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過労死サラリーマン、銀河の無茶振りに挑む 〜地球の存亡は10年後の星間会議(ミーティング)で決まるそうです〜  作者: パラレル・ゲーマー


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第23話 鋼鉄の福音と王たちのジレンマ

 アメリカ合衆国バージニア州、ペンタゴン。

 その鋼鉄の心臓部である地下作戦司令室「タンク」は、再び、西側世界の七人の支配者たちを迎え入れていた。前回、彼らがこの場所に集った時、部屋を支配していたのは人類の常識が根底から覆されたことへの純粋な衝撃と、未知なる存在への畏怖だった。だが、今日、この場所に渦巻いている空気は、明らかに異質だった。畏怖の念は依然として存在する。だが、それ以上に、神から与えられた新たな玩具を前にした子供のような、抑えきれない興奮と、その玩具をどう使って遊ぶかを計算する、冷徹な大人の打算が、複雑な地層のように重なり合っていた。


 円卓を囲むG7の指導者たちの手元にあるタブレットには、日本の的場大臣からもたらされた最高機密資料『鋼鉄の福音:失われた希望を取り戻すための、人道的提案』が、その美しいレイアウトと感動的なイメージ映像と共に表示されている。誰もが、食い入るようにその画面を見つめ、あるいは、天を仰いでそのあまりにも巨大な意味を咀嚼しようと、呻吟していた。


「――介入者様は、半端ないな……」


 最初に沈黙を破ったのは、アメリカ合衆国大統領、ジェームズ・トンプソンだった。彼の声には、もはや前回のような苛立ちや猜疑心の色はない。あるのは、自分たちの理解を遥かに超えた存在に対する、純粋な、そしてほとんど信仰に近いような感嘆だった。

「いや、正確に言うと、この技術を提供してきたという『統合知性体アーク』とやらが、とんでもなく凄い、ということなのだろうが。……それにしても、だ。元に戻れるサイボーグ化、か。……正直、空間拡張技術ほどの派手さはない。だが、こちらの技術の方が、ある意味では遥かに恐ろしく、そして魅力的だ」


 その言葉に、フランスのデュボワ大統領が、深く頷いた。

「同感だ、ミスター・プレジデント。空間拡張は、国家や産業の形を変える。だが、この技術は、人間そのものの定義を変えてしまう。……病という苦しみ、そして老いという限界から、我々人類を解放する可能性を秘めている。これはもはや、技術ではない。福音だ。我々の時代に現れた、鋼鉄の福音だよ」


 ドイツのシュミット首相は、科学者としての冷静な視点で分析を加えた。

「技術的な観点から見ても、驚異的です。特に、あの『治療用ナノマシン』による生体復元プロセス。あれは、我々の知る再生医療の概念を、数世紀は軽く飛び越えている。細胞の自己修復能力を外部から完全にコントロールし、設計図通りに再構築する……。それが可能だというのなら、理論上、我々はあらゆる病気や怪我、そして老化すらも克服できることになる。……これは、人類が、初めて『死』という絶対的な枷から、手を伸ばせる距離に来た、ということなのです」


 そのあまりにも重い言葉に、部屋は再び静寂に包まれた。

 死の、克服。

 それは、人類が数千年の歴史の中で、追い求めてきた究極の夢。

 その夢が今、手の届く場所にある。

 イギリスの首相が、まるで夢見るような表情で呟いた。

「……素晴らしい。……だが、同時に、恐ろしいことでもある。……我々は、この福音を、どう扱うべきなのか。……これは、もはや我々七人の人間だけで決めていい問題の範疇を、超えているのではないか……?」


 その、最も根源的な問い。

 それこそが、今日、彼らがここに集った理由だった。

 トンプソン大統領は、円卓を囲む同志たちの顔を、一人一人、ゆっくりと見回した。

「……諸君。まずは、一つ目の議題からだ。……我々は、この介入者様、いや、統合知性体アークからの提案を、『受ける』べきか、『断る』べきか。……率直な意見を聞きたい」

 だが、その問いに対する答えは、もはや分かりきっていた。

 カナダの首相が、まるで当然のように、真っ先に口を開いた。

「受ける以外の選択肢が、どこにあるというのですか? これほどの、人道的な、そして平和的な技術提供を、我々が拒絶する理由がありません。そんなことをすれば、我々は、恩を仇で返す、恩知らずの野蛮人だと、介入者様に思われてしまうでしょう。……それは、我々G7全体の、未来に関わる問題です」

 イタリアの首相も、激しく同意した。

「そうだとも! 断るなんて、ありえない! そんなことをすれば、我々はこの素晴らしいアークという文明との友好関係を、始まる前に断ち切ってしまうことになる! それは、あまりにも大きな損失だ!」

「それに」と、ドイツのシュミットが付け加えた。

「彼らの提案は、極めて紳士的です。使うも使わぬも、我々の自由に委ねられている。ならば、まずはその善意を、謹んで『受け取る』のが、礼儀というものでしょう。受け取った上で、その技術を実際に使うかどうかは、我々が改めて議論すればいい。……受け取って、使わない、という選択肢だって、我々の手には残されているのですから」


 その完璧なロジックに、もはや誰も異論はなかった。

 そうだ。断るという選択は、愚か者のそれだ。まずは、この神からの贈り物を、ありがたく頂戴する。それが、唯一の正解。

「よし」

 トンプソンは、力強く頷いた。

「では、第一の議題については、全会一致で『受け入れる』ということで、よろしいかな?」

 誰も、首を横には振らなかった。

「結構。……では、次に、第二の議題だ。……我が日本の友人、郷田総理が、先日の予備会談で、極めて勇敢な、そして自己犠牲的な提案をしてくれた。……この未知なる技術の、最初の『毒見役』は、自分たち日本が引き受ける、と。……これについて、何か意見はあるかな?」

 その問いに、部屋は一瞬、静まり返った。

 誰もが、日本の、そのあまりにも重い責任を、自国で引き受ける覚悟はなかったからだ。

 最初に口を開いたのは、フランスのデュボワだった。

「……日本の、その勇気と誠実さには、改めて、深い敬意を表したい。……そして、その提案は、極めて合理的でもある。この技術の基礎を、最初に解析し、再現したのは、日本のCISTだ。彼ら以上に、この技術の扱いに習熟している者は、この星のどこにもいない。……ならば、最初の臨床試験を、彼らの厳格な管理下で行うのが、人類全体にとって、最もリスクが低い選択であると、私も判断する」

 その言葉は、G7の総意を代弁していた。

「私も、同意する」「異議なし」「それが最善だろう」。

 次々と、賛同の声が上がる。

 郷田は、その様子を、満足げに、そして内心の計算通りであることに安堵しながら、静かに見守っていた。

「……では、第二の議題も、全会一致で『日本の主導による、第一段階の臨床試験の実施』を承認する、ということで、合意とみなす。……そして、第三の議題。……その臨床試験の、具体的な内容についてだ。……これも、日本の友人たちが、素晴らしい草案を提示してくれている」

 トンプソンは、手元のタブレットを操作し、スクリーンに、的場が作成したプレゼン資料の、あるページを映し出した。

『第一フェーズ:代替装備の限定的適用について』

 そこには、手足を失った患者や、重篤な臓器不全に苦しむ人々を対象とした、厳格な人道的支援計画が、詳細に記されていた。

「……まず、初めに、この代替装備技術を適用するのは、他のいかなる治療法も尽きた、末期の患者、あるいは、重度の身体障碍を持つ人々に限定する。……この、人道的なアプローチについて、反対する者は、いるかな?」

 いるはずがなかった。

 それは、誰もが納得する、完璧な、正義の計画だった。

「……素晴らしい」「これならば、国民の理解も得やすいだろう」「倫理的な反発も、最小限に抑えられるはずだ」。

 賞賛の声が、相次いだ。

 会議は、驚くほどスムーズに、そして、驚くほど友好的に進んでいく。

 誰もが、この歴史的な一歩を、共に踏み出せるという高揚感に、満たされていた。

 その、祝祭的なまでの空気に、初めて、不協和音が混じったのは、その時だった。


「……ところで」


 トンプソンが、まるで、ふと思い出したかのように、しかし、その目の奥に、鋭い、計算の光を宿して、言った。

「……この、素晴らしい技術。……人道支援に限定しておくのは、少し、もったいないとは、思わんかね?」


 その一言が、部屋の空気を、再び、鋼鉄の匂いで満たした。

「……と、申しますと?」

 郷田が、探るような目で、問い返す。

「いや、なに。ただの、可能性の話だ」

 トンプソンは、わざとらしく肩をすくめた。

「……この、痛みも疲れも知らず、元の人間を遥かに超える能力を発揮できるという、代替装備。……これを、もし、我々の、兵士たちが、身につけたとしたら……?」

 その、あまりにも直接的な、そして誰もが心の奥底で考えていた禁断の問い。

 ドイツのシュミットが、即座に、鋭い声で、反論した。

「ミスター・プレジデント! それは、あまりにも危険な領域です! 我々は、ジュネーブで、この技術を、平和利用に限定すると、そう宣言したばかりではありませんか!」

「もちろん、分かっているさ、アンゲラ」

 トンプソンは、シュミットをなだめるように、手を上げた。

「だが、考えてもみてくれ。我々の敵は、倫理など、気にもしない連中だ。我々が、平和利用だの、人権だのと、議論を重ねている間に、中国やロシアが、秘密裏に、独自のサイボーグ兵士を開発しないと、誰が保証できる? ……その時、我々は、指をくわえて、見ているだけなのかね? ……いや、違うだろう。我々には、自由と民主主義の世界を、守る義務がある。そのためには、時には、毒をもって毒を制す、という覚悟も、必要なのではないのかね?」


 その、あまりにも説得力のある、安全保障の論理。

 シュミットも、ぐっと、言葉を詰まらせた。

 会議室は、二つの意見に、真っ二つに割れた。

 フランスのデュボワが、トンプソンに同調する。

「……不本意ではあるが、大統領の意見にも、一理ある。……理想だけでは、国家は守れん。……少なくとも、研究開発だけは、水面下で進めておくべきではないのか」

「お待ちください!」

 今度は、カナダの首相が、声を上げた。

「そんなことをすれば、我々は、我々が非難している独裁国家と、何ら変わらない存在になってしまう! 我々は、道義的な優位性を、失ってはならない!」

 議論が、紛糾する。

 誰もが、自国の国益と、世界の平和と、そして、介入者という神の視線を、天秤にかけ、激しく、揺れ動いていた。

 その、混沌とした議論に、終止符を打ったのは、日本の、郷田だった。


「――皆様。……その議論は、一旦、置いておきましょう」

 その、静かな、しかし、威厳に満ちた声に、全員が、口をつぐんだ。

 郷田は、ゆっくりと、全員の顔を見回した。

「……日本として、皆様の、その熱心な議論には、敬意を表します。……そして、我が国としても、この技術の、安全保障への応用という可能性について、興味がないわけではない。……それは、正直に、認めましょう」

 その、意外な告白に、トンプソンが、ほう、という顔で、身を乗り出した。

「だが」と、郷田は続けた。

「……ですが、皆様。……我々が、今、最も恐れなければならないのは、中国でも、ロシアでもありません。……我々が、本当に恐れなければならないのは、介入者様の、そのご機嫌を、損ねてしまうことなのではないでしょうか?」

 その一言が、熱に浮かされていた指導者たちの頭に、氷水を浴びせた。

 そうだ。

 神の、視線。

「介入者様は、我々が、この技術を、どのように使うかを、静かに、そして厳しく、見ておられるはずです。……もし、我々が、その善意の贈り物を、受け取った途端、真っ先に、人殺しの道具へと作り変えようとしたら……。彼は、どう思われるでしょうかな? ……『やはり、地球の猿どもに、高度な知性を与えるのは、早すぎたか』と、そう、失望されるのではないでしょうか?」

 郷田の声は、まるで老いた神父の説教のように、静かに、しかし、確実に、彼らの魂に染み渡っていった。

「……そうなれば、もう、二度と、我々に、新たな福音は、もたらされないかもしれない。……いや、もっと悪い。我々人類そのものが、彼から、見限られてしまうかもしれない。……そのリスクを、冒してまで、我々は、今、サイボーグ兵士という、不確かな力を、求めるべきなのでしょうか?」


 その、あまりにも根源的な、そして、誰も反論できない問い。

 会議室は、墓場のような、沈黙に包まれた。

 トンプソンも、デュボワも、バツが悪そうに、視線を逸らした。

「……うーん、確かに、そうだな……」

 トンプソンは、まるで独り言のように、呟いた。

「……彼の、機嫌を損ねるのは、得策ではない。……分かった。……サイボーグ兵士の話は、一旦、この場では、ペンディング(保留)としよう。……まずは、日本の諸君が進める、人道支援計画の成功を、見守ることにしようではないか」

 その、鶴の一声。

 もはや、誰も、異論を唱える者はいなかった。

 郷田は、内心で、安堵のため息をついた。

(……危ないところだった……)

 彼は、この会議で、最も危険な地雷を、どうにか、回避することに成功したのだ。


「よし。……では、最後の議題だ」

 トンプソンは、気を取り直すように、パンと手を叩いた。

「……さて、これを、実施するにあたって。……我々は、これを、民衆に、どう説明する?」


 その、最後の議題こそが、この日、最も困難で、そして、最も重要な、問題だった。

「……これまでの、我々の科学技術の、長年の研究の成果が、ついに実を結んだ、と。……そういう、ストーリーで、押し通すことは、できないだろうか?」

 イギリスの首相が、おそるおそる、といった様子で、提案した。

「『日本のCISTと、G7-ATCIの、国際共同研究チームが、ついに、再生医療に革命をもたらす、画期的な人工臓器の開発に成功した!』……と。……これならば、民衆は、納得しないだろうか?」

 その、あまりにも楽観的な意見に、ドイツのシュミットが、冷ややかに、鼻を鳴らした。

「……甘いですね。……あまりにも、甘い。……空間拡張技術の時なら、まだ、その言い訳も通用したかもしれない。あれは、あまりにも突飛すぎて、誰もが、狐につままれたような状態でしたから。……ですが、今度は違う。遺伝子工学、クローン、そしてサイボーグ。……これらの技術は、我々が、これまで、倫理的な問題から、何十年も、足踏みを続けてきた分野です。……それが、ジュネーブ宣言から、わずか数ヶ月で、いきなり、これほどのブレークスルーを達成しました、などと。……そんな話を、世界の誰が、額面通りに、信じるというのですか?」

 その、的確な指摘に、誰もが、言葉を詰まらせた。

 そうだ。

 あまりにも、不自然すぎる。

「必ず、疑念の声が上がるでしょう。『政府は、何かを隠しているのではないか』と。……そして、その疑念は、やがて、我々政府に対する、致命的な不信感へと繋がる。……一度失った信頼を、取り戻すのが、いかに困難か。……我々、政治家が、一番よく知っているはずですが?」

 シュミットの、冷徹な言葉が、部屋に響き渡る。

 フランスのデュボワが、まるで、長年、心に秘めていた爆弾を、爆発させるかのように、立ち上がった。

「――だから、私は、最初から、言っているのだ!」

 彼の声は、情熱と、そして、ある種の狂気を帯びていた。

「――もう、隠し通すのは、限界なのだ! 我々は、真実を、語るべき時が来たのだ! ……我々は、宇宙人と、接触しているのだ、と!」


 その、禁断の言葉。

 部屋の空気が、再び、激しく、震えた。

「ミシェル! 貴様、正気か!」

 トンプソンが、怒鳴った。

「そんなことをすれば、世界がどうなるか、分からんのか! 犬養大臣が、最初に言った通りだ! パニックだ! 宗教戦争だ! 文明の、崩壊だぞ!」

「崩壊など、しない!」

 デュボワは、一歩も引かなかった。

「むしろ、逆だ! 真実を知ることで、人類は、初めて、一つになれるのだ! 我々が、この広大な宇宙で、いかに、ちっぽけで、孤独な存在であるかを知ることで、我々は、国家や、民族や、宗教といった、くだらない違いを、乗り越えることができる! ……それこそが、介入者様が、我々に、望んでおられることなのではないのか!?」

「理想論だ! 青臭い、危険な、理想論に過ぎん!」

「理想なくして、何の政治か! 我々は、ただ、目の前の支持率や、国益だけを追い求める、哀れな俗物では、ないはずだ!」

 二人の、世界の指導者が、激しく、睨み合う。

 G7という、一枚岩に見えた城壁に、初めて、大きな、亀裂が、入った瞬間だった。

 この、あまりにも根源的で、あまりにも哲学的な対立は、もはや、誰にも、止めることはできなかった。

 郷田も、的場も、ただ、黙って、その光景を、見つめることしかできなかった。

 そうだ。

 これは、もはや、自分たちが、口を挟める問題ではない。

 これは、人類が、自らの手で、答えを見つけ出さねばならない、究極の、ジレンマ。

 神は、言った。

『決めるのは、あなた方だ』と。

 その、あまりにも重い、自由という名の、十字架を、背負って。

 賢人たちの、苦悩に満ちた、眠れない夜は、まだ、始まったばかりだった。

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