141 夢なら醒めないで……
つまらない一生が思ったより短くて、わたしは救われたと思ってた。
身体じゅうが痛い。なんでここが?って部位が痛み出す。
それに癌治療も同じくらい辛くて、わたしの最後の時間はとても惨めだ。
人生最後のペナルティー。これくらいは受けて当然なのかもしれない。
この苦痛もまもなく終わる、それだけがわたしの希望だ。
混濁した意識のまま、わたしは明晰夢を見た。
ひどい夢だった。
わたしは大河のほとりで、はしけから水面を見おろしていた。
暗い水面の奥底でウミヘビかシャチみたいな生き物が大きな身体をのんびりうねらせていた。
背後で誰かが言った。
「君も水に飛び込めばいい……この河に浸かっていれば、君もあの者たちの仲間になれるよ……慈悲深い忘却に委ねられて、心地よい水の中で永遠に過ごせるよ」
(それも良いかな……)
わたしが振り返ると、誰もいなかった。
(ここはどこ?)
桟橋を歩いて砂浜に戻ると、椰子の茂みの奥に一軒のコテージが見えた。
灯りはともっていなくて、短い階段を上って入り口をくぐると、誰かが住んでた気配はあるけれど、人の姿はなかった。
ろうそくを灯して部屋の中を見渡した。
奥には大きなベッド。壁際のタンスの上には写真立てがふたつ置かれている。モノクロ写真の一枚にはすごい美少年が写っていた。
そしてもう一枚には、その美少年と若い頃のわたしの、ツーショット。
「え、なにこれ……」
わたしが写ってる写真立てのひざもとに大きなレッドダイヤモンドのネックレスが置かれていた。
妙に腹立たしい組み合わせだ。まるでわたしが別の人生を歩んでいたような。
夢としても残酷だ。
それで、わたしはそのペンダントを勝手に失敬して、首に吊してみた。
部屋の一角、ドレスが掛かってる壁の傍らに姿見があったので、わたしはその前に立った。
20代のわたしが見返してた。
「こんなだったっけ……?」
わたしはペンダントを摘まみながら、鏡の中のわたしにたずねた。白髪が一本もない髪。なぜかメガネもしていない。馴染みのない姿。
記憶を維持したまま若返る筋書きはラノベとかではお馴染みだけれど、思ったより嬉しくはなかった。
なにかの映画でお爺さんが言ってた台詞を思い出した。
「歳を取って最悪なのは、若かった頃を覚えていることだ……」
それは若返れたとしてもそうなのだろう。わたしが過ごした年月の重みは澱のようにこびりついて心は若くならない。感じるのは心ないお世辞のような決まり悪さだけだ
わたしは急に不安に苛まれて、あたりをまた見渡した。ここはとても居心地が良い。夢なら醒めないで欲しい。このまま……
「いいんだよ、ずっとこのままで居ればいい」
ふたたび謎の声が聞こえて、わたしが振り返ると戸口を黒い影が塞いでた。
「あなた、誰?」
その問いかけには答えず、彼はつづけた。
「君が望むなら夢は覚めないよ。もう苦しまずに済むんだ。楽におなり」
とても魅力的な考えだった。
その誘惑にわたしは心引かれた。
「どうすれば良いの?」
影は一歩進み出た。
ろうそくの明かりに照らされても真っ黒な影のままだ。かろうじて長い髪の細身の外国人……という印象。声は穏やかで深みがある。
「簡単だ、それを渡してくれれば、君は楽になれるよ」
そう言って彼は姿見のほうを指さした。
たぶん鏡の傍らに立てかけられている紫色の包みのことを言ってるのだろう。
わたしは長さ80センチくらいの包みを持ち上げた。包みを結んでいるひもを解いて、中身を取り出した。
剣だ。
七支刀……刃は黒い鏡のような不思議な材質で、金色の柄。
「これ?」
「そうだ」
わたしはうなずいて、彼に剣を差し出そうとした――
そのとき
(あれれ?)
きゅうに体の感覚がなくなり、わたしの意識が両目の奥に一歩後退してゆくような……
わたしの声で誰かが喋ってる。
「わらわをおまえなどに委ねるわけにはゆかぬ」
「なにを言っている?」
「作り物の分際で我が力を欲しがるなど笑止千万。ただちに小細工をやめ巫女の前より消え去れ!」
「貴様川上ナツミではないな?」
わたしは威嚇するように剣を振るった。
「わらわは龍翅族のアマルディス・オーミ。川上ナツミの依代にして守護者」
「ナツミさん!聞こえてますか?ナツミさん!?」
わたしはとつぜん夢から浮上して、はっと眼を見開いた。
「ナツミさん!良かった!もうちょいで救急車呼ぶとこでした」
男の人がわたしを見おろしていた。
「えっ?誰ですかあなた……」
「なに言ってるんですか、鮫島です」
わたしは鮫島と名乗る男の人の腕に抱き起こされていた。
ここはわたしのアパートのようだ……だけど記憶とは様子が違う……こたつ布団も柄が変わってるし、台所にテーブルセットが置かれてる。
黒猫がいる。
鮫島さんはわたしを心配そうな顔で覗き込んでいる。
「ち、ちょっと、なんで……」
腕をあげるのも億劫だったはずの体が、どこも痛くない。わたしはそろそろと手をついて、こたつから半身を引き出して座り直した。鮫島さんが背中を支えてくれた。
「大丈夫ですか?身体に異常はないようですが……なにか飲みますか?」
「えっと……ハイ、お水いただけますか?」
鮫島さんは勝手知ったる様子で、コップを持ってきてペットボトルの水を注いだ。
水を頂いた……とても美味しい。一気に飲み干してしまった。わたしはホッと息をついて言った。
「ありがとう」
「ナツミさん……こう言ってはなんだが様子がその……すこし変だ。立てますか?サイファーとメイヴさんに診てもらったほうが良いでしょう」
「サイファー……」
その言葉を聞いたわたしの頭の中で、なにかがみじろぎした。




