32 女神との対話
「えっ?」
「あなた誰よって聞いてるの!!」
わたしは肩の手から逃れるようにそろそろと腰を浮かせた。
その人は深い押し殺したような声音で言った。
「ナツミ?なに言ってるんだ?」
「サイは?サイはどこ行ったの!?」
「ナツミ、おれだよ、しっかりしてくれ――」
そのひとはハッと目を見張って、自分の手とわたしを何度も見比べた。それから洗面所にかけこんだ。
「ワアッ――」
わたしはあとを追いかけ、鏡に写った姿に食い入ってるそのひとを見た。身長ざっと180センチ、サイのTシャツの袖ががはちきれそうになってる……袖だけじゃなくて、おっぱいもおなかも……
その女性は神懸かり的な美貌を困惑にしかめさせて、わたしを顧みた。
「戻ってる……」
「もど・った?」
「うん、元の体に」
「元の体って……」
「あの、ちょっといいかな?この服窮屈で、痛いんだ」
「ああ、ハイ……」
わたしは彼女がTシャツと半ズボンを脱ぐ手伝いをするしかなかった。
「お、おれだけずるいよ」
「おっ女同士なんだから……気にすることないでしょ……」
そんなわけで、アスリートみたいな体格の大女に変形したサイは、悪戦苦闘の末できるだけ伸縮性のあるスウェットズボンになんとか足を通した。つんつるてんのパッツパツだけど。上着も袖は通したもののジッパーはとても引き上げられなかった。それでセクシーグラビアじみた格好になっていた。
わたしは溜息をついた。
「またなにか着るもの買ってこにゃ……」
「ごめん」
わたしはテーブルの向かいに座る絶世の美女を見て、ほとほと途方に暮れた。
「いったいどういうことなのか、説明してよ」
「あ~……つまりこれが」サイは両手で自分を指し示した。「おれ……いや、わ、わたしの本来の姿なんだ」
「どうして……」
「15年前に呪いにかけられて、子供の姿に変えられたんだ。以来ずっと成長もしないままあの姿で過ごした。わたしはその呪いを解くために旅をしていた……家族とは縁を切るしかなかった」
「それじゃあ、お姉さんやお父さんというのは――」
「そう、わたしが女だった頃の家族」
「たいへんだったのね……」
「まあ」
わたしはたぶんしょんぼりした顔してたんだと思う。サイが大きな手でわたしの手を取った。
「ごめんね」
「なにを謝ってるんだか」わたしは「アハハ」とやや無理に笑った。「よ、良かったじゃない、元の姿に戻れてさ。サイが女の人に優しい理由がなんとなく分かったよ」
「ああ、うん」サイは決まり悪げに目を落とした。「男の子の体ってどうしようもないだろ?わたしは女性相手はいつだって抵抗があったんだけど、村に逗留したときなどはたいがい寡婦の家を紹介されるし……」
「え~と」わたしもテーブルクロスに視線を落とした。「つまり、未亡人みたいな女の人の家に泊まって、家事手伝いを買ってでたり」
「ベッドに誘われる」ズバリ、言った。「それがたいがい宿代替わりになるので……」
なるほど。
紳士的で女慣れしてるワケだ。15年間美少年を続けたらその愛人遍歴はいかなるものになるか……
それからわたしはハッとした。
きっと彼がいた世界だと、27歳のわたしは未亡人か妙な理由で婚期を逃した女なのだ!中世とかってそういうものでしょ……?
つまり……サイはわたしがモーションかけてくるのを密かに待ちわびてた、ということなの!?
「なあんだ~」
わたしは両手で顔を覆った。ひどく滑稽で悲しい気持ちに打ちのめされて、涙が出そうよ。わたしは勝手な妄想を先走ってただけで、そのあいだ彼はどうやって「宿代」を精算するか気を揉んでいたのか。
「ナツミ、泣かないで」
サイがわたしの隣に移って抱きしめてきた。
わたしは大きな体に保たれてしばらくしゃくり上げていた。女になってもサイはサイだ。余計なことはなにも言わず、ときどき優しく揺すってくれた。
「それはそうと……」わたしは鼻をすすりながら言った。「あなた今度はいくつになったの?」
「エッ?ああそうだな……わたしが呪いをかけられたときはそう……二十歳くらいだった」
わたしはゆっくりと顔を上げた。
「見たところ、15年経っても変わってないようだ……」
「ちょっと勘弁して!そんな容姿なのにわたしより年下だっての!?」
「ご、ごめん」
「謝らなくてけっこう!」
わたしは多少ふてくされながら食べかけのプリンを再開した。デパ地下の高いやつなんだから食べないともったいない。
サイも席に戻って紅茶をすすった。笑みを浮かべていた。
「正直言って、女だった頃どんなしゃべり方だったか、すっかり忘れたようだ」
「15年前じゃね、誰か覚えてる人がいれば……」」
「デスペラン、あいつはわたしが子供にされる前からの付き合いだった。奴が勝手に一目惚れして、わたしをしつこく追いかけてきたので、相棒みたいなことになった……」
「そうなんだ……あのひと一途なのね」
「そうなのかな、ちゃらんぽらんな奴だが」
わたしも笑った。
「見た目より、と言いたいところだけどタカコといちゃついてるもんね」
「わたしが元に戻ったと知ったらどうなることやら」
わたしたちは初対面なのにずっと親友だったような、奇妙な親密さでおしゃべりした。
そのうちに真夜中になって、わたしたちは眠ることにした。
サイは足がキツくて、シャワーを浴びた後また着直すのは断念した。バスタオル一枚の姿で、裸で眠ると宣言した。
「明日どうしよう」
「学校?休んじゃえば?」
「そうだな……ナツミ」
「うん?」
「一緒に寝よう」
「エッ」わたしは笑った。「いちおう断っとくけどわたしもそっちの気ないよ……?」
「寒いから。ナツミはパジャマでいいよ」
「ウーン……それじゃあ」
わたしはドキドキしながら寝具に潜り込んだ。傍らには全裸の美女。しかも元サイファーくんなのだ。
でも大きな体は暖かくて保たれるのにピッタリだった。狭いシングルマットレスだから身を寄せ合うしかない。
まあちょっぴり、キスしたりとか、あったかも。
朝、寒くて傍らの温もりがなくなっていることに気付いた。わたしは身を起こして浴室のほうに呼びかけた。
「サイファー?いる?」
学校に行くようになって朝運動はやめている。
「いるよ」
返事が返ってきてわたしはホッとした。だけど違和感がある。
わたしは立ち上がって、浴室に向かった。
サイは再び鏡に向かっていた。15歳の男の子の姿で。
「また元に戻った……」 声に絶望がにじんでいた。
――第一部 おしまい――
第一部完ですけど、つづきはそんなに待たせないと思います。




