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44 まつりのあと

           

 わたしは真っ白なシーツに組み伏せられていた。


 絹のなめらかな肌触りが生々しい。というのもわたしはほぼ裸だったから。白いワイシャツのボタンは外されもうチョイで全部見えちゃう!

 女神が、視界いっぱいのしかかっていた。

 しなやかな筋肉質の素肌がオイルをまぶしてオリーブ色の光沢に艶めき、しっとり玉の汗を浮かべていた。

 女神はわたしの両腕を片腕で難なく頭の上に押さえ込んで、もういっぽうの腕にホイップクリームのボトルを握っていた。

 「あなたを食べたいわ……」

 深いコントラルトで女神が囁く……薄笑みを浮かべたその双眸に宿る熾火は捕食者(プレデター)のそれだ。

 「ちょ、ちょっとタイム!いきなりこういうのってわたしまだ心の準備できてないですう~!」

 「無理矢理いただくのが美味しいの。さっ覚悟して……」

 女神がホイップクリームをわたしの胸にトッピングし始めた。

 「ひゅわわわ冷たいくしゅぐったいッ!」

 「うふふ、美味しそうなカップケーキの、で・き・あ・が・り――」



 「ウォ」わたしはビクッと身じろぎして、目を覚ました。サイドテーブルで電話が柔らかい呼び出し音を鳴らしていた。


 「はい、はい」

 受話器を取ってモーニングコールの旨を伝えられているあいだに、わたしは状況をぼんやり思い出した。


 サイは書き置きを残していなくなっていた。


 『学校に行くから先に帰る』


 わたしは困惑したままメモを眺めた。そして、シーツの下がすっぽんぽんなのに気付いた。

 「やだ!なに!?」

 わたしはシーツを身体に巻き付けてベッドから跳ね起きた。あたりを見回し、現実にホテルの一室にいると再確認した。

 (えーとえーと、記憶が……あちゃーマジですか!?わたしやっちゃった!?)


 なんだか釈然としないまま、わたしは服をかき集めて……会社に行かなくてはならぬと思いだしてシャワーを浴び、ホテルの朝食を頂いて外に出た。

 朝日が眩しい。

 それに足取りはなぜか軽やか。

 時間を見て、そんなに慌てることなかったと気付いたわたしは、月曜朝のサバサバした慌ただしさのなか、のんびり川越駅まで歩いた。


 

 「おはよーございまーす」

 九時前に出社すると、珍しく社員全員が揃っていた。

 「おはよー川上さん、今日はずいぶん早いじゃない?」

 「ま、ちょっと早く出ちゃって……皆さんは――」

 みんなテレビに齧り付いていた。

 (ああそっか……アメリカのアレだ)

 わたしはコーヒーを注いでソファーの空いたところに座った。


 民放だけど昨日の大事件の特別番組が続いているらしい。新しい動画も続々集まっているようだ。身体を乗り出して画面に食い入ってたプログラマーの瀬戸さんが言った。

 「あれロボだろ絶対」

 「CGだよ!インチキに決まってるじゃん」ヒナさんが反論した。

「月のピースサインも?外で月見てみろよヒナさん!」

 「そりゃなんども見たけどさ……」


 「あー、やっぱ大騒ぎになってますか……」わたしは途方に暮れてつぶやいた。

 社長がわたしの方を向いて言った。

 「そりゃもう!あたしもいまからアメリカ行こうと思ってるんだけど……」

 「え?それじゃあ航空券予約します?」

 「それがねー」社長は残念そうに手を仰いだ。「渡航禁止になっちゃったみたい」

 「社長、いま行ったら危ないですよ……なんかシューキョー論争起こってるし」

 「だからいいんじゃない!ロスなんか熱狂のるつぼだってよ」

 「熱狂?」わたしは思わず聞いた。

 「そうよ!あっちのSNS見てみ!みんな「本物のサタンが降臨した!」ってお祭り状態だから。大統領も広報官も記者に突っ込まれてどもりまくってるし、たいへんよあの国」


 わたしはマグの陰で緊張した。いつぞやのデスペランさんの言葉を鮮明に思い出していた。


 「聞け、サイファー・デス・ギャランハルト。おまえならこんなちっぽけな世界、制覇できるぞ」

 


 わたしの「ルシファー」は本物の魔王なのだろうか?



 お昼休みにデスペランさんから電話がかかってきて、わたしはスマホが使用可能と知った。


 『やあ、その後大丈夫かね?』

 「ハイ」

 『サイファーに頼まれた件だが判明したことがいくつかある。あの坊主はシロだ。陰謀は企ててなかったが、たまたま時期的にあんたの嫌がらせと重なったんだろう。

 あんたの預金口座が閉鎖された件だが、アレは日本国内の個人の仕業だ。誰かが警察に特殊詐欺の口座だと虚偽の告発をしたんだ。スマホと電気も似たような手口で止められた』

 「それってつまり、本当にただの嫌がらせで……」

 『あんたを心底嫌ってる奴がいるようだな。残念ながら使い捨て携帯でやられたのでこれ以上は警察じゃないと辿れない。しかし少なくとも国家の陰謀じゃないよ』

 「安心して良いのか分からないです……」

 『まああんたたち周辺のサイバーセキュリティーが強化されたから、同じことはもう起こらない。昨日のアレ、見たろ?サイファーときみに手出しする奴は当面、俺とUSAが断固阻止する』

 「あの……サイは、アメリカに行ってたの?」

 『あいつくらいの魔導傭兵になると、距離や場所という概念はあまり意味が無いのだ。とくにこの世界は魔導耐性ゼロだからすべて奴の思うままさ。その気になればだが』

 「それで、誰かがサイを怒らせて、あんな騒ぎに?」

 『まああの国の悪い癖で……サイファーをスカウトしようとしたんだが、そのとき脅迫めいたことを仄めかしたんだろう。俺も覚えがある。学習能力のない奴らだよ』

 「分かりました……」

 『とりあえず口座は明日には元に戻る。電気はもう通じてると思う』

 「いろいろとありがとうございます」

 『いいってことよ、それじゃ』


 

 自己憐憫やなにやら悲観に暮れて悶々としてた週末を思うと、月曜日はまったくなにも無く過ぎた。


 わたしは元に戻ったアパートで冷蔵庫を片付け、ブレーカーを直して部屋を生き返らせた。

 あって当たり前なものを奪われてみると、もう二度と元通りにはならない……ふたたび電灯が灯ってスマホが使えるようになっても、以前ほど信頼感は抱けなくなる。


 いまのわたしはいちど砕けて接着剤で復元したお皿だ。この欠落感というか、穢されたような感じはいつか消えるのだろうか。


 (なんか、悲しいなあ……わたし先進国に住んでるんじゃなかった?)


 そういえば、サイはまだ帰ってないのかな?


 わたしはテーブルに残ってたろうそくに火を点した。災害用のふたつとも火を点して、花瓶の両脇に置いた。

 (ろうそくの炎のほうがシンプルで信頼できる……)

 電灯を落としてテーブルに伏せ、揺らめく炎を眺めながらいささかおセンチな気持ちに漬った。


 浴室のほうで人の気配がして、わたしがハッと顔を上げるとサイが現れた。


 「ナツミ、お帰り」


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