121、会いたかった
アヒムが言うなら笑い流すくらいはできるのに、この人の場合は色々と厳しい。
「……陛下のおっしゃっていたとは、どういうことでしょう」
「先日お訪ねする前に陛下より貴女のお人柄を説明されたのです。弱者であろうと手を差し伸べる心が清らかな方であると」
「それは……随分過大評価をされていらっしゃるようで……」
いやほんとに誇張が過ぎる。そこまで言われるとなんの嫌みだと皮肉ってやりたいところだけれど、男性は違ったようだ。
「過大評価などとんでもない。貴女の善行とその心根、陛下が気にかけられるのも納得だ。大変素晴らしい、心から賞賛します。誕生祭へ誘われたのもまさに導きと言えましょう。」
「あ、ありがとうございます……?」
え、これどう収拾つけたらいいの。私は猫を探しに来ただけなのだ、過剰な好意に晒されるために来たのではない。
「昨日ふと思い出したのですが、誕生祭の衣装の仕立てはどちらに頼まれるのでしょう。カレン殿はこちらに来られて日が浅いと聞きましたが?」
「あ、ええと、特には……」
昨日今日でそんな決まるわけない。今日エレナさん達に聞く予定だったし返答に困っていると、それだけですべて見抜かれてしまった。なるほど、と頷いた相手は懐から硬貨を一枚取り出すと、それを渡してくれる。
「それを持って蕾の青薔薇ガルニエ店に行かれるといいだろう。良いように計らってくれますよ」
「そこまでしていただくのは些か……」
「陛下がお誘いあそばされた招待だ。陛下は審美眼にも優れてあらせられる、ガルニエのような店でなければ到底納得されないでしょう。支度金があれば充分用立てられるはずです、是非ご活用いただきたい」
わぁ、地味に脅しと強制が入ってる。
一見親切だけど、これはもう「行け」の一言なのだろう。引きつりそうな頬を制してお礼を言うのがやっとだ。
「……もし先方に断られなければ、ええ、活用させていただきます」
「まさか、断られるなんて事はないはずですよ。リューベックの名にかけて誓いますとも」
リューベックさんというらしい。これほど若くして副長だというのだから有名なのだろうが、生憎と私は彼の家名の効果がいかほどかは知らないのだ。
頑張って憶えてはいってるけど、あまりにも人数が多すぎて……。なによりライナルト周りや貿易関係の周りを優先してたから、こういうところでボロが出る。
気まずくなったのが伝わってしまったのだろう。けれども相手は怒りもせず、柔らかく微笑を作っただけだった。
「これは私が傲慢だったようだ。相手が私を知っているなどと思い込んでは、うぬぼれが過ぎる。貴女が戸惑われるのも仕方ないだろう」
背を伸ばすと、改めて挨拶をされる。惚れ惚れするような見事な動作であった。
「……オルレンドル帝国騎士団第一隊副長、ヴァルター・クルト・リューベックと申します。自己紹介が遅れたことをどうかお許しいただきたい」
どうか想像して欲しい。公の場で、ただでさえ目立つ男性に礼を取られ衆目に晒される気持ちを。助けて! と叫びたい思いはあるものの、ここで逃げて許されるのは幼い子供か彼よりも高位の権力者だけだ。
「こちらこそ非礼をお許しいただければ幸いです。すでに名はご存知でしょうが、ファルクラム領コンラートのカレンでございます」
「存じ上げている。お会いしたときから思っていましたが、美しい名前だ」
それはどうもぉぉ……。
これはあれだ、カール皇帝がやたら好意的に私の評価を伝えたから、そのせいでこうなってるって考えるべきだろう。
そうじゃないとね、うん、こんな好意的すぎる視線を送られるのはありえない。
「…………ヴァルター、あなたいつまでわたしの友人を拘束するつもりなの。首を曲げるの、いい加減疲れてきたんだけど」
「私もいつまで貴女に嫌われ続けるのだろうと心配になってきたところです」
「わたし相手にあなたが好かれるとでも? よく言うわ」
不機嫌そうなエルはまさに天の助けだった。リューベックさんもエルの機嫌を損ねたくはないのか、おどけるように肩をすくめたところで、これで一区切り付いたと一安心だ。
「女を口説きたいなら時と場所を考えなさいな。大体その子は夫を亡くしたばかりで、あなたなんて目にないわよ」
「ご忠告痛み入ります。しかしカレン殿については陛下よりくれぐれもと言いつかっております。世話を焼くのは不自然ではありませんよ」
すごいなエル、第一隊副長さん相手に堂々とやり合ってる。
……しかしどうして私が口説かれなければならないのだろうか。帝都騎士団の権威が凄いのはなんとなく伝わっているが、実感はいまいち得られない。副長程の立場とこの容姿ならよりどりみどりだろうし、余所にいってくれないだろうか。
ここで遅れて登場したのは、問い合わせに走ってくれた軍人さんだ。リューベックさんの顔を見るなり緊張に全身を強ばらせたが、朗報をもたらしてくれたのだ。
「遅くなって申し訳ありません。討伐の任にあたった者と話をしたのですが、該当する猫がいたので連れてきてもらいました」
「いたんですか!」
「はい、ちょうど今朝押収された荷の中にいたようです。本来は検品と引き渡しの手続きが必要なのですが、猫だけならと特別に了解をくださいました」
あちらです、と振り返った先には 籠を両手に抱えた青年と女性がいたのだが、その二人には見覚えがあった。以前、遠巻きにこちらを観察していた人だ。印象的だったからよく憶えている。
向こうも私を知っていた。女性はたおやかに微笑んだが、青年は露骨に視線を逸らしていたのでばればれだが、敬礼は綺麗だった。
「第十隊のレーンクヴィストです。お探しの荷物を持って参りました」
いま第十隊といった? 確か実父候補であるベルトランド・ロレンツィが第十団を総括していたはずだけれど、関係があるのだろうか。女性はエルの姿に驚いたが、リューベックさんといった上官に敬礼は忘れなかった。
「コンラート夫人、お待たせして申し訳ありません。話はこちらの者から伺いましたが、お探しの猫はこちらでよろしかったでしょうか」
「見せていただいても……。はい、間違いありません」
青年が籠の蓋を開けると、黒に近い灰色に手足の先が白い靴下猫がいた。鳴きすぎたのか声は枯れ気味だけれど、間違いなくヴェンデルの猫だ。蓋を開けても飛び出す元気がないらしく、元気がないのが心配だ。
「包帯が巻いてあるようですが……」
「荷馬車が賊に襲われた際に転倒した形跡がありました。おそらくそれが原因ではないかと思います。隊に元獣医がいましたので、治療は保護後に」
「治療してくださったんですね。ありがとうございます」
「いいえ。飼い主が見つかってこちらも安心しております」
ここで「以前こちらを見張ってましたよね」と尋ねるわけにもいかず、相手も知らぬ存ぜぬを通すようだ。身元もわかりそうだし、害意はなさそうだから顔を覚えておくだけに留めておこう。
「ですが……猫はこうしてお返しすることは可能なのですが、今回はエル様のお立ち会いと……生き物ということもあって特例です。運び人が亡くなり、証書も消失していましたので、他の荷物は従来通り立ち会い照会を行った上での返品になります」
「ええ、もちろん構いません。それについては明日にでも人を送りますので、確認していただければ問題ないでしょう。いまはこの子が帰ってきただけで充分です」
猫もそこら辺にいる雑種だったから返却されたんだろうしなぁ……。取り計らってくれた軍人さんに感謝しておこう。
籠はジェフが受け取って、これで私の用事はお終い。エルも席を立ったし、軍人さん両方にお礼を言って退散することにする。
「本当にありがとうございます。返却を許可してくださった方々にも感謝いたします」
「ああ、うちの隊長は……はい」
「伝えておきましょう。ずっと怖がっておりましたので、どうぞ早く連れ帰ってあげてください」
青年がなにか言いかけたけれど、女性が素早く笑顔で制した。鋼鉄の笑顔って印象だ。
「リューベックさんも、お手を煩わせることがなくてほっとしております。ご親切にありがとうございました」
「気をつけてお帰りを。それと私のことはどうぞヴァルターと」
「……ええと、そうですね。機会があれば……」
エルはとっくに階段を降り始めている。挨拶も早々に踵を返し、その後ろ姿を追いかけた。
「エル、待ってよ」
「早く来ないと置いていくからね」
「足が速いんだってばー」
馬車に乗り込むまでエルは歩幅を緩めることなく、座ってからもどこか不機嫌だ。その理由は馬が走り出してしばらくしてから判明した。
「わかっちゃいたけどさ……。カレン、あんた嘘が下手すぎるわ。いままでよくそれでやってこれたわね。まったく見てられなかった」
「ええ……。そんなに下手だった?」
「相当にね。しらばっくれるくらいできるはずなのにどうして……。ああいうのは適当にはぐらかしておけばいいんだから、まともに相手する必要なんてない。なのにご丁寧に答えてるし、相手するヤツくらい選びなさいよ。嫌なら嫌って言えばいいの」
「下手に嘘をつき続けたって、ほどほどにしないとそのあとが大変じゃない。それにあんな場所で、立場がある人相手に嫌なんて言ったら、恥をかかせてしまう。初対面なのにそこまでできないわ」
「まったく……変なのを懐かせてどうすんの」
「エルこそ思うのは自由だけど、行動に移せる人ばかりじゃないんだから、安易に言ってはだめよ。時には相手と折り合いをつけなければならないのだから」
「わたしのことはいいのよ。あんたはもっと自分の身を守れって言ってるの。コンラートのときといい、ほんっと昔から自分のことには疎いんだから……」
エルの忠告は耳が痛い。いざって腹が据わればやけくそ半分で強気になれるんだけど、こういうあたりでヘマをしちゃうんだよなぁ……。
「エルこそリューベックさん相手にご機嫌斜めだったけど、一体どうしたの」
「軍人の中でも、特にあいつ嫌いなのよ。あいつっていうか、第一隊は団長も副長も嫌いだけど……」
忌々しげに語る姿、両者の間には余程何かあるのだろうかと思っていたら、外を見ながら教えてくれた。エルが後宮でひとり歌わされた事件、皇帝の命令を遂行するかを監督していたのがあのリューベックさんだった。
「リューベックがいくら名門だからって、あの見た目に騙されるんじゃないわよ。あいつはね、伊達に二十半ばで一隊の副長を張ってないの。皇帝が命令したら笑いながら部下だって斬り捨てる性格だわ」
想像以上に恐ろしい人だった模様。ところで名門とはいかほどのレベルなのだろう、尋ねてみると真顔で「とっっっても偉い」と言われた。
「商売としては縁がないから仕方なかったんだろうけど、バーレほどじゃなくても別の意味で張れる名門かもね。だからジェフ、あなたが割って入ろうとしたのも邪魔したのよ。ごめんね」
「え?」
「エル様が止めるのであればなにかあるのだろうと思いましたから」
「理解早くて助かるわ。……わたしの助手もあなたほど気が付けばなぁ……」
どうやらジェフは私が困っているので助けてくれようとしたらしい。ところが足が一歩も動かず困っていたところで、エルが目配せをしていたようだ。
「ありがとうね、ジェフ」
「なにもしておりませんので……」
ジェフの腕の中で、猫は時折悲しそうな鳴き声を漏らす。ごめんごめん、早くお家に帰れるといいんだけど……。
しばらく馬車に揺られて、ようやく家に帰り着く。一度出かけただけでぎゅっと凝縮されたような体験をしてきたからすでに疲れていたけれど、疲労に見合うだけの成果はあった。
すでにニーカさん達が到着していたらしく、友達の家から帰ってきたヴェンデル達が相手を務めていたらしい。部屋に入り注目を集めたのは猫入りの籠。に゛ゃあ、と長く濁った叫び声に一同驚いたが、ヴェンデルだけは違った反応をみせた。
「クロ」
困惑と狼狽。信じられないものを聞いたような顔になり、奇妙に頬を歪ませる。蓋を開けて猫を持ち上げたところで、みるみるうちに顔が真っ赤に染まった。
「うそだ、だって、だって……」
人前にも関わらずぼたぼたと涙を零しながら、手を伸ばしてやってくる。ごわごわの毛並みに人差し指が触れて、ようやく籠の中の生き物が本物だと気付いたようだ。おっかなびっくりの指が何度も何度も毛を撫でて
「お゛ま゛、ぇ、なんっ……ばが、あれだけさ、がじっ……」
両手で痩せ細った猫を抱きしめると、背中に頬を擦りつけてわあわあ泣きはじめる。
聞き取りにくかったけれど、どうやら「探したのにどうして出てこなかった」らしい。こうなると不思議なもので、みゃあみゃあ騒いでいた猫がぴたりと鳴き止み、ヴェンデルの腕の中にぴたりと収まったのだ。あの怖がってばかりの臆病猫がはじめて落ち着きを見せたのである。
ヴェンデルは泣き止まないけれど、それを咎める人はいない。
一人と一匹の再会はこうして果たされた。あとは末永く一緒に暮らすことだろうし、めでたしめでたしである。
……さ、しばらくノミとの戦いが始まるが、そのくらいは構わないだろう。
ところでジルはともかく、シャロとこの子は仲良くできるのかしら。
新登場
オルレンドル帝国騎士団第一隊 副長ヴァルター・クルト・リューベック
猫その2:クロ 柄は灰色靴下だけどクロ




