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71 スローリィライフ (スローとは言ってない)



 暑い!もうヤダなにもしたくない!


             〈完〉




 ……としたいのはやまやまだけど人生は続く。


 8月になっちゃった!

 

 夏の巨大即売会……我らオタク女子の生活はそこに向けて収束してゆくのであった。


 わたしは〈〆切〉が嫌いだ。

 〆切が設定されると別のことがしたくなる病気なのだ。

 というわけで、絵も描かずネット小説に没頭する毎日。


 イラストに取りかかると、もともとそんなに上手じゃない、という現実に直面せねばならぬ。なんで定期的にそんなことと向き合う必要あるの?マゾなの?


 上野隊長からお電話。

 「あ、はい」

 『川上さーん、根神が復活しやがったんだけどー!どうすりゃいいのよわたし』

 「エ~!?」 凶報その1。

 ていうかなんでわたしにそれ言ってくる?

 「どうすりゃいいって……謹んでお断りできませんのん?」

 『あいつほかにも声かけてるはずだから、なるべくお断りしようとは思ってるけどね。あいつの席はサイファーくんに取ってあるわけだし』

 「えっ?ちょっと待ってくださいよ、わたしは開場後一般入場なのにサイはディーラー扱いなんですかっ!?」

 『あ、そうだ。〆切まであと36時間切ったんで念のため。……描いてるわよね?』

 「……ウス」

 『それじゃがんばって!』


 電話を切ったわたしは溜息ひとつ漏らしてうなだれた。

 傍らで音楽を聴いていたサイがイヤホンを外してたずねた。

 「また何か?」

 「あいつ……根神先輩が即売会に来るんだってさ!やんなっちゃう!」

 「ふむ」

 サイはそれだけ言って、またイヤホンを耳に突っ込んで音楽試聴に戻ってしまった。

 わたしはその横顔を3秒ほど睨みつけたけれど、サイは穏やかな顔で目を瞑りリズムに身を任せていた。最近はバッハがお気に入りだ。

 どうせサイはわたしが原稿を仕上げるまではどうにもならないと承知しているのだ。

 その通りですよ!

 まったく忌々しい。


 わたしは冷却シートを箱から出しておでこに貼った。柄にもなく脳味噌を酷使して知恵熱が出ている。


 だいたいアパートで作業しなくちゃならないとか、なんという罰ゲームなのか。

 ラブラブアイランドにはスマホの電波が届かないのだ。Wi-Fiもダメ。


 (しょうがない、描くか)

 とことん追い込まれればわたしだって描く。追い込まれれば人間、120パーセントを出すものだろう?

 イラスト二枚。

 それと四コマ漫画2本描くだけだ。

 描けるのは分かってる。

 ナツミはいつだってそうしてきたじゃ――


 着信。


 「はいもしもし」

 『アーナツミ~?どーよ進展は』

 「エ~……もうチョイ、かな」

 タカコは受話器の向こうでため息をついた。

 『ぜんぜんダメそうね』

 「なんでそうなる……」アタリだけど。

 『つーか聞いたー?根神が来るんだって。あいつどのツラ下げてくるんだか』

 「聞いたよ。上野隊長は断るって言ってるけどね」

 『どうせうちが断ったってあいつどっかのサークルに潜り込むんじゃん?いちど三万円でディーラーチケットゲットしたとか豪語してたじゃん?』

 「それはワンダーなんとかのほうだったと思うよ……でもあの人顔が広いから知り合いの所に当たるかもね。ひとり分余ってるサークルは多いしさ」

 『クソ~!結局来る可能性大ってことじゃないの!でもまいっか、あたしはもう入稿したから』

 「それが言いたかったのね……」

 『そうでぇーす!今さっき上野隊長にメールで送ったの~。川上さんは〆切ギリギリまでのたうち回ってくださいませ!オホホホホホホ』


 どーいう友達なんだか!

 わたしはスマホを放りだして立ち上がった。


 サイがふたたびイヤホンを外してわたしを見上げた。

 「ナツミ?散歩か?」

 「コンビニ行ってくる」

 「分かった」

 「なんか買ってくる?」

 「アイスカフェオレ、大盛りよろしく」

 ここ数回は単独で出掛けていた。サイもそれを承知していたので着いていくと言い出さない。


 「ナツミ、おでこのそれは取っていけよ」

 「……」わたしは冷却シートを無言で引っぺがすと、お財布とスマホを持って外に出掛けた。



 サイの代わりにハリー軍曹がわたしのお供だ。ここ数日わたしのうしろにピッタリ着いてくるので、通りすがりの子供に受けてる。

 「あ!猫のお姉ちゃん!」

 反対側の通りで幼稚園児がわたしを指さし叫んだ。ママが「シッ!指ささないの」と叱る。

 わたしは心で泣いた。

 このままでは名物女になってしまう。はよ元の生活に戻らねば!


 コンビニの冷たい空気に当たって頭を冷やした。


 滋養強壮ドリンクを買ってグビグビ飲み下した。わりと高めのヤツなので効くはずだ。サイの同伴を避けたのは、健康ドリンクをラッパ飲みする姿を見られたくないためだ。

 

 わたしがアイスカフェオレをふたつこさえていると、うしろから声を掛けられた。


 「川上さん」


 「ハイ?あっ」


 藍澤さんが仁王立ちしていた。


 わたしはまたため息をついて、コーヒマシンに向き直った。

 「なによ……また突き飛ばしに来たの?」

 「違います!」

 「じゃなに」

 藍澤さんは例の根拠なき勝ち誇った笑みを浮かべて宣言した。

 「あたし……コミケに出るんで」

 凶報その2 

「は?」

 「そこであんたと戦いますんで……どうぞよろしく!」

 「ハア……」


 言うべきことを言い切った藍澤さんは颯爽と立ち去った。



 わたしはミルキーなカフェをひとくち飲んで、独りごちた。

 

 「なんなのよいったい……」


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