144 ゆれる世界
山の頂上の家で一晩過ごしたけれど、お風呂もおトイレもちゃんとあって、なに不便なく暮らせるようだった。水道とかどうなっているのだろう?
実際メイヴさんはここに住むのだという。
庭先の焚火の傍らにテーブルが用意されて、わたしはそこで朝ごはんを頂いた。
七輪で焼いたお魚とお豆腐の味噌汁にご飯。
雪化粧した山を眺めながら。
なんという贅沢ライフ。
空気のせいか、わたしの食欲は旺盛だ。きのうのピザだって熱々チーズたっぷりでももたれなかったし。
わたしが食後のお茶を頂いていると、サイのスマホに着信があって何やら話し込んでいた。
通話を終えたサイがわたしに言った。
「ナツミ、ちょっと問題が起こったらしい。川越に戻るよ」
「あ、ハイ」
なんだろう、問題って。
わたしはあのドアを通ってアパートに戻るのかと思ってたんだけれど、違った。
サイはわたしの腰に手を回すと「行くよ」とひとこと言って、次の瞬間、わたしたちはもの凄く広い応接室にいた。
「えっ?えっ?ここどこ!?」
「サイファー、おはよう」
金髪で制服姿の女性がソファーから立ち上がってわたしたちを迎えた。
「おはようメイガン」
「コーヒーかなにか?」
「お構いなく。それよりなにが起こった?」
メイガンと呼ばれた女性はそれに答えず、いぶかしげにわたしを見た。
「ナツミはどうしたの?なんだか様子が変……」
「まあちょっとね……」
メイガンは曖昧に手を振った。
「とにかく、これを見て」
メイガンがタブレットを操作すると、壁の大画面テレビに動画が映し出された。外国――たぶんアメリカのニュース映像だ。
「ご覧ください、いま現在の90号線の様子です。大勢の市民が国道一杯に群がり交通は麻痺状態です」
何千、何万人もの人たちがデモ行進している。
「彼らは謎に満ちた煽動者によって動員された人たちです」
カメラが列の先頭にズームした。
水色の背広に金色のネクタイの男性が写っている。長髪でキアヌ・リーブスっぽい。
「彼が首謀者ではないかと言われています。現在警察がこの無許可デモの収束にあたっていますが、事態は好転しておりません。大統領は州兵の動員を検討している模様です。デモ隊は6時間ほどでワシントン市内に到達するでしょう」
「謎の煽動者?」
「ええ、そうなの。わたしは〈ハイパワー〉の陰謀ではないかと思う」
「それではデモに加わってるのは……」
「おもに熱心なID説(※1)支持者。それと陰謀論者、プレッパー」
「正しきキリスト教者たちだな。しかしなぜハイパワーが関わってると思う?」
「あの水色の背広の男、身元がまったく不明なのよ……少なくとも合衆国市民ではない。いま世界じゅうに照会してるけど主なアングロサクソン地域に該当者はいない」
「ハイパワーが化けてるなら誰か存在してる人間の似姿になるはずだが」
「必ずしもそうではないのかも……あの男は慎重に「デザイン」されてるわ。……あえて言えば現代版イエス・キリストふう」
「やつは本物の脅威だと思うか?」
「明らかに、デスペランの世論誘導に呼応してそれを打ち消そうとしてる。自然に起こった運動の可能性はあるけれど、ちょっと動きが性急だわ」
「いちど会ってみるべきかな?」
メイガンは首を振った。
「今の段階でそれは挑発に乗ったように見えるんじゃないかな……。あの連中はわたしたち「遷移推進派」を敵視して対決を望んでる。しばらく静観するしかないでしょう」
「目当てが我々なら向こうから会いに来るかな?ハイパワーの時のように」
「そうよ……準備は怠らないように」
わたしは絶賛困惑中だった。
いま瞬間移動した?
なんで英語が分かる?
メイガンて人、わたしの知り合い?
ていうかここどこ?
あのひとたち誰かと戦ってるの?
わたしは軽くパニック状態で、足元がぐらぐらしてきた。
せっかくこの「新しい現実」のことをすこし気に入りかけてたのに……やっぱりこんなの現実じゃないでしょ!
そよ風をふっと頬に感じて振り向くと、大きな男性がわたしの横に現れた。とつぜんパッと現れたのだ!
「あらディー、お帰り」メイガンが驚いた様子もなく言った。「――っていうかその顔どうしたのよ!」
ディーと呼ばれた男性は巨体をどかっとソファーに預けて、しんどそうに首を倒した。顔に大きなアザを二つ三つこしらえスーツもヨレヨレだ。
「SNSを通じてビーバーとかいう小僧に絡まれてな。俺のことをインチキ野郎だとか散々コケにしやがるもんだから〈魔導律〉を披露することになった」
「ビーバーって……ジャスティン・ビーバーのこといってるの!?」
ディーはうなずいた。
「そいつだ。やつはニンジャ軍団を引き連れてやがった――」
「そっそれで怪我を!?」
「そんな分けねえだろ。俺は奴等を完膚無きまでに叩きのめしたよ。ところがビーバーの野郎「超クール!」とか「マジスゲェ!」とか意味分からんこと喚いてはしゃいでやがって。メイガン、餓鬼どもの国語教育はどうなってる?」
「その文句はカナダ政府に――いえそれはどうでもいいのよ!どうして――」
「なに、俺たちいつの間にか見物人に囲まれてたんだが、そのうちユーモア感覚の欠如した紳士淑女が俺に絡んできやがって」
「暴力沙汰になったの!?」
「俺は手を上げてないよ、半分は淑女だったし。証人はビーバー」
「保守系の連中があなたを取り囲んで、暴行したっていうの?」
ディーはうなずいた。
「怒れる群衆だ。いますぐ俺を縛り首にして神に贖罪すべきだそうな。だがビーバーによると奴等はクールじゃねえしまともに相手するだけ損するということなので」
ディーは肩をすくめた。
「それであなた、黙ってサンドバッグになったの……」
ディーは謙虚にうなずいた。
「奴等は俺をひれ伏せさせようと逆上していたのだが、それだけは願い下げだったので雄々しく立ち続けたよ。あいつらが疲労困憊するまで。少なくとも満足感は与えなかったので。俺の勝ちだ」
メイガンがソファーの肘掛けに手をついてディーの顔を覗き込んだ
「ひどい……」
サイファーもディーの肩にうしろから手を置いて、言った。
「苦労かけるな、デスペラン」
ディーはその手に手を重ねて言った。
「ひとつ貸しとしておこう。それより一杯やりてえんだが」
「分かったわ、スコッチ?」
「頼む、オン・ザ・ロックス」
わたしはそんな会話を聞きながら、少しずつ後ずさりしていた。
隣室まで後ずさってみんなの視界から見えなくなると、玄関を捜して、やがて外に出た。外と言っても大きなビルの吹き抜けだ。
なぜか兵隊さんが数人立ってる。わたしを見ると「ミス・カワカミ」と言って帽子のつばに手をかけて軽く会釈してきたので、わたしはなんとか微笑してうなずき返した。
エレベーターを見つけて乗り込むと、一階のボタンを押した。
注1) ID説とは聖書の記述をすべて事実ととらえ科学的後知恵で補強すること。ガノタみたいなもん。




