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過労死サラリーマン、銀河の無茶振りに挑む 〜地球の存亡は10年後の星間会議(ミーティング)で決まるそうです〜  作者: パラレル・ゲーマー


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第65話 影の中の囁きと王たちの猜疑

 ワシントン D.C.、ホワイトハウス。その心臓部である大統領執務室オーバルオフィスは、人類が新たな時代を迎えて以来、かつてないほどの静かな、しかし確実な自信に満ち溢れていた。『大休暇時代』の成功は西側社会に文化的爛熟と経済的繁栄をもたらし、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・トンプソンの国内支持率は、歴史的な高水準で安定していた。彼は人類を新たなステージへと導いた偉大な指導者として、その名を歴史に刻むことを確信し始めていた。


 午後の柔らかな日差しが分厚い防弾ガラスを通して部屋に差し込む中、トンプソンは『国民総幸福度(GDH)』の最新レポートに目を通していた。芸術分野への民間投資額、前年比 300% 増。国民の平均余暇時間、週 40 時間増加。出生率、緩やかながらも確実な上昇カーブへ転換。全てが輝かしい数字に満ち溢れていた。もちろん水面下には問題が山積している。非改造者ナチュラル改造者クロムとの間に生まれつつある見えない壁、眠らない社会が生み出す新たな精神の病、そして何より、中国の『地龍脈』がもたらす地政学的脅威と、DARPA が進める『プロジェクト・プロメテウス(シールド技術開発)』の遅々とした進捗。それらが彼の心を重く曇らせてはいたが、それでも今のところ世界は「管理可能」な範囲内に収まっているはずだった。


 その計算ずくの平穏が唐突に破られたのは、午後の定例報告の直前だった。執務室の重厚な扉が、ノックもそこそこに荒々しく開かれた。血相を変えて飛び込んできたのは、CIA(中央情報局)長官マーク・サリバンその人だった。彼の、いつもは冷徹なまでに整えられた銀髪は乱れ、その目の奥には、トンプソンがここ一年で見たこともないような純粋な驚愕と、そしてわずかな恐怖の色が浮かんでいた。


「大統領閣下ッ! 緊急事態です!」


 サリバンのその切迫した声。トンプソンは手にしていたレポートをデスクに投げ捨て、瞬時に指導者の顔へと切り替わった。


「どうした、マーク。太歳がついに台湾海峡を渡る準備でも始めたか? それとも G7 のどこかで大規模なテロでも起きたか?」


「いえ、違います!」


 サリバンはデスクに手をつき、荒い息を整えながら言った。


「――シベリアです。……北の熊が、我々の知らないところで、何かとんでもないことをしでかしている模様です」


 数分後。ホワイトハウスの地下深く、世界で最も安全な部屋シチュエーションルーム。その薄暗い空間に、国家安全保障会議(NSC)の主要メンバーが大統領の緊急招集を受けて集結していた。大統領ジェームズ・トンプソン。CIA 長官マーク・サリバン。国防長官ジョン・“ブルドッグ”・マティス大将。そして国家安全保障担当補佐官であり、その卓越した分析能力でトンプソンの絶対的な信頼を得ているサラ・ジェニングス。彼らが席に着くと部屋の照明が落ち、正面の巨大なメインスクリーンに衛星写真が映し出された。


「諸君、早速本題に入る」


 サリバンがレーザーポインターでスクリーンの一点を指し示した。そこに映し出されていたのは、シベリアの広大な針葉樹林帯、バイカル湖のほとりに広がる、何の変哲もない森林地帯。


「ここはバイカル湖畔から数キロ離れた未開発の原生林だ。……三ヶ月前の同時刻の衛星写真がこれだ」


 画像が切り替わる。見渡す限りの緑の森。


「そして、これが今朝方、我が NRO(国家偵察局)の最新鋭偵察衛星『キーホール・オメガ』が捉えた同じ場所の赤外線サーモグラフィ画像だ」


 画像が再び切り替わった。その瞬間、会議室にいた全員が息を飲んだ。そこには森など存在しなかった。地表は巧みに偽装されているが、赤外線が暴き出したその地下には、まるで巨大な蟻の巣のように複雑で広大な地下施設が広がっていたのだ。その規模は、日本の CIST や、中国が建造したとされる太歳の神殿にも匹敵する、国家規模のプロジェクトであることは明らかだった。


「……なんだこれは……」


 マティス大将が唸った。


「いつの間にこんなものを……」


「問題はそれだけではありません、大将」


 サリバンは、さらに衝撃的なデータを表示した。


「この施設のエネルギー消費量が異常なのです。ロシア全土の公表されているどの発電所の出力とも計算が合わない。それどころか、この施設自体が近隣の都市イルクーツクの全消費電力を賄えるほどの、未知の巨大なパワーソースをその内部に保有している可能性を示唆しています」


「……まるで小型の原子炉だな」


「それも違います、大統領」


 サリバンは首を横に振った。


「検出されたエネルギーパターンは、我々が知るいかなる核分裂炉、核融合炉のそれとも一致しません。……これは我々の理解を超えた、全く新しい原理のエネルギーです」


 会議室の空気が、張り詰めた硝子のように緊張した。


「さらに」


 とサリバンは続けた。


「FSB(ロシア連邦保安庁)内部の最も信頼できるアセット(協力者)からの断片的な情報です。……この数ヶ月、ウラジーミル・ボグダノフは、ある一人の科学者を国家英雄として極秘裏に厚遇していると」


 スクリーンに、痩身で神経質そうな学者の顔写真が映し出される。


「アレクセイ・ペトロフ。極地研究所所属の地質学者。専門は古代微生物学。……表向きの経歴は平凡です。ですが三ヶ月前、彼がシベリアのヤナ川流域での調査から帰還した直後、ボグダノフは彼をこの新設された地下施設『ロシアン・アーク研究所』の所長に直々に任命しました。そして、それと時を同じくして、人民解放軍のサイバー部隊と GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)の動きが、奇妙な形で沈静化しているのです」


「……どういう意味だ?」


 トンプソンが鋭く問い返した。


「まるで、我々や中国を監視する必要がなくなったかのように。……あるいは我々が持っていない全く別の『何か』を手に入れたことで、もはや我々を脅威と見なさなくなったかのように、です」


 その、あまりにも不気味な分析。会議室は重い沈黙に包まれた。ロシアは何を隠している? G7 と中国が神々の玩具に夢中になっている間に、あの氷の皇帝は水面下で何を企んでいる?


「……新型の核兵器か?」


 マティス大将がその重い口を開いた。


「だが、エネルギーパターンが既存の核施設とは全く異なる。それに、あのボグダノフが今さら、我々がシールド技術で無力化しつつある旧世代の兵器に固執するとは思えん」


「中国の『地龍脈』の成功を見て、彼らも自国の大地に眠る何かを探し始めた……と考えるのが自然では?」


 国家安全保障担当補佐官のサラ・ジェニングスが、冷静に分析した。


「例えば、シベリアの広大な大地に眠る古代のテクノロジーとか……」


「……それです、大統領」


 CIA 長官サリバンが、意を決したように言った。


「ここからは、一年前の我々であれば一笑に付したであろう仮説の領域に入ります。……だが、もはや我々はこの可能性を無視することはできない」


 彼は部下に命じて、一つの音声ファイルを再生させた。それは、凄まじいノイズに塗れた、ほとんど解読不能な音声データだった。だが、最新の AI によるノイズ除去と解析によって、いくつかの単語が幽霊の囁きのように浮かび上がってきた。


『……ガガッ……ペトロフ博士……「女神」…ザザッ……』

『…警告…「大地の警告」だ…』

『…奇跡…「星霜菌」…ザザーッ…』


「……女神?」


 トンプソンは思わずその単語を繰り返した。その声には、もはや驚きではなく、うんざりとした疲労の色が浮かんでいた。


「……またか。今度はロシアにも神が現れたとでも言うのか? 西に介入者、東に太歳、北にロッド? ……まるで神々の安売りセールだな」


「馬鹿馬鹿しい!」


 マティス大将が机を叩いた。


「介入者様や太歳は、現実に我々の文明を書き換える『力』を示した! だが、こんなノイズ混じりの『女神』など、ボグダノフが我々を欺瞞するために流したデマ情報に決まっている! あの男が、そんなオカルトに本気でかぶれたとでも?」


「ですが大将」


 サラ・ジェニングスが、その冷静な視線でマティスを制した。


「我々はすでに介入者様の存在を『現実』として受け入れています。太歳が中国に奇跡をもたらしたのも『事実』です。……ならば、第三の存在がロシアに接触したという可能性を、我々はもはや『馬鹿げたこと』として頭ごなしに切り捨てることはできないはずです。……それは科学的な態度とは言えません」


 その的確な指摘に、マティスはぐっと言葉を詰まらせた。トンプソンは深く深くため息をついた。


「……ああ、そうだな、サラ。全くクソみたいな時代になったもんだ。……我々は、もはや何が現実で、何がプロパガンダなのか、その区別すらつかなくなっている」


 彼はサリバンに向き直った。


「……で? その『女神』とやらは、ボグダノフに何を与えたと君のアナリストたちは推測している?」


「詳細は不明です」


 とサリバンは首を横に振った。


「ですが、ペトロフ博士はもともと古代微生物学の権威。そして観測された謎のエネルギーパターン。『星霜菌』という謎の単語。……我々アナリストの、最も有力な、しかし最も突飛な仮説は……」


 その場に特別アドバイザーとしてオンライン参加していた DARPA の天才、エリアーナ・ヴァンス博士のホログラムが、その言葉を引き継いだ。


「……シベリアの永久凍土で、古代の宇宙船か、あるいは異星由来の未知の生命体テクノロジーを発見した可能性です」


 その一言が、会議のタガを完全に外した。


「介入者様や太歳様とは全く別の、第三の異星人勢力か?」

「あるいは介入者様が、我々に隠していた別の計画?」

「いや待て。シベリアといえばツングースカだ。……1908 年のあの大爆発。……あれがもし隕石ではなく宇宙船の墜落だったとしたら? そして、その残骸をボグダノフがついに掘り当てたとすれば……?」

「もしそうなら、ロシアはどんな力を手に入れた? G7 のシールドを無効化する未知の兵器か? 中国の龍脈を汚染する生物兵器か?」

「あるいは……」


 ジェニングスが、最も恐るべき可能性を口にした。


「我々が喉から手が出るほど欲しがっている、あの……介入者様がかつて存在を匂わせた『物質創成技術』の、そのヒントを……?」


 指導者たちは、一年前なら自分たち自身が精神病院送りにしていたであろう荒唐無稽な憶測を、今や国家の最高安全保障機密として真剣に議論していた。人類の常識は、もうそこまで変貌してしまっていたのだ。


「……もういい」


 トンプソンがその混沌とした議論を手で制した。


「憶測で何を話しても時間の無駄だ。……現実はこうだ。……ロシアは何かを掴んだ。そして、それを我々に隠している。……その『何か』が我々にとって脅威である可能性は極めて高い。……我々が取るべき行動は一つだ」


 彼の目が、大統領としての冷徹な光を取り戻した。


「サリバン。アセットを総動員しろ。FSB の協力者への報酬を倍にしろ。何としても『ロシアン・アーク』の内部情報をブチ抜け」


「イエスサー」


「マティス。ヴァンス博士。『プロジェクト・プロメテウス』をさらに加速させろ。予算は青天井だ。ロシアが何を隠し持っていようと、我々がそれをも上回る『盾』を先に完成させるのだ」


「御意」


「ジェニングス。……次の介入者様との定例会談でこの件をどう切り出すか、最高のシナリオを用意しろ。『我々は、あなたのライバルである太歳だけでなく、この新たな女神の脅威にも晒されている。我々 G7 を、もっと強力に支援すべきではないか』と。……神々の嫉妬を煽るのだ。……それこそが、我々人間に残された唯一の外交術かもしれん」


「……承知いたしました、大統領。……神を揺さぶると」


 シチュエーションルームは、再び西側陣営の冷徹な戦略司令室としての機能を取り戻した。彼らは新たな脅威(あるいは好機)の出現に対し、彼らなりの最適解を導き出し、動き始めた。


 その人類の最高意思決定の全てが。月面の観測ステーション『ヘブンズ・ドア』で、一人の男によってリアルタイムで傍受されていることなど夢にも思わずに。


「―――あらら……。即効で秘密があるってこと、バレてるじゃん……」


 コントロールルームの椅子に深く身を沈めた相馬巧は、スクリーンに映し出されるトンプソンたちの真剣な顔を眺めながら、思わず頭を抱えた。擬体の存在しないはずの胃が、キリキリと痛むような錯覚に陥る。


「ロシア、しっかりしてくれよ……。ペトロフ博士の研究施設、あれだけ国家の総力挙げて作ったのに、なんでこんな簡単に衛星に引っかかるんだよ。もうちょっとこう、カモフラージュとかさあ……」


 彼は愚痴っぽく呟いた。だが、彼の傍らに浮かぶ光の AI・イヴが、その愚痴を冷静なデータで一蹴した。


『マスター。……ロシアの隠蔽技術が低いのではなく、G7(特にアメリカ)の偵察技術が、介入者様あなたから与えられた空間拡張技術の応用(超高解像度・多重スペクトルレンズなど)によって、この一年で飛躍的に向上した結果です。……全ては、マスターご自身の「脚本」が招いた必然的な帰結かと』


「うぐっ……」


 巧は言葉に詰まった。そうだ。アメリカの「目」を良くしすぎたのは、この俺だった。


「……それもそうか……。俺がアメリカを強くしすぎたのか……。……ああもう! 神様三役兼任とか、マジでブラック企業時代のワンオペプロジェクトよりキツいぞ、これ……!」


 彼は再び頭を抱えた。


「どうする、どうしようか……。このままだと、アメリカがロシアに対して過剰な警戒を始めて、無用な緊張が走るぞ。ボグダノフがそれにキレて、女神の警告を無視し、本格的に軍事開発路線に舵を切ってしまったら元も子もない。……かといって、俺がロッドとしてアメリカの前に出て行って『ロシアをいじめるな』なんて言えるわけもないし。……かくなる上は、介入者としてあのトンプソンの馬鹿げた憶測を適当に誤魔化してやるしかないか……? いや、それも火に油を注ぎかねん……」


 巧は、自らが創り出した三つの文明という名の、あまりにも扱いづらい駒たちが盤上で勝手に、そして最悪の方向へと動き始めたことに、脚本家としての新たな、そして深刻な胃痛(擬体なので痛まないが)を感じ始めていた。彼の孤独な頭脳労働は、まだまだ終わりそうになかった。

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