115、バーレ家の影響と関心
クロードさんはまるで一枚絵のようなポーズであったが、すかさず突っ込んだのはやはりウェイトリーさんである。
「なに気取っている。それよりも何故バーレ家について黙っていたか説明しろ」
「……お前は相変わらずせっかちだなぁ」
「この後は宮廷に上がることになっている、予定が詰まっているんだ。お前の茶番に付き合っている暇はないぞ」
「なんだ、宮廷へ行くのか?」
クロードさんはきょとんと目を丸め、小首を傾げたかと思えばおもむろに立ち上がる。
「それを早く言いたまえよ。だったら説明は道中で行おうじゃないか」
「待て、クロード。まさか付いてくる気じゃ……」
「道中と言ったじゃないか。耄碌するには早いぞウェイトリー、耳掃除と頭の運動はしっかりとな」
言う暇もなかったのだけど、どう返したらいいんだろう。
それよりも、クロードさんは本当についてくる気らしい。受付さんに出かける旨を言い残すと帽子と杖を取り、我が物顔で颯爽と馬車に乗り込むのである。お茶、といわれた受付さんも慣れているのか、行ってらっしゃい、と困惑の影すらない。
それうちが借りた馬車……。いえ、うん、もうなにも言うまい。
馬車を出発させるなり、クロードさんは言った。
「結論から言ってしまえば、噂の出所はバーレ家から発するものだよ。噂が流れた時点でおかしいと思い、私自ら調べたから間違いない。ベルトランド・ロレンツィ自体は関与していないな」
「ロレンツィ……カレン様のお父上候補は一軍を預かる将だったな」
「そう、ベルトランド・ロレンツィはいくつもある軍のうち、十番目の軍隊を統括している。バーレ家傘下ではあるが、ここがなかなか特殊な成り立ちでねぇ。元となった集団が養子になる以前から隊長として在籍していたから、ほぼバーレ家の手が入っていない」
「ええと、すみませんクロードさん。その言い方だとバーレ家とロレンツィは違うような印象を受けるのですが」
「実際似ているようで違うからね。そもそもバーレ家自体が端から見たらおかしいのだけれど」
クロードさんが懐から煙管を取り出すのだが、ウェイトリーさんが首を振ると残念そうにしまい直す。
「そもそもおかしいと思わないかね。バーレ家は名家だよ、婿入りならともかく四十も過ぎた男を養子に取るなんて、他家では滅多にない話さ」
「それは……家の存続の危機だった、とかではなく?」
「違うねぇ。バーレ家は優秀な人物の獲得に積極的なのさ。その家訓は徹底してて、たとえ実子であろうと実力がなければバーレを背負うのは許されない。養子入りはその手段のひとつに過ぎないし、現当主でさえ前当主との血のつながりはない」
バーレ家が将軍を輩出し続けた理由はそこにあると言う。ご老体の話を要約するとこうだ。
「バーレ家存続のためなら、血筋関係なく取り入れ襲名させると……」
「今代はかなり積極的でロレンツィの他に二人も養子にしているよ。ベルトランド・ロレンツィは次代当主候補といったところかな」
「……当主にするため養子にしたのに、複数人もいるとなると喧嘩になりません?」
「もちろんなるとも。だから養子達はバーレ家の家紋を巡って争う」
そうして最終的に勝ち残った人物がバーレ家の家紋を背負うのだ。
「バーレ家の誰が漏らしたまでは辿れなかった。そこは申し訳なく思うよ」
「関与していないとは言ったが、本当にどちらかが漏らした可能性はないのか」
「兄のベルトランドか弟のベルナルド? いやぁ、それはなさそうだが」
「何故そう言い切れる」
「家督相続に乗り気じゃないのに、コンラートと関係を匂わして何になる。弟のベルナルドもベルトランドの部隊にお情けで軍に入ったようなものだし、ベルトランドの意向に背くことはできない」
ベルトランド・ロレンツィという人。バーレ家の養子になった三人の中でも一等家督に興味がなく、変わらず自由気ままに振る舞う男というのがクロードさんの評価だ。
「他二人がバーレ家を介し特権階級の人間に縁を作る一方で、ベルトランドだけは養子になる以前と変わらないんだよ。市街地に繰り出しては気ままに酒を飲み、前線に出ては自ら武器を振るう。彼だけは他の養子と明らかに違いすぎる」
「ベルトランドさんという方、元々傭兵ですよね」
そのベルトランドの部隊はのし上がろうとしない隊長に業を煮やさないのだろうか。なんとなく疑問を口にすると、どうやらその可能性は限りなく低いらしい。
理由まで聞きたかったのだが、それより前に目的地に到着しそうだったので、慌てて髪を整えた。
「クロードさん、ご同行していただいてなんですけれど、これより先は……」
「なに、心配はご無用。これでも作法は心得ているのでね、上の方々に対する礼儀はわきまえておりますとも」
「あ、はい……」
力強い断言。にっこり微笑むクロードさん。
……これは、もしや。
「カレン様、そろそろです」
ジェフの一声で襟元を整えた。馬車は私にとっては二度目になる門を潜り、帝国の全てを担う中央区画への侵入を果たす。奥へ奥へと進む馬車はやがて以前とは違う建物へ到着するのだが、降りて驚いた。出入り口から周辺まで軍人に固められている。
「執政館ですね。カレン様、しっかりと」
ウェイトリーさんが支えてくれるのでなんとかなりそうだけど、こちらとしては気が気じゃない。
中に入ると、規則正しい足取りで幾人もの軍人や文官が往来を続けている。武器を持っているジェフや補佐官のウェイトリーさんは別室で待機。本来関係ないクロードさんも同様のつもりだったが、何故か同行を望まれた。
「お通しするのはコンラート夫人のみと仰せつかっております。そちらの御仁はどのような関係でしょうか」
「ああ失敬。わたくしは此度の件で夫人から相談役を仰せつかっておりましてな、此度は皆様方のご助力に参った次第です」
なんという口からでまかせ。
私やウェイトリーさんとしてはお引き取り願いたかったのだが、ここまで出てこられて言い争いをするわけにもいかない。ウェイトリーさんの目元が一瞬痙攣したのを私は見逃さなかった。この人を関わらせてしまったのは私だし、ここは責任を持って……!
「あの、クロードさん、失礼ですがここは執政館です。わたくし共はともかく、なんら関係のないクロードさんのお手を煩わせるわけにはいかな」
「この老体を気にしてくださるとは、なんとお優しい!」
「えっ」
「だがお気に召されるな夫人、我が身は老いてはいても心はまだ熱く若人にも引けは取りませぬぞ。必ずやお力になると約束しましょう。さあさあ、さあさあ!」
………………はい。
クロードさんの勢いに勝てず、一緒に中に通される始末。ウェイトリーさんごめんなさい、私、クロードさんを甘くて見ておりました。
階上の一室に通される寸前、クロードさんは文官にこう言い残した。
「それはそうと君、もしなにか悩みがあれば我が事務所を訪ねたまえ。必ず君の力になると約束しよう」
ちゃっかり名刺を渡したのである。やはり宣伝目的を兼ねてたか……!
案内されたのは二階にある両開きの一室だが、どうやらライナルトの執務室ではなさそう。文官が中に合図を送ると「入れ」の短い一言が奥から届く。
奥には年季の入った重厚な机と、布張りの椅子が一脚。そこに腰掛けたモーリッツさんがひたりと私を捉えていた。
「ご足労おかけする。……が、素早いご対応に感謝しよう。コンラート夫人」
「お久しぶりでございます。アーベライン様におかれましては、息災でなによりでございます」
「そちらの御仁はどなただろうか。見たところ私の知る顔ではないな」
正直クロードさんがなにをやらかすか気が気ではなかったのだが、ご老体はぴったり口を閉じている。うん、ここは私から紹介するべきなのだろう。
「……今回の件以前より、個人的に相談をしていたクロード・バダンテール氏です。アーベライン様が気にかけていらっしゃった件で、私がバーレ家に疎いものですから、なにかとご助言を……」
いただく予定でした。
クロードさんは綺麗に一礼すると、馬車内とは打って変わった声音を発するのである。
「ご紹介に与りましたクロード・バダンテールにございます。僭越ながら、コンラート夫人の相談役を務めさせていただいております」
「バダンテール……。いくらか噂は聞いたことがある。確か各方面に覚えがめでたいとか」
「我が身にできる仕事を果たしたまででございます」
「なるほど、その名を覚えておこう。だが生憎と本日は夫人と二人で話をさせてもらいたくてな。卿らに助言を請うことはなさそうだ。それでも構わぬだろうか」
「勿論でございますとも」
名前を売るのに成功したクロードさんである。一礼し室外へと去るのだが、一見すると門前払いをされたようで、その実目的はちゃっかり果たされている。しかも私が紹介したという名目付きで!
……この図々しさは見習うべきかな。
「夫人はこちらに座られるとよかろう。すぐに茶をお持ちする」
「ありがとうございます。では、失礼いたしまして……」
布張りの長椅子に腰を落ち着けると、向かいにモーリッツさんが腰掛ける。無駄話は好まないようで、お茶が運び終えるまでお互い無言だ。紅茶にお砂糖を二杯入れて、さらにミルクを注いだモーリッツさんがスッと息を吸う。
「さて、あのような人物にまで相談されていたと言うことは、噂は事実だったと考えて良いのだろうか」
「……事実と申しますか、まだ確証は取れてないと言うべきか、難しいところです」
「お聞かせ願いたい」
「いいえ。その前に、どうして私の実父がロレンツィであることがそれほど重要なのか。モーリッツさんが出てくる必要があるかをお話しいただく方が先です」
お声がけがあったから出頭したけど、突き詰めてしまえばこれはただの家族問題だ。彼が関わる必要はないし、ならばライナルトが関わるのだろう。
するとモーリッツさんはこめかみを揉み解しながら、溜息を吐いた。
「夫人は……そうか。バーレ家については詳しくないと先ほど聞いたばかりだったか」
「無知を強調するわけではございませんが、本日ファルクラムより戻ったばかり。出立前も帝都に馴染んだばかりの状況で、周囲に目を配る余裕はございませんでした」
モーリッツさんはずっと顰めっ面で、もしかしたら糖分が足りないのだろうか。さらにもう一杯砂糖を足すと、ぐるぐるかき混ぜ溶かしきったところで一口飲み干す。
「帝都内が次代を担う候補者としてヴィルヘルミナ皇女側、我が君の二派に分かれつつあるのはご承知だろうか」
「それは……もちろん」
それっぽく頷いてみるが、このあたりは想像に難くないだろう。ヴィルヘルミナ皇女が皇位を諦めていないのはとうに聞き及んでいる。
「貴女にもわかりやすく簡潔に述べてしまえば、だ。バーレはまだどちらを支持するか表明していない中立であり、他家でも及ばぬほどの影響力を秘めている名家でもある」
クロードさんがどうしてバーレ家について教えてくれなかったのかを聞きそびれた――と、気付いても後の祭りである、モーリッツさんが懇切丁寧に教えてくれた。
「あの家は力を有しながらも特殊な思想と成り立ちから、どの家も介入をしあぐねていた。動向を見守るしかなかった最中、そのバーレ家当主から直々に貴女について問い合わせがあったのだ」
「……ご当主から、と。ロレンツィではなく?」
「そうだ。事の重大さを、少しは理解いただけただろうか」
前回の猫の捕獲図(しろ46画):https://twitter.com/siro46misc/status/1348171960178470915




