか! ええと、最初、最初の出だしはどうだったっけ……!?
「転んで怪我なんてしないでくださいよ!」
「大丈夫、私は貴方を支えきれますよ」
これだから自信家は!




