179 おお、神よ
ですぴーはアメリカに戻るのを渋ってる。なぜかというと――
「え?350件も?」
ですぴーはうなずいた。「訴えられてる」
メイガンが補填した。
「最新の数字は421件よ!しかも集団訴訟に発展しかけてる」
「整理してくれると助かるね」
「逆よ逆!巨大訴訟になったら強力な弁護団がハイエナの群みたいに寄ってくるわ」
「俺はアメリカ市民どころか人類でさえないのだが」
「訴えられてるのはおもにあなたを名誉市民に迎えた合衆国政府だけどね!」
ですぴーは大げさに肩をすくめた。
「アメリカ人は人生をややこしくする天才だよ」
「やっとご理解いただけましたな、ボス」
わたしは尋ねた。
「なんで訴えられてるんです?」
Aチームのみんなが楽しげに答えた。
「神の存在を否定されて深刻な精神的ダメージを負ったとかなんとか……」
「世界遺産である月に落書きした弁償ってのもあったよ」
「フェミニスト団体からも訴えられてる。いまんとこいちばん筋が通ってる訴えかな。訴状の中身は超理論すぎて忘れたけど」
「グレタ・ソーンバーグにも訴えられたよな?たしか」
「やだ……」わたしはサイに顔を向けた。「まさかサイも訴えられてないよね?」
「数件、訴えてきた奴がいるそうだよ。芳村氏のところが対処しているそうだ」
ですぴーがにやっとした。「殺害予告はもうすこし多いだろ?」
「ひどいなあ!悪いコトしてないじゃない?」
「まあまあ」サイはストゥールに腰掛けた。「芳村の話では、訴訟を起こされたということは逆説的に我々異世界人の存在を認めてるということなのだそうだ。もっとも真面目で融通が利かない連中がね」
「ものは考えようってか?」ですぴーがせせら笑った。「認められて嬉しいね」
「無駄話は終わったの?」メイヴさんが尋ねた。
「無駄話」ですぴーがぼそっと言った。
「終わったよメイヴ」
「それでは、ヘルドールについて話し合いましょう」
「残った中ボスっすね?」ソファーに深く身体を沈めて足をテーブルに乗せたボブが言った。「そいつはよほど強い奴なのかね?」
「龍翅族が?」
「たいへんだ――」
わたしたち全員、メイヴさんのひと言に戦慄してたと思う。
サイまでが驚愕していた。
「メイヴ……ヘルドールが龍翅族だとは、間違いないのか……?」
「じっくり考えた末の結論よ。強力な魔導律に、あなたたちと10年パートナーを続けて世界王と対峙した記憶をすべて精査した結果」
わたしは困惑していた。
「龍翅族って、賢くて慈悲深い種族じゃないの……?」
「思うに……どんな知的種族にも跳ねっ返りはいるのだろう」
「おそらく100万年ぶりくらいに。高等種族でも道を外すのでしょう」メイヴさんも認めた。「――それで、わたしたちには龍翅族の魂の残滓がいて、敵は生きてる龍翅族よ」
わたしは思わず問いかけるように自分を指さしていた。
その場の全員が改まった表情でわたしに注目して、うなずいた。ゆっくり、重々しく。
「そんな無理……」
「ナツミ――」サイがわたしの腕に手をかけた。でもさすがに慰めの言葉が思いつかなかったようだ。
「さあそこで、アズラエル伍長にいろいろ尋ねてみましょう」
メイヴさんが手を上げてパチンと指を鳴らすと、隣の部屋から天使のアズラエル伍長が私の姪、ユリナを抱っこして現れた。
「は~い」
ユリナちゃん、というかわたしの両親と妹夫婦は一週間ほどここで世話になってるのだ。埼玉県全域で首都圏から逃げる動きが収まらず、しかもわたしのせいで頭のおかしな連中から危害を被る可能性があったためだ。
さいわい、ここには職員用の託児部屋があるから、両親が仕事中は5人くらいの子供たちと一緒に世話になっていた。
アズラエル伍長も臨時保育士として働いてる。
「アズラエル伍長、座って。あなたには山ほど質問しなければならない」
「はあ……」
シャロンが手を差しだしたので伍長はユリナちゃんを渡した。そしてしぶしぶといった様子でソファーの隅に腰掛けた。
「どうかお手柔らかに」
「それはどうかしら」
メイヴさんの冷徹な態度とは裏腹に、その場に居合わせたアメリカ組は居心地悪そうに身じろぎしていた。だって本物の天使がいるのだ。厳密にはキリスト教の天使ではないとは言え……
「あなたたち〈終焉の大天使協会〉はいつからヘルドールの正体を掴んでいたのかしら?」
「つい……最近です」伍長は言った。「エ~……ここの暦で一年と、9ヶ月ほど前……」
「それじゃ俺たちが世界王に決戦を挑んでたときはもう知ってたんじゃねえか!」
「仮説に過ぎなかったのですよう!」
「それでおまえたちは、現状では勝ち目はないと判断して、わたしたちをこの世界に送り込んだのだな……?」
「それではまるで陰謀ではありませんか」
「陰謀だ」サイが断定した。「われわれに〈魔導律〉を地球人に分け与える仕掛けを施して」
「ずいぶんと思い切った賭に出たもんだ」ですぴーの声もキビしい。「下手すりゃ地球人はギルシスに戻って、さらに混沌の世になってたことだろう」
「けどあなたがたは我々の想定した以上の働きをしてアマルディス・オーミの骨を探し出したではないですか!」
「おかげさまで」ですぴーが冷めた口調で言った。「えらく世話になった」
「首尾よく行ったふうに言っているけれど、サイファーが言ったように地球人がギルシス化したらわたしたちごと見捨てるつもりだったのよね?」
「そうにはならないだろうと踏んでいました。わたしたち大天使協会もいちおう調査はしていたのです。この地球と名付けられた、エ~……」
「ゴミ捨て場」
「……流刑地が、予想以上に繁栄していることは承知していたのです。メイヴ殿もご存じのはず。29万年のあいだにギルシス以外にも何度かイグドラシル人が転移した記録があると」
「ごく数人ね……そのうちひとりはあなたたち大天使協会の精霊と言われている」
「えっ?あなたのほかにもいたの?」わたしは思わず訊いた。
「ええ、ここの暦で二千年ほどまえにね。彼もただの人間になってしまって、この世界に秩序を説いたのですが、まだ文明社会としては初歩段階だったのでしょう……最後は鞭打たれて十字架に磔られ死ぬまでだいぶ辛い思いをしたって、言ってましたね」
メイガンが咳き込んだ。ボブが足をそーっとテーブルから降ろした。
「……その、「彼」は……」
「ヤハウェ軍曹?彼は熾天使突撃部隊で元気にやってますよ。我々は死ぬと精霊に戻っちゃいますから。召喚されさえすればイグドラシルに帰還が許されますし」
ジョーが素早く十字を切って眼をギュッと瞑った。
アズラエル伍長はきょとんとしていた。
「あれ、みなさんご存じで?」




