66 幼獣襲来
姪っ子のユリナは三歳。正確には二歳と9ヶ月。
ほんのちょっと前まであんよの上手な赤ちゃんだったのに、いまは「ミニ人間」に進化していた。
まだおつむばかり大きな四頭身だけど、ママと手をつないですたすた歩いてくる。
「なチュミ!」
ユリナちゃんがわたしを見て叫んだ。ママが今どきの流行に従って名前で呼ばせようとしてるらしい。
そりゃ「ナツミおばちゃん」よりはマシだけどね。なんとか「ナツミおねえちゃん」を定着させたいわ。サザエさんふうに。
「はーいユリナ~会いたかったよ~」
「ゆいなも!」
膝にぺたっと抱きついてきた姪を抱き上げた。
「ちょっと重くなったかな~?」
「ゆいなおもくナイモン!」
黄色いリボン付きの帽子と花びらみたいなノースリーブのワンピースで涼しげな装いだ。
めっさお喋りだけどあのモンスターアニメ映画と同様、お喋りの大半は表記不能でなに言ってるのか分からない。とにかくところてんみたいに言葉をほとばしらせてるわ。おつむの中でプロペラが猛回転してるのが見えるようだ。
だけどちっちゃな子供の声って聞いてるとアルファ波溢れるよねえ。口のなかでモニャモニャ舌っ足らずで……ときには耐えがたい音波攻撃されるけどね。
いまは「キャー!」とか素っ頓狂な声を上げながらアパートじゅうを駆け巡っていた。わたしとサイは姪の邪魔にならないように座布団の上で身を縮めていた。
いつすっ転ぶんじゃないかとヒヤヒヤした。
「ちびちゃん元気が有り余ってるみたい。お散歩に連れてったほうが良いかな……」
とは言えもうすぐお昼だ。
なにか御馳走してあげようと目論んでたら、お昼ごはんはうどんでいいと妹に言われた。
「なっぜかおうどん大好きなのよね~。凝ったおかずとかいらないからね?どうせろくに食べないから」
そんなわけでわたしが姪のおうどんを茹でているあいだ、サイが外に連れ出すことになった。
わたしとサイ用には冷やしうどん。
姪っ子のはほうれん草とかまぼこ一切れに刻んだおネギを乗せただけ……ちょっと不満だったけど、たしかに姪っ子は文句も言わず食べていた。
三歳の女の子が黙って従ってくれる、というのがいかに貴重なことか、ゆめゆめ思い知った。
「さ、お手々洗って」
「や!」
「汗びっしょり!お顔拭いてあげる」
「ヤダヤダ!」
「お座りして!」
「やぁー!」
「ナツミお姉ちゃんて呼んでちょうだい」
「ヤッ!なチュミ!」
だいたいこんな感じ。
ヤダヤダ期ってやつですか。
わたしが怒ったフリしてくすぐると「ピキャー!」とか叫びながら楽しそうに身をよじる。
とにかくよくコロコロ笑う。あんなに屈託のない笑いかたできるのってちっちゃな子だけよね。大人になるとなかなかあんなふうには笑えない。
思わず抱っこした。
もずくのような細い頭髪をかき分けてつむじをくんかくんかすると、甘くて温かい匂いがする。
「お菓子みたい!なんでこんなにいい匂いなの~?食べちゃおうかな~?」
「タベちゃやぁ!」姪はあんよをバタバタさせて楽しそうに叫んだ。
「ハイハイ」
ずっと抱っこしていたいけれど、あんまりベタベタすると暑いし嫌がられてしまう。わたしはしぶしぶ姪をリリースした。
妹がよこしたユリナちゃんのお世話セットには、着替え一式と麦茶の水筒、お気に入りのタオルケットとクマのぬいぐるみ、それにタブレットが入っていた。
タブレットには知育アプリがいろいろインスコされてるようだ。
ユリナにタブレットを渡すとようやく座って、ゲームをピコピコやり始めた。
ところが、たった15分で邪魔が入った。
「アー!」
窓にひらりと猫が現れたのだ。
ユリナは立ち上がって猫を追いかけ始めてしまった。
「ハリー軍曹!また勝手に入ってきてー!」
姪と猫はアパートじゅう駆けずり回った。陽気な騒ぎにサイも思わず笑っていた。
浴室のほうまでパタパタ走って行くと、やがてガチャッと戸が開く音がした。
わたしとサイは顔を見合わせた。
「まさか――」
「アー!なチュミー!タイヘン!」
わたしは慌てて、浴室に向かった。
姪はあのドアを開け放っていた。
突然目の前に広い砂浜が現れて、ユリナはまごついていた。
「ネコさんいっちゃっター!」
「ハイハイ」
「驚いたな……このドアが見えたとは」
「サイ、どうする?」
「仕方ないよ……見つかっちゃったんだから遊ばせてあげよう」
わたしは姪を抱き上げてラブラブアイランドに踏み入った。
幼くてもなにかおかしい、というのは分かっているようだ。砂の地面に降ろしてあげると、姪は千鳥足でグルグル回って周囲を眺め回していた。
「なチュミ!アレ、アレ!」
姪はお空を指さしてぴょんぴょこ飛び跳ねた。
紫色の空いちめんにぽっかり浮かんでる異世界……ちびもちっちゃいなりに感銘を受けたようで、眼をまんまるにしてぽかんと見上げていた。
姪っ子が川遊びしたがったらどうしようと気を揉んだけれど、あのお年頃ではまだ水を怖がるようだ。水遊びしたいとは言い出さず、しゃがんでお砂遊びしはじめた。
お山を盛るとハリー軍曹が飛び乗って崩す。「ダメ~!」姪はキャッキャとはしゃいでいた。
「ニャーニャ!」
「ニャオ」
「ニャー!」
姪はネコ語で会話を試みていた。通じてるのかしらね?
それからサイとわたしに手をつながれてお散歩。小さな手指はしっとりした手触りで、わたしの中指と薬指を頼もしい握力でギュッと握っていた。
姪っ子は唐突にお歌を披露したり上機嫌だ。
なんだかいいなあ……。
コテージに戻っておやつの時間にした。スイートポテトをふたつ平らげるとまもなく、ユリナの電池が切れた。
サイお兄ちゃんのおなかにもたれてお昼寝タイム。
わたしはくったりした姪の身体を抱きあげてサイを解放した。あらためてベッドに寝かせると、クマのぬいぐるみと一緒にスゥスゥ眠る姪にタオルケットを掛けた。
眉間のあたりが弛緩して途方に暮れたような寝顔の姪を見ながら、わたしは胸が切なくなっていた。
ユリナちゃんが来てまだ数時間だけどたしかに大変だった。
妹は毎日こんなでは命吸い取られるような気分だろう。
ちびすけの成長にはたくさんの愛情がいる。




