56 贈り物
とにかく、七月になっちゃった。
今週末はデスペランさんのタワマンでパーティー。アメリカの独立記念日、7月4日だ。タワマンの最上階はアメリカ人に占領されてるので当然か。
楽しそうだけれど、わたしは週末が来て欲しくない。
そんなときに限って時間は無情に進んでしまうものだ。あっという間に金曜日。
デスペランさんに101号室に特攻するのはやめろと釘を刺されてはいたけど、藍澤さんと尾藤に文句を言うなとは言われてなかったので、見かけたらストーカーまがいの行為を問い詰めてやるつもりだった。
でもそういうときに限って現れないのよね!
明日は土曜日……。
「ナツミ」
「あ、はい?」
「明日着ていく服、どっちがいいかな」
サイは2着の服を身体の前に当てて聞いてきた。1着は例のプリンスの服だ。もう1着ははるかに大人しいジャケットだけどサイの髪によく似合う海老茶色。
「その夜会服は先週着たし、たぶんもっとカジュアルなパーティーだよ。タカコが言ってた」
「そうか」サイは残念そうに夜会服を壁掛けに戻した。
川越の比較的平穏な生活に慣れると、サイはコスチュームプレイヤー的な一面を発揮し始めた。
もちろんオタク的な意味ではなく、服装にこだわりがあるということだ。でなければ自分用の衣装をわざわざ作ったりしないわよね……やっぱり根っこは貴族なのか。
「ナツミはあの新調したドレスを着てくれよ」
わたしはすこし赤面したことと思う。
「あ、アレこそ派手じゃない?」
「いいや、よく似合ってるよ」
「……なら、着てく」
胸元も背中もざっくり開いたドレスなのだ。わたしが躊躇するのも分かって頂ける?
薄紫のトップと濃い紫のスカートのワンピースドレス。靴からバッグまで相応のコーディネイトしないとダメなヤツである。
この世に1着しか存在しない、わたしのために作られたドレス。
だいたいオートクチュールなんて、サイがいなければ一生縁がなかったもんね。
服はお店で買うものだ。それが常識、自然な流れでしょ?ハリウッドの女優じゃあるまいし?
志木の高級住宅街の一角、ごく小さなプレートが玄関に貼ってあるだけのブティック……半月ほど前のある日、わたしたちは会社と学校を休んでそこを訪れた。
リビングを改造したスタジオに通されて、サイがお店の主人……ゲイっぽいスキンヘッドで金鎖、念入りにひげを整えた開襟シャツの男性と値段交渉から始めたのだ。
主人は最初胡散臭そうな顔してたけれど、サイは巧みな話術を駆使して、ものの数分で本格的な話し合いに持ち込んだ。
けっきょくサイがなん枚かの写真と動画の使用権を認め、材料費程度で服を仕立ててもらうことになった。
つまりモデルになったらしい。
まるっきり未知の世界に足を踏み入れ、わたしはちょっとわくわくしてしまった。
お店の主人……服飾デザイナーの吉羽さんは3人の弟子を抱える業界中堅だ。とは言ってもウェディングドレスを作る大手業者とは違う、映画やタレント事務所の仕事を請け負いつつ個人向けに特注品を作るところだという……そんなお店があることさえわたしは知らなかったけど。
契約を結んだときには彼はやる気満々のハイテンションになってて、さっそく採寸に取りかかった。
最近はデザイン段階でコンピューターを使ったりするのね。パクられたって文句言われないための措置でもあるとかなんとか。サイは彼の注文をきっちり言い渡し、細部デザインにも注文を出した。吉羽さんはべつに気を悪くした様子もなく楽しそうにデザインを煮詰めた。
わたしにはドレス1着新調と、それなりに高い既製品の寸法お直し数点。
ドレスを新調?
わたしは耳を疑ったけれど、採寸に呼ばれて大人しく従った。
数日後にはびっくりするくらい安い値段でドレスと、サイの王子様服をゲットできてしまったので、バッグと靴、アクセサリーにおカネをまわす余地ができた。
それもこれもサイが別の所のモデルにはならないと約束したからだ。
ただし身元は一切明かさないし公の場に出ないという条件で。
「俺の画像をホームページに載せたら誰かに消される可能性があるのだ。そうなったら連絡して欲しい」
「あんた謎めいてるのねぇ……でもいいわ匿名希望さん。そーいうお友達がひとりくらい欲しかったし」
何かを買う、というのは単にお金を払ってハイどうぞ、だけではないらしい。サイも吉羽さんも、明らかに駆け引きを楽しんでいたのだ。
でもまあ値段の安さにはそれなりの代価がいる。
出来上がった服はすべて試着させられ、そのたびにスタイリストふたり(修行中で自分のポートレイトに使うため、やはり無料)にメイクされ、スタジオの一角で写真撮影され……
「わたしなんかモデル務めるのムリッすよ」
「そんなことないよー。いまはもうスタイル抜群の美人モデルなんて流行らないし……あ~、あなたが地味って言ってるんじゃないよ?」
「いえ、いいんです……」
「まああたしたちは女の子の魅力をさらに引き出すのが仕事なんで。あんたはもうチョイヘアスタイルその他に気を遣ってね。わたしが務めてるサロンにときどきおいで」
「……ハイ」
「終わり!ほら見て、サイファーくんが獣みたいな目であんたを凝視してるぞぉ」
そんなのとても見返せません。
サイの場合はさらに念入りだった。わたしは仲良しになったスタジオの人たちと眺めて楽しんだ。
だれもサイとわたしの間柄を詮索しない。
聞いてみると業界のオキテじみたものだという。それに摩訶不思議な人間関係を山ほど見てきたので、好奇心がすり減ったとも。
サイはいろいろポーズを取らされて不本意そうだけど、一度も文句を言わずキメてる。
「カンペキよ!加工しなくても使えるのって久しぶりだわ~!」
「サイ、お疲れ様」
庭先のテーブルでレモネードなど頂きながら、出来映えを最終チェックした。
「吉羽さん、これはお礼」
サイはあの金貨を一枚渡した。
吉羽さんは金貨を受け取ってしげしげと眺めた。
「あらやだ、これ本物の金貨?……お代は受け取ったからいいのに」
「また作ってもらうときの分」サイは冗談めいた口調で言った。
「そんじゃ遠慮無く頂いとこうかな。にしてもあんたホントに現実離れしてるわー。アラブかどこかの王子様じゃないのよね?」
「少なくともお金持ちではない」
「でも超小生意気な小僧だこと。あたしが会ったタレントのだれより態度デカいもん。けど無作法ではないわ。モンスターみたいなのがたまに居て手に負えないのよ」
「才能には敬意を払う。当然のことだ」
吉羽さんはうっとり嘆息した。
「ホントあたしが五歳若かったらあんたに襲いかかってたのに」
わたしはそのドレスを試着しただけで、一度も使ったことはない。
でもときどき取り出して、ただ抱いたりする……
サイがプレゼントしてくれたのだ。
ネットにアップしないと約束して、スタジオで撮った何枚かの写真をUSBに入れて頂いた。わたしはとっておきをプリントして額に入れ、コテージに飾った。
一枚はモノクロで撮ったわたしの写真……まるで別人な、わたし。
それとサイの肖像に、ツーショット。
その写真とドレスのおかげで、土曜日をむかえる痛みはだいぶ軽減された。




