55 第2イニング
「……すいません急用ができちゃって、1時間ほど遅れます~。ホントすいません」
わたしは会社に遅刻の言い訳を済ませると、藍澤さんとびっくんのあとを付けた。
わたしのアパートに向かっているのはたしかだ。
予測通り、ふたりは角をまがってわたしのアパート前の通りに向かった。
(あいつら~なにしようとしてんだぁ!?)
わたしは角に身を潜めて様子をうかがった。
30メートルくらい離れていたけど視力が回復したので様子はうかがえた。ふたりはアパートの前に立ち止まって二階を指さしながら、なにか喋っている。
すると意外なことに、一階の窓が開いて住人がふたりになにか話しかけた。
(一階、わたしの部屋の真下の住人……入れ替わりが激しくてだれが住んでたか……引っ越しの挨拶もなかったし)
さらに意外なことに、一階の住人はびっくんと藍澤さんを中に招き入れるように手を振った。
ふたりは裏側の入り口のほうに回った。
(どういうことよ!?)
わたしの部屋の真下の住人が、藍澤さんたちと結託してる!?
(何が起こってるんだか!)
わたしはカッとなって、アパートに突進しかけた――
「待て、ナツミ」
だれかがわたしの肩に手をかけて制止した。わたしはびっくりして振り返った。
「でッデスペラン……!」
「シー」デスペランさんが指を口元に当てて言った。
「な、なんでここに?」
「サイファー監視網に警報が流れてな」
「離してください!わたしあいつらに文句言わなきゃ……!」
「もうちょっと泳がしとこう。まだ獲物が小さい」
「でも!サイを狙ってる人たちがわたしの部屋の真下にいるんですよ!?」
「奴らはなにもできないよ。もうきみの部屋に二度も侵入しようとしたが、サイファーの結界に阻まれて失敗してる。監視カメラも盗聴器もしかけられなくて、苦しまぎれにひねり出したのがアレだ」
「カメラ?」わたしは声が潤むのを抑えられなかった。「盗聴器……?」
デスペランさんがわたしを抱きとめた。そっと、お父さんのような抱擁だ。
わたしは泣きそうになるのを懸命に堪えた。
しばらくして、肩をポンポンと叩かれた。
「さ、ナツミ。会社まで送るよ」
わたしは路駐してるデスペランさんの愛車に乗り込んだ。
デスペランさんが助手席側の窓を下げると、猫のハリー軍曹がひょいと飛び込んできて、わたしの膝に着地した。
「ハリー軍曹、久しぶり~」
「ニャーオ」
(サイファー監視網って、この子のことなのかな……?)
デスペランさんが車を発進させて、川越市内に向かった。
「一階の住人は十日前からいる。サイファーも知ってる。きみに知らせないのは悪かったが、心配させたくなかったのだ」
「……だれなんですか?」
デスペランさんは口をへの字に曲げて苦笑した。
「日本の内務局」
「ああ、前に言ってた……」
「――正確に言えば内務局の下請け業者だがな。大手探偵事務所の社員」
「そんな連中が、藍澤さんや尾藤とつるんでるの?」
「あのJKとオカマ野郎か?たぶん探偵事務所に利用されてるんだろうな。接触があったのは二日前だが」
「まったくもう……」わたしは途方に暮れた。「いますぐなにか対処できないんですか?」
「できるが、黒幕を全部煽り出さないと寝覚めが悪い。どうも背後にあの中国女がいるようでなあ」
「あの人!」
川越八幡の彼女だ。リン・シュウリン。
「な、なるほど。でもこのまま住み続けるなんて嫌だなあ……」
「あともうしばらく、知らんぷりで我慢できないか?というのは、きみが気付いてるとあいつらに悟られたくないんだ。でないときみに危険が及ぶ。きみに危険が及ぶとサイファーがマジギレする。それだけは避けたいのでね、約束だから」
「約束?」
「約束だ。知らないか?サイが合衆国と交わした約束。きみに絶対危害が及ばないように、という約束だ。ただそれだけを条件に奴は合衆国との合意を結んだのだ」
「そんな……!」
「少なすぎて不安だったのか、アメリカ側はずいぶんボーナスを盛ったらしいが、絶対条件はそれだけだ。しかし日本や中国に知られたら逆にサイファーを操る人質として危険が及ぶかもしれない。きみときみの大事な家族、それにタカコ、あいつらが脅しに使いそうな人間にはみんな護衛が付けられてる」
説明を聞いてわたしは複雑な気分だった。
サイがわたしをそれほどまでに大事に思ってたと知って心を打たれたけれど、いつの間にやら面倒な事態に巻き込まれてる……またしても。
「そんな状態でいつまで我慢しなくちゃならないんです!?」
「いま外交ルートで日本を脅してるから、内務局の介入はまもなく消えると思う。そうしたら後ろ盾を失って慌てた連中を片付けるだけだ。一ヶ月くらいと俺らは見てる……我慢できるか?」
デスペランさんは案内もいらずわたしの勤め先までたどり着いた。彼のタワマンから1㎞も離れてないのだから当然か。
けっきょく10分遅刻しただけだった。
とはいえ社長には冷やかされたけれど。
「ナツミさん隅に置けないなあ~朝から超イケメンの外人にマスタングで送迎とは」
「そ……そんなんじゃありませーん」
「ま、あたしの鑑識眼は確かってことだね。あんた面白いわ」
「恐縮です」
わたしはしばらく仕事に没頭した。
請求書をいくつか作り、ポストに投函する。社長の趣味の荷物を受け取り、箱から取り出して倉庫に運ぶ。やたら高そうなアメコミフィギュアやら何やら、ろくに家に持ち帰ることもせず溜まってゆくので、近いうちに月極倉庫を借りなければいかなくなるだろう。
社長は午前中いっぱいで打ち合わせに出掛けてしまったので、わたしとヒナさんふたりだけになって駄弁りながら仕事を続けた。
女子トークに花を咲かせてるこのわたしがコッカテキインボーに巻き込まれてるなんて、まったく現実感が沸かない。
大好きな男の子と一緒に住むのがそれほどの罪なのか。
たしかに道義的には罪深いのだろう……年上の女が未成年に恋したらそれは【虐待】になる。法律でそう決まってる。
でも少年法とか人間が決めたルールはひとまず脇に置くとして、サイはわたしとのあいだを引き裂こうとする連中と全力で戦う構えなのだ。
(わたしがその気持ちに応えなくてどうする?)




