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★エピロゥグ  ……そして永遠のスローライフへ

 

 アルファが夕飯の支度をしていると、珍しい人物が訪れた。


 「あら、真空院巌津和尚」

 「ご無沙汰しております」

 アルファはエプロンで手を拭った。

 「何年ぶりかな?」

 巌津和尚はくちの中でほほほ、と笑った。

 「よくご存じではありませんか?」

 「10年と9ヶ月11日」アルファは言った。「その割にはお変わりなく」

 「お互いに」

 「あなたが来たということは、もう地球には誰も残ってないの?」

 「くまなく精査いたしましたが、3年前に最後の一人が移住したようです。もうここには拙僧と、アルファ殿と――」

 アルファは家の外に手を振った。

 「ナツミさんはおもてで夕日を眺めてるよ」

 巌津和尚はうなずき、庭の階段を降りて崖縁に向かった。アルファもあとに続いた。


 ナツミは藤の安楽椅子に深く身を沈めて膝に毛布を掛けていた。連なる山の向こうに沈もうとしている陽光を眺めていた。


 「ナツミ殿」

 巌津和尚が呼びかけるとゆっくり身体を起こして振り返った。

 「あらあら和尚さま、ずいぶんお久しぶりねえ」

 「間が空きまして、まことに恐縮です」

 「たしか、ウシオさんのお葬式以来だったわね?」

 「はい」

 「お墓に挨拶してくれた?」

 「はい、先程」

 「よかったわ、今日はなんだかとても調子がいいの。膝の痛みも引いて歩けたのよ……アルファは寒いから家に入れって言うんだけどねえ」

 「夕日を眺めておられましたか」

 「ええ、今日も終わるのを見届けたいの」

 「拙僧もお供させて頂いてよろしいか?」

 「はい、どうぞ」

 それで、和尚は藤椅子の傍らにかしずき陽光に目を向けた。




 やがて、太陽は山の稜線にかかり、夜のとばりが降りて、空には宵の明星が輝き始めた。


 ナツミはいつしか眠り、静かな呼吸を繰り返していたけれど、いまはその呼吸も途絶えていた。

 


 しばらくして巌津和尚は立ち上がり、藤椅子に向かって合掌した。

 「龍の巫女さまが逝去された」

 背後でアルファがうなずいた。


 巌津和尚は毛布の上に置かれた両手を見た。

 ぼやけたモノクロ写真と宝石が、力をなくした掌の上にあった。

 写真はおそらくプリンターで印刷したものだろう。かすれてなにが写っているのかかろうじて判別できる程度だったが、そこには若い頃のナツミとサイファー・デス・ギャランハルトが寄り添っていた。


 そして、紅いハート型にカットされたダイアモンドのネックレス。


 「それ、サイファーがナツミの誕生日にプレゼントしたものよ……ずっとまえに教えてくれた。70年も前ここに埋めたはずだったけれど掘り出していたのね」

 「見よ」巌津和尚が宝石の中に灯る光を差した。

 「これがさいごの神器、〈(ぎょく)〉です」

 アルファが息を呑んだ。

「ああ……」アルファはわずかに涙ぐんだ。何十万年も泣いたことはなかったのだが。

 「そうか……いままでいくら探しても見つからなかったわけだ……」


 巌津和尚は背筋を伸ばし、誰にともなく宣言した。

 「ナツミ殿とアマルディス・オーミの魂が宿ることにより〈玉〉が顕れ、ようやくすべての神器が整いました。これより世界に最期の刻が訪れましょう」


 崖の向こうで雷鳴が轟き、そして冥奉神社に奉納されていた〈天つ御骨〉と〈鏡〉が空に上昇してゆくのが見えた。


 「聖剣が鏡を割り、世界は終焉いたします」



 短い祈祷を終えて、巌津和尚は顔を上げた。〈玉〉と写真を恭しい手つきで掬い上げ、ふたたび一礼した。

 アルファが毛布を広げてナツミの身体を覆いかけて、手を止めた。

 「彼女……初めて会った頃の姿に戻ってる」

 巌津和尚はわずかに口元を引き締めた。

 「ナツミ殿はずっとまえから精霊になっていらした……おそらく、伴侶のために年齢を重ねていたのではありませぬか」

 「魔法は使えないと思ってたんだけど……わたしには分からないな。老衰で死ぬために加齢したのか……」

 「あるいはただ、人間でいるのが望みだったのか。もはや理由は分かりません。ですが、理由を探る必要などありましょうか?」

 「そう……ないね」

 アルファは顔まで覆うまいと決めた。とても安らいで、眠っているだけに見える。それにもうそれほど時間はない。


 「拙僧はナツミ殿の魂をサイファーに送り届けましょう。アルファ殿も急ぎポータルに向かわれませ」

 「巌津和尚、わたしはもうすこし眺めてから行くよ。この世界で生まれて29万3571年ほど過ごしたから、多少おセンチな気分なの。ナツミを無事送り届けてあげてね」

 和尚はうなずいた。

 「ではお先に、御免」




 巌津和尚が去ると、アルファは世界ただひとりの人間となった。

 日が落ちたほうに向き直り、世界の最後の姿を心に刻んだ。


 アマルディス・オーミの魂とともに地球の記憶も神器に宿された。

 (だからいまこうして完全消滅しようとしているけれど、この世界の存在はまるっきり無意味ってわけじゃなかったはずよね……)



 空では役目を終えた星が消滅し始めていた。

 まるで半減期を迎えたように、パッとガンマ線の光を放って星が消えてゆく。


 宇宙は急速に縮んで、もう時空という概念さえ失っていた。


 太陽が放射熱ごと消滅して、空が圧倒的な漆黒で満たされた。


 まもなく地球は極寒に見舞われるが、その前に山も海も消滅する。


 金星も消えた。


 やがて地面が消えたけれど、重力がなくなったから落下もしなかった。


 空気もなにもかも消えて、漆黒以上の〈無〉が訪れた。



 さいごには時間も消滅して、そこにはなにも無くなった。


    


おしまい


挿絵(By みてみん)


続編『まるスロ』連載中なのでそちらもよろしく。


今度こそ完全ハッピーエンドです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読後感がアーサー・C・クラーク著[2001年宇宙の旅]のようでした。 [気になる点] 私には分からない引用があって意味不明がチラホラ。 [一言] とにかく読後感が素晴らしい。結構な文量だ…
[良い点] こんばんは。 完結お疲れ様でした。 悪夢の一生と、平凡で幸せな現実の一生と、どちらもがまるで夢のようであったりリアルのようであったりと、色々と考えさせられました。 サイファーと生き別れ…
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