153 ミスターX
「そうか」サイがゆっくりと立ち上がった。
「サイ?」
サイの目つきがかなり剣呑になってることに気付いてわたしはギョッとした。
「サイ、どうしたの?」
「あの男がナツミに危害を加えたのなら、容赦しない」
「えっ!?サイいきなりそんな――」
「おーいサイファー」ですぴーがのんびりした口調で言った。「いますぐアメリカに行きそうな調子だが、ちょっと落ち着け」
「落ち着いていられるか!」
「まだ相手の正体もはっきりしてねえんだから――」
「デスペラン、おまえが慎重さを主張するとはどういうことなんだ?地球に順応しすぎて鈍ってるのじゃないか?」
「そう言われるとちょっと痛い」
サイは忌々しげに座り直した。
シャロンもなだめにかかった。「サイ、メイガンじゃないけどさ、いまあいつと対峙するのは控えてね。あんた一方的に悪者にされちゃうから」
「アメリカの世論をわたしが配慮しなくてはならないのか?」
「焦らなくてもじきに対決できるよ」ですぴーが言い添えた。
「気に入らん」
サイはまた立ち上がって、玄関に向かってしまった。
「おい!先走んなよな?」
「頭を冷やすだけだ!」
ですぴーに目配せするとこくりと頷いたので、わたしも立ち上がって、サイの後を追った。
エレベーターの前でサイに追いついた。
「ナツミ、心配して付いてきたの?」
「まあね~」わたしはサイの腕につかまった。「ちょっと飲み過ぎて眠くなっちゃったし」
「ずいぶん酔ってたようだけど?」
「ええまあ、ちょっと女の子の愚痴大会やってましてね」
エレベーターが到着して、わたしたちは上にあがった。
「メイガンの所に行くの?」
「ナツミは寝ればいい。わたしはメイガンと話し合う」
「付き合う。お茶飲みたいし」
最上階に着いた。
夜九時をまわって、警備員の数も減ってる。
静まりかえったホールでわたしは立ち止まった。サイが振り返ったので、思いきって切り出した。
「あのさ、サイ、わたし……」
「なに?」
「じつはえーと、わたし、サイが屋上で鮫島さんに詰め寄ってるの、見ちゃって……」
「あ――」サイはややたじろいだ。「そ、そうだったのか、気付かなかった」
「うん」
「それで……どう思ったの?」
「そりゃあ……!サイがわたしのこと大事に思ってくれてるんだって分かったけど」
「……けど?」
「分かんないよ……わたしたちのこれから先のこと。サイは時間をくれって言ってたけれど……」
「ごめんね、不安にさせてしまって」
サイはわたしに近寄って肩を抱き寄せた。
「――ナツミは迷ってる?」
「なにを?」
「鮫島」
わたしはサイを見上げた。
「それ聞く?」
「いや……いちおう、聞かないとかな、って」
「わたしはサイが好きなの!そりゃ……鮫島さんは親切で優しいけどさ――だいたいサイ!わたしと鮫島さんのあいだのことなんで知ってたのよ!?」
「そりゃあすぐに気付くよ……わたしは今女なんだから」
「ぐぬぬ」
「ナツミ。鮫島にも言ったけど、いまはすこし時間をくれ、としか言えない。わたし自身近い将来のことさえ分からなくなってるんだ」
「うん……」
「だけどこれだけは言える」
サイはわたしの頬に手を添えて、言った。
「わたしはナツミと一緒に生きられるなら、男に戻ってもかまわないんだ。それ以外のことはどうでもいい」
「サイ……」
わたしたちは、しばし抱き合った。
「でも、サイはやらなきゃいけないことがあるんでしょ……?」
「イグドラシルで世界王を成敗すること?」
「うん」
「……最近は、地球の戦力で賄えるんじゃないかって思ってるんだ……わたしひとりがいなくても、喧嘩っ早い地球人ならじゅうぶんやれると」
わたしはサイの懐に顔を埋めたまま首を振った。
「サイは大事なことを他人任せにする人じゃないでしょ……」
メイガンは最上階のですぴーのスイートで、ひとりノーパソを片手に仕事中だった。ソファーに脚を畳んでゆったり座ってる。
「あら、パーティーはおしまい?」
「まだたけなわだと思う。メイガンも参加してくれば?」
「わたしはいいよ。士官様がいたら兵隊がくつろげないでしょ?」
「そうか」
「それよりサイファー、なにか用事?」
「ああ」サイファーは向かいのソファーに腰掛けた。
わたしは台所のカウンターで紅茶を淹れた。わたしもサイもストレートで砂糖なし。
紅茶を配ってサイの隣に座った。
サイはソーサーを持ち上げて紅茶をひとくち飲むと、言った。
「メイガン、やはりワシントンの「ミスターX」とやらはわたしたちの敵だと思う」
「そう……」メイガンはやや落胆気味に言った。「厄介なことね。やつはハイパワーの一味なの?」
「違うらしい」
「えっ……まさか、わたしはてっきりハイパワーが世論操作のために送り込んできたのかと……」
「そうではなかったらしいのだ。やつはナツミに酷い夢を見せて混乱させた張本人だ。その工作にハイパワーは関わっていないらしい」
「それじゃやつはどこから現れたのか……」
「まだ分からないのか」
メイガンは忌々しげに首を振った。
「いま調査中だけど、あの通りの人物でしょ?行政や軍内部にもあいつの支持層はいて、身元調査の類いはなかなか進まないのよ……正真正銘正体不明なのに」
「信仰に篤い層にとっては救世主に見えるのだろう」
メイガンはうなずいた。
「Lo-Diのおかげで、アメリカじゃ誰もが審判の日が近いと確信しているの。あのようなエセ救世主が現れて間違った方向に世論を導いてしまったら、わたしたちの努力が水の泡になってしまう」
サイもうなずいた。
「さっきやつに会いに行こうとしたら皆に止められたよ。下手に喧嘩を売るとわたしが悪役になってしまうそうだ」
「それはそうよ!軽はずみな行動はやめてよ!?」
わたしはよせばいいのに頭に浮かんだことを言ってしまった。
「でも、サイはもともとルシファーキャラでしょ?キリストさんに対抗して当たり前じゃ?」
メイガンがわたしにサッと向き直って「真面目な話を茶化さないで!」とか言いかけたけれど、口を開けたまま固まった。
「――あ~……」
それからゆっくりサイに首を巡らせた。
サイも言った。
「ああ!」




