193 別れは突然に――
いつしか雨はやんで、晴れ渡ったネヴァダ沙漠に夜明けが訪れようとしていた。
「さて」
ですぴーがパンと両手を打ちつけた。
「これで半分終わったが……」
「半分?」メイガンが言った。
「まだ〈世界王〉が残っているからな」
「そうだ」サイが溜息交じりに言って、ポータルに顔を向けた。
「え?待ってよ……もうあちらに行くつもりなの?ひと休みしたらどうなの?」
「イグドラシルに帰る道が現れたことはいずれ知られてしまう……できるだけ早く戻らなければ、奴に坑戦準備の時間を与えてしまうだろう」
え……
サイが、もう行っちゃう?
思いがけない展開にわたしは硬直してしまった。
そんなの心の準備がまだ……
メイガンはサイの話に納得したらしい。さっそく〈魔導大隊〉の再編成と、補給部隊の手配を始めていた。
アルファはほかの〈ハイパワー〉に動員を呼びかけに行ってしまった。
「やれやれ、早くも第2ラウンドか……」ボブが言った。
「望み通りだろ?」
「まあ、クリシュナやアポロンと一緒に戦いに行くんだ。最高じゃねえか」
「あんたたち男の子は先に行きなよ。あたしは第二陣に参加する」ジョーが言った。
鮫島さんがやや遠慮がちに言った。
「僕も第二陣で構わないか?一度日本に帰還してからでないと……」
「あんたは日本に残れ」シャロンが言った。
「しかし――」
「分かってんでしょ?わたしら人間の出る幕はあんましなさそうだよ……なんせハイパワーに、神様が大勢参加するんだ」
ジョーも言い添えた。
「そうだよ。巌津和尚も世界王討伐には参加しないって言ってるらしいし、あんたも残って手伝いな」
「そうだ、鮫島」サイが言った。「わたしが不在のあいだナツミを守ってくれ……そうして、イグドラシルが平和になったら来ればいい」
「そ、そうか。それでは、お言葉に甘えさせていただこう……」
あらかじめ待機状態だったにしても、〈魔導大隊〉の出発準備には何時間もかかった。
一万人が移動するのだ。
魔道士ではない支援部隊におびただしい補給品もあわせるとトラック何百台分にもなるらしいのに、実際にはヘリコプターや飛行機、船まで運ぼうとしていた。
ハイパワーの宇宙船に釣り上げられて大きな輸送船まで運ばれてきた。
わたしたちはポータル近くに簡易天幕を張って折りたたみ椅子に座り、慌ただしい軍隊の動員作業を眺めていた。どこから飛んできたのかヘリコプターがブンブン飛び回って拡声器ががなり立ててた。
ブライアンが言った。
「こうなると、サイファーが銃と大砲を使えなくしてくれて助かったな。8,000トンくらい節約できる」
「本当は航空戦力だっていらねえよ……燃料が無くなったら無用の長物だし」ボブが応じた。
「しょうがない、陸軍ばかり良いカッコさせないって全軍がしゃしゃり出てるから」
「でもよ、戦車とアパッチが使えなくなったから陸軍もちょっと不満そうだ」
「どうせいらないよ。認めたくないだけ」
彼らが指揮する部隊はもうポータルのまえにそろって進撃するばかりになってる。50人ずつひとグループで地面に座っていた……けど、各グループに神様がひとり付いたため、打ち合わせに忙しそうだった……というか、記念写真の撮影してる。
それから、ようやく出発のときが来たようだ。
偉い人が何人か拡声器で訓示を垂れている。その脇には軍楽隊が控えてて、進軍マーチとともに出発するらしい。
サイはそういう催事には興味なかったから、ポータルのアーチの根元に寄りかかって物思いにふけっているようだった。
「サイ――」わたしはその背中に呼びかけた。
サイがアーチの柱から背中を離してわたしに向き直った。
「なに?」
「ほ、本当にいますぐ、行っちゃうの……?」
「ナツミ、ごめんね」サイはわたしの肩に両手を置いた。「わたしはどうしても先陣を切らなくてはならない。ナツミはいましばらく地球に留まってポータルをもっと開いて欲しいんだ」
「う、うん……」
「大丈夫、わたしたちはぜったい勝つ」
「うん」わたしは叫び出したいのをこらえた。「分かった……気をつけて」
「それでは――」
「サイ!あの――!」
「ん?なに?」
「あの……出掛けるまえに、キスしてほしいな、って……」
サイは一瞬途方に暮れて、自分の身体を見おろした。女に戻ってることにようやく気づいたようだ。
だけどやがてわたしの頬におおきな掌を添え、わたしはその掌に自分の手を重ねた。
わたしはその掌の温もりに頬をすり寄せてくちづけした。サイがもういっぽうの手でわたしの前髪を梳いて、メガネを外すと、わたしの頬を両手で包んだ。
それから……わたしたちはくちびるを重ねて、長いあいだそうした。
キスを終えて、サイがわたしを強く抱きしめた。
「ナツミ……またすぐに、会おうね」
「うん」
――そして、わたしは心の中で「さよなら」と続けた。
壇上では神父が「戦士たちに神の祝福を」と言って、出立の儀式が終わった。
それから、ですぴーが先頭を務めて最初の部隊がポータルに向かって行進した。
魔法の絨毯部隊が続き、ハイパワーの宇宙船もポータルを通過した。
そしてサイが率いる主力部隊が、厳かな太鼓とトランペットのリズムとともに動き出した。
デスリリウムを高く掲げたサイがポータルのもやの中に吸い込まれて消えると、わたしの胸にぽっかり穴が空いた。
サイが行っちゃった……
最後に、メイヴさんを乗せた絨毯がポータルに消えて、すべてが終わった。
残ったひとたちが気の抜けた慌ただしさでばらばらと動き出した。
わたしはひとり、ポータルに向かって歩いた。
ポータルのアーチは無慈悲な白い壁としてそびえていた。わたしは馬鹿みたいに見上げていたけれど、やがて心にじわっと染みこんできた喪失感に打ちのめされた。
わたしは冷たいポータルの壁に両腕と頭を打ちつけて、いつしか号泣していた。
発作的な嗚咽が喉の奥深くから限りなく溢れて、まともに息も継げない。
涙もあとからあとからほとばしって、止まらなくなった。
うしろに人の気配を感じたけれど、わたしは構わず泣きはらし続けた。
メイガンがハッと息を呑んで、言った。
「ナツミあなた……ポータルを通れないのね――」




