37 真夜中の漂泊者
真夜中ごろ寒さで目を覚ました。朝になっていなかったのでなんとなく失望した。せめて夜が明けてたなら、もっと気持ちが上向いたろうに。
もっともその前に低体温症になっていたかも。
ろうそくは半分になっていた。
これ以上真っ暗な部屋に耐えられなくて、わたしは上着を羽織って外に出掛けた。
午前二時。信じられないことに息が白い。
人の気配はほとんど無いけれど、少なくとも街灯の明かりはある。
バイパス沿いの終夜営業のファミレスに着くと、窓際のボックス席にひとり座った。
カフェオレを注文した。
五月末だしお客さんもほとんどいないので、店内は期待したほど暖かくなかった。
わたしはぶるっと震え、上着の上から体をかき抱いた。
カフェオレで手を温めていると、傍らに人の気配を感じて、わたしは顔を上げた。
真空院巌津和尚が仁王立ちしていた。
「あなた……」
「御免」
巌津和尚はそう言ってわたしの向かいに腰掛けてしまった。
それから笠を取って錫杖の傍らに置き、手ぬぐいで顔と坊主頭を拭いた。
「……サイはいませんけど」
「結界を張ったからね。あなたが彼と別れてくれたおかげです。あの男が結界内に来られるか、わたしらは様子を見とります」
「わたしに嫌がらせしたのもあなたたち?」
和尚はやや首をかしげた。
ウェイトレスさんが注文を取りに来たので会話が中断した。彼はラザニアとチョコレートパフェを注文した。それから言った。
「――嫌がらせをした覚えはありませんな」
「わたしの銀行口座を凍結して携帯も使えなくして、電気まで止めたでしょ!?」
「坊主がそんなこと出来ませんわな」愉快そうな声で言った。
巌津和尚はお冷やを半分ほど飲んで言葉を続けた。
「だが、リン・シュウリン、あのお嬢さんの仕業かもしれませんなあ。北京政府に見離され送還もままならぬようでしたが、サイファーくんに対する執着は目に余るほどでしたな。わたしらに共闘を呼びかけましたし、なにやら日本国にはまだ親派を抱えていると言うとりましたし」
「それじゃあなたとリンは結託してないと?」
「そう申している」
ラザニアが届いたので、わたしもコーヒーのおかわりを頼んだ。
食事中はおしゃべりするつもりはないようだった。そんなに長い時間はかからなかったけど。
食べ終わって口元を紙ナプキンで拭うと、彼は言った。
「――八幡さまでの不届きな一件をもってしても、あのお嬢さんとの共闘はあり得ません。それにわたしはサイファーくんが看破したとおり度し難い人間ではあるが、女性に嫌がらせなどしないのでね」
チョコレートパフェが届いた。
巌津和尚は今度はゆっくり味わっている。
「それじゃあ、あなたは何がしたいんです?」
気難しげな顔でスプーンを振りながら答えた。
「それは難しい問いです……」重い口調で言った。「ですがあなたにはいささか迷惑をおかけしているようなので、答えねばなるまいね」
「ぜひ」
巌津和尚はすこし逡巡したすえ、話し始めた。
「拙僧は、強きものと対決したい」和尚は堅苦しげに言った。
さらけ出したくない胸の内を告白したように思えた。
「拙僧はもとより破戒僧で、破門寸前の身の上であったが腕が立つのである種のお助け人として重宝され、いわば便利屋に身をやつしたのですよ。さもしきことですが、拙僧は我が存在を確かめるためにますます力を欲した。そのためにあらゆることをした……」
わたしは「あらゆること」のあたりで和尚の顔に刻まれた陰りが気になった。身の上らしきものを語る調子は終始平静だったけど、あれは嘲笑なのか、とても不安になる。
「力を求める欲求は煩悩のごとく、拙僧は修行に「耽溺」した。そしていつからか、「見える」ようになったのよ……」
「それってつまり、サイファーくんの持ってる力とかが見えるようになったってことなの?」
「察しが良いね。まさしく、まさしく。それで年に一度くらいは怪異の類いを見極めるようお遣いを依頼されまして、いまもこうして調査などしております」
「調査だけ……じゃないでしょ?」
和尚はほっほっほと、低く面白くもないという調子で笑った。
「腕試しはするかもしれんね」
巌津和尚はパフェを片付けると、再び口を拭った。
「いささか饒舌がすぎました」
「サイと戦ったりしないでください!」
彼は無言で立ち上がって、わたしの分までレシートを取り上げた。
「あの」
「いいから、いいから」
「ご、ごちそうさま……」
巌津和尚は傘と錫杖を持つと、一礼してレジに向かった。
「領収書を、お願いします」
妙なところでカッチリした人だった。




