177 ひさしぶり
まあ2.0あった視力が0.1以下に戻っただけの話よ。それほど悲観する話でもないはずでしょ?
でもちょっとショック。
(ですぴー以外は)みんな疲れ切ってたから戦勝パーティーという気分ではなく、わたしたちは早々に解散した。
ですぴーとAチームはタカコを自宅に送り、巌津和尚と天草さんは別の用事でどこかに消えた。メイヴさんは天使のアズラエル伍長を連れてお山に帰った。
わたしとサイはシャドウレンジャーに護衛されて川越に帰った。
川越はウソみたいになんの被害もなく、遠く都内で立ちのぼる煙がかすかに見えるだけ。だけど避難渋滞はまだ解消されていなくて、道路は車で溢れかえっていた。
アパートに帰って最初にしたことは抽斗のメガネを探すことだった。ドアに鍵を刺すのもメガネを探すのもサイに手伝ってもらうしかなかったから、わたしはいたたまれない思いだった。
半年ぶりにメガネをかけて視力を取り戻すと、ようやくホッとした。
「ごめんねサイ、座って休んで……コーヒー入れるから」
「ナツミこそ休め。疲れただろう?」
わたしたちに最後まで付き添ってくれたアルファが言った。
「わたしがコーヒー買ってくるよ」
「それじゃあ頼む。カフェオレ」
サイは千円を渡してアルファを送り出した。
それからサイは着替えをはじめた。性転換したおかげで伸縮性のタンクトップとスパッツだけの姿だったしボロボロになってたから。
シャワーを使う音が聞こえて、五分もするとTシャツとスウェットのボトム姿でタオルで髪をゴシゴシしながら現れた。
「ナツミもお風呂でゆっくりしたら?」
「うーん」わたしはおこたに肩まで突っ込みながら言った。「とりあえずコーヒー飲んだら考える」
サイがうなずいて、台所の椅子の背にタオルを引っかけた。
本音を言えば、いまはサイを見ていたいの。
ひさしぶりの、男のサイ。本人は不本意かもしれない姿。
わたしの背後の壁には〈天つ御骨〉と〈鏡〉が立てかけてある。一部には「神器」と呼ばれてる代物だけれどややぞんざいに扱ってる気はする……とはいえ、神棚でも作って飾るとしてもそんなスペースないし。
なんだか信じられないけれど、ふたつめの神器をゲットできたのだ……あらためて思い返すと途方もないことだった。
これで異世界の扉を開くことができるという話だったっけ?
それとももう開いちゃったのかなあ……
とにかくまだポータルが開いていないならメイヴさんあたりがなにか言ってくるはずだ。あるいは芳村さんか誰か、ふたつめの神器を確認しに来るかもしれない。
それに「神器」はあともうひとつあるのよねえ……三つ目なんて、どこを探せばよいのやら、思いやられる。
アルファがコーヒーカップのホルダーと猫のハリー軍曹を抱えて帰ってきた。
こたつでまるくなってるわたしたちにカフェオレを配ると、自分用のアイスコーヒーを取って台所のテーブルに座った。
ハリーはアルファの足にじゃれて遊んでいた。
「お邪魔?」
わたしとサイはアルファに顔を向けた。
「いえ」「問題ない」口々に答えた。
それからわたしは言った。
「ああ、アルファ……あなたの元のお仲間を倒しちゃったけど……」
アルファは肩をすくめた。
「分からず屋だったのが運の尽きよ。どのみち〈後帝〉を倒さなきゃ、わたしたちみんなにとって未来はなかった」
「そうだ」サイが言った。
「それよりもさ、あのイワツキって奴、まだ生きてると思うよ……厳密に言えば本人はもう死んでると思うけど、あいつを乗っ取った強力な魔人は生きてる」
サイは重々しくうなずいた。
「ああ、奴についてはメイヴがなにか掴んだかもしれない。あとで尋ねてみるか……」
「いま行かなくていいの?」
「いまは――ちょっと休んで、それからなにか食べよう」
「そだね」
スマホの時計を見た。午後四時。
そうだ、タカコとお昼を食べる予定だったんだ……わたしはハー、とため息を漏らした。
一食抜いたけれど精神的に疲れすぎて空腹を感じない。
ふいにアベンジャーズの映画のワンシーンを思い出した。ヒーローたちが仏頂面でケバブサンドを黙々と食べてるラストシーン。
いまはあんな心境よね。
カフェオレを飲み終えると、サイが言った。
「それじゃ、ラブラブアイランドに移動して休もう」
「うん!」
ちょっと元気よく答えすぎたかも。
「わたしはここでぼーっとしてるから」アルファが言った。
それでわたしとサイは次元転移ドアを抜けて砂浜に降り、サンダルを引っかけてコテージに向かった。
わたしは剣と盾を抱えているから傍目にはRPGのドットキャラじみてる。
サイと手を繋ぐこともできない。ちょっと不満だ。
「わあ……!」
ふと大河に目を向けると、様変わりしていた。
もう果てしない水平線ではなかった。数㎞先と思える対岸が出現していたのだ。
空に蜃気楼のように浮かんでいたイグドラシル世界が、ずっと間近に迫っている。
「なんだ……もう泳いで渡れそうじゃない!」
「うん……」サイも立ち止まって対岸の景色を眺めた。
極彩色の森と山脈がどこまでも広がっていた。
「だけど、ここからでは渡れない……あれはただ見えてるだけで、泳いだり飛んでいってもなにも無いんだ。渡るためには巌津和尚のように召喚されるしかないだろう」
「死なないとダメってこと?」
「魂だけになって、しかも向こう側から呼ばれないと無理だ。簡単にそうできないようになってるのが、あの河の役目なんだ」
「そっか……地球は流刑地なんだもんね……」
「だけどもうすぐポータルを開通させられるはず。そうすれば向こうに行けるんだ」
「そうよね……」わたしは砂浜に目を落とした。「ええと、ポータルが開いたら、わたしたちあっち側に自由に行き来できるの?」
「残念だけどおそらく一方通行だろう。イグドラシルには行けるけれど、ふたたび地球に帰ることはできないはずだ。それは意味がないから」
それを聞いてわたしは心の底から失望したけれど、なんとか表には出さなかったと思う。
「まあ、わざわざ刑務所に戻れる余地は残さないか……」
「ナツミが言いたいことは分かるつもりだ……なかなか踏ん切りが付かないだろう。向こうになにが待ってるか分からず、様子を伝えに帰ることもできないとなれば、多くの人は二の足を踏むだろう」
「たぶん」
「だけどそれは、〈世界王〉を討伐したらの話だ」
「そうだよね……」わたしはなんとか微笑んでみせた。「気が早いよね」




