53 スローリィライフⅢ
ママがようやく帰宅したのは夜八時半。
夕ごはんを奢ってあげると言われたのでのこのこ従ってしまった。
なんと鰻の店。パパには電話で「なにか食べて」と指示して。
「サイ~、ゴメンね付き合わせちゃって」
「べつに、謝ることない」
(ああそうだ、ご婦人のあしらいには慣れてるのよね……)
まったく、じつに如才なくママに対応してたっけ。
わたしはその人生において両親に会わせたいような男の人に会ったことがないから、ちょっと怖かったのだ。
それにしても一緒にいる男性次第でわたしのステイタスがいかに激変してしまうか、ちょっと嬉し悲しだわ。
ま、今回は信じられないくらい風通しが良くなった。
アメリカでは美人のほうが陪審の有罪率が低下する、と統計的に証明されてるという。サイもまた同じ、イケメンは正義なのだ。ママも妹もぱったり追求をやめた。
わたしは汗ばんでいた。火照った素肌に玉の汗が伝い落ちる。
「はうっ……」
サイがわたしを折り畳もうとする。
わたしは必死で、わたしを無理なカタチにしようという彼の要求に従う。
「ふニュ~ッ!」
「ナツミ、ヘンな声出すなよ笑っちゃうだろ」
「も……もうムリこんな」
「身体硬くない?」
「文系なんでっ!」
サイのストレッチメニューはハードすぎる。上半身を膝にピッタリ倒せたり逆立ち腕立て伏せができる人とは根本的に作りが違うのよ!
「いたたたたたたもうゆるひてください~!」
「ダメダメ、まだまだ柔軟になって貰わないと」
「エッチなこと言ってない!?」
「健康のためだ、そら息吸って、吐いて、いくぞ!」
「にゃあああああ――――ッ!」
ま、ハードで恥辱的で終わるとグッタリするということではアレよね。
でも我慢して従えばご褒美をもらえる。サイはマッサージの達人だ。
ストレッチ体操のあと、わたしは力強い手指にゴリゴリされる痛キモチ良さに陶酔しながら寝そべっていた。
コテージの外、松明がはぜる芝生で、だれにも見咎められることなく。
この開放感は癖になる。
タンクトップとホットパンツだけの姿でこんなことするなんて、日本だったらたとえ庭付きの戸建てでも無理よね……とくにそのなけなしの着衣をずらしたがる思春期まっただ中の男の子相手では。
「うな重は口に合った?」
「うまかったよ。甘いけどあのタレはいいな。だけど何の肉なんだろ?ヘビか?」
「鰻は、えーと魚かな」
「ナツミのお母さん、いい人そうで良かった」
わたしはハーと息を漏らした。
鰻のお店のお座敷で、ママと妹のユイと姪のユリナちゃんまで加わって。
まるで見合いの顔合わせみたいなノリだった。
根掘り葉掘り、というほどではなかったけど、わたしそっちのけで盛り上がって……いったいだれのお見合いなんだか。
わたしはとりとめもない賑やかトークの合間になんとか「イタ電」の内容を聞き出して、藍澤さんの嫌がらせらしいと見当をつけたけれど、ママはもう興味ないようだった。
でもまあサイがママに対応してくれて助かった。
ママは下品にならない程度にいろいろ詮索してきたものの、サイは決して言質を与えず質問がまずい方に行っても自然に話題を移し、つねに会話をリードしていた。
三歳のユリナちゃんまでがサイに見蕩れてた。「おーじしゃま?」とか言って。
サイが挨拶すると、もみじの葉っぱみたいな手をぺチャッと顔に当ててぷるぷる首を振ってるの。
「あらやだ!この子照れてるわぁ」
小さなおませさんにわたしもキュンキュンしてしまった。
愛する姪っ子はしばしば茶目っ気を発揮してばあばの爆走を阻止してくれたから、ナツミおばちゃん助かったよ。
「けど困るわ~。今週末家に来なさいくらいの勢いだったもん。パーティーの予定入れといて正解だった」
「なんかあるって話だったようだけど、いいのか?」
「ウン」わたしは組んだ腕に顔を伏せた。「たいした要件じゃないから」
家族にサイがあっさり受け入れられたのは良かったけれど、わたしとサイのファンタジーに余計な物事が介入してくる煩わしさはあった。
他人にあれこれ言われたり冷やかされたり、そうやって世俗の垢にまみれてゆくのがわたしはいやだ。
それが大人というもので、「わたしとサイ」が周囲に認知されるための儀式なのかもしれないけれど、わたしはまだ、サイとわたしだけの関係の純粋性を大切にしたい。
乙女過ぎる?
ううん、女の子ならだれだってそうでしょ。
わたしは両手を頭の上で組まされ、海老反りさせられた。
「ウーッ……またストレッチ!?」
「背中が硬すぎなんだよ。デスクワークのせいだな」
少なくともプロレス技かけられながら考えることではなかったわね。
寝技なら歓迎だけど。なんつって!




