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168 ますますピンチ

 

 信じがたいことに、暴徒集団の多くが笑っていた。

 けたたましい笑い声と獣のような叫び声が幾重にも重なって、狂騒がエスカレートしてゆく。

 それと同じくらい不気味なのがスマホを構えて撮影してる連中だった。周囲が大騒ぎしてるのに身構える様子もなくまっすぐ突っ立って、真剣なのかなんなのか能面のように没表情でスマホを覗きこんでいた。

 

 とにもかくにも暴徒の前に進み出た鮫島さんとシャロンは、ボディジェスチャーで彼らを挑発していた。「さあ来い!」といった調子で。

 正直、一般人相手はやり辛かろうと思う。背中を見てても分かる。

 集団のなかから挑戦者が進み出てきた。

 革ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま足を大きく蹴り上げてカラテアピールしてる、のっぽで痩せたおにいちゃん。そして角材片手のゴツい黒人さん。なぜか小太りでアニメTシャツのオタクひとり、その他10名ほど。

 のっぽが前触れもなく回し蹴りを繰り出してきた。

 鮫島さんはその足首を難なく掴み取ると、さして力も込めず身体ごと引っ張り上げて反対方向に投げ飛ばした……ざっと10メートルほど。

 するとひときわ熱烈な歓声(?)があがって、こぶしを振り上げる暴徒集団が鮫島さんを囲みはじめた。シャロンのほうも似たような調子だ。

 組織化されているといっても、確固たる目的意識はないのだろう……大半はただの暇人なのだ。目の前でアクションが始まると簡単に気を取られて、わたしを追いかけることなど忘れたようだった。

 「いまだねっ」

 アルファが言って、わたしをサッと抱えると線路のほうに走り出した。

 タカコも佐藤くんにお姫様抱っこされてわたしたちのあとに続く。

 アルファが大ジャンプで鉄柵を飛び越えた。

 わたしはいちど経験してるから慣れてるけれど、タカコは「ヒッ!」と短い悲鳴を上げた。

 無理もない、電車はまだ走ってるのだ。池袋駅は大きくて何本も路線が乗り入れてる。線路に飛び降りてまたジャンプ、走ってる電車を飛び越え、走行中の電車に着地してまたジャンプ。

 あっという間に東武側にたどり着いていた。

 ただし、わたしが思ってたのと違った……線路脇の通りいっぱいに100人くらいが待ち構えていたのだ。

 「ひゃあ!」

 わたしたちはその連中のまっただ中に着地しようとしていたのだ。

 アルファはその中のひとりの肩の上に着地して、その彼が派手につんのめって周囲を将棋倒しにしたためたちまち大混乱と化した。

 逆上した腕が何本も伸びてきてわたしたちを掴もうとする。

 大勢にのし掛かられて暴徒の息づかいまで聞こえるほどだ。だけどアルファが肩をいからせてわたしを抱えたまま身体をひと振りして、彼らをまとめてはじき飛ばした。

 わたしはアルファの腕の中でなるべく身を縮めて頭を抱えるしかない。

 アルファが何度かひらりと身体を翻し、あるいはバック転すると、まともに立ってるのは10人ほどに減っていた。残りは地べたに横たわって呻いていた。

 わたしは軽い乗り物酔いだ……不平は言わないけどね。

 まだ無事な連中は戦意を喪失して棒立ちだったので、わたしを抱えたアルファは駅前ロータリー方向にダッシュした。

 「ちょっと、そっちに行くのはマズいと思うけど……」

 「いいの!」


 ビルに囲まれただだっ広い駅前通りには人も車の姿もなかった。

 わたしは道路の真ん中でようやくお姫様抱っこから解放された。アルファは(当たり前だけど)息も切らしてない。わたしは汗びっしょりで目眩がしてたんだけど。

 「なに?わたし無事?」タカコも眼を回したようだ。

 「行くよ」

 アルファが言って、要町方向に歩き出した。いちおう川越方面だった。

 街は不気味なほど静まりかえっていた。

 暴徒がどこから飛び出してくるか分からないから、歩道を歩くのは危険だ。なのでわたしたちは四車線道路の真ん中を進んだ。なぜか分からないけれど車は一台も動いていない……タクシーさえ見当たらなかった。


 丸井デパートの前を通り過ぎる頃、背後がにわかに騒がしくなった。追っ手が駅地下から地上に湧き出している。

 「来たよ……」

 「ネットワークをジャミングしてるから、そう簡単に僕たちの追跡はできないよ」佐藤くんが言った。「監視カメラ映像は利用できない……僕たちもだけど」

 とはいえ目を凝らせばわたしたちの姿は見える。このあたりで動いてる人間はわたしたちぐらいだし。

 案の定大勢がこちらに向かってきた。だけどさんざん走って息が上がったのか、急いで追いかけてくるものはいない。

 タカコがしきりに背後を気にしながら言った。「ねえ、もうちょっと急いだほうが良くない?」

 暴徒集団は数は減っていたけれど、200メートル後方に迫っていた。

 道路が緩やかにカーブしているので、建物の影になって一時的に追っ手が見えなくなった。

 「さ、こっち」

 アルファが小走りになって、わたしたちを左のほうに誘導した。大学があるほうだ。わたしたちの姿が見えなくなって追っ手はふたたび走り出しただろう。なのでわたしたちもやや急ぎ足になった。

 

 脇道を抜けて大学前通りに出たけど、やっぱり人っ子ひとり見当たらない。

 タカコが言った。「あたしらとうしろの騒がしい連中しかいないみたいなんだけど、なんで?」

 「それはアレのせいじゃないの?」

 アルファが空を指さして言った。

 わたしたちは空を見上げて、思わず立ち止まった。

 あの十字架が――〈後帝〉が空に覆い被さっていた。

 いったいどれほど地球に接近したのか見当もつかないけれど、異様にくっきり見えた。

 アルファたちが構わず歩いてるのでわたしたちは急いで追いついた。

 「1時間前に動き出して、この都市の真上、高度1000㎞まで降下した」佐藤くんが言った。「僕たち〈ハイパワー〉は迎撃態勢を敷いた」

 「みんな逃げ出すわけだ……」

 十字架の一端が太陽を遮って、池袋にかりそめの夜が訪れた。

 「なんか超ヤバくない?」タカコが言った。

 「超ヤバい」わたしは認めた。「ついに始まっちゃったのかな?」

 アルファは首を振った。

 「まだ攻撃の兆候はない」

 うしろのほうで誰かが駆け寄ってくる気配がしてわたしは振り返った。鮫島さんとシャロンだった。

 「無事ですか!?」

 「僕たちは大丈夫――」空を見た。「しかし……」

 「メイガンはなにか言ってます?」

 「スマホも無線も通じにくくなってる」シャロンが答えた。「でも連絡から15分以上経過してるから、そろそろ――」


 だけど事態はますます深刻化した。


 わたしたちの行方にも集団が立ちはだかったのだ。


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