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過労死サラリーマン、銀河の無茶振りに挑む 〜地球の存亡は10年後の星間会議(ミーティング)で決まるそうです〜  作者: パラレル・ゲーマー


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第67話 玻璃の水槽と神の最後通牒

 仮想対話空間『静寂の間』。

 光を飲み込むマットブラックの無限空間に浮かぶ、白く輝く円卓。そこに集うG7の指導者たちの顔色は、かつての高揚感とは打って変わり、深い疑念と焦燥に彩られていた。

 月に一度の定例会談。これまでは、西側世界の繁栄を確認し合い、介入者への感謝と新たな技術への期待を語る場であった。だが今日、この場の空気を支配しているのは、重く粘りつくような緊張感だった。


 その原因はただ一つ。アメリカ合衆国が掴んだ、ロシアに関する不穏な情報だった。


 定刻。円卓の中央に光の粒子が舞い降り、介入者メディエーターがその神々しい姿を現した。銀色の長髪、夜空の瞳。その超越的な美しさは変わらないが、今日その瞳に見据えられた指導者たちは、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべていた。


『――やあ諸君。……どうやら今日は、いつになく空気が重いようだね』


 介入者の穏やかな声が、全員の脳内に響く。


『文化の爛熟も、経済の沸騰も順調に進んでいるはずだ。……何か憂うべきことでも起きたのかな?』


 その問いかけに、アメリカ大統領ジェームズ・トンプソンが、意を決したように身を乗り出した。彼の額には脂汗が滲んでいる。


「……介入者様。……本日は、これまでの報告とは別に、至急ご相談したい……いや、確認させていただきたい案件がございます」


 トンプソンは手元の不可視のコンソールを操作し、一枚の衛星画像を円卓の中央に投影した。それはCIAが捉えた、シベリアのバイカル湖畔に出現した謎の巨大施設と、そこから放出される異常なエネルギーパターンの解析データだった。


「……我が国の諜報部が総力を挙げて掴んだ情報によりますと……。ロシアがシベリアの奥地で、何かとんでもないものを発見したようなのです」


 トンプソンの声が、緊張で上擦る。


「エネルギー反応は未知数。……そしてそこに関わっている科学者たちは、『女神』や『星霜菌』といった奇妙な言葉を口にしていると……。……我々はこれを、極めて重大な脅威と認識しております」


 他のG7首脳たちも固唾を飲んで、介入者の反応を待った。

 もしやロシアは、第三の異星文明と接触したのではないか? あるいは介入者が、我々に隠れてロシアにも何かを与えたのではないか? その疑念が彼らの心を蝕んでいた。


 だが。介入者の反応は、彼らの予想をあまりにも軽く、そして残酷なまでに裏切るものだった。


『――ああ、ロシアの件かね』


 介入者はその画像をちらりと一瞥しただけで、まるで天気の話でもするかのように軽く頷いた。


『……もちろん把握しているよ』


 その一言に、会議室の時が止まった。

 トンプソンが目を見開く。フランスのデュボワが息を飲む。日本の郷田と的場が顔を見合わせる。


 知っていた?

 神は全てを知っていたというのか?


「……は、把握……しておられた……?」


 トンプソンが震える声で問い返した。

 そしてその驚愕は、すぐさま抑えきれない憤りへと変わっていった。


「……では介入者様! ……どういうことですかな!? なぜそれを、我々に……我々同盟国に、隠しておられたのですか!?」


 彼の声が荒くなった。


「我々はあなた様を信じ、あなた様の導きに従ってきました! それなのにあなたは、我々の最大の潜在敵国であるロシアの動向を知りながら、我々に一言の警告も……!」


 その人間としての当然の抗議。

 信頼に対する裏切りへの、悲痛な叫び。


 だが介入者は、そのトンプソンの言葉を、まるで理解できない言語を聞いたかのように、きょとんとした表情で受け止めた。


 そして彼は、ゆっくりと首を傾げた。その瞳には悪意など微塵もなかった。あるのは、人間と神との間にある埋めようのない認識の断絶だけだった。


『……隠す?』


 介入者の声が静かに、しかし冷ややかに響いた。


『……なぜ私が?』


「な……」


『……ジェームズ。……君に一つ問おう』


 介入者はトンプソンを、まるで顕微鏡の中の微生物を覗き込むような目で見つめた。


『……君は、自分が飼っている水槽の金魚が今日は何回餌を食べたかを……わざわざ庭のアリに報告したりするかね?』


「…………ッ!!」


 その、あまりにも強烈な、そしてあまりにも傲慢な比喩。

 トンプソンは言葉を失い、その場に凍りついた。他の指導者たちも、戦慄に身を震わせた。


 金魚とアリ。

 それが彼(神)から見たロシアと、我々(G7)の関係だというのか。


 対等なパートナーだと思っていた。選ばれた民だと思っていた。

 だが彼にとって我々は、ただの観察対象、水槽の中の生き物に過ぎなかったのか。


『私はこの惑星ほしの管理者だ』


 介入者は淡々と言った。


『どこで誰が何をしようと、それは全て私の庭の中での出来事だ。……それをいちいち君たちに報告する義務もなければ、理由もない。……そうだろう?』


 その絶対的な階級差の提示。

 トンプソンは狼狽え、脂汗を流しながら、それでも必死に食い下がった。


「……し、しかし……! ですが介入者様……! 我々は不安なのです! ロシアが手に入れたあの力が、一体何なのか! ……もしや我々への脅威になるような、恐るべき兵器なのではないかと……!」


 彼はプライドをかなぐり捨てて懇願した。


「……教えてください! あの力は何なのですか!? 異星文明のテクノロジーなのですか!? もしそうなら我々も対抗策を……!」


 その恐怖に駆られた子羊のような姿を見て。

 介入者は、ふっとその表情を和らげた。それは、怯えるペットを安心させる飼い主のような慈悲と、そしてわずかな軽蔑が入り混じった笑みだった。


『……ああ、それならば心配は無用だよ』


 彼は優しく言った。


『……あれは異星文明由来のテクノロジーなどではない。……介入者わたしとも太歳とも違う。……もっと、この星の根源に関わる力だ』


「……根源……?」


『うむ。……どうやらこの星自身……君たちが『地球』と呼ぶこの惑星の意思そのものが、目覚め始めたようだ』


「惑星の……意思……?」


 指導者たちは呆然と顔を見合わせた。話のスケールが政治や軍事の枠を超え、神話の領域へと突入していく。


『……私も、まだその全てを把握しているわけではないがね』


 介入者は顎に手を当て、思案するような仕草を見せた。


『……だが少なくとも、あれは君たちが恐れるような直ちに危険な兵器などではない。……それどころか、あの微生物はこの星の生態系が自らを生み出した、素晴らしい浄化作用の現れでもある』


「……浄化ですか?」


 日本の的場大臣が、思わず問いかけた。


『ああ。……この星は、君たち人類によって汚された大気や大地を、自らの力で癒そうとしているのだよ。……あれはそのための免疫システムのようなものだ』


 介入者は頷いた。


『……うん。使い方さえ誤らなければ、むしろ君たち人類全体にとって非常に良いものになるだろうね。……エネルギー問題や環境汚染……君たちが抱える多くの難問を解決する鍵になるかもしれない』


 その言葉に、指導者たちの間に安堵の空気が広がった。

 兵器ではない。侵略者の尖兵でもない。地球そのものが生み出した浄化の力。

 それならば、恐れる必要はないのかもしれない。


 だが次の瞬間。介入者ははっとしたように口元を手で覆った。


『……おっと、これは少しヒントを出しすぎたかな』


 彼は悪戯っぽくウインクした。


『……まあいい。……ロシアの友人がその力をどう使いこなすか。……あるいはその力に振り回されるか。……それは彼らの試練だ。君たちが過剰に干渉すべきことではないよ』


 その言葉は暗に、「ロシアに手出しをするな」という警告を含んでいた。

 トンプソンは不満げに口を引き結んだが、それ以上追及することはできなかった。


 神が「心配ない」と言ったのだ。

 そして「干渉するな」と。


 ならば従うしかない。


 会談はその後、代替装備の普及状況やシールド技術の開発進捗といった、いつもの議題へと戻っていった。

 だがその空気は、冒頭の衝撃によってどこか空虚なものになっていた。


 指導者たちは心のどこかで感じていた。

 自分たちは、神の掌の上で踊らされているだけなのだと。

 そしてその掌の上には、自分たちだけでなく、中国もロシアも等しく乗せられているのだと。


 やがて予定された議題が全て終了し、会談が終わろうとした時。

 介入者が不意に、その表情を一変させた。


 それまでの穏やかでどこか人間臭い表情が消え失せ、そこには絶対的な審判者としての冷徹で無機質な仮面が現れた。


 彼はゆっくりと立ち上がった。

 その全身から目に見えないプレッシャーが放たれ、仮想空間であるはずの『静寂の間』の空気が、びりびりと震え始めた。


『―――最後に』


 その声は低く重く、指導者たちの魂の芯まで響いた。


『―――最後に一つだけ、君たちに警告しておく』


 トンプソン、シュミット、デュボワ、郷田……。

 G7の王たちは、その威圧感に押され、椅子に縫い付けられたように動けなくなった。


『君たち西側の者たちも、東の者たちも、そして北の者たちも。……それぞれが異なる道を歩み始めた』


 介入者は静かに語り始めた。


『西は機械との融合を。東は生命の改変を。そして北は大地の力を。……それは進化の多様性として、私は歓迎しよう。……競争もまた進化の触媒だ。互いに競い合い高め合うことは、悪いことではない』


 彼はそこで一度言葉を切った。

 そしてその夜空のような瞳に、氷のような光を宿して彼らを見下ろした。


『―――だが』


『その競争がどのような形であれ、君たちの種族がいまだに手放せずにいる、あの最も愚かで最も原始的な暴力装置――すなわち『核兵器』――の使用へと繋がるのであれば。……話は別だ』


 核兵器。

 その単語が出た瞬間、指導者たちの背筋に戦慄が走った。


『……君たちは知っているはずだ。……この宇宙には無数の文明が生まれては消えていったことを。……そしてその多くの文明が、ある段階で忽然と姿を消してしまうことを』


 介入者は、宇宙の深淵を語るように言った。


『我々はそれを『グレート・フィルター』と呼ぶ。……文明が次のステージへと進むために、必ず越えなければならない淘汰の壁だ』


『―――核戦争は、そのグレート・フィルターの最も古典的で、最も愚かな自滅パターンだ』


 彼の声が轟いた。


『自らが生み出した炎で自らの星を焼き尽くす。……そんな愚かな種族に、宇宙へ出る資格はない。……銀河コミュニティは、そのような野蛮な文明を決して受け入れない』


 彼は右手をゆっくりと上げた。

 その掌の上に、青く輝く地球のホログラムが浮かび上がる。

 そして彼は、その地球を握り潰すような仕草をした。


『……もし君たちが、この地球という名の水槽の中で、再びそのような大規模な戦争を――たとえそれが限定的なものであろうとも――引き起こそうとするならば』


『―――その瞬間、私は君たち人類という種族を『失敗作』と見なす』


 失敗作。

 その言葉の、絶望的な響き。


『私はこの観測ステーションを放棄し、この星系から永遠に立ち去るだろう。……そして君たちは、全ての神々から見捨てられた孤独な子供として、自らが引き起こした核の冬の中で、ゆっくりと、誰にも知られることなく滅びていくがいい』


 それは脅迫ではなかった。

 それは感情の入らない、事実の通告だった。


 神に見捨てられる。

 それは人類にとって、死よりも恐ろしい永遠の孤独と絶望を意味していた。


『……これは脅しではない。……ただの事実だ』


 介入者はその冷徹な視線を、一人一人の目に焼き付けるように見回した。


『……君たちが、その愚かな引き金を引くかどうか。……私は静かに見守らせてもらうとしよう』


 その言葉を最後に、介入者の姿は、いつものように光の粒子となって消えることはなかった。

 彼はただそっと背を向け、闇の中へと歩み去っていった。

 まるで愚かな子供たちに愛想を尽かしたかのように。


 後に残されたのは、凍りついたような静寂だけだった。

 誰も動けなかった。息をすることさえ忘れていた。

 ただ圧倒的な恐怖と、そして突きつけられた責任の重さに震えていた。


「…………」


 数分の沈黙の後。

 トンプソン大統領が、ようやく絞り出すような声で呟いた。


「……肝に……銘じます……」


 その言葉は誰に向けたものでもなかった。

 ただ、自らの震える心を必死で繋ぎ止めるための言葉だった。


「……あんな……あんな顔は初めて見た……」


 ドイツのシュミット首相が、青ざめた顔で言った。


「……あれは本気だ。……もし我々が過ちを犯せば、彼は……本当に我々を見捨てる……」


 日本の郷田総理も、その老獪な表情を崩し、額の汗を拭った。


「……くわばらくわばら……。……神の逆鱗に触れるとは、まさにこのことか。……どうやら我々は、調子に乗りすぎていたようだ」


 CISTの的場大臣だけが、その恐怖の中で奇妙な安堵を感じていた。


(……やはりあの御方は見ておられるのだ……)


 彼は思った。


(……我々が力に溺れ、破滅の道へと進もうとしているのを、ギリギリのところで引き止めようとしてくれている……。……これは警告ではない。……これはまだ我々を見捨ててはいないという、慈悲なのだ……)


 だが恐怖に支配された他の指導者たちには、そこまで考える余裕はなかった。

 彼らの頭の中にあるのはただ一つ。「絶対に核を使ってはならない」という、絶対的なタブーだけだった。


「……どうする、トンプソン」


 フランスのデュボワが、震える声で聞いた。


「ロシアの件だ。……我々はどう動く?」


 トンプソンは深呼吸をした。そして、努めて冷静な、しかし以前のような好戦的ではない声で答えた。


「……介入者様は言った。『直ちに危険な兵器ではない』と。……そして『過剰に干渉するな』とも」


 彼は決断した。


「……しばらくは静観だ。……ロシア相手に下手に強硬な態度に出て、彼らを追い詰め暴発させるわけにはいかん。……それは我々全員の破滅を意味する」


 彼は、CIA長官への命令を脳内で書き換えた。


「……情報収集は続ける。だがあくまで隠密にだ。……我々が彼らの秘密に気づいたと向こうに悟られないように。……そして決して彼らを刺激しないように」


「……同意する」


 シュミットが頷いた。


「……我々が今やるべきは、ロシアを叩くことではない。……彼らがその『星の力』とやらを平和利用するように、外堀を埋めていくことだ」


「……まあ、そういうことですな」


 郷田も同意した。


「……触らぬ神に祟りなしです。……今は、嵐が過ぎるのを待ちましょう」


 G7の指導者たちは、神の警告という名の冷水を浴びせられ、熱狂的な軍拡ムードから一転、慎重な現実路線へと舵を切らざるを得なくなった。

 ロシアへの直接的な介入は回避された。少なくとも当面の間は。


 その様子を月面の観測ステーションから見下ろしていた相馬巧は、コントロールチェアの上でぐったりと脱力していた。


「……はあぁぁぁぁ…………」


 長い長い安堵のため息。


「……怖かった……。マジで怖かった……。あんな偉そうなこと言って、もし逆にキレられたらどうしようかと……」


 彼は冷や汗でびっしょりになった(気分の)額を拭った。


『お見事でした、マスター』


 イヴがその光の体で拍手をした。


『マスターの迫真の演技により、G7首脳の「対ロシア強硬指数」は危険水域から安全圏へと劇的に低下しました。……また「核使用への忌避感」も測定不能なレベルまで上昇しております。……これぞまさに「神の一手」ですわ』


「……演技じゃねえよ……」


 巧は苦笑した。


「……半分は本気だ。……あいつらが本当に核なんか使いやがったら、俺はマジでここから逃げ出すぞ。……そんなバッドエンド見たくもねえからな」


 彼はスクリーンに映る地球を見つめた。

 そこにはまだ、かろうじて平和が保たれている青い星があった。


「……まあ、これで少しは頭を冷やしてくれるだろ。……しばらくはロシアもG7も、お互いに様子見で睨み合いが続くだけだ。……その間に、次の手を考えなきゃな」


「……少し警告が過ぎたかな……。でもこれくらい言わないと、暴走しちゃうだろ君たち?」


 彼は画面の向こうの指導者たちに、そう語りかけた。


「……頼むからしっかりしてくれよ。……俺の胃がもたねえんだよ……」


 神の代理人は、その孤独な玉座で、再び重い責任と、そして一時の安息を手に入れた。


 世界は神の最後通牒によって、破滅の淵で踏みとどまった。

 だがその均衡は、あまりにも脆く、そして危ういものだった。


 三つの力が拮抗するこの不安定な世界で。

 人類は本当に「対話」という答えを見つけ出すことができるのだろうか。


 その答えが出るまで、巧の眠れない夜はまだまだ続くのだった。

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