167 エスケープフロムイケブクロ
走りながら、わたしは鮫島さんに尋ねた。
「わたしたち、なんで、逃げてるんです!?」
「じつは僕もよく分かりません!」
鮫島さんが先頭を走って、わたしとタカコがつづき、しんがりはシャロンが勤めている。高架下の車道脇を飯田橋方面に向かっていた。
サンシャイン60手前の交差点に差し掛かると、わたしたちを追いかけてくる集団が角の向こうから姿をあらわし始めた。
背後だけでなく、右手のサンシャイン通りからも集団が追いかけてきていた。
「くそっ!」
危うく挟み撃ちになりかけ、鮫島さんが悪態をついた。
だけど脇道からアルファがすごい勢いで飛び出してきて、サンシャイン通りの暴徒をいちどに10人ほど弾き飛ばした。
さすがに進撃が止まった。
わたしたちはそのあいだに交差点を横切って信号が赤になったのでひと息ついた。
四車線道路を挟んだ反対側にどんどん人間が集まっている。
「シャロン、変だぞ」
「なにが?」シャロンがスマホを耳にあてながら言った。
「反対側の奴ら、本当に暴徒化してる。店のガラスをたたき割る音や荒くれた罵声が聞こえるだろ?」
「暴徒ってそういうもんだよ?」
「いや……日本じゃなかなか店を襲撃したりしないぞ」
シャロンはじっと目をすがめて聞き耳を立てた。
「――あ~そういえば、英語の罵倒が混じってるね……」
「奴らどこから沸いたんだろう?六本木の不良外人を動員してもああにはならんだろうに」
「とにかく移動しよう」
わたしたちはサンシャイン広場の階段を駆け上がってホテルの脇を抜け、ビルの反対側に抜けた。
そのあいだにアルファと佐藤くんが合流した。
暴徒が見えなくなったので、鮫島さんは駆けっこから小走りにペースを落とした。
鮫島さんが指示を出した。「アルファ、タカコさんを別の場所に連れてってくれ。奴らが追ってくるのはわれわれだけだ」
「分かった」
「え?自分だけ安全圏に逃げるなんてイヤよ」
「タカコ、そのほうが鮫島さんたちも助かるんだから……」
「ダーメ!もうそろそろですぴーも助けに来るもん。そしたら一緒にいるほうが安全だもん」
「ま~そうかもしれないけれど――」ふと疑念がわいた。「そうよ、もうサイとですぴーが来てもいい頃じゃない?テレポーテーションできるんだから……」
「悪い知らせが」シャロンが言った。
「この地域一帯に結界が張られて〈魔導律〉が効きにくくなっているらしい。テレポートできないので別の手段で急行中だって……」
「そうか」鮫島さんの表情が曇った。「もうちょっと時間稼ぎが必要だな」
タカコがスマホを見ながら言った。
「いま社長がネット監視してて、メールで教えてもらったんだけど、あたしらを追ってくる奴らどんどん連携し始めてるよ。人数も数千人規模だってさ……」
「数千かよ」シャロンが苦笑した。「日本は楽な勤務地だと思ったんだけどなあ」
わたしはだんだん胸が息苦しくなってきた。
もちろん走り過ぎが原因ではなかった。わたしがかくも大勢の暴力の標的になってる、という事実に動揺してたからだ。
なんで、いつの間にそれほど恨みを買ってたのか。
あの尾藤がそれほどまでにわたしを憎んで大勢を煽ったのか。
根神や日本学術連絡会の若槻教授みたいに、操られているんだろう、としても。
わたしを殺したいほど憎んでいるのか?
そんなに憎まれるようなことしたっけ?
「ナツミ、顔色悪いよ?」
「えっ?――まあしょうがないでしょ?」
「まあね、逆上したあんちゃんたちがあんな大勢追いかけてきたら、ふつうビビるもん」
「タカコも怖い?」
「怖いけど、ここ半年怖い事いろいろあったけれど、切り抜けてきたし」
そうだ。
わたしもサイを信じなきゃ。
まもなく、暴徒はただSNSで連携してるわけじゃないと判明した。
ネットワークを監視してるメイガンによると、どうやってか街頭カメラが次々とハッキングされているという。そのハッカー、あるいはハッカー集団が、同時に暴徒を組織化している。
あの集団の中に煽動者が複数いるらしい……尾藤だけじゃなく、ほかにも?
とにかく、わたしたちは確実に追跡されていたから、どんどん包囲されつつあった。
どちらの通りからも怒号が聞こえてくる。
なぜだか自動車の往来もなくなって、おまわりさんもいっこうに現れない。ずっと遠くでサイレンはいくつも鳴ってるんだけど。
よく見ると信号機が消えている。
アルファがさらなる凶報をもたらした。
「奴ら、どんどん増えてる」
鮫島さんが振り返って訊いた。
「どういう意味だ?」
「うん、あたしらもそれなりにネットワーク監視してるんだけどさ、アメリカ――ワシントンからここにテレポートしてるのが何人もいるんだよ」
「アメリカから、テレポート……?」
シャロンが言った。「ちょっと待ってよ。テレポーテーション使えるのはサイファーとですぴーくらいのもんでしょ?そうじゃなかった?」
「わたしもそうだと思ってた」
「つまり」鮫島さんが言った。「サイファーと同等の〈魔導律〉を持った誰かがいる、ということか……?」
「そいつがワシントンの暴徒集団をここに送り込んでるのか……」シャロンが何度も頷きながら言った。「どうりで店まで襲撃してるわけだ」
「そいつって、やはりあのアダム・ワイアなのかな?キリストの偽物でロボットじゃないかっていう」
アルファは懐疑的だ。「いくらなんでも強力な魔導律を操れるほど急速に進化したとは思えないんだけどなあ。それにそもそも誰がアダム・ワイアに魔導律を与えたっての?〈後帝〉じゃあり得ないし――」
「いたぞ――!」
背後で怒声が響いてわたしは背筋を凍らせた。
まだ池袋駅の南端に達したばかりだ。駅前ロータリー方向、それに目白の方向からも怒れる暴徒の罵声が聞こえてくる。
「完全に包囲された」
「サメジマ、ナツミとタカコを線路の向こう側に運ぼう、東武デパートのほうにはまだ人が居ないかも」
「そうだな、アルファと佐藤はふたりを抱えてあっちにジャンプしてくれ!僕たちもすぐ後を追う……奴らに殴り込みをかけて注意を逸らすから、そのあいだに」
「りょーかい」
「それじゃシャロン、すまないが南側を頼む」
「オッケー!」シャロンが手の平にこぶしを叩きつけると、赤と青の派手なレオタード姿に変身した。アイマスクも装着していた。
それに気を取られている隙に鮫島さんもシャドウレッドに変身を済ませていた。
とつぜんのコスチュームヒーローの登場に、暴徒から狂騒的なはしゃぎ声が湧き上がった。もうわたしたちとの距離は50メートルもない。
鮫島さんとシャロンが暴徒に突進して混乱状態を作り出すあいだ、わたしは歯を食いしばって耐えた。




