101、隠されていたもの+新イラスト+自宅外観と1F間取り
新イラスト:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1332882632850382849
足からへたり込んでしまった私を、シスと思しき物体は呆れたように見下ろしていた。
「おやおや、大丈夫かい。よほど怖い目に遭ったんだねえ可哀想に」
「シ……」
「はいはい。シスお兄さんだよ」
彼は私を立たせようとしたのか、左手を掴まれるのだけど、触れられた箇所からなんともいえない奇妙な感覚が浸食してくる。痛いわけではないのだが、なんとなくこう、手先からじわじわ侵されるような、居ても立っても居られないような気色悪さだ。
言いたいことは山ほどある。この男が私を引き込んだせいでこんな目に遭ったのだとか、そもそも彼が目を離さなきゃよかったのに、どうして他人事のようにいられるのとか、苦労した人間を前に余裕綽々な態度はなんだ……等々。
だけど、いざ彼の姿を目の当たりにするとそんなものが全部吹っ飛んだ。それより発音できたこと自体が驚きだ。
「それ、な、に……」
シスは相変わらず黒い霧が人の形をとったような姿のままである。髪や服の造形など一つも見当たらない、本当にただの人型。耳や鼻はなくて、まぶたのない眼球と赤黒い口だけがついた奇妙な存在だ。彼を彼として区別する方法はだみ声の中に響く、私の知るシスの声音のみである。
私の質問に、シスは口を三日月型にして嗤った。笑い声は軽やかだったが、姿は何者をも嘲笑する趣のある姿である。階下にいた八つの影の姿に似ていたとも言えるだろう。
「なるほどなるほど、私はきみを怖がらせたのか! いや、その反応は久しぶりだ! 近頃は可愛げのない連中ばかり相手にしてたから、その感覚は忘れていた!!」
けらけらと耳障りな音を発しながら嗤いを零すと、指がパチンと鳴らされる。その合図と共に、いつものシスの姿に変化していた。普通では決してあり得ない現象を引き起こした男は、私と目線を合わせるためにしゃがみ、涙の跡を人差し指でなぞっていく。
「でもさ、きみを早く探してこいって言ったのはライナルトだ。私は彼の要望通りに早く探す努力をしただけだから、そんな顔されると傷ついて倒れてしまうよ」
「も、もともと、誰の、せいだと……」
「ごめんごめん。竿を動かす前に餌に飛びついてきたからびっくりしたんだ。でもすぐ殺されるわけじゃなかったし、いいじゃないか。人間おおらかさが大事だよ」
「どの口が――」
絶対悪いと思ってない「ごめん」だ。
いま、ものすごく悪態をついてやりたいが、ここに長居したくない気持ちの方が強い。文句はぐっと堪えて立ち上がろうとしたところで違和感に気付いた。
「わお、きみは人気者だ」
「う、ううう嬉しくない!」
絨毯から生えた黒い腕がスカートをがっちり握っている。びっくりポイントかもしれないが、シスのせいで緊張感が吹っ飛んでしまった感が否めない。冷静になると床から生える腕というのはなかなかシュールで……。雰囲気をぶち壊しにした当の本人はなにを思ったか、おもむろに立ち上がると片足を持ち上げた。
「ちょっと失礼」
黒い手めがけて足を振り下ろすと、お構いなしに踏みつけた。すると手は塵のように霧散し、あたりに溶けて消えていく。
……こんな簡単に片付くものなの?
「はい終わり。彼らには悪いけど、カレンお嬢さんをあげるわけにはいかないから仕方ないよ。……さ、もう立っても平気だ」
くそう。いままでなんとか踏ん張ってたのに、こんなヤツに言うのは気が引けるが……!
「…………立てない」
「はぁ?」
「立てない! ……さっきので、びっくりしたせいで!」
これほど腹が立つ「はぁ?」もない。案の定シスは可笑しそうに笑いを零し、あまつさえ小さな子供をあやすように頭を撫でてくる。恥ずかしくて顔から火が出そうだけど、本当に立てないのだ。自分でも驚くくらい足に力が入らないし、立つ、という感覚がわからなくなってくる。
「立てるまで待つわけにもいかないし、私が運ぼう。遅いとまたエレナに腕を落とされてしまう」
「ちょっと、いきな……わあぁ!?」
「暴れないでおくれ、落としたら拾うのが面倒だ」
両脇に手を差し入れられたかと思えば、ひょいっと持ち上げられてしまう。いくら彼が男性だからといっても、この細身の身体では人を持ち上げるのは難しいはずだ。それなのに猫を持ち上げるみたいな気軽さで、それこそ本当に拾う、くらいの感覚で持ち上げた。
片腕で臀部から太ももをかけて支え、片手抱きのスタイルになったのである。シスは問題ないかもしれないが、私の方が重心が取り辛くてつい頭を掴んだ。結構強く髪を引っ張ったはずなのに、彼は意にも介さない。
「じゃあ退散退散」
部屋の角に向き直ると、先ほどまで私が刃を突き刺していた壁を蹴った。するとなにもなかったはずの壁に扉の形が出来上がるのである。
「うそ、さっきまでなにもなかったのに……」
「そりゃあきみが出られないように隠されてたからね。もっとも、なにかの偶然でこれを見つけたとしても、無事脱出できるとは限らないけど」
もう一度蹴ると足の下からよくわからない紋様……これが魔方陣ってやつ? が広がって扉を浸食していく。全体にヒビが入ると足を起点に扉が黒い靄となって霧散していくのであった。
「こわ……なにこれ気色悪い」
「そういう反応は新鮮で好きだな。うん、あいつらがどれだけ可愛げがないのか改めて思い知らされた気がするぞ」
私を抱えたシスが部屋から一歩出ると、目の前には黒い景色が広がっていた。本当にそう表現するしかない、見渡す限り黒が広がる空間である。果たして視野角の異常か、こんな現象あり得るはずないのだが、八部屋にも及ぶ不気味部屋を通過した身としてはあり得ない、とも言えなくなってしまった。その奥行きを測る唯一の目安になったのは、道。いつの間にかシスの足下にできて、真っ直ぐ向こうまで続いている白い小道である。
「シス、ここはなに」
「さぁ……私が作ったわけじゃないからなあ。わかるとしたら、どこかの誰かが作った、憐れな供物を閉じ込めるための意地悪な場所ってところかなあ」
「私はどこかの部屋に閉じ込められてたんじゃないの?」
「もちろんそうさ。だけどあの家にいるようで、いない場所に引きずり込まれてしまった。だからエレナ達が家中探しても見つからない。これまでの行方不明者もそうだったんじゃないかな」
これまでの行方不明者とかいう言葉が引っかかったが、それよりも気になることがある。小道をゆっくりと進むシスに疑問をぶつけていた。
「ねえ、霊って存在するの?」
「いるといえばいるし、いないといえばいない」
「……ええと、気の持ちようとかそんなの?」
「きみが見たものについては一言で説明しきれない。だけど精霊だって存在するんだから悪霊や死霊の類だって存在するさ。君が見たのはかなり希有な例なのだけど。……よかったね、じわじわ殺す系で」
「もうその台詞が全部怖い……」
「本当に珍しいんだよ。誰もいなくなったあとも自発的に封じ込めを行ってたなんて、よく調教してたとしか思えないね。あれを作った人間は頭がイカれてるし、まともじゃない。私にはわかる、いまも生きてたらカールに気に入られるようなやつだ」
じわじわってなに、即死系トラップもあり得たって暗に言ってるようで薄ら寒いものが背中を駆け抜けた。そしてそれを気に入るというカール皇帝や、主君を呼び捨てにするシスにもだ。駄目だ、帝国の暗部に首を突っ込んでしまう気がする。話題を変えよう。
「そもそも精霊っておとぎ話じゃなくて実在するの?」
「ほとんど姿を消したけど、一応いたね。きみが少し前まで住んでたコンラートの森にだって昔は存在していたよ」
「色々突っ込みたいことがありすぎて頭がごちゃごちゃなんだけど……。なんか……シスって帝国の人なのに他国の事情まで詳しいのね」
「そりゃあそうだ。いまはこんなナリだけど、私は元々ただの旅人だよ。帝国に縛られるまでは諸国を漫遊していたし、大体のことは覚えているさ。いまだって制限はつくけど、あちこち渡り歩いているからね」
「旅人――?」
……帝国の人じゃなかったってこと?
彼がホラを吹いているようには感じないから信じる前提だ。縛られてるのくだりといい、説明する気もないのに情報を落としていくから拾いあげるのも大変だ。しかも全部の疑問を解消する時間もないのである。
彼って一体なんなのだろう。得体が知れないのは勿論なのだが、質問を口にすることはできなかった。
「……シス、私が捕まってた間の状況はわかるの?」
「なんとなくはね。あ、別に話さなくていいよ、私はきみを助けに来ただけで興味はない」
「ああそう、だったら話は早いわよね。私の前にも捕まった人がいたみたい。あの人達はどうなってしまうの?」
「それは私にもわからないなぁ。でも、これから次第じゃないかな。彼らはこの家の秘密を守るための贄にされた。いまそれをぶち壊してやるところだから、終わったら消滅するかもしれない」
「それよ、それ。どうしてなんの変哲もないお家がこんな変なことになってるのか、それを教えてほしいの」
「説明するの面倒なんだけど」
「人を餌にしといてそれはないでしょ!?」
今回ばかりは一からすべて、きちんと説明してもらいたい。わけもわからずこんな目に遭って、はいじゃあ助けられたから終わりなんて冗談じゃない。ところがシスは朗らかに笑うだけで、その先を教えようとはしなかった。暴れてやろうと思ったが落とされても困るし、わざと強めに髪を引っ張ったが、なんら痛がる様子もないのが悔しい。
「カレンお嬢さんさぁ、段々と遠慮がなくなってきてないかい。駄目だよ、年上は敬わないと。それともライナルトの前だけ猫を被りたいってこと?」
「あなたに遠慮してたら命がいくつあっても足りなさそうだからに決まってるでしょ! ほんっと、ここから出たら覚悟しなさいよ!?」
「吃驚して腰が抜けたにしては威勢がいいね」
シスの態度は真剣味に欠けているせいだろうか。怒る余裕が生まれているが、先ほどから封じ込めだの不穏な言葉のオンパレードだし、蚊帳の外に置かれてる感が強い。
「私が説明するより実物を見た方が早いさ。それでも詳細を知りたかったら、ライナルトにでも詳細を聞くといい。きみには心を砕いてるから、おねだりしたら教えてくれるかもしれないよ。……このあたりか」
「まだ道の途中だけ……どっ!?」
なにを思ったか、シスは小道をそれて直角に曲がった。直後、内臓がひっくり返るような感覚と共に落下していく。暗闇の中に――。
「落ち――!?」
なかった。シスの足下の闇が裂け、唐突に現れた床に着地した。上体が揺れ、全身に衝撃を受ける。
目を白黒させている間に「着いたよ」なんて言われても返答しようがない。落ちるなら落ちると一言いえ! そう怒鳴りつけようとして、はたと気付いた。
え、なにここ。
「カレンちゃん!」
状況を振り返る暇もない。いつの間にか近くにいたエレナさんに顔を引き寄せられたのである。バランス、バランスがとれない!
「無事で良かった! この馬鹿が本当にごめんなさい、目の前で消えて本当にどうしようかと……!」
「え、エレナさ、落ち、落ちる」
「エレナ。彼女ずり落ちそうだから手を離してあげなよ。落ちたら可哀想だ」
エレナさんだけじゃなくて、ライナルトやヘリングさんの姿もある。ここは――地下室だろうか。天井は木製、周りが石に囲まれて陽も差していないが、暖炉といったぱっと見わかりやすい設備は揃っていて、うちの地下と作りが似ているからすぐにわかった。壁に松明をかけて灯りをともしているようで、ぼんやりとしか把握できないが、家具類がないから寒々しい印象を受ける。そこにライナルトを除くと五名ほどが集まっており、シスは一同をぐるりと見渡した。無論、彼に抱えられた私も一緒にだ。
「お小言は後にしておくれ。で、ヘリング。さっき仕掛けにヒビを入れてきたから出現したと思うのだけど、出たかな」
「お前の言ったとおり、先ほど突然出現したが……ココシュカ、離れなさい」
「だって、だってわたしが気付かなかったせいでえええごめんなさいいぃぃ……」
「きみがこの子にあの家を紹介したからこそ判明したんだ、もっと胸を張っていいんじゃないか」
「あなたは本当に一言余計ですよね、また腕を落とされたいですか!?」
「シス、ココシュカを刺激しないでくれ」
ヘリングさんが半泣きのエレナさんの襟首を掴んでシスから剥がす。罪悪感に苛まれているようだが、なぜ彼女が謝らねばならないのか。激昂したエレナさんを抑えるためか、ヘリングさんは何食わぬ顔で彼女の口を手で塞いだ。彼女がもがこうが暴れようが一切動じる様子がなく、慣れを感じさせる動きである。
「そんなことよりそろそろ本題に入ろうじゃないか」
ライナルトとも目が合ったが、シスがいつになく真面目な雰囲気なので会話もできない。なによりこの状況がちょっと恥ずかしい。
「シス、もう降ろしてくれてもいいから」
「え、もう立てる?」
「それは……」
「きみが教えてほしいと言ったんじゃないか。この中で人を抱えて不自由せず動けるのは私だけだよ?」
そういえばまだ疲れを見せないし、ほんと人間なのかなこの人。それともそういう特別な魔法でもあるのだろうか。
で、ヘリングさんが視線を向けた方角なのだけれど……松明の明かりがぎりぎり届く距離、目をこらすと壁にぽっかりと穴が空いている。地下室の陰鬱な雰囲気と相まって不気味なのだが、シスは臆せずそちらへ足を運ぶのである。
「シス、彼女を家に帰さなくていいのか」
「いまの話を聞いてなかったのかいヘリング。きっかけになって手間を省かせてくれたし、本人も知りたがっているのだから教えたっていいだろう。なにより隣家なんだから協力させておけばいい」
「……コンラート夫人」
困った様子のヘリングさん。案じてくれるのは嬉しいが、ここは腹立たしいことにシスの言うとおりである。
「酷い目に遭ったんです。このまま私を帰すようなら、いまここで見聞きしたこと全部言いふらしますから」
「……殿下」
「諦めろ。巻き込んだのも、非があるのも我々の方だろう。もとよりシスが彼女を連れ込んだ時点で私たちに分はない。……いまはひとまず、無事で安心しましたよ、カレン」
「本当、言葉には言い表せないくらいとんでもない目に遭ったのですが……文句はあとにします」
「シスは貴方を連れて行きたいようだが、怪我はありませんね」
「……腰が抜けてしまった以外はなんとも。ですけどこうなったら意地でも連れてってもらいますから」
「まぁ私が持ってた方が良いよ。足を付けたら性懲りもなく攫っていくかもしれないし、防げるけど手間だ」
「それ初耳なんだけど!」
「言ってないからね。そういうわけだから、どこにも触らないでくれ」
頼まれたって触るものか!
ともあれライナルトはこっちの味方だ。シスを追いかけてきたライナルトも一緒になってぽっかり空いた暗闇をのぞき込む。
あの小道のように空間でも広がっているのかと思ったのだが、目を凝らすと下に繋がる階段がある。
「ご覧よお嬢さん。これがこの家に隠された秘密、入り口を隠すため、或いは侵入者を殺すために人を食い続けた家の正体さ。よくもまぁ、こんなもののために……」
最後の方、シスは皮肉めいて呟きをこぼす。
その瞬間だけ彼の感情に剣呑さが混じっていた。ほんの一瞬だけだったから、すぐに私の知るいつもの雰囲気に戻ったが……。
「……これはどこに繋がってるの?」
「地下水路。誰もが忘れ去ってしまった秘密の入り口だよ」
イラスト:しろ46さん




