64 彼岸を渡るもの
サイが言った。
「それでは……やはりメイヴもここに転移してたのだ!」
「そのメイヴって人はサイのお仲間?」
「ああ。俺がやられる直前に生き別れになったんだが……」
「捜さなくちゃならん」デスペランさんが断言した。
「……それはともかく、俺たちはひとあし先にずらかる」
「いいんですか?その……調書とか、手続きみたいなのがあるんじゃ?」
「俺もサイファーもここにはいなかった、というのが最良の「事実」なのさ」
「サイ、帰るの?」
「とりあえずひと休みしてから。今夜帰ろう」
「あたしはもうちょっとここに居る」
社長が堂々宣言した。
「あ、それじゃあたしも~」
わたしは社長とタカコを見た。
「べつに構いませんけど、パスポート持ってないんでしょ?」
「ちゃんと米軍がこっそり送り返してくれるってさ……せっかくハワイにいるんだからもうちょっと堪能しなきゃね」
「分かりました……」わたしは溜息交じりに言った。
ここは24時間営業してるヒッカム基地の食堂。
昼間の騒ぎの事後処理でか、基地内は閑散としていた。サイはデスペランさんに呼ばれてどこかに行ってしまった。
サイが戻ったらわたしたちは埼玉に帰る予定だ。
「ナツミもせっかくなんだからさ~、もうちょっと遊んできなよ」
「う~ん……マリンスポーツとか楽しそうだけど、もともと休むつもりじゃなかったから」
「そうね」タカコはクスクス笑った。「ブッ飛んでて楽しかったわぁ」
「それにわたしいまストーキングされてるから、うちに帰って対処せねば」
「ストーキング?なによそれ!」
それでわたしはサイと藍澤さんのこと、なぜかホモのびっくんまで加わって私生活を探られてることを話した。
「盗聴器仕掛けられそうになった?それひどーい!」
「日本政府まで関わってるって?」社長が笑った。「でもま、そりゃ当然か。サイファーくんがあの通りの人物じゃね」
「まあ、そんなわけです」
社長とタカコにぶちまけてすこし気が楽になった。やっぱり一人で抱え込んでくよくよするのはよろしくない。
社長はストーカーの被害に遭った経験があって、助言してくれた。
「あんたも探偵雇えば良いよ。逆ストーカーしてやりな。同じコトされると相手はびびるから」
「でも逆上しません?」
「相手が一人なら。肝心なのは「おまえも調べてるぞ!」ってばらすタイミングなのよね。わざわざ知らせなくてもそろえた証拠は警察に持ち込むなり、便利に使えるから。複数の場合はかえって内部分裂させられるかもよ。上手くすれば」
「分かりました。ありがとう、考えてみますね」
「ナツミなら乗り越えられるよ。サイと一緒に」
わたしはサイに掴まって埼玉にテレポーテーションした。アパートの近所だ。
ハワイの夜8時は日本の翌日午後3時。
月曜日。
信じがたく濃ゆい土日を過ごして時間経過の感覚が混乱してる。感覚的には5日くらい留守にしてた感じだ。
なかば途方に暮れてアパートのドアをくぐった。
畳の床に置いた買い物袋と衣類を収めるために買ったバッグがひどく場違いに見える。フライト時間と空港から家に帰る、現実的でくたびれる行程がすっぱり省略されたため、妙に実感がない。
それでも座ったとたん疲労感を覚えたのは、脳味噌のストレスに関係した何かのせいか。
奇妙な喪失感。
もっと遊ぼうというお誘いには後ろ髪を引かれたけれど、このまま遊び続けたら社会復帰できなくなりそうだったし……。
幸い、わたしたちには専用のプライベートビーチがある。
サイとわたしはよそ行きの服を脱いで異世界のドアを抜け、砂浜を歩いた。
「ナツミ、ここで、メイヴと会ったのか?」
「うん……夢だと思ったんだけど曖昧なの」わたしは桟橋を指さした。
「あそこに立ってた。ちょっと言葉を交わしたけど彼女、幻だったの。はしけから踏み出そうとしたから引き留めようとしたら手を掴めなくて、わたし川に落ちちゃった」
サイは考え込んでいた。
「サイ、あの人どこにいるのか見当はあるの?」
サイはうなずいた。
「中国だとデスペランは推測してる。メイヴは巌津和尚に協力させられてたらしいからな。あのリン・シュウリンという女が手引きをしたのだと思う」
「それじゃ……彼女を助けに中国に行くの?」
「場合によってはね。アメリカは俺みたいな能力者を中国が確保しているのが気に入らない。協力してくれる……というよりメイヴを取り戻せと俺たちを急かすはずだ」
「それは大変……」
「ああ。でも俺はアメリカ人の協力は欲しくないんだ」
「な、なんで?」
「彼らはメイヴを自分たちの物にしようとするからだ。だからなるべく……俺だけの手で取り戻したい。デスペランの協力も避けて」
「サイ――!」わたしは息を呑んで立ち止まった。
「また誰か……いる」
桟橋の端にまた人影が、見えた。
わたしたちは……というかサイは桟橋の人物に向かってずかずか歩いて行った。わたしはサイの腕にしがみついて嫌々同行しただけ。
今度はメイヴではなかった……お坊さんのうしろ姿。
「真空院巌津和尚!」
サイが大声で呼びかけると、彼は振り返った。
「これは、これは」巌津和尚は笠のつばを下げて一礼した。
「巌津和尚……どうやってここに来た?」
和尚は低く笑いを漏らした。
「拙僧、どうやら死滅したらしいのよ」
「そうか……やはり無理したな」
「さよう。しかし没後の世界が本当にあるとは、さすがの拙僧も思いがけぬことであった」
「これからどうするんだ?」
巌津和尚は空に浮かぶ異世界を錫杖で示した。
「これより、天に参る」
「あそこに……行くのだな?」
「招待されたのでね。観に行ってみようと思います。それでは、さようなら」
錫杖を床に打ちつけてしゃらんと鳴らすと、巌津和尚はカラスに姿を変えた。
カラスは大きく羽ばたいて空に舞上がった。
わたしたちはその姿が見えなくなるまで空を仰ぎ続けた。




