74 わたしのいちばん長い日 Ⅲ
毎日一緒にいるとついつい意識しなくなるけれど、サイはやはりイケメンであった。
サイがお客さんたちに親切に接しているあいだ、わたしはかつてない気持ちの浮き沈みを経験した。
“やっぱわたしとサイじゃ釣り合わない”
“とは言ってもわたしたちは相思相愛なんだし”
“なにこの罪悪感”
“気にしない気にしない”
“……誰かに恨まれても無理ないよね”
〝ええい!モヤモヤするぅ~!〟
意外な展開もあった。
「あの~ここに『わたしと魔王様の秘密のスローライフ』の作者さんて、いらっしゃるんですか?」
わたしはサッと顔を上げた。
「ハイ、わたしですけど、なんでご存じ?」
「あ、わたし昨日ブクマしたばかりなんですけど、某掲示板から誘導されまして……」
その人に説明されて、わたしは自作が突然脚光を浴びたことを知った。コミケの準備で二日ほど放置していたのだ。
ブクマが100倍に増えていた。
一日のPVがそれまで四ヶ月のPVより多い……というか直近1時間だけで五桁のアクセス!
そして……感想欄が大炎上していた。
「な……な……何これ……?」
コテハンの荒らしが罵詈雑言を書きまくっていた。ユーザーネーム『びとん』てこれ、どう考えてもホモのびっくんじゃないの!
「くそっ」わたしは毒づいてスマホをしまった。忙しいので後回しにするしかないけれど、大いに動揺したのはたしかだ。
2時間近くかかってわたしたちは本を売り切った!
信じられない。
卓にちょこんと置かれた「完売」のラベルが眩しい。
サイがお昼ご飯に行ってしまうと、サイを取り囲んでいた女子も嘘みたいに姿を消した。
「いやーこんなくたびれたの初めて!」
くたびれてはいたけれど、上野隊長は上機嫌だ。
サークルメンバーもだいぶ帰還を果たして、足元には「戦利品」の紙袋が沢山置かれていた。
「ゴメンね~!手伝えなくて」タカコが卓に保たれて言った。わたしは力尽きて卓に伏せっていた。
「ですぴー、あたしたちもランチに行く?」
「もうすこし待ってくれ。交代待ちだ」
わたしは身体を起こした。
「交代?また?」
ですぴーはうなずいた。
「ああ、お、来た」
わたしがですぴーの視線のほうに顔を巡らせると、機嫌悪そうなメイガン・マーシャル空軍中尉がまっすぐこちらに歩いてくる。背後には2メートル近い巨漢の黒人、ブライアン兵曹を従えていた。
(Aチームまでお出ましとは……)
「ハイ、デスペラン」
「暑いのにご苦労だな、メイガン」
「ハイ、タカコ」
「ハァイメイガン」
ですぴーハーレムのふたりが超微妙な挨拶を交わした。
「と、いうことで俺たち昼飯に行く」
「護衛はブライアン兵曹だけでじゅうぶんでしょ?わたしもおなか減った」
ですぴーがブライアンを見た。ブライアン兵曹がうなずいた。
「分かった。それじゃ行くか」
わたしは言った。「ここなら安全だから、護衛は必要ないですよ」
「そんなことないぞ」
ですぴーが背後に顎をしゃくった。
わたしは立ち上がって、斜め向かいのサークル島に目をこらした。
20メートルくらい離れた端っこの卓に、藍澤さんが座っていた。
隣には根神先輩もいた。さらにその隣には四月にチラッと見た謎のアラフィフ女性。
「うっそ!あの人たちずっとあそこにいたの!?」
「いた」
わたしは顔をしかめた。「列の混雑せいで気付かなかった……」
「というわけだ。ブライアン、ターゲットのふたりがあそこにボサッと座ってる。残りはいま捜索中だ。引き続き警戒してくれ」
「了解ボス」
そんなわけで、わたしと上野隊長が店番しているあいだ、背後に黒い巨漢が仁王立ちして周囲を威圧していた。
たとえ異人さん恐怖症でなくとも近寄りがたい雰囲気だったであろう。
「川上、あんた外人のお知り合いが大勢いるのね。いつの間にそんな交友関係になったの?」
「エ~……まあほとんどサイの関係でして」
「ま、そうなんだろうけど」上野さんは背後に顔を巡らせた。
「えーと、ブライアンさんでしたっけ?」
「ああ。トーマス・ブライアン、海兵隊兵曹だ。あんた上野さんだね?」
「わたしのことご存じなんで?」
「カワカミサンの関係者はすべて頭に入れてるので」
それから日本語お上手ですね、とかお決まりな会話が続いた。まんざらではないようだ。あと1時間したら力こぶにぶら下がるかもしれない。
それはともかく。
藍澤さんがこちらを凝視している。
根神先輩は本物のJKとお近づきとあって藍澤さんに話しかけているが、きっちり無視されていた。
根神先輩は痩せていた――というか、やつれていた。
顔の肉がとれて皮がたるみ、さらに老けている。しかも頭頂部がはっきり頭皮が見えるくらい禿げていた。隣に座ってるおばさんは相変わらず仏頂面だ。
「あのオバさん誰なんだろ……」上野隊長がぽつんと言った。「たしか四月のイベントにもいたよね……」
「まさか根神先輩のカノジョさんじゃ、ないですよねえ?」
「ありえねー。だいたいあのオバさんオタクじゃないでしょどう見ても」
「そうですねえ」
「あっクソあの女子高生と目が合っちゃった!なんであの娘こっちをガン見してるのさ」
(それは彼女がわたしに嫉妬してサイファーを横取りしたいからなんです……とは言えないよなぁ……)
「ミス・カワカミ」
「あ、ハイ、ブライアンさん」
「ボスから連絡。サイファーはこちらに戻らずコスチュームプレイの会場に向かうそうだ。俺たちも合流するかね?」
「あー……」わたしは上野さんの方を向いた。
「いいよ、行ってきな。そろそろ他の子たちも帰ってくるからわたしゃこのあとサークルに挨拶回りだし」
「すいません……それじゃブライアンさん、行きましょうか」
こうして、わたしは最悪のイベント会場に向けて旅立ってしまった。
そろそろお盆モードになりますので更新が一時的に遅れるかもです。あしからず。




