194 孤独なイヴ
そう
わたしは生きているかぎりイグドラシル世界には行けない。
アマルディス・オーミのちからを借りたときそういう契約を結んじゃったから、わたしは彼女と完全にシンクロした。それはつまり地球と同一化しちゃったってこと。
わたしが死んでアマルディス・オーミにかりそめの死をもたらしてあげれば、彼女はようやく帰還できる。
だけどそれは同時に、地球の終焉を意味する。
わたしは、地球のみんなが無事イグドラシル世界に移り住むまで、ここで生き続けねばならない。
たぶん、何十年も。
数日後、クリスマス・イヴ。
わたしはメイヴさんのお山でポータルを開いた。
実際にはその日、わたしは世界中でポータルを開いたのだ。
天草さんがメイヴさんから伝授された開通儀式を執り行い、メイガンと芳村さんが立ち会って、真空院巌津和尚にテレポーテーションしてもらって、ヨーロッパからアフリカ、アジアまで都合10カ所ほど。
わたしは無心で働きたかったから、忙しいのは大歓迎だった。
冥奉神社の大階段の先にポータルが出現すると、居合わせた数百人から厳かなどよめきが起こった。
お祭り騒ぎに乗っかる気力は無かったのでわたしはお辞儀をして、早々にその場を辞した。疲れ切っていた。
巌津和尚にアパートまで送ってもらうと、わたしは倒れ込んで泥のように眠った。ひとりぼっちは辛かったけど人と会いたくもない……ここ何日かは眠っているときだけが救いだった。
ドアの呼び鈴で目を覚ました。夜六時過ぎ。
わたしがこたつからゆっくり身を起こしていると、鍵が開く音がして妹がドアを開けた。
「おねえちゃん、出掛けるから支度して」
「え?どこへ……」
「メイガンさんのタワマンだよ!クリスマスパーティーにお呼ばれされてるから、行こ!」
「イコ~!」ユリナちゃんも主張した。
「行かなきゃだめかな……」
「あの人たちアメリカに帰るから、お別れ会兼ねてるのよ。お世話になったお礼もしなきゃだし行かないとだめでしょ!」
それで、わたしはなかば腹を立てながらお出かけの支度をした。
妹の車に乗り込んで出発すると、うしろに鮫島さんが運転するSUVが続いた。母と妹の旦那は鮫島さんの車に乗り移っている。
タワーマンション最上階のNSAカワゴエ支部は人が減っていたけれど、大仕事を終えた陽気な達成感に満ちていた。
妹が言ったとおり支部解散によるお別れ会を兼ねていたから、様々なひとが招待されていた。
タカコや社長、吉羽さん。芳村さんは関係者を大勢引き連れて。
わたしの境遇はどうも周知されてるらしくて、最初のうちはみんな言葉を選んでいるようだった。
だけどわが姪が「ゆいないちぇかいにイジューすゆんダヨ~!」と触れ回っていたから、その話題を避けるのは不可能だった。わたしも遠慮されるのは本意ではない。
「タカコはいつ頃出発するか、決めた?」
「あ、うん……ちょっと悩みどころだよね~。行くなら社長さんや上野隊長と一緒に行きたいけれど、家族や親戚の足並みがそろいそうになくてさあ」
「ちなみにわたしは再来年の7月に出発する予定だから」社長が宣言した。
「アメリカ人が大移住計画を予定してるのよ。イーロン・マスクとかレディー・ガガとか、有名人が大勢参加するらしいよ。わたしもそれに合流するの」
「わしは行かんよ」芳村さんが言った。「ここに骨を埋める」
「なぜです?」
「立場上だれか残して行けんわな……それに結局、魂はむこうに行くそうだし」
「そうですか……」
そういう人は大勢いるだろう。
わたしもあんがい寂しくはないかも。
「ああナツミさん。後日正式に通達されるがいま伝えておくよ。あなたは今後納税義務をすべて免除される」
「わあ凄い!」社長が目を丸くした。
「それにメイヴ殿が財産の大半をあなたに委譲したからね……それも税金は天引きされない。けち臭い日本政府としてはこれが精一杯のねぎらいだが、叙勲で済ませられるよりはましかと思う」
わたしはお辞儀した。「ありがとうございます」
「それから、あなたのアパートは土地ごと日本政府が買い取ったので、これも家賃免除です。住み続けるのも引っ越しもご自由に。メイヴ殿のお山もあなたのものだから、あのお家に住んでも構わないよ」
「はい……いろいろとお世話になります」
芳村さんはにこやかにうなずくとわたしの二の腕を軽く叩いて、政府関係者の元に戻った。
パーティー会場では、早くもポータルを利用してしまった人たちの話題で持ちきりだった。VTuberが何人か生中継で挑戦した。それに野良犬や猫がどこからともなく現れて大挙移住しているという。それにタイの村ひとつ、まるごと居なくなった。
ポータルの利用をいっさい制限しない、という国連方針が決まっていたから(中国だけは国民にポータル利用を厳重禁止していた)、イグドラシルに行くのはすべて個人裁量に任されてる。テレビ局はポータルに定点カメラを据えて生配信を始めた。
メイガンが来て、わたしたちはしっかりと握手した。
「不思議ですね。サイがいなくなったらもう魔法は消えると思ったけど、わたしたちまだ言葉が通じてるわ」
「大天使アズラエルが言ってたわ。彼らが巻物をキャンセルしないかぎり〈魔導律〉は効き続けるそうよ」
「アズラエルさんは帰ってないの?」
「ええ、残った神話の神様と一緒に地球人の面倒を見るって。早くイグドラシルに行けってどやし続けるそうよ」
「それはありがたい」
「まったく。じつはデスペランと巌津和尚が共同で2冊目の本を書いて、それがまもなく出版される。その本にはイグドラシル世界の様子が事細かに記されてて、どんな準備が必要か、必要ない物はなにか書いてあるの。ゲラ刷りはもう出回ってて、それを読んだ政府関係者は真っ青になってるのよ……」
「どうして?」
「向こうでは政府組織は維持できない、って気がついたの。わたしたちの移住先には地球の10倍の土地が用意されてるんですって!それで、いらない物リストには軍隊や弁護士や内科医といっしょに所得税と大きな政府組織も含まれてるのよ。つまり政治家のほとんど全員が失職する」
最後の部分を言ったメイガンはじつに楽しそうだった。
「それじゃあ……アメリカや日本も無くなるの?」
メイガンがうなずいた。
「民族的な結びつきは維持されるかもしれないけれど、広すぎて外敵の脅威がなくなる以上、国家は維持できないんじゃないかな……サイが住んでいたアルトラガンには人口数万人のポリスしか存在しない。地球人の社会もそんなふうに、小さな地方国家形態だけになるでしょう。薄い法律書に、わずかな税金……ひとはその都度必要な物だけに料金を払う。行政サービスの大半は魔法でまかなって、ね」
それでわたしが思い浮かべたのは古いRPGのフィールドマップだ。われながら想像力貧困だけれど……
パーティーのあと、わたしは夜更けに目を覚まして、またしても発作的な喪失感に襲われて泣いた。
寝たら楽になるなんてウソ。
わたしはタールの海に浸かったような重い脱力感に苛まれて、このまま線香花火みたいにしぼんで消えてしまう気がした。
ふと思い立って洗面所のドア向かった。
ドアを開けると、ラブラブアイランド――彼岸がまだ存在していた。
夜の砂浜に出ると、大河の向こうにはまえより近くなったイグドラシル世界があった。
もう本当に泳いで渡れそうなほど近い。
無理なのは承知していたけれど、わたしは対岸に少しでも近づきたくて、桟橋の端まで歩いた。
イグドラシル世界は極彩色に輝いていた。だけどわたしの心は空っぽだったから、その景色を見ても力なくしゃがんでしまうだけだった。
どれだけそうしていただろう。
傍らに光の瞬きを感じて顔を向けると、サイが立っていた。




